【注意と前書き】11話まで見た段階で記事の大部分を書き終えており、あとは第1クール目の最終回となる12話を残すだけだったのだが、その12話で(それまでの積み上げの多くをひっくり返すような)ショッキングな出来事があって、率直に言って全然好きじゃない展開だったのでかなり冷めてしまい、もう記事を丸ごと封印したろかと思いつつも、やはりせっかく2万字も書いたのでもったいないし、こんな感情落差があるのもリアタイ視聴ならではのめったにない経験だし、記録として残す価値も多少あるかと思ったので、「11話まで見て書いた感想ほぼそのまま」+「12話を見た後の率直な感想」とつなげる形で公開してみます。12話の感想は本当にかなりとても率直というか辛辣なので、本作を普通に楽しめてる人はこんなド長文を無理に読まずに今すぐ引き返そう! 全てが面倒くさくなったら急に消すかもしれないので、あしからず。
何もわざわざ2万字超えのスレミオ語りを読んで時間を無駄にすることはない。オープニング曲『祝福』の開始12秒に、スレミオの本質が集約されているのだから。
遥か遠くに浮かぶ星を
想い眠りにつく君の
選ぶ未来が望む道が
何処へ続いていても
共に生きるからYOASOBI『祝福』より
これじゃ足りないというのなら、読み進めてもいい。進めば二つ。
2022年後半『機動戦士ガンダム 水星の魔女』の放送が始まって以来、百合勢がめちゃくちゃ盛り上がっている熱気は肌で感じ取れた。その熱源は他でもない『水星の魔女』のW主人公、スレッタ・マーキュリーとミオリネ・レンブランのコンビ(通称スレミオ)である。
百合と言えば聞き捨てならない私もその熱気を感じ取り、さっそく1話を見たところ、実際スレミオはドンピシャで好みなshipであった。(※ship=カップリングを意味する英語。響き的に好きなのでこっちを使う。ちなみにship好きはshipperと呼ばれる。)
スレミオに似たshipとして即座に連想したのは、海外アニメ『RWBY』のルビー/ワイス(通称ホワイトローズ=ホワロ)だろうか。本国アメリカでは絶大な人気を誇る百合shipなのだが、私もめちゃくちゃドハマリし、国内外のファンフィクションを読み漁り、なぜか人生初の同人誌(もう入手不可)を出したり、拙著『ふしぎな昆虫大研究』の主人公コンビ造形がホワロにうっすら影響されたりする始末であった。他には『リトルウィッチアカデミア』のアッコ/ダイアナとか、『アウルハウス』のルース/アミティなど、いずれも大好きなので、相当わかりやすいship傾向と言える…。
そんなわけでスレミオ、あまりに好みドンピシャだったので、期待しすぎると裏切られたときの傷も深いのではないか…と逆に懐疑的になっていた。好きすぎると逆にやたらと慎重になってしまうものだ。そう、シャディクくんのように…
『水星の魔女』、当然(?)1話からずっとリアタイで観てるが、スレミオがあまりにドンピシャすぎて逆に疑り深くなってしまい「まだだ…まだわからぬ…」と"待ち"を続けているうちに1クール終わりつつあるが、今日の回でさすがに大丈夫かもな…と思った。もう完膚なきまでの恋愛結婚END決めてほしい。
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2022年12月25日
しかし(アニメ全体の前半となる)1クール目も終わりにさしかかり、「あの」11話を見たあと、これはさすがに期待しても大丈夫なのでは?と思ったのをきっかけに、もう一度改めて『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を最初から見返してみた。スレミオの関係性の変化に注目すると改めて気づく魅力やポイントなども多かったので、ここに1クール全話感想として書き記しておきたい。
ちなみにガンダム自体は全然くわしくないし、さしたる思い入れもない。昔ファーストガンダムを途中まで観たのと、劇場で何度かリメイクっぽいやつを観たのと、最近だと劇場で『閃光のハサウェイ』を観たくらいである。なので「歴代のガンダムと比べて云々」みたいな話は一切できない。
とはいえそんな私が毎週「これからどうなるんだろう」と興味をもってリアルタイムで追いかける、という経験をガンダムで味わったこと自体が初めてなので(そういう人が沢山いると思われる)、もはやその時点で『水星の魔女』が果たした役割はデカイと言えるのではないだろうか。
そんなわけで「スレミオしか勝たん」ならぬ「スレミオしか語らん」とばかり、第1クール(0話〜12話)のスレミオの関係性を切り口にして、本作の面白い・良いと思ったところ、ここはどうなんだと気になったところ、こうなってほしいという勝手な願望など、つらつらと率直に書き連ねていく。(国産アニメもそこそこ見るけど)普段は海外アニメとか映画とかドラマばっかり見てる人間なので、ガンダムファンには「こんな見方もあるんだな」程度に思ってもらえれば幸いだ。怒らんといて。
↓書き手が普段どんな作品が好きか、参考までに。
なお「スレミオしか語らん」といいつつ、それ以外にも見どころが多いアニメだと感じるし、それなりに寄り道する。ネタバレも一切気にしないので全話みてから読んでね。
未見の人は各種配信などで見といてね。
ーーー以下ネタバレ注意ーーー
【第0話】
スレミオ指数:0%(←私のスレミオへの感情と期待の高ぶりを表す科学的指数。)
・スレミオは直接的には登場しない前日譚なのでスレミオ指数はゼロだが、なかなか見ごたえがある話だった。
・スレミオ云々・百合云々の前に、まず巨大ロボ(ロボじゃなくてモビルスーツですよね怒らんといて)に乗る中年女性と、科学のプロフェッショナルである高齢女性の、専門的なやりとりから幕を開けるという時点で、かなりイイねと思ってしまうし、何気に本作の良さを象徴する開幕でもある。
・『水星の魔女』の地味ながら魅力的な点として、「中高年女性の主要人物がいっぱい出てくる」ということが挙げられる。美しく年若い女性キャラがやたら多い日本アニメ界では、ある程度の年齢を重ねた女性の主要キャラとなると(男性の中年〜壮年キャラに比べても)ガクッと数が減る印象だが、そういう傾向へのカウンター精神すら感じさせるほど、本作の女性キャラ造形の多様さは日本アニメ離れしている。「魔女」をサブタイに冠する作品だけあって、全体にクセの強そうな大人の女性がいっぱい出てきて楽しいのだが、0話の時点でけっこうな幅があり「おお」と思わされた。
・触れておきたいのが、たぶん女性カップルと思われるキャラクターが2人(ウェンディとナイラ)出てくること。あくまで匂わせに留まり、キスなど明快な描写はないとはいえ、「あとでご褒美あげるから」「ずるいなあ」というやり取りとか、海外ドラマとかの基準だと普通に「この2人はカップルなのね」と解釈されると思う。2人のキャラデザとか、ちょっとしたやりとりからにじみ出る親密さの表現とか、あまり日本アニメで見かけない雰囲気で良い感じだなと思った。
・それだけにこの2人が速攻で死んでしまい、典型的なBury your gays※状態になっているのは残念に感じた。まぁ味方サイドがほぼ全滅するので「この2人だけが」というわけではないが、スレミオの同性婚エンドに期待してしまう身としては、物語のショッキングさが多少減じてもいいからこの2人は生き残ってほしかったかな…。(※Bury your gays=「ゲイを葬れ」という物騒なフレーズだが、同性愛者のキャラがフィクションに出てくるとやたらめったら死ぬ現象に対して、カウンター的に唱えられる言葉。女性キャラが男性主人公の動機づけのために死にすぎ問題を示す「冷蔵庫の中の女」と似た意味合いをもつ。)
・というわけで一部気になる点がなくもないが、しょっぱなから何か新しいことをやろうという気概を存分に感じさせる、良い「0話」だったと思う。
