2022年も終わりですね。恒例の映画ベスト10はアップしたので、もういいかげんブログなんか書いてないで大晦日はゆっくり過ごそうと思ったんですが…
やっぱせっかく色々読んだし「本のベスト10」もまとめておくか!と思い立ちました。「最初から最後まで(一応)読んだ本」という条件でリストアップした結果、今年の合計は「92冊」でした。図書館をヘビーユーザーした結果、数自体は去年より増えてると思うが、途中まで読んで積んでるとか、読み終わる前に図書館に返しちゃったとかがけっこう多い。読み通した本が観た映画よりも数が少ないのもどうかと思うので、2023年はもう少し沢山カウントできるといいのだが…。
では粛々と10冊発表していきます。ちなみに順位とかはなし。あと正確には今年出た本じゃないのも混ざってますが「私が今年読んだ本」縛りということで!
ベスト本その1
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』読了。絶賛の評判も頷くしかない凄まじい面白さで、心に響く宇宙SF小説。不可解で壮絶な幕開けから始まり、「一難去ってまた一難」にもほどがある危機を打開する唯一の鍵は科学、そして…。ネタバレを全力で排して何も知らず読んでほしい。https://t.co/oJlVlaRrgj
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年2月10日
とにかく今年イチめちゃくちゃ面白かったSF小説なのでことあるごとにオススメしてる。ただいちばん熱く語りたくなる部分が最大のネタバレ要素みたいなとこがあるので、おおやけに感想を書くのが『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』並にムズイ。『ノー・ウェイ・ホーム』ももうだいぶネタバレしていい雰囲気なんだから『プロジェクト・ヘイル・メアリー』だってそろそろいいだろ!!と思わなくもないが…(でも一応デカいネタバレはやめとくね)。
作者が『火星の人』(映画『オデッセイ』の原作)のアンディ・ウィアーだけあって、状況的にはマジで絶望的な大ピンチにもかかわらず、主人公の内心のボヤきとかが楽しくて、全体にユーモア豊かなのも良い。
これくらいは言っていいでしょと思うけど『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、生物学が非常に重要な役目を果たすので(主人公が細胞生物学者)、生物学ファンや関係者は読むとハッピーになることでしょう。「科学こそ最も強力な言語である」…という綺麗事っぽくもある信条を、ここまでスリリングかつユーモラスに、そして心を打つ形で描ききったエンタメもめったにないと思うし、サイエンスを愛したり携わってる人(広義では私も含ませてもらいたい)はきっと元気と勇気をもらえるはず。
ちなみにある超重要な場面が、明らかに映画版『オデッセイ』へのアンサーになってて「おお!!」と思えるし感動も増すので、あわせて観るのオススメ。リドリー・スコットが最高の映画化してくれたら返歌もしたくなるわな。(偶然だったら凄いが…)
さらに『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と併せて観るべき映画って、実は『ドント・ルック・アップ』かもなと思う。
Netflix映画『ドント・ルック・アップ』視聴。「半年後に巨大彗星が激突して地球滅亡」という事実を知った科学者が世間へ必死に訴えるが、まともに取り合ってもらえず、事態は底なしの泥沼へ。気候変動や疫病など世界規模の危機に対する現実の人類の反応を鑑みれば、笑えるけど笑えない恐怖コメディ。 pic.twitter.com/8NTqNhKUr5
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2021年12月26日
人類が地球まるごととんでもない大ピンチに陥り、主人公が解決へ踏み出していく…という筋書きこそ同じなんだけど、人間への眼差しが正反対とも言っていい二作。気候変動や疫病や戦争など、世界規模のヤバすぎる事態に人類が突入してるにもかかわらず、それに対する警鐘は軽んじられてばかり…という現実も散々目にしてきた今、シニカルの極みみたいな『ドント〜』も非常に意義のある作品だと思う。それでも、冷笑主義の罠に浸りきらないためにも、人類の知性と良心に対する祈りのような、この『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のような物語こそいま強く求められているんじゃないかと思う。その意味でも間違いなく今年のベスト本でした。
