沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

2023年に読んだ「ベスト本」12冊(+α)

もう新年になってしまいましたが、2023年に読んだ本の中から、特に良かった・面白かった・オススメできそうな本を12冊に絞って(絞れてないけど)紹介します。ビニがさ会も迫っているので映画のベスト10も早く出さないとだし、なるべくさっくり紹介したい。なお映画と違って本はカウントが微妙にムズイが、一応数えたら大体150冊くらい読んでいた…気がする。あとこれも映画と違って「今年出版された本」ではなく「今年私が読んだ本」なので注意ね(おおむね新しめの本ではあるけど)。ブログ読者は想定できてると思うが、ついでに関連書とかも紹介するので絶対に12冊には収まらない。あしからず。

 

 

『イヌはなぜ愛してくれるのか 「最良の友」の科学』

イヌの関係者も非関係者もみんな読んでほしい。

すでに何度も紹介してるけど、万人にオススメできる今年の動物本として自信をもってチョイスできる一冊。世界一身近な動物といえる「イヌ」を、他とは違う特別な動物にしているものは何なのか?それは…「愛」である!といういっけん非科学的に響く答えを、動物学者が本気で証明しようと試みる。原題は"DOG IS LOVE"=「犬こそ愛」(つよい)。

 もちろんタイトル通りイヌの本なのだが、それと同時に「愛」という抽象概念について、「生き物にとって愛とは何か」的に、動物学的・進化論的な観点から真面目に考えてみるという裏テーマもある本。とくに犬派ではない人も読むと得るもの多いんじゃないでしょうか。

この本をきっかけに図解を描いたりもしたのも良い思い出。

numagasablog.com

関連書として、読み途中だけど『後悔するイヌ、嘘をつくニワトリ 動物たちは何を考えているのか?』もぜひ。

 

 

『ビッチな動物たち: 雌の恐るべき性戦略』

今年最強のどうぶつ本はこれ。

本屋でタイトルの表紙のインパクトを見てジャケ買いしたが、今年最も面白く、力強い動物本の1冊だったと断言できる。男性中心的な価値観に支配された人間社会で、科学者にさえ静かに無視・軽視されてきた「メスの動物」たち。だが最新研究でわかってきた様々な動物のメスの生き様は、メス/女性へのステレオタイプを覆すようなものだった。人間が勝手に作った性的規範の檻をぶち破る、パワフルでクィアでBITCHなアニマルの生&性の真相に迫る!

(動物学に限らず)科学や学問が人間の営みである以上、そこには現実社会のジェンダーや性指向の生むバイアスが忍び込み、その偏りが「科学的真実」を歪めることもある…というシリアスな問題意識に貫かれている本なのだが、それと同時に笑えて面白い本でもある。

日本版表紙のキツネザルのように、パワフルでたくましかったりアグレッシブだったり、まさに"Bitch"なエネルギーを炸裂させるメスの動物が次々と登場する様は、痛快で楽しいしタメになる。その一方で、カモのように繁殖期にメスがひどい目にあいがちな動物も紹介されるのだが、実は(オスの狼藉を封じるかのように)メスのカモが生殖器に秘めたギミックなども解説されるので興味深い。動物学ではオスの生殖器ばかりが注目されがち、という問題も刺しつつ…。

話の流れ的に出るだろうなと思ったが、こちら↓で図解したコアホウドリについても1章が割かれていて鳥好きとしても嬉しくなった。気候変動で環境が激変し、従来の子育てが厳しくなる中、こうした「クィアな」個体群が種の運命を救うかもしれない…という視点も頷けるものがある。

本書を紹介した時、近年ありがちな「人間の価値観を勝手に押し付けて動物を貶める」系の本かと思って苦言を呈されてた人もいたが、そうした本とは真逆と言える方向性なのでご安心を。(bitchも本邦だとまだ普通に悪口の印象も強そうなので、ぎょっとする人もいるかなとは思うが…)

公式サイトの紹介文を読むと方向性がわかると思うので気になったらぜひ↓。「本書は、本当の雌とはどういうものか、「Bitch」というタイトルで、男目線の幻想をひっくり返すべく、挑発的かつ面白く事例をあげ証明していく。男性が求める女性像を破壊しつつ、本当の女性(雌)とは何かを明らかにする。」動物も人間も貶めることなく理解を深め広げようとする、まっとうな志の本だと思いました。

t.co

本書を読んで、『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』でも、メスのオオカミの実態を知るにあたって、人間界のジェンダーバイアスやステレオタイプが邪魔をしていた…という話があったことを思い出した。私たち人間は「曇りなき眼」で動物界を見ている、という幻想を捨てるべきだなとつくづく思わされることが多い。