【第1話】
スレミオ指数:70%
・成長して(?)学校へ向かうスレッタと、地球への脱出を企てるミオリネの、運命の出会いが描かれる。謎の漂流状態から救い出した激昂ガールに「責任とってよね」とガン詰めされて「はい…」と即答するスレッタ、地味に胆力がヤバい。はいじゃねーよ(だがスレッタのこういうところが後々ミオリネにぶっ刺さっていく)。
・そして開幕早々「ウテナじゃん!!!」の声がネット(の一部)を埋め尽くしただけあって、『水星の魔女』1話は確かにかなり『少女革命ウテナ』である。脚本の大河内一楼氏が『少女革命ウテナ』のノベライズを手掛けていたりするので、実際ゆかりの深い作品と言える。
・「決闘で勝ったものが花嫁を得る」という無茶苦茶な時代錯誤ルールに支配された学園で、「花嫁」を横暴にも支配しようとする「花婿」候補を、女の子である主人公が決闘によって打倒し、主人公が新たな「花婿」となる…という『水星の魔女』1話のストーリーは、完全に『少女革命ウテナ』の第1話をなぞっている。
・とはいえ、やはりウテナとは(当然だが)明確に違う部分も大きい。最も「えっ!?」となったのは、いざ決闘となった時に、スレッタのモビルスーツ「エアリアル」を、「花嫁」であるミオリネが自分で乗り回し始めたことだ。『ウテナ』で言えば「薔薇の花嫁」アンシーがいきなり自分で剣を振るって戦うようなものなので、けっこうなインパクトだった。「お前が乗るんかい!!」と全視聴者が突っ込んだことだろう。
・そんなミオリネがグエルに「お前はトロフィーなんだよ!」と罵声を吐かれた時、いわゆる「トロフィーワイフ(他人に自慢するための妻)」に引っ掛けたような台詞に「おっ」と思いつつ、「妙に直接的な表現だな…」と最初は感じた。ただよく考えるとミオリネはこの学園では、マジで物理的に「トロフィー」のようなものである。
・彼女の意志に関わりなく、「決闘に勝ったやつにミオリネあ〜げる!」とクソ親父に決められている時点で、それこそウテナじゃねーんだぞというか、そもそも人権無視だろふざけんなやと言いたくもなる。この学園でミオリネを取り巻く環境は、まったくもって異常なものとしか言えない。
・しかし出会ったばかりのスレッタが、初めてその異常な状況にNOを突きつけてくれた。家父長制イズムと女性蔑視を撒き散らしながら大暴れするグエルを遮り、「そんなことしちゃダメです」「強者だろうと権力者だろうと、悪いものは悪い」という正論で立ち向かうスレッタは、ミオリネにとっては誰かが自分のために初めて「この間違った世界を、間違ってると言ってくれた」瞬間だったのではないだろうか。
・誰かが自分のために怒ってくれる、自分を取り巻く抑圧をおかしいと言ってくれる、そして一緒に戦ってくれる。そのこと自体が(もし結果的に人生の秩序や将来の目論見が壊されたとしても)大きな救いになりうるのだ。そのことを描いている点で、私の人生ベスト映画の1本である『お嬢さん』の、「私の人生をめちゃくちゃに壊しに来た、私の救い主」というセリフを連想した。
・ちなみに1話ラストで、自分がミオリネの「花婿」となることを知ったスレッタが「自分は女だけど…」とアワアワする場面は、同性婚制度が未だに成立してない日本の作品ならではの若干古臭い反応とも言えるし、そうした社会で作られるエンタメに一応必要な手続きとも言える。それに対してミオリネが「水星ってお硬いのね こっちじゃ全然アリよ」と返すことで、この世界には同性婚が存在するのだ、という事実をしっかり明示したのは良かったと思う。ただどっちかと言うと「水星って遅れてるのね」の方がセリフとして適切な気もするが(お硬い/お硬くない=真面目/真面目じゃない、みたいな問題ではないだろと思うので)、その場合は日本社会が「遅れてる」と明言するに等しいので、言いづらかったのかもしれない…。
・とにかく『水星の魔女』1話に感銘を受けたのは、女の子2人の出会いと闘いを通して、家父長制度や女性蔑視的なシステムへの反逆を描こうとする兆しが現れたことだ。こうしたフェミニズム的な視点をエンタメに織り込むことは、海外ではもはや珍しくないが、日本アニメで、しかもガンダムで見ることになるとは…という新鮮な驚きがあった。『ウテナ』的と称されるのも伊達ではない、大きな期待を感じさせる第1話となっていた。
【第2話】
スレミオ指数:45%
・女の子2人が「花嫁/花婿」の婚姻関係となる…というエポックな1話ラストに冷水をかけるように、2話冒頭では「心配しないで、私も(結婚)する気ないから」と告げるミオリネ。「いきなり日和ったか制作陣!?」と正直思ったが、現行の「花嫁/花婿」システムはクソ親父が勝手に考案したクソシステムとしか言いようがないので、2人にあまりノリノリで全乗っかりされても困るのは否めない。とはいえ、異性愛規範&家父長制全開のシステムに、いきなり女の子のスレッタが乱入して色々ぶっ壊す展開だからこその熱さもあるので、この「花嫁/花婿」関係を起点にしつつ、どのように2人が独自の関係を築いていけるかが問われていく…。
・トイレで「死ね死ね」言いながらゲームしてるミオリネ、好き。…こう書くとなんかゲーミングお嬢様みたいになってしまうが、こういうわりと常に不機嫌なところとか、絶妙にリアルな性格が生々しくて面白いし、わたくし系お嬢様の枠をいい感じに外してくるキャラなのが好きですわね、ミオリネ…。
・エランくん、スレッタに接近。2話にしてスレミオ指数がいきなり減少してるのは、エランくんの描かれ方を見て「…あれ、なんか結局スレッタを男とくっつける感じっすか?(なら台無しなんだが…)」と1話の期待が若干冷めた反動でもある…。
・とはいえ、あれほど追い求めた地球行きをいったんナシにしてまで(自分を助けてくれた)スレッタに報いようとするミオリネの勇姿が熱い。名セリフ「ダブスタクソ親父」も炸裂。本作の美点であるバラエティ豊かな胡散臭い中年女性だが、その中で最強格のプロスペラさんも大活躍して面白かった。
・スレミオ、無重力ハグからの「絶対勝って!!」→「ええっ!!?」→完。良いテンポだ…。びっくりスレッタ天丼ENDが癖になってきた。
【第3話】
スレミオ指数:35%
・結婚にまつわるスレミオ会話。「デート?したきゃすれば〜」みたいなドライ感とか、ここでも「恋愛感情はなく、あくまで契約関係であること」をアピールしていく姿勢が伺えて、ややテンション下がる。ただ「不倫はダメです」という、スレッタの保守的なようなそうでないような返しはけっこう面白い。
・地球寮の面々も登場(もう出てたけど)。地球寮の人達、好きなんだよな〜。ニカ姉やチュチュもいいし、普通の子たちがかなりいい味出してる。
・スレッタ「決闘の相手って?」 グエル「俺だ」 スレッタ「よかった〜」
↑笑う。対人関係に自信がなく、常に挙動不審でビクついてるように見えるけど、自分の得意分野に関しては絶対的な自信があり、その優位がそうそう揺るがないことも確信している、というスレッタ独特の性格がよく現れたセリフ。こう書くとイヤなやつみたいだが、こんくらいの図太さがないとミオリネと付き合うのはムリな気もする。
・温室に入っていいよ、とミオリネがスレッタに言う地味に重要なシーン。やっぱこの時点でスレッタのこと相当好きだよね君…。
・グエルと再戦。決闘の外でメカを乗り回してスレッタをサポートするミオリネ。まだ決闘2回めだけどめちゃくちゃアグレッシブに動き回ってる時点で、やはり『ウテナ』のアンシーとは根本的に違うキャラだよなと感じさせるミオリネであった。
・勝利後にわちゃわちゃするスレミオ。あだ名云々とか、やり取りとしては微笑ましい…のだが、ここでもスレッタが「友達」を求めることが強調されてる感じに、「やっぱ恋愛とかでなく友情やバディ感を強調してく感じか…」とはなったので、1話の盛り上がりに比べると、ジワジワと下がり続けるスレミオ指数であった。…この時点では。