プロジェクト・ヘイル・メアリー 上 | アンディ ウィアー, 小野田 和子 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon
ベスト本その2
『リジェネレーション“再生”: 気候危機を今の世代で終わらせる』ポール・ホーケン
『Regeneration 再生 気候危機を今の世代で終わらせる』読了。前作『ドローダウン』に引き続き、気候危機の解決のためにどんな施策や発想が必要かを語る充実の1冊(400p超)。今回は「再生」がキーワードなので動物や生態系の話も多め。#環境の日 らしいのでぜひ。半額だし!https://t.co/jcipNP6E7B
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年6月5日
ある意味ではリアル『プロジェクト・ヘイル・メアリー』な人類史上最大の危機と呼んでも差し支えない、地球規模で人類を襲っている気候危機。2022年にも肌感覚で「明らかにおかしいだろ」と思えるような気象が続いたし、パキスタンで国土の3分の1が冠水したりと、世界各地で異常気象が連発している。ロシアのウクライナ侵攻も究極的にはエネルギー戦争であり、気候危機と深く関わっているという言い方も十分できると思う。
だからこそ、本書『リジェネレーション“再生”』のように、科学的にシビアな現実認識をした上で、それでも気候危機対策や環境保護にまつわる希望や進歩を具体的に語っていく本が大切になってくる。前作『ドローダウン』に引き続き、気候危機の解決のためにどんな施策や発想が必要かを400p超にわたって紹介しまくる本だ。
『DRAWDOWNドローダウン― 地球温暖化を逆転させる100の方法』読了。人類共通の危機である地球温暖化を食い止め、「逆転」させるための科学的な方策を詰め込んだ本。エネルギーや食など基本の他にも、建築、輸送、女性の権利など意外な視点からの方法も。絶望と無関心の蔓延に抗う、科学と希望の1冊。 pic.twitter.com/ufj4p6bnbS
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2021年10月12日
今回は「再生」がキーワードとなっているので、動物や生態系の話がかなり多いのが特徴だし、生物好きは必読だと思う。気候危機への対抗策として「生物の多様性」を守ることがいかに重要かという点にも、前作よりもさらに踏み込む。私も生物・環境系の話をすることが多い立場として、いかに今がヤバい状況なのか警鐘を鳴らすことの重要性も理解しているつもりだが、大きな危機に真の意味で立ち向かうためにも、同時に本書のように「科学的かつ前向き」な話もしていくことも大切だな、と思うのでした。
ベスト本その3
『鳥類のデザイン――骨格・筋肉が語る生態と進化』
『鳥類のデザイン――骨格・筋肉が語る生態と進化』読み終えた。驚異的な多様さを誇る鳥類の「骨と筋肉」の"デザイン"に着目した美しい本。25年かけて集めた膨大な鳥の骨格にポーズを取らせ、著者が描き続けたスケッチから、鳥の体の秘密を探求していく。生前(?)の鳥の姿は一切なしという徹底っぷり。 pic.twitter.com/2OJerQp4KL
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年12月31日
ついさっき読み終えた本だが、今年ずっとチビチビ読んでいたので2022年ベスト本にふさわしいだろう。ちなみに今年の頭くらいに日本橋の誠品書店でブックデザインに惚れて買ったのだが、けっこうなお値段したしじっくり読もう…と読み進めてたらじっくりすぎて大晦日になってしまったので急いで読み終えたのだった。
驚異的な多様さを誇り、地球で繁栄している鳥類の「骨と筋肉」の"デザイン"に着目した美しい本。著者が25年かけて集めた膨大な鳥の死骸を骨格標本にして、その後ポーズを取らせ、そのスケッチを描き続けるという過程を通して、鳥の体の秘密を探求していく。本全体を通じて生前(?)の鳥の姿は一切なしという徹底っぷりが潔い。
ユニークなのは鳥が現実に行う自然なアクションを「骨格・筋肉」のままで表現してること。そのおかげか、骨だらけで「死」って感じのビジュアルの本なのに、驚くほど躍動感と生命力に溢れた一冊になっている。実際に本物の骨格にポーズつけてスケッチしてる本書ならではの凄さだね…。
生物学とアートが交錯する地点という、私的にも一番刺さるエリアに位置するという意味でもドンピシャな一冊であった。高価だしクセ強めでマニアックな内容ではあるけど鳥ファン・生物好きには強くオススメ。