ところで先日『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か? ; これからの経済と女性の話』もaudibleで聴いたのだが、こちらは男性中心ゆえに様々な知見を取りこぼしてきた経済学をビシバシ斬っていく面白い本だったので、何気に『ビッチな動物たち』と視点が共通しているなとも思った。

経済学も動物学も、凝り固まった属性だけでなく、多様な視点を設けていくことがいかに大事かという話ですね…。科学的真実のためにも科学者の多様性が不可欠なのだった。

関連書として『進化が同性愛を用意した: ジェンダーの生物学』もオススメ。一部の人が「生物学的に不自然(?)」とか言う同性間の性行動が、なぜ実際には自然界でこれほど多いのか、翻って人間界ではなぜ抑圧されるのか…と考えていき、生物の"性"の枠組みを捉え直す。セールで電子版が半額になってます(たぶん1/11まで)↓

 

『なぜ心はこんなに脆いのか: 不安や抑うつの進化心理学』

タイトル買いしたら大当たりだった。

みんな知っていることだが、不安や抑うつは不利益が大きい。じゃあなぜ人類が進化する中で淘汰されなかったの?と進化心理学の観点から考え、「傷つく心」が実はもっている必然性・必要性を語る本である。

この本で幾度も強調されるのは「私たちヒトは間違いなく動物である」ということ。万物の霊長とか言って調子こいてはいるものの、私たちも他の動物と同じく泥臭く進化を重ねてきた中で、精巧だけど不完全で不安定な脳と心を得た「動物」にすぎないのである。だがそこを謙虚に突き詰めて考えることで、逆に様々な心の"誤作動"の解消にも繋がりうる。動物の進化を考えることは私たちの「今」を考えることでもあって、喜びや苦悩に満ちた暮らしにも繋がる問題だと再認識できる点で、一種の動物本でもある。

人は常々「人生はなぜ苦悩に満ちているのか」と嘆くが、『なぜ心はこんなに脆いのか』で出される答えは「不安、落ち込んだ気分、悲嘆といった情動が役に立つものだから」というもの。ゆえに自然選択によってそうした情動が形作られてきた。苦悩は遺伝子にとって有益なだけでなく、愛情や善良さの代償でもあると論じていく。

メンタルの不調は誰にでもあることで、程度が激しければ深刻な影響をもたらしかねないけど、『なぜ心はこんなに脆いのか』で論じられるように、それは個人の責任というより、進化が必然的に人類に付与した情動でもある…と考えれば、ラクになる(&より適切なサポートも検討できる)人も増えるかもね。

ちなみに吉野源三郎の(原作のほうの)『君たちはどう生きるか』を読んでいたら、『なぜ心はこんなに脆いのか』に重なる話が出てきたので少し嬉しくなった。心に感じる苦しみやツラさは人生から拭い去れないが、その痛みこそが私たちを善へと導いてもくれる。そう考えると"心の脆さ"はただ厭うべきものではないのかもしれない、と思えてくる。生きづらさや苦しさを抱えてる人は、一読してみてほしい。

 

関連本

『Chatter(チャッター)―「頭の中のひとりごと」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』

近い時期に読んだ本だが、意外と『なぜ心はこんなに脆いのか』にも通じる内容だったなと。"内なる声"=Chatterは進化の中で獲得した有用な能力だが、行き過ぎれば日常や仕事に支障もきたす。祝福にも呪いにもなる"声"を心理学者が解説。つい頭の中で喋りすぎてしまう人にオススメ。

 

『ヒトという種の未来について生物界の法則が教えてくれること』

おもしろこわいぞ!ヒトの未来

献本いただいて読んだのだがたいへん面白かった、そして怖かった…。(こちらでも感想書いた。)これから気候変動などで激変していくであろう世界で、ヒトや他の生き物がどんな変化を迎えるか、生物学の見地から切り込んでいく。

生きもの好き視点でもかなりエキサイティングな本なのだが、鳥好きとしてはカラスに光が当たるので熱い。本書によると、変化していく環境に対応できる「発明的知能」を持つカラスのような鳥と、より特殊な状況に特化した「自律的ノウハウ」を持つ鳥がいるのだが、激変していく世界では前者が有利となり、後者が不利となるという。

さらに人類自身にも、同じ傾向が見られるかもしれない。気候変動などで激しい変貌を遂げていく世界で、人や社会がうまく存亡できるかどうかは、その社会のシステムがカラスのような「発明的知能」に近いか、他の鳥のような「自律的ノウハウ」に近いかにかかっている…という話をする。その理屈だと、硬直的な日本社会はかなり後者に近い感じがするので、ヤバそうな気配だが…。