【第4話】
スレミオ指数:60%
・いきなりテンプレすぎるツンデレ台詞を吐くグエル君が面白い。こんなストレートな「別にあんたのことなんて、全然好きじゃないんだからね!」久々に聞いたな…。
・グエルくん、ネットの反応とかを見てもめっちゃ愛されてるようだし、実際いいキャラだし私も好きなんだが、個人的にはグエルくんのデレというか、彼が(視聴者の共感を誘うような)イイやつ寄りになるタイミングが早すぎる気がしなくもない。というのも1話で本作の最も面白い点だと感じた『ウテナ』や『お嬢さん』的要素、つまり少女たちが家父長制的な規範やシステム、女性蔑視的な思想に反逆するというテーマ性が、グエルくんのデレ(?)によって若干ボケたようにも感じられるからだ。グエルくんを「家父長制的・男性主義的な規範にとりつかれたイヤな奴」として描き続けるのをもう少し引っ張ってくれた方が、彼のキャラ造形的にもむしろ美味しかったのではと。
・とはいえ、しょせん彼も子どもに過ぎないということもあり、彼を支配する父親たちや、彼の属する家父長制的システムの悪辣さのほうに速攻で焦点を合わせることは、子どもにヘイトを被せすぎないという意味で本作の成熟したポイントとも言える。また、この爆速と言っていい展開の速さこそが本作の魅力でもあるのは事実なので、ないものねだりかもしれない。
・アーシアンを取り巻く厳しい状況を描くシーン。地味だが、デモが市民が声を発する手段としてナチュラルに描かれているのも良いと思った。いや本来はそれが当然なのだが、『シンゴジラ』とかの作品でも(映画自体は好きだが)市民のデモや抗議が冷ややかに描かれがちな風潮にオタク系冷笑イズムを感じて若干うんざりしていたので…。「大きなメディアは大資本の傘下だから」という台詞もさりげなく社会批判的で良いし、それを地球寮の労働者階級出身であろう地味な面々が言うことも、作品の奥行きを増していると感じる。その後のチュチュと地元の労働者たちの掘り下げも心を打つ。
・ミオリネ、自室にスレッタを招待して泊めるの巻。やっぱスレッタめちゃ好きじゃんね…となるが(数回目)、夜中のやり取りが2人の関係構築を語る上で重要である。「水星に学校を作りたい」というスレッタの夢に「自分のためだけに生きればいいじゃん」といっけん冷めたことを言うミオリネだが、ボケッとしてるスレッタがそんなスケールの大きい&利他的な夢を持っていることには驚きを抱いたのだろうし、その後の「えらいね、あんた」も本音だろう。スレッタ→ミオリネの感情が強まっていく伏線が周到に貼られている。
・その一方で、「自分のためだけに生きればいい」というミオリネの、それはそれでまっすぐなスタンスに、(のほほんとしてるようで色々抱え込みがちな)スレッタの方が逆に救われる展開も今後ぜひ見たいところだ。
・このように、アーシアン、スペーシアンのそれぞれの背景を見せてきたからこそ、その後スペーシアンを毛嫌いするチュチュに、ミオリネが「あなたもアーシアンを差別する連中と変わらないのね」という台詞で釘を刺したのだとは思う。…のだが、この台詞選びは正直ちょっとなあ…と思わざるをえなかった。本作でいうスペーシアン/アーシアンのように、明確に格差として存在する差別をすぐ相対化してしまい、社会構造の問題をボヤかしてしまう(日本のエンタメでもよく見られる)手つきは、作り手の差別問題への認識の甘さが垣間見えて、かえって薄っぺらいと感じる。
・まぁミオリネ的には(スレッタをかばう意味も込めて)チュチュに反発したくなる気持ちもわかるのだが、そこはせめて「スペーシアンも色々なんだからひと括りにしないで」くらいに抑えといてほしかった。ただこの台詞が、恵まれた境遇のミオリネの視野の狭さを表している可能性もゼロではないので、今後に一応注目しておきたい。
・スレッタとミオリネが協力してテストに挑戦。的確なサポートをするミオリネとか、スレッタが「もうイヤだ」と泣きわめくも(イオンで迷子になった子どもをイメージした演技らしい)ミオリネに喝を入れられて泣きながら粘るくだりとか面白い。スレッタの桁外れの強さの裏返しとも言える脆さや、逆にミオリネの根本的なタフさを表していて、かなり好きな場面だ。
・一方テスト場面で、この学園の治安の悪さも浮き彫りになる。これも本作のちょっと微妙なポイントだが、主人公たちを阻む「イヤな奴」の描き方が安っぽいというのは否めない(これは1話のグエル大暴れのシーンでも感じたが…)。特になんか「陰湿なモブ女の子」的な描写が妙に多いのは本作のテーマ的にもどないやねんと思うし、先述した「子どもにヘイトを被せすぎない」というせっかくの美点がそこで帳消しになってる気がする。全体に「主役/準主役/サブキャラ級」の描写が良いだけに、それ以外の「モブ」との間に線が引かれてるかのような印象が強まる…。
・とはいえ、そのモブ悪役女子とチュチュがヤンキー殴り合いで決着をつけるくだりとかは妙にさっぱりとした殺伐さがあって独特の面白さがあった。これで誰も退学とかにならないあたり(治安は悪いけど)まぁまぁおおらかな学校だなとは思うが…。
・というわけで4話、やや低迷していたスレミオ指数が増加しただけでなく、本作の良いところと若干どうかと思うところが交互に噴出する、地味だが語りどころの多い回だった。
【第5話】
スレミオ指数:20%
・スレッタとエランとのデート話で盛り上がる地球寮。確かに実際盛り上がるだろうし、それは全然いいんだけど、スレミオ話でもこんくらい盛り上がれよな!!とか思ってしまう…。ていうかスレミオ、傍から見たら入学早々の略奪婚って感じで超ドラマチックなわけだし、異性愛の浮いた話に花が咲くように、同性カップル(スレミオ)の浮いた話も学内で噂になったっていいだろ!っていう。てかそういう描写があれば、「この世界では同性も普通にカップルになるんだな」という自然な説明にもなるのにな〜と。こういうとこ、宇宙の果ての超未来が舞台のわりに、なんか微妙に異性愛規範から抜け出せてない世界なんだよな、とか思うのであった…。
・それはそれとしてスレッタのエランとのデートに激おこなミオリネはかわいい。なんかもう「御三家だから」とかでなく普通にスレッタが自分以外とデートするのがイヤなんじゃね?と思えてこなくもない(そろそろ本当に説得力が生まれつつある)。
・「ロミジュリったら許さないからね」の名セリフも登場。スペーシアンなのにシェイクスピア知ってるんだね(てかシェイクスピアいるのね)という感じだが、『アニメージュ』2023年1月号の脚本家インタビューによると、ミオリネの教養の高さをさりげなく表したセリフらしい。スレッタ的には「ロミジュリってなんですか…?」な可能性あるな。
・なおスレッタとエランのデート(?)自体はものすごい険悪に終わる。「ガンダム=呪い」というキーワードが登場するので、本作のテーマ的にはけっこう重要かと。
・そして横恋慕先輩の本領発揮で、無意味にしゃしゃり出てくるグエルくん。「グエル男前」みたいな感想もちらほら見たが、制作陣はグエルがあまりカッコよくならないようにわりと突き放して描いてると思う。実際ここでグエルくんが変にヒロイックに描かれず、本当に何の意味もない「しゃしゃり出」だったのは好き。スレッタ(グエルより自分が強いと確信してる)からしたらマジで大きなお世話でしかないわけだし。
【第6話】
スレミオ指数:30%
・怪しき仮面マザー・プロスペラの後輩である「ベル」ことベルメリアさん、地味にかなり好きなキャラである。限りなくリアルな実在感のある顔・体型の中年女性であり、優秀な研究者だが過去にダークなものを抱えていて、物語にけっこう深く関わってくる人物という、実は日本アニメにおいて相当に稀有なキャラクター造形と言える。繰り返しになるが、こうした女性キャラがごく自然に出てくるのは本作の特筆すべき美点だと思っている。途中で死なないといいな…
