沼の見える街

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寒木春華(HMCH)のポケモン短編アニメが凄すぎたという話

『羅小黒戦記』の寒木春華スタジオが、旧正月(春節)を祝う、ポケモンのアニメ短編(公式タイトル「Dreaming of good times (良辰有梦)」)を制作・公開したのだが…

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そのクオリティが高すぎて絶賛が巻き起こっている。

(もちろんポケモンというコンテンツは日本産だけど)良く考えたら海外アニメ案件でもあるので、ちょっとした感想を書いておこうと思う。『ハズビン・ホテルへようこそ』の爆発といい2024年、開幕早々すごい海外アニメイヤーになりつつあるな…。

 

寒木春華スタジオといえば、『羅小黒戦記』や『万聖街』でおなじみの、中国の超絶技巧アニメーション集団である。日本でもアニメファンを中心に加速度的に知名度を高めているが、もし知らなければとりあえず『羅小黒戦記』を見てほしい。

…と劇場版の『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』をオススメしようと思ったが、今amaプラ見放題とかにも全然ないのね…!そういや配信終了の告知とかしてたな!(なんだかんだすぐ配信戻るのかなと甘く見てたわ…)まぁ円盤買う価値は間違いなくありますが。

これほど人気になった作品が配信で全く見れない状況はけっこう珍しい気がするが、色んな大人の事情があるのだろうか。

むしろ寒木春華スタジオだと『万聖街』のほうが見やすいっていうね(amaプラに来てる)。これもとても面白いしカワイイのでぜひ見てほしい。

そのハイセンスっぷり(主にキャラデザ)の凄さに恐れおののいた記事↓も読んでもらえれば…

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さて本題の、寒木春華スタジオのポケモン短編である。もっかい貼っとく↓

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短編のコンセプト自体はシンプルで、ポケモンと人間が共存する世界で、旧正月(春節)を過ごす人やポケモンたちの姿が2分くらいにコンパクトにまとめられている。ちなみに中国ではこの「旧正月」のほうがハッピーニューイヤー本番みたいな感じで、新暦の正月(1月1日)よりも盛大に祝われる(2024年の旧正月は2月10日)。

つまり本作は「日常にポケモンがいる風景」かつ「中国の旧正月の人間模様」を両立して描き、わずか2分の中にギュッと詰め込むという、かなり高度で忙しいことをやっているのだが、そこはさすがの寒木春華スタジオというべきか、見事に両立させている。「こういうポケモンアニメ、見たいな〜」と前から思っていたが、いきなり最強のやつが来てしまったなと震えた。

 

まず冒頭、ルカリオとトレーナーのスパークリングのシーンから象徴的だ。ボクシングの練習のようなスパークリングを大胆なカメラワークで映しつつ、ちらっと時計を見たトレーナーの顔に、ルカリオがうっかりパンチを叩き込んでしまう! …というわずか数秒のアニメーションだが、その中に「人とポケモンが互いに仲良く共存している」「人間には何か時間を気にする理由がある」「共存しているゆえにたまにちょっとした事故も起こる」という情報量がギュギュッと詰め込まれている。トレーナーが時計を見た理由は「そろそろ旧正月の帰省の準備をしないとな…」とでも思って気が緩んだのだろう、と後から推測できるものの、初見で全てを噛み砕き飲み込むことはまず不可能だが、ほんの短いアニメの中に、この両者の関係性や背景がうっすら浮かび上がる手腕はさすがだ。2分と短いので繰り返しの視聴も意識しているがゆえの、現代アニメ特有の濃厚さとも言える。

続くオフィスワークの男性の場面も良い。相棒のデデンネがすごく可愛い(ちなみに本作はほぼ無セリフなのだが、ちょっとだけ声がついていてデデンネも少し鳴く)。こういう丸っこい小動物的な架空の生き物キャラクターを、あくまで動物らしさを保ったままでかわいく描く手腕は『羅小黒戦記』の猫シャオヘイでも存分に発揮されていたが、良く考えたらポケモンシリーズとは相性バッチリだった。オフィスのリアル具合も相まって、日常にポケモンがいることの楽しさもいっそう引き立つわけだ。コイルの磁力は電子機器とか大丈夫なんだろうか、とか心配するのも楽しい。

 

本作の白眉のひとつは、次の電車のシーンから続く一連の流れだろう。金髪の女の子と相棒のワニノコが焦って走りながら電車に飛び乗る。この女の子は、基本的に控えめでリアルめな風体のキャラが多い本作の中では、いわゆる「アニメ的」というかコスプレ的なキャラで全体のトーンから少し浮いているのだが、実際にこれくらい派手に決めた子もけっこういるのが今どきの中国事情だろうな…とか考えると逆にリアルさもある。寒木春華は『羅小黒戦記』web版でも『万聖街』でもよくオタクの人や集団を描くので(本人ズが超オタク集団だからなのだが…)この子もなんらかのオタクなのかもしれない。