シンプルに面白いので動物好きや人類の未来を懸念する向きはぜひ読んでほしい…。究極的には、人類がしくじって滅亡しようと、ヒトに(比較的)近い脊椎動物とかが死滅しようと、広い意味での「生物界」は意に介さず存続し続ける…という話が最後に待っており、迫力と哀しさとパワフルさ、そして謎の安心感を覚えた。

 

関連書

『運動の神話』&『人体六〇〇万年史』

「未来」ではなく、逆に「過去」にさかのぼって、動物としてのヒトを語る本も紹介してみる。

こちらのハヤカワ記事でも紹介したので詳しくは省略するが、たいへんエキサイティングで面白い本でした。同じ著者の本を同時期に読んだので、セット扱いということで…。

『運動の神話』は「(健康を目的に)運動するために運動する」という現代人の状況がそもそも人類史上でも異様なのよねという事実から始めて、スポーツ・走る・座る・眠る・闘うといった人間の運動全般にまつわる「神話」(思い込みや嘘や偏見)を解体していく本。

著者であるダニエル・E・リーバーマンは、運動や身体の研究者であるだけでなく(裸足ランニングの実践者でもあるほどの)けっこうな運動ガチ勢なのだが、「運動とかダルい」という我ら一般市民の気持ちへの深い理解と優しいまなざしが著作から伝わってくるのが好きである。

『人体六〇〇万年史 ──科学が明かす進化・健康・疾病』は、600万年前に類人猿と分岐して直立二足歩行を始めてから、ヒトの身体は独自の進化を遂げたのだが、生活の激変を経て様々な"ミスマッチ"問題が浮上した…という歴史を紹介しながら、人体と健康について壮大かつ面白く語る本。

ちょうどナショジオの記事で、いわゆる「超加工食品」ばっかり食べてると、うつや認知症を発症しやすい…という研究結果を読んだが、これも『人体六〇〇万年史』で語られた「進化ミスマッチ」案件ではある。糖分と脂肪分と塩分をやたらと求めがちな私たちの「進化」に企業がつけこむっていう…。そう考えると、奇しくもさっきの『なぜ心はこんなに脆いのか』と全く同じ着眼点で(精神/ソフトウェアではなく)身体/ハードウェアの進化を語るという内容というのが興味深い。

 

『遺伝子―親密なる人類史』

2023年の抱負は「遺伝子」だった。

…いや抱負が「遺伝子」ってなんだよ、てか正確には「遺伝子を理解する」なのだが…というのも単なる後付で、実際は『なぜ心はこんなに脆いのか』といい『ビッチな動物たち』といい『人体六〇〇万年史』といい、読んで面白かった本がたまたま遺伝子が鍵を握る内容が多かった(まぁ生物と人間について本なら大抵は遺伝子が重要だろという感じもする)のだが、せっかくなので遺伝子そのものを論じたガッツリした本も読んでみたところ、これが面白かった。

19世紀のメンデル(遺伝法則)とダーウィン(進化論)の二大発見から始まった、遺伝子を巡る人類の物語を綴る上下巻の本。DNA二重らせんの衝撃、優生思想の惨劇、ゲノム編集の新技術「CRISPR-Cas9」の可能性…とまさに二重らせんのように絡み合いながら発展を続ける「遺伝子」の歴史を眺めても、激動の時代にいると実感させられる。

著者シッダールタ・ムカジーはインド出身の医者/研究者(前著はピュリッツァー賞)だが、親戚の数名が統合失調症と双極性障害を発症している、遺伝性の高い病気の当事者でもある。遺伝という現象に切実に向き合わざるをえない人が語る遺伝子の歴史、という側面はけっこう大事。

『遺伝子‐親密なる人類史』の中で幾度となく繰り返されるのは、遺伝という極めて複雑な現象について「わかったつもり」になって優生思想的・差別的な方向に飛びつく態度がいかに危険で愚かしいかということで、遺伝という言葉を雑に振りかざす人に対抗するためにも、ちゃんと学んでおくべきとも思う。

(極力わかりやすく噛み砕いてくれてるとはいえ)わりと科学的にもガッツリした内容を含むので、文字の本を読んだ後にaudible(オーディオブック)でも聴くという追い聴き(?)を試してみたが、けっこう定着度が増した気がする。逆に音→文字もアリかもしれないし、様々な形態の「本」が出てくれるのはありがたい。

 

今年読んだ遺伝子技術関連のオススメ本↓

『コード・ブレーカー 生命科学革命と人類の未来』

伝記作家アイザックソンが遺伝子技術の進歩や揉め事を語るスリリングな本。マスクの伝記より面白いと思う(※読んでない)