・エランくんにいきなり塩対応されたスレッタに、「ちょっと優しくされたくらいでチョロイ」と引き続き機嫌の悪いミオリネ。運命共同体としての婚姻関係・信頼関係をスレッタにも自覚してほしいと考えているようだ。「自分に相談なく決闘の約束をした」ことに対して率直な怒りを表明する様子は、後に「自分を頼ってもらえない」ことを過剰に解釈して一人で抱え込むことになるスレッタとは対照的と言える。やっぱ相性いいよ君ら(結論)
・エランについてくよくよ悩むスレッタに、ミオリネが活を入れるシーンもいい。説教タイムのようで、実はなぜミオリネがスレッタに惹かれ、どこに影響を受けたのかをわかりやすく視聴者に説明するタイムでもある。そばで見守るニカ姉も、良い立ち位置のキャラだ…。なんかニカ姉だけがミオリネ→スレッタのどんどん強まっていく感情に気づいてるみたいな雰囲気も出しており(今回ラストの「いいの?」とか)、百合見守りお姉さんとしての風格を確立しつつある。
・その後も色々あったのだが、館内放送で「私うっとうしいですか!?」とガン詰めしながらハッピバースデーを熱唱するスレッタに、視聴者的にも若干マジで「う、うっとうしい…」と感じてしまったり(ごめん)、闘いの中でエラン君が激高する→デレる(?)のジェットコースター感がさすがに急すぎて尺足らずじゃないかとか思ったり(テンポが爆速なのは本作の長所でもあるけど)…。個人的にはエラン君のエピソード自体はあまり刺さらなかった感。ただこれは私がスレミオの民でエラン/スレッタの解像度低いからかもなので、誰か他の人が書いた「エラスレしか語らん『機動戦士ガンダム 水星の魔女』」(2万字)とかを読んでほしい。あればだが。
・とか言ってたら、まさかの廃棄処分(?)ラスト。エランくんがスレッタに異性愛ノルマ的に「あてがわれる」展開ならイヤだな…とは思っていたので、それは回避できた(?)ことになるが、こんな結末とは、なんともいえない後味だ。これは本作だけの問題とも言い切れないが、子どもを可愛そうな目に合わせることで物語にショッキングなエモみとバズみを与える展開は正直ちょっと食傷気味ではある。なので「この」エランくんにも何か救いがあってほしいが、どうなんでしょう…。
【第7話】
スレミオ指数:70%
・スレミオ、コミケ会場に行く(コミケ会場ではない)。でも巨大モビルスーツのせいですごいオタクイベント感が出ちゃってて楽しそう。
・シャディクくん、ミオリネの幼馴染属性だったの巻。百合に割り込む男きたか!?と思いきや、「昔は他人のために動いたりしなかった」「水星ちゃんの影響かな?」と、ミオリネの変化を一言で適切にまとめるナイスアシストを決めてしまう。そういうところがシャディクくんなんだよ(?)
・女性キャラの胸が云々とかいうアニメのセリフまじつまんねえ〜…と日頃から思ってるので、借りたドレスに「胸がキツくて〜」とか言うスレッタにミオリネがムッとする場面も「出たよ…」と思ったのだが、逆にいうと他のアニメではよくある「キャラの体型や外見がセクハラ的・否定的に言及される」という場面、本作は実はかなり少ないんだよね…(だからこそこういうのがちょっと目立つ)。そんな本作の美点を逆に意識させられる場面ではあった。
・ミオリネを煽りまくるプロスペラお母さん。冷静に考えるとマジでなんなんだよこの直球で喧嘩売ってくるムカつく謎仮面は…と腹たってくるが、後のミオリネの決断の背中を押す台詞を地味に散りばめていて、うまい脚本ではある。
・あとスレミオ勢的には、プロスペラの「あなたとスレッタが結婚したら親戚になるんですもの」という台詞に「そうそう、こういう台詞がもっと聞きたいんすわ〜」と思ったり。会場の連中に「あの娘が花婿候補…?」「魔女なんでしょう?」とヒソヒソされるくだりもだが、女性同士の結婚そのものは社会的に承認されているんだな、とちゃんと伝わってくる描写が今回けっこう多かった気がする。イイネ。
・偽エラン(いや偽じゃないんだけど)たちにハメられたスレッタを守るために壇上にのぼって「あの子の花嫁だからよ!」と啖呵を切るミオリネ。シンプルにかっこいい。「ミオリネさん…」とスレッタがきゅんとしてるっぽいのも頷けるし、ここでいよいよスレッタ→ミオリネの感情も明確に盛り上がった感じもする。
・そして株式会社ガンダム(!)の設立を宣言したものの、皆ちっとも乗ってこないのでクソ親父に頭を下げるミオリネ。ここがトントン拍子ではいかないあたり『水星の魔女』らしい捻りが効いてるなとは思うものの、正直「えー、結局父親に頼っちゃうのか〜」と感じたのは事実。本作に家父長制システムへの反逆というテーマがあるのだとすれば、ここではデリングを出し抜くような、もうちょっと別の手段が見たかったなと。なんか結局「父親への子どもめいた反抗を改めること」が成長の証、みたいな描き方もどうなんだろって。どう考えてもクソ親父であることは否めないデリングが、このエピソードで「実は娘のことを考えてる」みたいに言われるのも全く納得できないし。(海原雄山現象の根強さを感じる…)
・…と思ったものの、プロスペラの台詞も伏線になってて、「しょせん父親のものでしょ」と煽られたヒールを脱ぎ去って走り、こだわりを捨てて頭を下げることで、むしろ逆にミオリネが父親の予想を裏切って成長したという見方もできるので、そう考えるとまぁ熱いシーンかもなとは思う。
・…とはいえこの展開もデリングやプロスペラなど大人たちの思惑通りって見方もあるし、必ずしも「ミオリネの精神的成長」という美談とは限らない描かれ方なので、そのへん今後に注目かな。これから真の意味でスレ&ミオが父親や母親の呪縛を乗り越える展開は必ず見たいところ。
・かように言いたいことは多少あるのだが、スレミオがいよいよ本格化(?)してきたし、何より株式会社ガンダムの字面が若干バカっぽいながらワクワクするし、いよいよ『水星の魔女』の面白さのギアが一段上がってきたと思う。
【第8話】
スレミオ指数:50%
・スレミオこそ控えめだが、私の好きな地球寮の面々に光があたってうれしい回。
・スレッタ「うちのミオリネさんがごめんなさい!」発言。「うちの」とか言ってるあたり、やっぱスレッタには前回の花嫁啖呵がかなり"効いた"と思われる…。
・母婿嫁・三者面談。相変わらず胡散臭いプロスペラだが、娘の人心はしっかり掌握している。「これからは私もエアリアルのこと守るから、お母さんのために!」と宣言するスレッタの微妙な危なっかしさからも、やっぱり4話ミオリネの「自分のためだけに生きればいいじゃん」はスレッタに必要な言葉でもあるんじゃないかな、と再び思った。
・前回も今回も、ガンダムやモビルスーツが全然出てこないしバトルもないのにやたら面白い。株式会社ガンダムを設立するにあたって定款の作成から始めるとか妙に本格的だし、その過程で起きるけっこう深刻な対立も切実で見ごたえがある。戦争孤児なのに兵器を売るのか?という意見も、そんな綺麗事より稼げるやり方でいこうぜ、という意見も、アーシアンの立場を考えると頷けてしまう。「戦う」者だけでなく、メカニックの「作る」側の葛藤として、『風立ちぬ』みたいな問題に踏み込みつつあるな、とか思いながら興味深く見た。
・『水星の魔女』の弱点として、モブ悪役の描写が薄いというのは先述したが、逆に今回のような話は複雑な内面を持ったネームドキャラ同士の対立なので、むしろ最も一貫した緊張感のあるエピソードになっていたと思う。ストーリー構築においてキャラ描写の厚みがなぜ重要なのかがよくわかる一例ではないだろうか。作中で提示された難しい問題にも、「医療分野への活用」という、かなり現実的で明快な着地をしっかり導いた点も良かった。