シックな装丁の高価な紙本だし、みすず書房だし、さも「電子版?それはなんですか…?」みたいなオーラを出しているのに、調べたらkindle版もあったので驚いた。紙の佇まいは魅力だが、場所とらないし電子もアリな選択かと。
ベスト本その4
『母親になって後悔してる』オルナ・ドーナト
『母親になって後悔してる』読了。「母性」への過剰な期待が蔓延する社会で、ほとんどタブー視されている「母親になって後悔してる」人々の声を、精緻に丁寧に拾い上げる研究書。否定も断罪もせず母たちに耳を傾けていく過程で、世の中が「母」に何を押し付けてきたかが炙り出される強烈な一冊だった。 pic.twitter.com/MpQafVSFb7
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年5月24日
今年読んだ人文系の本の中でも、特に忘れがたい印象を残す1冊だった。
「お母さんだから〜だよね」「母親なら自然にこうなるもの」みたいな「母性」への過剰な期待が蔓延する社会で、ほとんどタブー視されている「母親になって後悔してる」人々の声を、精緻に丁寧に拾い上げる。著者の研究者ドーナト氏は、登場する母親たちを否定も断罪もせず、その声に耳を傾けていく。その過程で、世の中が「母」に何を押し付けてきたかが炙り出される。
結婚や出産などに対する(特に女性への)圧が非常に強いとされるイスラエルでの研究であることが本書の価値をより高めているが、一方で文化的/宗教的背景の違いはあっても、日本も相当に、いやめちゃくちゃ共通点が多いんじゃないかと読んでて感じざるをえなかったし、世界のどこにも刺さる普遍的な内容だと思う。
感想をツイートしたところ、かなり反響が大きい本でもあった。フォロワーにも今まさに母親業がんばられてる方も沢山いるだろうし、「なんて本紹介しとんねん」と思われるかなと若干ためらっていた…のだが、逆に「母親になって失ったものや我慢させられているものって本当に沢山ある」「多くの人が不満を口にしないのは、そうしても無駄だから」というリアルなコメントもいただき(感謝)、子どもいないし現状別に興味もない者としては拝聴するしかなかった。
題名こそ強烈だが、「母親になったことの後悔を語ることが、なぜこの社会でこれほど強力なタブーなのか」を解きほぐしていく本であり、「母性=善きもの」と押し付けられた人々の苦しみを和らげる一冊でもあるはず。また挑発的なタイトルは、女性に対して社会から様々な形で放たれる「母親にならないと後悔するぞ」という、脅しめいた巨大な圧力を反転した言葉でもあるんだろうなと。本来は「人による」としか言えないはずの問題なのに、反証の声はなかったことにされてしまう。
近年アメリカでもロー対ウェイドが覆ってしまったり、日本でも経口中絶薬の件があったり、(特に男性権力者による)"母性"への盲信が根底にあるとしか思えないような、リプロダクティブ・ヘルス/ライツの問題が世界的に加熱してる昨今、本書の必読度はガン上がりしてしまっている…。
さらに『母親になって後悔してる』の中では、「母親は生物学的に母性を持って当然」的な、規範を押し付けるために便利に使われる"生物学"というワードにも言及があって、生物勢としても真剣に考えるべきポイントだと言わざるを得ない。人間の言う「母性」など、大部分が社会的に作り上げられた一種の幻想だと思うのだが。
そんなわけで↓の図解を描いた理由は本書を読んだことが大きい。
最近みた映画で最も連想したのはNetflix『ロスト・ドーター』だろうか。
Watch The Lost Daughter | Netflix Official Site
リゾート地の小さな事件を通じて、子どもを愛する「母性」は女性なら備わっていて当然!みたいな規範の押し付けが、いかに人を追い詰めるか…という問題を静かに描く。本書とあわせて観ると得るものが多いと思う。
昨年読んだ本では、レベッカ・ソルニット『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』の中で語られていたことも連想した。
バージニア・ウルフほどの偉大な作家(やソルニット自身)でさえ「彼女は子どもをもつべきだったか」的な乱暴かつ的外れな"問い"に晒される。そんな愚問に対するキッパリした答えとして、ソルニットは「子どもを生む人はたくさんいる。『燈台へ』や『三ギニー』を生み出したのは一人しかいない。私達がウルフについて語るのは、彼女が『燈台へ』や『三ギニー』の著者だからだ」と語る。まったくもって、その通りとしか言いようがない。…ないのだが、現実にはそんな愚問は社会に溢れかえっていて、だからこそカウンターとして『母親になって後悔してる』のような本が必要になってくるんだと思う。性別、子どもの有無、後悔してる/してないに関わらず、どんな人も確実に一読の価値ありです。