『CRISPR 究極の遺伝子編集技術の発見』

こっちはクリスパ―発見者の1人・ダウドナ本人の記述。

 

『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』

社会が物騒すぎて、ことあるごとに思い出す1冊だった。

人間がどれほど物語を愛する動物か、人類史の中でストーリーテリングがいかに絶大な力を発揮してきたか、事象の物語化にどんな危険が潜んでいるか…を語っていく、物語(ストーリー)大好き勢としては面白怖い本。何かあるとネットにもすぐ憎悪や誤情報があふれかえる昨今、特に表現や創作に関わる人は、物語がもつ(良くも悪くも)"大いなる力"を自覚する意味でも一読してほしい。

いっけん科学が完全に"勝利"したかに見えるこの世界で、今なお「物語」がどれほど強力な恐るべき力を持っているのかを、著者はスターウォーズのフォースの喩えで語る。物語の力は価値あることを広く伝えたりと善にもなるが、人を操ったり洗脳したり、ダークサイドにも使われる…。

フィクションに限らず現実を認知させるツールとして「物語」は強力だが、面白ければ面白いほど「強く」なってしまう構図があり、それが「正しいけど弱い」物語を駆逐してしまう、という問題は『Humankind 希望の歴史』とも繋がる話だな…と。

本書に加えて、昨年読んだ『「いいね!」戦争 兵器化するソーシャルメディア』もあわせて考えると、比喩的な意味でなく「物語の兵器化」みたいな不穏な言葉も脳裏に浮かんでくるし、(もとからロクなもんじゃなかったとはいえ)X化してさらにヤバくなったTwitterのヤバさもさらに身に迫ってくるわけだが…。

興味深かったのは『ストーリーが世界を滅ぼす』に出てくる、心理学者のハイダーとジンメルが作った短いアニメーション動画↓。大小の三角と丸が動き回る、極めて単純なアニメだが、見る人によって全く違う"ストーリー"を読み取る。その性質こそが現代社会の諸問題を説明しているのかも、と著者は語る。

www.youtube.com

この「ハイダー=ジンメル効果」と著者が呼ぶ、「同じものから違うストーリーを読み取る」人間の性質が、テクノロジーと文化の激変によって増幅され、さらに(記号アニメの解釈よりも)もっと重要なものが関わるようになると、人々は自分の「フィクション」を死守するようになる…。思い当たる節もありますな…。

昨今の日本社会でも、「なんで一定の教養や知性がありそうな人がこんなワケわからんデマや陰謀論に引っかかるの?」と言いたくなること(最近だと「女性支援団体が実は悪」みたいなやつとか…)も多くて、もちろん女性蔑視とか差別の問題も大きいとは思いつつ、「物語として気持ち良すぎるから」というのもあるんだろうなと思う。とにかく人は「物語」の快楽に脆弱なのである…。

逆に言えば、地球温暖化への取り組みが(深刻さでいえば人類史上屈指にもかかわらず)進みづらい理由に「気候変動が物語として退屈だから」という説を著者は挙げる。主人公や悪役を想像しづらく、人類全体が加害者にして被害者でもあり、抽象的で壮大すぎて「物語化」しづらく、解決への道のりが見えにくい。ゆえに(日本でも)メディアで扱われにくかったり、いつまでも否定デマが絶えない、みたいな面も確かにありそう。

私は科学者ではないが、科学サイドに立ちたいと思う側も、色んな"語り=ストーリーテリング"を試みる必要があるかもな、とは思わされる。気候変動と"ストーリー"の話だと、例えばレベッカ・ソルニットらが参加するNot Too Late(遅すぎることはない)運動は、科学の否定や破滅主義という「間違っているけど強いストーリー」に負けないような、「新しい強力なストーリー」を提示することを試みているんだろうなと。

ほんとにフォースvsフォースのぶつかり合いみたいになってるが、物語大好き人間としても「ストーリー」の力についてよく考えて、その影響について自覚したいと思う。

 

関連書

まさに「ストーリーの悪しき力」二大巨頭って感じの陰謀論・歴史修正主義を論じた新書も最近読んだのでオススメしておく。

『陰謀論 民主主義を揺るがすメカニズム』

『歴史修正主義 ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』

 

『犠牲者意識ナショナリズム―国境を超える「記憶」の戦争』

今年最も痛烈で強烈だった一冊。

イスラエル/パレスチナの人道問題も紛糾する中、なんとなくタイトルが気になって読み始めた本だが、もう「はじめに」の時点で、今の(日本含む)東アジアや、中東/ヨーロッパなど海外の状況にドスドス刺さってくるので、読み進めるのに気合がいると思い中断したほど…。