・ゆるキャン中にモブ悪役にいじめられるグエル先輩。水をかけられても激昂せずに耐えるグエルくんは、もしかしたら過去の自分のひどい振る舞いを思い出して「自分がミオリネにやったことも、このクズどもと似たようなものか」と思っているのかもしれない…と思いたい。
・スクーターにカップル乗りするスレミオ、シンプルに良くて記事イラストに採用。カップル乗りを邪魔するシャディクくん、ゆるせねえ…
【第9話】
スレミオ指数:75%
・打倒シャディクくん回。中盤の山場だけあって、現時点で『水星の魔女』のベストエピソードのひとつだろう。
・実はスレミオの直接的なやりとりは少ない回にもかかわらず、スレミオ指数が過去最高なのは、シャディク/ミオリネの関係がなぜ実らなかったのかを通して、間接的にスレッタ/ミオリネの間になぜ強い絆が生まれたのかを表している回だからである。
・ミオリネが地球脱出に失敗した後の回想。温室で「私は会社の付属品?ふざけんな!」とまっすぐに怒るミオリネに「俺は違うよ」と告げるシャディク。ちょっと気になる素振りをみせるミオリネだが、彼に心を開くまでには至らないようだ。実際、ノットオールメン的に「自分は他の奴らと違う」と言葉で言うのは簡単なことだが、その「違い」を実際の行動や態度で示すことができなかったシャディクは、結局「温室に入る」=ミオリネの信頼を真に勝ち取ることはできない。
・シャディクにとっては残酷なその結果は、決闘前のミオリネの「あんたもクソ親父たちと同じ。私を飾りとしか見ていない」「入るな!あんたは信用できない」という言葉によって、さらにキッパリ突きつけられる。ミオリネの選択を信用し、意志を尊重し、真の意味で彼女の人生に寄り添うことは、(たとえミオリネへの好意が嘘でなかろうと)冷酷な合理性を絶対のルールとして生きるシャディクには土台ムリな相談だったのだ。
・それを思い知らされたシャディクは、スレッタに「いまミオリネを守れるのは花婿である君だけだ、勝ち目のない決闘をさせるな」と「合理的」なアドバイスをする。それに対してスレッタが返す「花婿なら…お嫁さんを信じます」という言葉は、ここまでミオリネと一緒に運命共同体として戦ってきたスレッタならではの宣言であり、シャディクが決して言うことのできなかった言葉でもあった。そんな(シャディクから見ればポッと出にすぎない)スレッタの堂々たる発言が逆鱗に触れたのか、いつものクールな仮面を脱ぎ捨て、「君からガンダムと花嫁を奪い取る」と宣戦布告する。スレミオ学園決闘編(そんなタイトルはないが)のクライマックスにふさわしい、燃える導入だ。
・これまでモビルスーツバトルにあまり触れてこなかったが(メカに興味が薄いため…)、今回の本作初となる集団戦は、これまでで最も緊張感があって面白かった。いうてシャディクくん最強格だし、一回負けるのも展開としてはありうるよな?とも思えたのでスリリングさが増す。地球寮メカニック勢があっさりやられちゃったな〜と少し残念に思っていたら、一番おいしいところを最後にちゃんと持っていくのも王道だが熱い。
・見事なのは、今回の話を通じて描かれた「他者を信じる/信じない」の対立軸が、バトルの勝敗のロジックに直結していることだ。シャディクは自分しか信じていないからこそ強かった。だがミオリネの「人に信じろとか言っておいて、結局あんたは誰も信用してないのよ」という痛烈な言葉に現れているように、誰も信じていないからこそ、ガンダムを巡る戦いでも、ミオリネを巡る戦いでも、スレッタに勝つことはできなかったのだ…。
・シャディクくんに追い打ちをかけるようだが、本作OP『祝福』冒頭の歌詞をここでもう一度引用する。
遥か遠くに浮かぶ星を
想い眠りにつく君の
選ぶ未来が望む道が
何処へ続いていても
共に生きるから
・『祝福』は公式スレミオソングと言っても過言ではない。ミオリネを取り巻く状況、そこにスレッタが現れて2人が出会うことで起きた変化、スレミオの関係性の本質などが、かなり明快に歌詞で表されているのだ。その歌詞に注目すれば、ミオリネに必要だった「他者」がどんな存在だったかが見えてくる。
・ミオリネが求めていたのは、心を殺してまでシステムに「合理的に」順応するかわりに、強者としての立場を保証してくれる人間ではなかった。ミオリネが求めていたのは、彼女のことを信じ、自分の選ぶ道が「何処へ続いていても、共に生きる」「共に闘う」と誓ってくれる人だったのだ。その意味で、出会いから一貫してミオリネのために立ち上がり、ミオリネを信じ、ミオリネと共に闘い続けているスレッタに、シャディクの勝ち目など最初からなかった。シャディクくんがミオリネの心を射止めるために真にすべきだったのは、『祝福』を聞き倒すことだったのかもしれない…。
・それを思い知り、改めて『祝福』を聞き倒した(かは不明)シャディクは、決闘後にもう一度ミオリネを訪れて二重の意味での"敗北"を宣言し、温室に足を踏み入れることなく去っていく。熟すことはなかったトマト(どうにもならなかった2人の関係の象徴だろう)を切り落とすミオリネの仕草で幕を閉じるエンディングも綺麗で、紛れもなく9話は『水星の魔女』屈指の名エピソードと言える。
【第10話】
スレミオ指数:85%
・スレッタ、すれちがった…って感じの、スレミオ視点では2人がすれ違うだけの話とも言えるにもかかわらず、スレミオ指数は過去最高レベルに到達した。理由は後述する。
・温室で「ガーンダム♪」と歌うスレッタと、前回ラストの「あおいトマト」と対をなすように赤く熟しつつあるトマトの絵。前回で描かれた内容を踏まえれば、これはスレミオの関係の熟成を示していると断言しても、百合脳の過剰反応とは言われないはずだ…。
・ミオリネ直々に温室を任されたことを大喜びするスレッタ。この時点で実際にミオリネ→スレッタの矢印は相当に強まっているので、スレッタの喜びは全く間違っていないわけだが、ミオリネの側にも(温室にまつわる考え方含め)様々な変化が生まれつつあるため、その後のすれ違いに繋がっていく。
・地球寮のみんな+ベルさんと一緒にスレッタが医療用モビルスーツのテストをする場面は、本作屈指の好きなシーンだ。主に身体障害者の方向けであろう(現実世界でも開発が進んでいそうな)下半身だけのロボットが走るという地味な場面ながら、アニメーションの質も高く(文字通り?)地に足のついたセンスオブワンダーを生み出している。ロボットアニメの面白さって派手なバトルだけとは限らないよなあ…と視聴者に思わせてくれる点で、まさに「ガンダムの使いみちは戦いだけじゃない」と証明しようと頑張るスレッタたちの想いともリンクするかのようだ。
・謎キーホルダーをミオリネにあげたいスレッタの場面。ニカ姉「がんばれ、花婿さん」←イイ。やっぱニカ姉、サブキャラの中では最もスレッタ/ミオリネの関係を正面から尊重してくれている人に見えるし、スレミオ勢的には懐かざるをえない。
・ボブことグエルくん流浪の人生編、さすがに面白い。こういうキャラクターの転がし方の楽しさを見ると、先述した「グエルくんデレるのが早すぎじゃね」と拙速に感じた部分も、あれで良かったのかもな…と思える。いち労働者やってるボブの姿が今までで一番心穏やかに見えるのもなんか胸に染みる。
・「正妻の自信ってやつだな」→スレッタ「妻じゃないです、婿です」。スレッタの「花婿」へのこだわりが垣間見える。同性婚が普通な社会なら、普通にどっちも「妻」「花嫁」と読んだほうが適切じゃねという気もするが、やはり作中でミオリネからも「よろしくね、花婿さん」「あの子の花嫁だからよ」と「花嫁/花婿」関係を強調されているとこともあり、そのキーワード(花婿)はスレッタとしても譲れないポイントなのかもしれない。
・そして問題の、偽エラン(偽ではない)とスレッタが会うシーン。エランに「デートしよう」と誘われても「ミオリネさんがいるから…」と断るスレッタの姿からもけっこう進展を感じるのだが、スレミオ視点で真に重要なのは、その後のやり取りである。