ベスト本その5
『シンデレラ 自由をよぶひと』レベッカ・ソルニット アーサー・ラッカム
レベッカ・ソルニットの名前が出たので、続けてこちらの絵本を紹介したい。世界一有名な童話のひとつ『シンデレラ』を、ソルニットが新たに語り直した絵本だ。英国の挿絵本の巨匠アーサー・ラッカムによる、影絵のようなイラストも美しい。
ソルニットの再解釈だけあって、フェミニズム的な視点や、社会への隷属ではなく自由を求める意志が強く反映された、まさに新時代の『シンデレラ』となっている。たとえばシンデレラと王子は結婚しないし(そのかわり美しい友情を育む)、意地悪な義姉たちにもそれぞれの背景や未来が描かれることになる。ディズニーの『シンデレラ』とはこの時点で全くの別物だし、他にも様々な細かい再解釈や変更が施されている。それでいて、シンデレラの最も面白い本質の部分や、普遍的にわくわくするようなギミックはうまく抽出してあるのも良い。大胆ではあるが、実はかなり理想的な「古典の現代的リメイク」と言えるんじゃないかと思う。
古典的名作のリメイクはいつの時代もブームだが、最近は登場人物の属性に少々「現代的変更」が加えられたくらいでも、「ポリコレで物語が歪められたー!!」とか言って怒ってる人もよく目にする。そんな中「シンデレラをフェミニズム的視点から再解釈しました」とか言われれば、反発する人もいるのかもしれない。それでもいざ読んでみれば「ガラスの靴がぴったりハマったシンデレラは王子と結婚してめでたしめでたし、意地悪な義姉たちは悔しがりましたとさ」なんて古臭い話より、この『シンデレラ 自由をよぶひと』のほうが物語としてもずっと面白いし、感動的だと素直に思える人がほとんどなのではないだろうか。それは世の中が変化するにつれて、個人の意識も(多かれ少なかれ)どんどん変わっていくということの証でもある。
ディズニーなんかもクラシックな名作を次々に"現代的"な再解釈で「リメイク」しているわけだが、そのリメイクを見てもぶっちゃけまだ古臭く感じることがほとんどだし、今の時代に作り直すのであれば本作くらいの覚悟を決めてやってくれればいいのに、と個人的には思う。
子ども向けの本を何冊も出した自分としても、まだまだ日本の児童書ジャンルって保守的な規範も根強いんだな…と思わされることが多い(日本で支配的な価値観がそのまま反映されてるだけとも言えるが)。そんな中こうした絵本が存在してくれるのは、子どもにとっても大人にとっても、とても良いことだと思う。
ベスト本その6
『オスとは何で、メスとは何か? 「性スペクトラム」という最前線』諸橋憲一郎
生きもの本として無類に面白い上に、自分が日頃から考えている領域にもかなり刺さるという意味で、本書を今年の「ベスト生きもの本」に選びたいと思う。
生物にはオスとメスという、異なる生殖器官をもった性が「別個に」存在すると一般に考えられがちだ。しかし実はそうではなく、「オスとメスは連続する表現型である」こと、さらに「生物の性は生涯変わり続けている」「全ての細胞は独自に性を持っている」といった、オス/メスにまつわる固定観念を覆す「性」の事実が、生物学の最前線で次々に明かされつつある。そのジャンルの第一人者である著者が「性」のメカニズムを解き明かす1冊だ。
逆の性に擬態して生きるエリマキシギやトンボ、性転換する魚など、個別の動物に光を当てて「性のグラデーション」の事例を解説していく前半は読みやすく面白いし、動物好きの人は確実に楽しめるだろう。中盤からは本書のテーマである「性スペクトラム」を正面から解説していく専門的なパートになり、筆者も配慮しているように必ずしもわかりやすい内容とは言えないが(私も完全には理解してない)、まぁ何度か読み返せばざっくりは頭に入ると思う。
こうした「性のグラデーション」や「性スペクトラム」の研究は、動物の性を考える上でも確かに興味深い。だがさらに言えば、今このテーマが重要なのは(同じく動物である)人間の「性」についての固定観念を打ち崩すための鍵を握る可能性があるからだ。たとえば同性愛やトランスジェンダーといった、人間の多様なセクシュアリティ・アイデンティティについて、しっかりと科学的な根拠に基づいて理解する上でも、この本で語られた内容は大きなヒントになると思われる。これから何度も読み返すことになりそうな1冊だ。
ベスト本その7