話を戻すと、そのオタクの(決めつけ)子とワニノコが電車に乗りこんだ際の、車内のようすを超広角レンズ的なアングルでぐわーっと映し出す景色は圧巻だ。旧正月だけあって、電車の中は人やポケモンでぎっしり賑わっていて、そのざわざわした雑多な、しかしワクワクするような感じをアニメでとてもよく捉えている。日本人的にも見慣れた光景ではあるが、それをこれほどのクオリティでアニメーションとして捉え、かつポケモンがいるとこんなにワクワクするシーンになるんだ!という発見もあった。

よく見るとピカチュウとミミッキュが向かい合わせで座っていたり、ここからなんらかのドラマが生まれるのでは…という奥行きも感じさせる。

 

電車の窓からカメラをダイナミックに引いて視点が切り替わり、(一瞬しか映らないがオートバイ女性に抱っこして捕まるナマケロもかわいい!)冬の森をオオカミのごとく疾走するイワンコ、ウィンディの跳躍とテッポウオのジャンプを重ね合わせて一気に海のシーンに場面転換…という流れのスムーズさは、アニメーションの教科書に乗せていいレベルの気持ちよさだ。船に乗る女の子の周りを飛び交うキャモメも、キャモメが現実にいたらまさにこういう感じだろうなという自然さで、「現実の動物のかわりにポケモンが生態系に定着した世界」という本作の世界観を彩っている。

空港ではタツベイが飛行機が飛ぶのを「いつか僕も…!」的に嬉しそうに眺めていて、空を飛ぶのに憧れているという(最終的にはボーマンダになる)タツベイの設定もしっかり抑えている。飛行機のカットからリザードンに乗って空を飛ぶ女の子のシーンへと切り替わる。ここまで車、電車、船、飛行機…と「現実の交通機関」を利用する人やポケモンの姿を描きながら、同時にポケモンが一種の交通機関のように人間を助けてくれていることも示すことで、この社会で人とポケモンがどのように共存しているかを端的に示している。この「現実と非現実」がリアルな形で交錯することによって生まれるセンス・オブ・ワンダーは、『羅小黒戦記』の都市における妖精の生き方なども思い出すし、やはり寒木春華スタジオの作風とポケモンの相性の良さを実感させられる。

 

続いて、これまで少しずつ登場してきた人々が、実家に戻ったり家族と再会したりして、旧正月を祝い合うシーンとなる。冒頭でルカリオのパンチをくらってしまった青年が、母親に心配されていたりするのも微笑ましい。

とはいえみんながみんな「家族との再会」というベタな年末を迎えているわけではない、というのもむしろ本作の風通しが良い部分だ。コダックと一緒に車で移動していた男性は、渋滞にハマってしまい若干イライラしている(ハンドルを指でトントンする所作とか、なにげにアニメで見ることは少ない気がするので妙に印象的だ)。隣のコダックを見つめてため息をつきつつ、「コダックじゃ空も飛べないしなぁ…」などと失礼なことを思っているのかもしれない。

 

それ以降、初出かつ大勢のモブ的な人間キャラとポケモンたちの、それぞれ全く異なる旧正月を過ごす様子が(絶対初見でぜんぶ把握するのムリだろという密度で)続く。ガオガエンとゴーリキーというコワモテ系ポケモンを従えた父親に自分の優しげな恋人を紹介しているのだろうお姉さん、キモリなど小さなポケモンたちと部屋を掃除して旧正月の飾り付けをするお兄さん、買い物やキャンプやカラオケに興じる人々など、性別・年齢・職業といった属性の幅がとても広いことに着目したい。「普通の人々」がこれほど多彩かつ豊かに描かれるアニメーションは世界的にも珍しいのではないかと思えてくるほどだ。

たとえば電車のシーンでも(一瞬しか映らないが)モクローが頭にとまっている女子高生の、ちょっとガッシリしてる体格とか茶髪の混ざり方とか、地味にデザインが「女子高生」の記号から外れているのも良い。いまだに日本アニメでも「女子高生」が描かれる場合、やたら記号化された造形が頻出する印象があるが、こういう感じの子も現実にはたくさんいるわけで、寒木春華スタジオの「画面に映る人々を決してないがしろにしない」という決意を感じる。