・エランは「ミオリネさんが…」と言いながら彼を拒むスレッタに「でもそれって嘘なんでしょ?」「みんな噂してる、君は結婚したくないミオリネの弾除けだって」「名目上は結婚でも、そこに心はない」と迫る。あまりにド直球な百合割り込み男だし、スレミオ派としてはムカつく台詞…と言いたいところだが、このやり取りを見た時、むしろ逆に「これはマジでスレミオ恋愛結婚ENDあるのか!?」と思った。
・というのも、今まではスレミオの「花嫁/花婿」関係は、深まりを感じさせつつもなんだかんだ「契約関係」「バディ」「(恋愛ではない)深い絆」としての解釈が可能なレベルにとどめられてきた。そこに今回「本当に心から愛し合って結婚したわけじゃないんだろ?」という視点が示されることによって、逆説的にスレミオが「本当に心から(恋愛的な意味で)愛し合って結婚する」というルートが、おぼろげながらも初めて示されたようにも見えるからだ。スレミオ関係のあり方に一歩踏み込んだシーンと言えるし、今回のスレミオ指数が過去最高を記録したのはそれが理由である。
・その後、温室での「スレミオ、すれちがった」事件。スレッタの質問に清々しいほど全部マズい返答をするミオリネに逆になんか笑ってしまう。だがそうした態度は、むしろスレッタがミオリネにとって決定的に大切な存在になったからこそ…というのも、なかなか皮肉だ。会社の設立でも示されたように、「子どもっぽい意地を捨ててでもスレッタを守る」覚悟を決めたミオリネは、「トマトがある温室へは誰にも入れない」というマイルールも「子どもっぽい意地だった」と気づいたのだろう(シャディクくんの立場がない気もするが…)。スレッタにこれ以上の負荷をかけたくなかったからこそ、トマトの世話を業者に外注したし、エランとのデートも大目に見るし、テスターももう1人雇ったのだ。
・スレッタの様子がおかしいことにミオリネが気づかなかったのは、目の前の新しい仕事に集中してるゆえの注意散漫もあるかもしれない。しかしもっと決定的なのは、ミオリネ→スレッタだけでなく、スレッタ→ミオリネの気持ちもまたじわじわ強まっていることに、ミオリネ自身がまだ気づいてないことだろう。
【第11話】
スレミオ指数:95%
・そんなわけで、ようやくスレミオ神回こと11話にたどり着いた(長かった……)。
・自分が必要とされてないのではないか…という悩みにとりつかれたスレッタは、母の言う「どつぼ」にハマってしまう。いつも誰かのために動き、何の屈託もなく利他行動に出ることができる心優しいスレッタだが、裏を返せば他者と自分の関係を必要以上に気にしてしまう、もっと言えば他者の反応に依存してしまう側面があるのだろう。こうしたスレッタの問題は、「他者を気にせず、自分がどうしたいかだけを考え続けてきたが、スレッタと出会って、誰かのために動くことを知りつつある」ミオリネと、ちょうど鏡像関係になっている。
・スレッタが悩む一連の場面は、実感やリアリティの伴った丁寧なものだった。ただし、スレッタの「自分がミオリネに必要とされてないのではないか」と「自分が地球寮のみんなに必要とされてないのではないか」がわりとゴッチャになってる印象もある。人間関係に対する経験が不足してるスレッタ的にはしょうがない状態なのだが、前回ラストのすれ違いで逆にスレミオ指数がガン上がりした身としては、「スレッタ→ミオリネ」の気持ちにスポットを当てるせっかくの機会が少しボヤけたかな〜という印象も抱いた。
・しかしそんな若干のモヤつきを吹き飛ばすほど、直後のスレッタとミリオネが思いをぶつけあうシーンは心を打つ、素晴らしいものだった。
・あいかわらず呪縛のように娘の心を掌握するプロスペラに、「お母さんとエアリアルに会いにいらっしゃい」と言われて、いつものように慣れ親しんだ存在にすがりつこうとするスレッタ…。しかしその瞬間、閉ざされたドアがどんどんとノックされる。外にいたのはミオリネであった。
・スレッタを探してトイレにたどり着き(自分も2話でトイレに引きこもっていたので「もしかしたら」と思ったのかな)プロスペラへの吐露も全て聞いていたミオリネは、力づくでドアをこじ開け、2人の追いかけっこが始まる。この低重力アニメーションもかなり気合が入っており、急に劇場版みたいな作画になるので楽しい。
・「こんなことなら来るんじゃなかった」と、スレッタがぽんっとミオリネを突き放す場面も印象深い。普通なら「突き放されたミオリネがショックを受ける→気を取り直してもう一度詰め寄る」とかのワンクッションを挟むと思うが、ノータイムで突き放された手を掴み「なに卑屈になってんのよ!」と反論するミオリネの行動に彼女の性格が現れていて良い。一瞬の間に、本作のテンポの良さが凝縮されたアクションとも言える。
・そして堰を切ったように始まる、ミオリネの大告白。「あんたが花婿なんかになっちゃったから!バカみたいに進めば2つって言うから!」と、スレッタが自分の人生を大きく「狂わせた」ことをいっけん怒るような台詞を吐きつつも、同時に「私が逃げなくて良くなったのは、あんたのおかげなの」と感謝の気持を吐露し、「だから私から逃げないでよ」とスレッタを抱きしめ、しっかりつなぎとめる。
・文字通りトロフィーのように扱われるという、明らかに理不尽な状況に置かれ、ミオリネはそこから脱出しようとした。それ自体は本来、全く間違ったことでもなんでもない。だがもし逃亡が成功したとしても、それまでの人生を捨てることになるし、ミオリネの性格から言って「逃亡者」としての負い目を抱えながら生きていくことになっていたかもしれない。とはいえクソみたいな状況にひたすら耐え、システムと同化して行きていっても、いつか心が死ぬだけだろう…。ミオリネはいわば「逃げればひとつ、とどまればマイナス」の選択を迫られていたのだ。
・そこに水星のごとく、いや彗星のごとく現れたスレッタは、そのどちらの選択肢も破壊するかわりに、もうひとつの選択肢を提示してくれた。そう、「進めばふたつ」である。確かにスレッタはミオリネの逃亡計画を台無しにした。しかし同時に、ミオリネを取り巻く状況が間違っていることをハッキリと表現し、理不尽なシステムに共に立ち向かい、ミオリネと一緒に未来へ「進む」覚悟を決めてくれたのである。そんなスレッタがミオリネにとって、(再び『お嬢さん』の台詞を引用すれば)まさに「私の人生をめちゃくちゃに壊しに来た、私の救世主」でなくてなんであろうか…。
・ものすごく明快なミオリネの意思表示を受けて、さすがに卑屈さを捨ててしっかりと彼女に向き合うスレッタ。「ずっとそばにいて」「トマトに培養土たしといて」「部屋、週に2回掃除して」「メールも1日3回送って」など(スレッタに「ちゃんと甘える」ことの大切さを自覚したゆえだろうが)若干重たい思いを伝えるミオリネ。ちょっぴり怯みつつではあるが、その率直な気持ちの吐露に対してスレッタは「信じます。私、花婿ですから」という言葉を返す。「ただの契約」にすぎなかったはずの2人の間に、ついに本当の意味で深い絆が生まれる。彼女達の物語はここからはじまるのだ。
〜HAPPY END〜
………なら良かったのだが。
【再び注意】というわけでここから12話を見た後の率直な感想です。本当にかなりとても率直なので楽しめてる人は無理に読むことない!引き返そう!……まぁ読みたいなら読み進めたらいいです。進めば二つ。
【第12話】
スレミオ指数:☠☠☠%
・というわけで、問題の12話である。エンディングが終わったCパートのラストで、スレミオがこれまで積み重ねてきた関係や、本作の良さを急にちゃぶ台返しするような、ショッキングな展開を迎える。制作陣の狙いはわからないでもないが、率直に言って全く好きな展開ではなく、面白いとも、新しいとも、攻めてるとも思えなかった。スレミオ指数どころか、作品そのものへの興味がガクッと落ち込んだレベルである。
↓見てすぐの反応。