『トランスジェンダー問題: 議論は正義のために』ショーン・フェイ
これまでのベスト本とも微妙に重なるテーマとなるが、トランスジェンダーの人々を取り巻く問題について考え、「議論」する上で、トランス当事者によって書かれた本書『トランスジェンダー問題: 議論は正義のために』は決して外せない1冊になるだろう。
社会的に極めて弱い立場にあり、理不尽な暴力や苛烈な差別など、多数派には想像しづらい数々の苦境に晒されてきたトランスジェンダーの人々。その属性を取り囲む社会の「問題」について正面から考えることは、様々なマイノリティにとって、ひいては人類全体にとって、世界を良くすることにも繋がっていく…。そんな希望が、シビアな現状を伝える言葉の中に、そしてあえての『トランスジェンダー問題』というタイトルに込められている。「トランスジェンダーこそが"問題"なのだ」と言わんばかりの言説を、マイノリティたちが押し付けられてきたことへの意趣返しのように。
映画など創作物のファンとしても、ここで描かれる「トランスジェンダー問題」は全く他人事ではない。それどころかドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』を見れば、創作物は積極的にトランス差別に加担してきた、としか言いようがないことがわかる。
そして前の項で語ったことと重なるが、トランスジェンダーの人々もまた、「生物学的に」という言葉を都合よく利用する人々に攻撃されてきたはずだ。そのように、多数者が勝手に設定した(実際は別に生物学的に正しくもなんともない)規範を逸脱したとして少数者を差別する言説に、生物好きな人間こそNOを突きつけないといけないと思う。(先述した「性スペクトラム」の研究も、そのための科学的な根拠のひとつになりうるはずだ。)というわけで生物学好きにとっても創作物ファンにとっても、この「トランスジェンダー問題」は切実なものとして迫ってくる。シビアな内容ではあるが、非常に基本的なことが書かれていて素直に勉強になるし、今年の必読書の一冊だと思う。
ベスト本その8
『海の極限生物』スティーブン・R. パルンビ
『海の極限生物』読了。最近読んだ生物本の中でも特に面白かった。灼熱の火山めいた熱水噴出孔で生存するポンペイワームから、極寒の海で驚異的な長寿を誇るクジラまで、極限すぎる海の環境で生き抜く動物たちの極端な能力や生態を、海洋生物学者が美しくユーモラスな筆致で紹介。海は広いし半端ない。 pic.twitter.com/ru2SRi9aZ8
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年10月5日
今年いちばんディープ(物理)な生きもの本!
灼熱の火山のような熱水噴出孔で生存するポンペイワームから、極寒の海で驚異的な長寿を誇るホッキョククジラ…。極限にもほどがある海の環境で生き抜く動物たちの極端な能力や生態を、海洋生物学者パルンビがユーモラスな筆致で紹介する1冊。
↓こちらの図解のメイン参考文献にしました。
ちなみに、日本語版の監修者である海洋生物学者・大森信先生が今年亡くなっていたと知らせていただいた。
https://twitter.com/acroporanobilis/status/1581162485121355776?s=20&t=E3n_TFJg4vJq61OP6j7BVQ
「パルンビ親子の本を監修することになったんだけど、とにかく表現が独特でこの英語を訳すのが難しくてなあ〜。」とのこと。確かにパルンビ先生の表現が独特なのだが、絶妙なユーモアと皮肉な視点が素敵で、エキサイティングな海洋生物ブックに仕上がってました。でも実際、海のように深く広い知識がないと監修は困難だったことでしょう…。大森先生のご冥福をお祈りします。
公式→ 海の極限生物
ベスト本その9
『チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦』大野裕之
>RT ちょうど大野先生の著作『チャップリンとヒトラー』読んでいるところだった。ものすごく面白く、世紀の名作映画『独裁者』を読み解く上で必読書だと思う。偶然と呼ぶにはあまりに運命的な交錯を遂げた(誕生年が同じとかは序の口)、まさに正反対の二者を対比させつつ名画とその時代を掘り下げる。 pic.twitter.com/LcH8W8L8hh
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年11月18日
↓のチャップリン特集上映で売ってたのでなんとなく心惹かれて買った本なのだが…映画本としては間違いなく今年いちばん面白かった!