ざっくり内容を言うと、戦争や虐殺といった大規模な惨禍を経た人々が抱く、それ自体は決して間違っていないはずの「犠牲者意識」が、いかに権力によって利用され、危険な民族主義やナショナリズムに"国を超えて"転じていくかを論じる。

実は(名前から一見わからないかもだが)著者は韓国出身の研究者。歴史背景を踏まえれば当然だが、大日本帝国の植民地主義や、現在の日本社会のあり方を批判的に論じる部分も多いし、日本の読者的には4章あたりが最も痛烈なんだけど、本書の「刃」は決してそこで止まらない。著者の祖国である韓国や、いま渦中ど真ん中にいるイスラエルなど、「犠牲者意識ナショナリズム」という概念を返す刀として、まさに全方位的に鋭く切り込んでいく内容になっている。事態の深刻さと入り組み方にフラフラしながらも、ぐいぐい読んでしまう筆力も見どころ。

「犠牲者意識ナショナリズムが危険なのは、加害者を被害者にするだけでなく、被害者の内にある潜在的な加害者性を批判的に自覚する道を閉ざしてしまうからだ。自己省察を放棄した道徳的正当性ほど危険なものはない。」

↑の第6章末の部分とか、著者はイスラエルや韓国を念頭において書いているのだが、その普遍性ゆえに、必然的に日本にもグッサリ刺さる部分なんだよね…。

身近なところでも、たとえば戦中・戦後を描いた日本のエンタメ作品とかでも、日本の加害者的な側面がスッポリ抜け落ちちゃってて、(作り手は意図せずとも)それこそ「犠牲者意識ナショナリズム」に回収されかねないよな…と思うことは多いし。

というか言い方はアレだが、むしろ著者が韓国の方だからこそ抵抗なく読めたみたいなところはある。というのも日本の歴史的立場(どっちかといえば明らかに帝国/植民地主義の体制側)からよその国を「それって、犠牲者意識ナショナリズムじゃね?」とか断じるのってやっぱ抵抗あるし…。

それでも日本に限らず、たとえば『RRR』とか去年のベストにあげた大好きな映画なんだけど(記事にも書いたように)どうしても「強い」エンタメがナショナリズム的な方向に行きうる危うさって常にあって、そこを全乗っかりでも全否定でもなく冷静に切り離して見る視点も大事だと思うし。その意味でも読んで良かったなと思う。

『犠牲者意識ナショナリズム』も、実は先述の『ストーリーが世界を滅ぼす』と共鳴する部分があるなと思っていて、国家単位で作られる巨大で危険な"ストーリー"に絡められないよう、個人が抗うための本でもあると思うし、それは今後の世界でいっそう重要性を増していくと思う。今年屈指のヘビーな本だが、「今年の1冊」にあげざるをえない。ぜひ読んでみてほしい。

 

『集まる場所が必要だ――孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』

世の中を見る目が少し変わったという意味で、この本もぜひベストに選びたい。

図書館のような、人が集まる開かれた「社会的インフラ」が、社会全体や個人にとっていかに重要なのかを語る1冊。犯罪率との関係や、学校という公共インフラへと話は広がっていく。

内容的に、読んでいて思い出す映画は『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』。「情報なんかネットでいくらでも手に入る」的な理屈で図書館を縮小しようとする勢力は絶えないが、そういう問題じゃないんだよね。誰もが「知」にアクセスできる公共の場所として、図書館のようなサービスは今も不可欠なのである。

『集まる場所が必要だ』で紹介された、図書館で働くアンドリューさんのこの言葉↓とか、とても重いなと。

「この仕事を始めてわかったことがある」と、アンドリューは言った。「スターバックスも、ほとんどの商業施設も、客は買ったものを手に入れることで、よりよい存在になると考えられている。でも、図書館は、利用者はすでに素晴らしい人間だという前提に立っている。それを本や教育によって、引き出せばいいだけだ。図書館は、人間の一番いい部分を引き出す。人はチャンスさえ与えられれば、自分を向上させることができるという前提に基づいて運営されているんだ」。

スタバとか商業施設も、図書館の役割を部分的に担うことができなくもないが、場所がもつ根本的な思想が違うっていうのはどうしようもない。「金を払う」ことが前提になるとそれゆえに限界が生まれてしまうという…。

日本でも都市部(特に東京)はゆっくりできる広場とか公共空間が少なすぎて、お金があればそれなりに快適に過ごせるんだろうけど、ないならさっさと帰れみたいな都市設計になっていて、それって長い目で見たら(人やその地域のためにも)どうなんだ…?ということも考えさせられる。