『水星の魔女』12話みました………が、最後のシーンを見て「う〜〜〜ん」という感じに満たされてしまい、なんか気分が冷めてしまったので、2万字のスレミオ記事はいったん封印しようかと思う。(この「う〜〜〜ん」を説明するために1万字は書けそうだが、そんな気力は沸かなそうだ。)まさかの展開。
— ぬまがさワタリ (@numagasa) 2023年1月9日
・しかしまず、問題のシーンまではかなり楽しめた回だったことは言っておきたい。さすがに主役級の退場はなさそうと思いつつ、これまでの学園編とは打って変わって、いつ誰が銃弾一発で死んでもおかしくない緊張感にあふれており、手に汗握りながら物語の行方を追った。特に地球寮の面々は、これまでの描写でみんなに愛着が湧いているだけでなく、立ち位置的には何人か死んでも全然おかしくないので、彼らが危機に陥る様子はかなりスリリングだった(おっとりしたリリッケが過呼吸になってる姿とか芸が細かくてツライ)。グエルくんが大ピンチになるシーンも言うて死なないだろと思いつつ、「え、まさか…?」と一瞬思いかけたし。『水星の魔女』が地道に積み上げてきた群像劇としての楽しさが反転し、ここにきて物語に強力なブーストを与えている。
・ただ、ラスト前の段階でも気になる部分はあった。特にどうかと思うのは、ミオリネの父親・デリングの扱いである。ネットでは「ダブスタクソ親父も内心では娘のことを思っていたんだ…(ほろり)」的な解釈や二次創作とかもよく見かけて、それはファンの自由だから別にいいのだが、さすがに一次創作(原典)でもそれをやられると「いや内心で何を思っていようがクソ親父なのは紛うことなき事実だからね!??」と叫びたくもなる。ミオリネの意志も権利も無視して、彼女を決闘のトロフィーにしてきたという正真正銘の害悪クソ親父ムーブが、ちょっと娘をかばって死にかけたくらいで帳消しになるのは絶対におかしい。
・まぁミオリネから「卑怯者」呼ばわりされたように、彼もまた不完全な人間であり、ある意味ではシステムの犠牲者だった……?とか優しく解釈することもできなくはないが、そんなことを言い始めたらどんな権力者も擁護できてしまう。女の子たちが権力と呪縛に対して立ち上がる話だった本作の、重要な転換点となるはずのこの12話の、限られた時間で描ける限られた「共感」のリソースを、この世界で最強クラスの権力をもつおっさんに振り分けてしまうのか……という残念感が大きい。
・クソ父親といえばもう1人、グエルくんの父親・ヴィムだ。グエルくんを襲う「悲劇」も、確かにショッキングではあったし、多分こういうのがガンダムっぽいんだろうなと思わせるクラシカルな悲劇感も嫌いではないが、冷静になると「う〜ん?」という感じで微妙にピンとこない。1話で撒き散らしていたような(父親との関係も大きく影響していたのであろう)自分の中の害悪な部分に、グエルくんがしっかり向き合う前に、このような形で父親を(しかもちょっとイイ親っぽく)退場させて良かったのだろうか。グエル君のキャラクター変遷にも、この事故がどう影響するのかよくわからない。この「父殺し」で作り手が何を描きたいのか、見えてこないというのが率直な感想だ。
・なんにせよ、本作の家父長制的な権威による抑圧を最も象徴していたのが、このWクソ親父だったことは間違いない。だがそれに対する批判的視線が、クソ親父1は娘との激甘な和解、クソ親父2は事故みたいな退場によって、12話で実質的に無効化されてしまったのはかなり残念だ。家父長制システムからの(男女問わず)子どもたちの脱却と反抗という、本作を特別なものにしていたはずの要素が(実は7話くらいから目減りし続けてはいたが…)、ここにきてほぼ完全に消滅したのはどうなんだよと思う。
・もっと言えば、害悪クソ親父どもを甘ったるく描いておきながら、母親プロスペラの「毒親」っぷりは過剰なほど真に迫った恐ろしい描き方がなされている…というバランス感のいびつさもあり、なんかもうシンプルに「父親に甘く、母親に厳しいっすね」と白けてしまう…。プロスペラ自身はかなり面白いラスボス(なの?)なだけに、この歪みがいっそう気になるのだ。
・そしていよいよ問題のシーン、エンディング後のラストCパートである。母プロスペラによって、ほとんど洗脳にも等しい「指導」を受けたスレッタは、ミオリネを助けるために、なんとエアリアルを使って兵士を殺害してしまう。潰れたトマトのように、舞い散る血と肉片。だがスレッタはそんな凄惨な光景に怯むどころか、ニコニコ笑いながらミオリネに血染めの手を差し出す。常軌を逸したスレッタのふるまいと、目の前で人が無残に殺された衝撃に打ちのめされたミオリネは、「なんで…笑ってるの?人殺し。」とスレッタに告げる。こうして1クール最終話は幕を閉じるのだった…。
・………うん、間違いなく、ショッキングではあった。放送後、さぞやネットもこの話題で持ちきりだったことだろう。血みどろの絵面も、さぞやバズり散らかしたことだろう。ただまぁ、やはり、スレミオでこんな展開は全く見たくなかった、この一言に尽きる。この記事でも書いてきたような、1クールにわたるスレミオの積み重ね、特に11話の丁寧なやり取りが、このショック展開でほぼ台無しにされてしまっているのは相当にキツい。
・そして確かに展開そのものはショッキングだったが、同時に凡庸で、ひどく古臭いとも感じた。この手のショッキングさは、はっきり言って見飽きているのだ。それは当然で、たとえば『エヴァ』…まで戻らなくても、ゼロ年代〜10年代のアニメだって、人がグチャッと潰れるだの、目の前で人が死んで女の子が絶望するだの、残酷で嗜虐的な展開を楽しむような「ショッキング」な作品など、少しアニメを見てる人ならいくらでも思いつくだろう。これまでそうした手法に頼らず、新しい時代のエンタメとしての風通しの良さを感じさせた『水星の魔女』が、この露骨なショックを狙ったシーンによって、かえって「ちょっと昔によくあった古臭いアニメ」に後退してしまった印象を受けた。
・このシーンが好きになれないのは、「視聴者にショックを与えたい」という意図が先行しすぎて、全体に描写が雑で唐突になっていることだ。スレッタを支配する母親の力がいかに強かったからといって、こんないきなり(テンプレな"サイコパス"殺人鬼みたいに)人間をあっさり楽しそうに殺して、その瞬間を見たミオリネの気持ちも想像できなくなったりするか?(それもう別の人じゃない?)とか。ミオリネにしても別人のように様子がおかしいスレッタに、いくら動揺してるからといって、開口一番「人殺し」なんて言うかな…?とか(しかもあの11話の後に…)。ミオリネが笑顔で人殺してることなんて見た人全員わかるんだから、「なんで笑ってるの、人殺し」なんてつまんないセリフを無理に言わせて締めるくらいなら、せめて「何も言えず絶句する」とかの方がずっと自然だし良かったのでは…とか。
・生きた登場人物の自然な行動/言動というよりは、ショックな展開とバズな絵面を作るための駒として動かされているようで、スレッタとミオリネ(とついでに殺された人)が気の毒になってくる。同じ「母親の支配によって殺人を犯してしまう」展開の恐ろしさを表す上でも、より丁寧な、露悪的でない描き方も可能だったはずだ。例えば、スレッタが良識と支配の間で揺れながら、それでもミオリネを守るためやむなく殺人の一線を超えてしまうとか、それを見たミオリネが(開口一番で拒絶するのではなく)口では「私を助けてくれたのよね」と言いつつも心の奥底に拭いがたい恐怖が残るとか、もっといくらでも繊細な描き方があったはずだし、むしろ個人的にはその方がよりキツく、より「ショッキング」に感じただろう。