チャップリンの世紀の名作映画『独裁者』を読み解く上で必読書だと思う。チャップリンとヒトラーはわずか4日違い(1889年)に生まれ、どちらもチョビ髭をトレードマークとし、共に"イメージ"の力を何より重視しながら、喜劇役者と独裁者として正反対の人生を送る。そんな奇妙なシンクロを続ける2人の運命は映画『独裁者』で正面から激突する。
『独裁者』トリビアも豊富で、例えばこのブラームスの曲に乗せた伝説的なワンカット床屋シーンはわずか1時間5分でサッと撮っちゃったとか、チャップリンの天才っぷりに愕然としてしまう。ヒトラーは当然ヤバいが、チャップリンもバケモンよな…。
『独裁者』ラストの演説シーンにチャップリンは膨大な時間を費やした(床屋シーンは1時間で撮ったのに…)。率直かつ政治的なメッセージに公開直後の批評筋の評価は厳しくて、むしろ大衆の方が彼の思いをしっかり受け取っていたという。日本も今(軍事費の増大とか…)どんどん戦争に向けてキナ臭くなってる雰囲気が凄くて嫌になるんだけど、だからこそ今チャップリンが作品を通して何をしようとしたのか、何を言おうとしたのかを、特に表現に携わる人間はよく考える必要があると思う。
ベスト本その10
『読者に憐れみを: ヴォネガットが教える「書くことについて」』カート・ヴォネガット, スザンヌ・マッコーネル
『読者に憐れみを: ヴォネガットが教える「書くことについて」』読了。ヴォネガットの文学講義を受けていた生徒が、彼の説く創作への心構えや作家志望者への助言をまとめた本。作品と同じく皮肉ながら、優しさと熱意に溢れた教師だったことが伝わる。作家に限らず何か"書く"人なら得るものがあるはず。 pic.twitter.com/cy3nPBWQ3o
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年9月18日
今はなき大作家ヴォネガットに優しく、でも明確に「書くこと」への意識を問い直さなきゃダメだよ〜と言われたようで、背筋が伸びるような読書体験となった。
『読者に憐れみを』は、ヴォネガットの文学講義を受けていた生徒が、彼の説く創作への心構えや作家志望者への助言をまとめた1冊。作品の雰囲気と同じくシニカルな空気を漂わせながらも、同時に優しさと熱意に溢れた教師だったことが伝わってくる。作家に限らず何か"書く"人なら必ず得るものがあるはず。
良い文章を書くためにまず必要なものは小手先の技術でなく、「自分が関心のある(そして他の人も関心を持つべきだと思う)テーマを見つけること」というヴォネガットの最初のアドバイスは、あまりにも単純だが確かにすごく大事。それなのに、テクニックにこだわりすぎる初心者も上級者も、意外と忘れがちかもな…と自省させられた。
良い文章の例としてヴォネガットが紹介するのが娘の書いた手紙。レストランでバイトしてた彼女が、同僚にクレームをつけたイヤな客に反論するという、小説でも創作でも何でもない単なる現実的な必要に迫られた文章なのだが、その「必要」こそが重要だという話。確かにその手紙は、書き手に強い動機(≒テーマ)があることで、力強く心を打つ文章になっていた。
最も有名な作品にして最高傑作であろう『スローターハウス5』を書くまでに、ヴォネガットが想像を絶するような人生経験と紆余曲折を経たことを考えても、やはり創作に小手先は通用しないし、そうそう効率化もできないし、焦ったって仕方ないよな…と思えてくることだろう。きちんと創作志望者を励ます内容にもなっている。
具体的な文章アドバイスも多く、特に「とにかく明快に、簡潔に書くこと」を重視するヴォネガットの助言の数々は(小説家ではないが)マジで素直に参考にせねばな…と思わされた。文章を読むことは誰だって本当は大変なのだから、「読者を憐れんで」あげなさいという。これがタイトル「読者に憐れみを」の由来というわけ。私も文章を書く時は「読む人だって暇じゃねーんだから要点だけササッと書け!」と自分に唱えてはいえるのだが、ついついダラダラ長くなってしまうので、ヴォネガットの教えを肝に銘じたいものだ…。この記事もとっくに1万字超えてるし。
大作家の『書くことについて』といえばやはりスティーヴン・キングのこれも思い出しますね(読み直すか)。
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ヴォネガットとキングは全く方向性の違う作家だけど、2人とも「書くことそのものが恵みであり(それが職業になろうとなるまいと)人生の救いだ、だから書こう」といった内容のことを語ってるのが素敵だなと思うし、2023年も(どんな形であれ)読んで書いて描いていきたいなと思うのでした。
そんな感じで今年のベスト本10冊でした。もう読んでる方も疲れたと思うし(「読者に憐れみを」つってんだろ!)、私も大晦日だってのに長文を書いてマジ疲れたのでいいかげん終わります。来年は読者だけでなく筆者(自分)を憐れんで文章量を減らせますように! そして来年も良い本や映画に出会えますように!良いお年を〜!!