本書では図書館が決して(ユーザーなら誰もが知ってるように)理想郷でもなんでもなく、公共施設ならではの揉め事やトラブルも起こる場所であることも語られるのだが、来館者への信頼がベースにあるゆえに、大抵は市民的に解決することも強調する。図書館の日常を「民主主義の実験」と表現するのは上手い。

そういえば近所の図書館も、爺さんが図書館スタッフに大声で絡んでたり、希少本の閲覧スペースで居眠りしてたりとか、ロクでもないことも多いのだが、それでもそれは「万人に開かれている」がゆえのロクでもなさであり、その裏には「開かれている」からこその確固たるメリットもまた(見えにくいだけで)数多くあるんだと思う。

後半ではハリケーンで打撃を受けた街の話も出てくる。気候危機や地震で災害が多発する中、柔軟で強靭な社会を作るために「公共」をどう設計するかを考える本でもある。災害の時代にハード面・ソフト面で社会を作り直す必要性を語る意味で、ソルニット『災害ユートピア』とも実は通じる本。

『集まる場所が必要だ』を読んで、たとえば映画館のような商業施設が、"人が集う"一種の公共空間としての役割を、将来的にもっと有意義に果たしうる道筋はあるのかな…とか考えたりもした。「社会インフラ」という観点を得ることで、街を見る目がまた少し変わったのを感じる。

余談な宣伝だが今週末(1/7)に迫るビニがさ新年会も(まぁ有料イベントなので本書の趣旨とはズレるが)ちょっとしたゆるやか〜な繋がりの生まれる場所を創出できればいいな〜とかぼんやり考えていたりもするので、ぜひお越しくださいませ…↓

numagasablog.com

 

『鋼鉄紅女』

今年はノンフィクション中心で小説をそれほど読めてないのだが、一作あげるなら本作を選びたい。巨大な怪物を倒すため、男女ペアで巨大ロボットを操縦する!という、中華っぽい世界観のメカSF。『パシフィック・リム』を真っ先に連想するのに加えて、どこかで聞いた設定だな?と思うアニメファンが多いかもだが、それもそのはず、元ネタは日本アニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』だと作者も公言している。

しかし特筆すべきは、こうした王道な「ロボアニメ」構造のなかに、社会構造に抑圧され、性差別に苦しめられてきた「女性の逆襲」という、とても現代的なフェミニズム的主題を盛り込んだこと。ロボット・怪獣・男女の邂逅…といかにもアニメ的な要素を散りばめながらも、不平等へのド直球な怒りと、性的規範への反抗・撹乱としてのクィア性を描き切っていて痛快だった。『侍女の物語』+『パシフィック・リム』の奇跡の邂逅というべきか。

もうひとつ面白いのは、元ネタのアニメ『ダリフラ』の展開への「失望」が執筆の原動力になったということ(そういや私も、合わなくて途中で見るのやめちゃったな…)。私も昨年、アニメの展開というか作り手の姿勢?に(期待してたからこそ)けっこうガッカリしてしまって、結局なんかモチベが湧かなくて続きを見ることなく今に至るので、作者さんの気持ちはよくわかる。そんな感想をそのまま率直に書いたらファンと思しき人々にまぁまぁ叩かれたりもしたが、とはいえ公式の展開をやたら絶対視・神聖視するんじゃなくて、自分の失望や不満はそれはそれで大事にしたり、言語化することも本来は大事だと思う。

まぁ『鋼鉄紅女』の作家さんは、「失望」を原動力にしながら、こうも激烈で強度の高いオリジナル作品を生み出せたのは凄すぎるし、本人の特別な才能あってこそとは思うのだが…。ただ日本では批評や批判ってなんかクリエイティブの対極にあるものみたいに誤解されがちだが、やっぱ批評精神って大事というか、新しいものを生み出す創作マインドにも直結するものなんだよなと実感させられた。

『鋼鉄紅女』、評判を聞いて想定していたよりも百合/シスターフッド成分が薄めなのは意外ではあったが、「男女の三角関係」という王道な関係から、性差別システムが男女をともに抑圧するという(そういえば映画『バービー』とも通じる)問題を鮮やかに描いて見事だった。「三角関係」がマジで三角になっていて、男性同士の愛情やケアがちゃんと表現されるのも良い(そうこなくてはな!) 次回作はぜひ百合も見たいですが。 

普遍的かつ深刻な女性差別といったヘビーな問題を、中国の悪しき(と言わざるを得ない)伝統である「纏足」も絡めながら語る手腕が本当にうまい一方で、カラッとしたユーモアもあったりするのが良い。特にラストが良い意味でひどくて(登場人物たちと一緒に)笑うしかなかったのも最高。さらにエピローグの衝撃的な展開で「えっ!」と思ったが続編の刊行も決まってるそうで楽しみ。植民地主義にも踏み込んだり、さらなるテーマの広がりもありそう。「巨大ロボもの」のようにいっけん使い古されたような物語に描けるものは、まだ沢山あるんだなと思わされた。