このようにモブの人々がちゃんとリアリティをもって描かれることで、アニメ内で描かれる「現実世界」の解像度が上がり、そのことによって「日常にポケモンがいる」ことのセンス・オブ・ワンダーも倍増するという、理想的な相乗効果を生んでいる。全ての現実寄りファンタジーの創作者が参考にすべき点だと思う。

「誰でもその人の人生では主人公である」などと言われれば、さも綺麗事に響くだろうが、これほどのクオリティと描き込みで「普通の人たち」を描き分けるアニメを見せられると、「本当にその通りだよな…」と思ってしまうし、今も周りで生きている様々な人々に思いを馳せたくなるというものだ。

そして最後には、そうした本作の姿勢を結集するかのようなクライマックスが訪れる。この世界で暮らし、それぞれの旧正月を祝う人々やポケモンの様子を、スマホやテレビなどの映像媒体を通じてワンカット的な手法で一気につなぎ合わせながら、旧正月の祭りで盛り上がる街の賑わいへとグワーッと接近していくアニメーションはまさに圧巻だ。

最後にたどり着く祭りの様子も楽しい(花火にしっぽで火をつけるヒトカゲがかわいい)。エンテイの「獅子舞」やレックウザの「竜舞」など、中国の伝統文化とポケモンの合わせ技のような表現も、世界の奥行きを深くしているし、文化のリプレゼンテーションとしても理想的だ(実際、こういう感じの祝い方なんだ〜と新鮮に感じる日本の人も多いはずだ)。大好きなアニメ作品『雄獅少年』を連想したりして、やっぱりあのエンテイ獅子舞の中にいる親子?も頑張って練習してその名誉にたどりついたんだろうか…と思ったりした。

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『雄獅少年』は本当に傑作なので観たほうがいいよ。

そして最後に、楽しい旧正月を過ごせた人も、(渋滞にハマったり入院していたり普通に年末も仕事があったりして)そうでもない旧正月になった人も、みんなでふと空を見上げて、ささやかな奇跡を目にする。そう、本物のレックウザが空を飛んでいるのだった…。辰年の旧正月を祝うポケモンアニメを締めくくる上で、これ以上ないような素敵な結末ではないだろうか。モブな人々の描写も決して手を抜かず、日常に溶け込んだポケモンのセンス・オブ・ワンダーを詰め込んだ、すばらしい短編アニメーションだった。

 

ところでこの寒木春華の短編だが、数年前に話題になった日本製の数分のポケモンMV「GOTCHA!」と見比べると、かなり対照的で面白い。こっちはポケモンの初代から剣盾あたりまでの歴史をひとつにまとめたような作品だ。現代の日本アニメ的な技術とリズムを結集し、エモとノスタルジーの爆発と圧縮によって、感情の濁流を起こすかのように力技で感動させる、的な作りといえる。私も世代的にドツボなので(なんかいつまでもいい大人がこういう懐かしキャラ大集合的なやつに感動してていいんだろうか、などと思いつつ)初見ではめちゃグッときてしまったわけだが…

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翻って寒木春華の短編は(長編の作風もだが)ほとんどエモやノスタルジーに頼らない、とてもクールと言っていいタッチだ。実に静かで穏やかなトーンで、旧正月を過ごす様々な人々の光景を少しずつ繋げていき、ポケモンという異質な存在を織り込みながら、ひとつの巨大な世界を構成していく。もちろん単純比較は不可能だが、仮にポケモンというコンテンツを一切知らない人が観てもグッとくるという意味では、今回の寒木春華の方に軍配が上がるのではないか、という気もする。自分たちの超技術を信頼しているからこその、純粋な意味でのアニメ表現によって「世界」を現出させるような手腕に惚れ惚れする。

寒木春華スタジオの近作だと、「アークナイツ」(私は遊んだことないが)というゲームのスピンオフ短編アニメも前に見て、その楽しさとクオリティに驚いた。ホテルという狭い舞台のドタバタ劇でありながら、現実世界を徹底的に観察し、洗練されたアニメ表現やアクションに落とし込んでいることがよくわかる。

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初見時、もう冒頭のルームサービス用の台車しか映ってない時点で「やっぱ別格だな…」と感じた。タイヤのひとつがガタッと一瞬曲がるという、現実では誰も注目しないような細かい所作なのだが、この現実の観察と再構築こそが寒木春華のアニメーションの凄さの核心なんだろうなと。ポケモンという(すでに多くのメディアミックスが存在する)超巨大IPを手掛けたことで、逆に寒木春華の技術やセンスの凄まじさを改めて思い知らされた。今後もつくづく目が離せないスタジオになりそうだ。

 

ポケモンが日常にいる暮らし…という意味では日本発のアニメでも『ポケモンコンシェルジュ』とか面白い試みがあったので、こちらも期待したいですね。

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おわり