 

関連本

従来のフィクションに対する批評(的な精神)がクリエイティブを刷新しうる、ということを『鋼鉄紅女』が教えてくれたので、エキサイティングな批評入門であり批評集である『お嬢さんと嘘と男たちのデス・ロード ジェンダー・フェミニズム批評入門』もオススメしたい。

 

『トランスジェンダー入門』

今までも日本社会が性的マイノリティの人にとって生きやすい場所であったことはないと思うが、様々なニュースや出来事を振り返ると、今年はとりわけトランスジェンダーの人々にとって試練の年だったのではないかと思う。

ひとつ象徴的なニュースをあげると、やはりKADOKAWAの出版停止の件は記憶に新しい。倫理的にも医学的にも問題があるのでは、と海外でもすでに指摘されていたトランスジェンダー関連本を、やたら扇情的な売り方で出そうとして、それに対して批判が寄せられたことで、突然の出版停止を発表し、それにまた批判や非難が集まって…という、なんかもう出版界とSNSのイヤなところを同時に見せつけられたような事件があった。

表現の自由とヘイトの問題とか、とはいえ出版が決まった本を急に取りやめることの是非とか、まぁ多方面から議論が噴出した事件だったし、詳しくは調べてほしいが、最も災難を被ったのは、またもや(別に何も悪くないのに)外野から激しい憎悪や差別をぶつけられることになったトランスジェンダー当事者の人々である。KADOKAWAから本を出したりよく仕事をしたりしている身としても、何やってんだよマジで…と思わざるをえなかった。

例の事件はネット上に飛び交うデマや誤情報や憎悪が飛び交っている過酷な状況を可視化させたわけだが、だからこそトランスジェンダーを巡る基本的な問題を解説した本『トランスジェンダー入門』は、本が社会でまだ果たしうる大きな役割を体現している。こうしたアクチュアルな本が「紀伊國屋じんぶん大賞2024」で3位を獲得したのも、本好きとして良かったなと思う。トランスジェンダーとはどういう人々で、どのような生活を送っていて、どんな困りごとを抱えていて、マイノリティが生きられるように社会はどのように変わるべきだろうか、といったことが真摯に書いてある。

人は誰しも完璧ではありえないし、トランスジェンダー含む性的マイノリティについての知識や理解が足りなかったりするのも今の段階では珍しくないと思う(私自身もえらそうなことはいえない)。だからこそこうした問題を考える上で、「どんな入り口から入るか」はとても大切になってくる。この入り口が(残念ながらネット上で飛び交っている)差別言説や悪意や陰謀論になってしまい、最初の曲がり道を間違ってしまえば、気づいたときには大きく道を外れて、他者を深く傷つけるレベルまで突き進んでしまい、引き返すに引き返せない…という最悪の事態を招くこともありうる。そうなる人とならない人の間の違いは、知能や知識や人格の大きな差ではなく、ごく小さな分岐なのかもしれないと最近よく思う。

昨年のベスト本に『トランスジェンダー問題』もあげたが、訳者が懸念してたようにちょっとハードル高い文章なのも確かなので、その意味でも『トランスジェンダー入門』のような入り口があることはとても大事だなと思わされた。とはいえ『トランスジェンダー問題』もヨーロッパの意外なほど(?)過酷な状況とか、凄く大事なことが書いてあるので、次の1冊としてオススメ。

 

『自由の命運 :国家、社会、そして狭い回廊 』

私たちの生き残りの道は、リヴァイアサンを飼いならすこと。

人類の歴史において「自由」を享受する国がなぜ珍しいのか、独裁にも混沌にも陥らず国家=リヴァイアサンの力をどう手懐けるべきか…という巨大な問題を論じる。著者たちの前著『国家はなぜ衰退するのか』同様、読み応え抜群でスリリングな本。

自由と繁栄の条件を整えるには、強力な国家=リヴァイアサンが必要だが、強くなりすぎれば「専横のリヴァイアサン」(独裁国家)が生まれ、逆に弱すぎれば「不在のリヴァイアサン」(無政府状態)に堕してしまう。両極端を避けるためには国家と社会がせめぎあって成長し「足枷のリヴァイアサン」を生む必要がある。ただしこの「足枷のリヴァイアサン」はレアキャラで、いくつもの幸運と市民社会の不断の努力が重ならないと、すぐに「専横」か「不在」に成り下がってしまうという厄介な存在でもある。

そんな三種のリヴァイアサンを基本概念としつつ、古代ギリシアや中国やアメリカやインドなど、様々な国の「自由」の歴史と未来を語るという壮大な内容。後半では南米やアフリカなどで生まれた「張り子のリヴァイアサン」(いっけん専横的だが政府としては全然機能してない)とか、追加キャラも出てくる。

世界の様々な問題を含んだ政治体制を一望する中で、「足枷のリヴァイアサン」を生み出すことの困難さと重要性がよくわかるし、(著者によれば一応は「自由の回廊」の中にとどまっている)現代日本の私たちが、どのように政治や社会に向き合っていくべきかも見えてくる。ここ10年くらい明らかに凋落の傾向が著しい気もする日本だが、破滅したくなければ社会や政治に目を向けたり、面倒がらずしっかり選挙に行ったり、ヤベー権力者を追い落としたりして、頑張ってリヴァイアサンに「足枷」をはめなければいけない…。

ことあるごとに推薦してるけど前著『国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源』も当然オススメ。今ちょうどaudibleで聴き直してもいる。

ダロン・アセモグルの新著『技術革新と不平等の1000年史』も出ており、たいへん気になっている…。セールにな〜れ(出たばかりなので、しばらく先かもしれない)

 

『暗闇のなかの希望 ──語られない歴史、手つかずの可能性』

「だめだこりゃ、もうおしまいだな」と思うたびに読み返したい本。

敬愛するレベッカ・ソルニットの新刊なのだが、実は20年くらい前に書かれた本の改訂版の文庫化。でもむしろ現代にこそ刺さっているというか、今年もけっこう何度も話題にする本となった。

猛威を振るう気候変動、泥沼化を続ける戦争、根深い差別や憎悪など、解決困難に思える問題を前にしても、決して絶望せずに生きていくために、確かに起こり続けてきた歴史上の変化と、まだ見ぬ未来の「可能性」に目を向けることの大切さを語る。これからも何度も読み返す大事な本になりそう。

『それを、真の名で呼ぶならば: 危機の時代と言葉の力』に収録されている、ソルニットの書いた「無邪気な冷笑家たち」というエッセイが好きでよく紹介しているのだが、『暗闇のなかの希望』はそのエッセンスをさらに展開したような内容となっている。

この複雑な世界が「常に変化し続けている」という、シンプルかつ圧倒的な事実を、冷笑的で傲慢な人だけでなく、世の中の問題に真摯かつ熱心に向き合おうとしている人ですら見落として、希望を失ってしまうこともある。

『暗闇のなかの希望』はレベッカ・ソルニットが2003年、つまり9.11後のブッシュ政権によるイラク戦争開始直後という、まさに絶望的な「暗闇」の中で書いた本だが、だからこそ今も普遍的に通用する力強い考え方だと思う。戦争などだけではなく社会問題全般に通じる話で、たとえば気候変動のような巨大な問題にも当てはまる。ソルニットは先日も英紙で「気候変動に絶望しないこと」というテーマで書いていた。

2023年も熱波や火災や異常気象や海洋循環の停止(!?)など、気候にまつわる恐るべきニュースが日々届いたし、2024年も猛暑や天候のさらなる激甚化が予想されている。しかし、それでもclimate doomers(気候終末論者)になっちゃダメだよ…とソルニットは語る。楽観も絶望もせず、地球規模の危機に向き合っていくための基本的な考え方になると思う。

ソルニットがdefeatism(敗北主義)と呼ぶ、「もう何をしたって手遅れだ」と絶望して無気力に陥ってしまう態度は、不確実性に耐えることが苦手な人間にとって、仕方ない性質とも言えるが、気候変動のような社会問題に立ち向かう上では有害でもある。派手な惨事の影で、注目を集めにくい地味でポジティブな、もしかしたら決定的かもしれない「変化」もまた常に起こっていることに目を向けたいと思う。

戦争も気候も政治も差別問題も、国内外の何もかもが油のまかれた火薬庫の中に置かれているような状態に感じられるし、実際日本では正月早々とんでもない災害や事件も勃発したし、もはや2024年にどんな大惨事が起ころうと驚かないし、きっと「もうダメだ、こりゃ何をしたって無駄だ」みたいな気分になることもあるだろう。それでもそんな時は『暗闇のなかの希望』を読み直し、何が待っているのかわからない、遠くの暗闇を見つめたいと思う。

 

「さっくり紹介したい」とか言いつつ、もう1万5千字を超えてしまったので、いいかげん終わりたい。面白かった本もっと色々あるんですが、キリがないので、また折に触れて紹介できれば。今年2024年も良い本にたくさん巡りあえますように。おしまい!