・奇しくも、5話で「子どもを可愛そうな目に合わせることで物語にショッキングなエモみとバズみを与える展開は食傷気味ではある」とか、7話で「どう考えてもクソ親父なデリングがいい親っぽくなるのは全く納得できない」とか文句も書いてきたが、今回そのような、気にはなっていたけど(好きだった部分の方が大きかったので)スルーしてきた本作のマイナス部分が、最悪の形で噴出してしまったように感じる。しかもその「好きだった部分」は、かなり毀損されてしまっているというのが痛いところだ…。
・乱暴なたとえで申し訳ないが、フレッシュな素材を使い、丁寧に焼き上げたケーキを味わっていたら、パティシエが急にケチャップをどばーーーっとかけ始めて、ドヤ顔で「ショックでしょ?驚いたでしょ?凄いでしょ?新しいでしょ?」と言い始めたような気分だ。「うん、ショックだし、驚いたけど、凄くも新しくもないです(なぜならしょせんケチャップなので…)」と答える他ない。台無しにする前のケーキの方が凄かったし、よっぽどフレッシュだった。
・…少しボロカスに言い過ぎただろうか。一応フォローするなら、製作陣のやりたかったことは理解できる。野暮ながら言葉にすれば、それは「力に対する批評」なのだろう。ガンダムという巨大兵器が持つ、視聴者がエンタメとして楽しんでいた「力」の、真に恐ろしい側面を、最もショッキングな形でまざまざと見せつけることで、暴力や戦争の生々しい恐怖を表現しよう…といったところだろう。それは現にある程度、成功していると思う。
・実際、本作のメイン機体エアリアルには、今回でかなり恐ろしいイメージがついてしまっただろうし、ガンダムがオモチャ化されて人気を博しているコンテンツであることを考えると、そこに関しては本当にかなり「攻めた」表現なのは認めざるを得ない。また「逃げたら一つ、進めば二つ」という、本作を象徴する勇ましいキーワードを、ある種「相対化」していく、ダークな方向にひっくり返してみせる姿勢も(少なくともラスト手前までは)興味深く感じた。
・しかしそうした「力への批評」をする上で、そのツケを(まるで残酷ショーのように)最も過酷な形で払わされるのが、本当にスレッタとミオリネであるべきだったのだろうか。「相対化」の矛先が向けられるべきは、本当に彼女たちの振る舞いだったのだろうか。
・例えば1話の、ミオリネにクソみたいな暴力を振るうグエルに対して、スレッタが立ち向かうシーンから、「お母さんに教わらなかったんですか?そんなことしたら…ダメです!」のセリフを今回反復している。さらにグエルに勝利した直後の、1話ラストのエアリアルのショットを、血染めのダークな姿で再現している。こうした「スレッタが誰かを助けるために力を振るう」というヒロイックなシーンを、あえておぞましく再現し、それを見るミオリネの絶望をクローズアップすることで、「あなたたちが楽しんできた"力"も暴力ですよ!」と相対化し、批評してみせたわけだ。
・だが正直「そこを相対化してどうすんの?」「批評すべき"力"って、そこなん?」としか思えない。「誰かのために力を振るう」ことが間違っているというのなら、スレッタはグエルが横暴に振るう"力"を放置し、ミオリネのことも助けず、権力がミオリネに押し付ける異常な決闘システムを黙認していれば良かったのだろうか。スレッタがミオリネを救うため、自分の"力"を発揮して、強者の"力"に立ち向かったことの高潔さを否定してしまえば、本作の良いところの大半が消えてしまうと思うのだが…。なんでもかんでも相対化すれば作品としての深みが増すわけではない。むしろ「結局これ何の話なん?」と物語の焦点がボケてしまうことも多い。
・本作のそうした「力への批評」が、本当に全方位に厳しく向けられたものだとすれば、まだ作品のあり方として納得がいく。だがここでも「でも権力者である父親にはめちゃ甘かったよね?」という事実が足を引っ張る。「抑圧者やマジョリティが振るう"力"には甘々だったくせに、抑圧される側だった女の子が"力"をふるい始めた途端、突然シビアに"力の恐ろしさ"を説かれてもな…」と、現時点では白けてしまう。
・制作陣が「力への批評」をしたいがために、12話でスレッタが背負わされてしまった「取り返しのつかない罪」へのモヤモヤ、なんか既視感あるんだよな…と思ったのだが、『ゲーム・オブ・スローンズ』最終章のデナーリスだと気づいた。こちらも、世界を変革しうる「強い力」を持った若い女性が、ついにはその力を暴走させていき、取り返しのつかない罪を背負わされてしまう…という「力への批評」が行われる。こっちはこっちで全然好きな展開ではないのだが(なんか壮大なトーンポリシングみたいに見えてしまい…)、それでもデナーリスの方は暴走に至るまで周到に段階を踏んではいたし、何より本当にマジのマジで「全方位に厳しい」作品だったので、まだ受け入れることはできたのだが。
・それに『水星の魔女』制作陣に、「力への批評」によって暴力の恐ろしさを語る…という建前があろうと、あれほど扇情的・露悪的な描き方をしてしまえば、結局は(女の子の表象を通じて)暴力や戦争をエンタメ消費してるだけなのでは?という疑念は拭えない。かわいい女の子たちが血に塗れたり、サイコパス(という言葉は本当はよくないが)的に振る舞ったり、築いた絆を台無しにしたり、絶望したりする姿を、「うわあ最悪w」とか呟きながら消費したいという、視聴者のオタク的&嗜虐的な欲望を煽る形に、12話ラストは実際なってしまっている。作品として致命的に"閉じて"しまったように見える。そのことが何より残念に感じた。
【最後に:なぜスレミオが重要なのか(重要だったのか)】
・さんざん12話への文句を書き連ねてしまったし、作品自体のあり方に相当ガッカリしたのは否定できないが、スレミオ的な観点から言っても、まだ全てが台無しになったわけではないとも思っている(これは覚えておくべきだが、百合好きは裏切られるのに慣れているのでタフだ)。なんといっても、まだ全体の折り返し地点にすぎない。これからの十数話で、なんだかんだミオリネがスレッタへの愛と理解を取り戻し、スレッタが母親の呪縛を解き、自分がやってしまったことに向き合い、2人の関係が修復される、あるいはさらに深くなる…という可能性も、まだまだ残されているだろう。その道のりの果てしなさと、スレッタが背負わされたものの理不尽な重みを思うと、ウンザリしてしまうのも確かだが。
・本作の冒頭でも触れたが、私はスレッタとミオリネの関係が、明確かつ公式に「恋愛」として成就してほしいと思っていた。そのハッピーエンドへのハードルは、12話ラストを見る限り非常に高くなったようだが、やはり2人の関係が「恋愛を超えた尊い絆」とか「ダークで病んだ関係」とか「悲恋めいた別離」とかではなく、明確に「恋愛」として描かれ、共に幸福な未来を生きてくれればどんなにいいか、と願ってしまう。
・誤解してほしくないのは、私も同性同士の「恋愛を超えた尊い絆」は大好きということだ。(というか基本的に恋愛に関心がない。)だが好きだからこそ、女性同士や男性同士の関係ばかりが「恋愛を超えた尊い関係」として描かれ続けることに、異性愛規範に溢れたこの社会の歪みを感じてしまう。その「尊さ」は、結局のところマジョリティの機嫌を損ねない範囲での、都合の良い「消費」にすぎないのではないかと思えてくる部分もあるのだ。
・だが『水星の魔女』が、もしスレミオの関係を本当に「恋愛」として正面から描いてくれるなら、その「都合の良い消費」から確実に一歩抜け出すことになる。女性同士の「結婚」の宣言から始まって話題を集め、現実の性的マイノリティ当事者も多く見ているであろう『水星の魔女』には、ぜひそうあってほしい、もっと言えば、そうあるべきだとさえ感じる。
・とはいえ同性婚もいまだに成立していない日本社会で、夕方5時に全国放送の、ガンダムという全年齢向け巨大IPで、正面から同性間の「愛」を描くことの難しさは想像できる(まぁ12話を観た後では、グロ描写はできるのに同性愛はムリなんだ…とは言いたくなるが)。しかし海外にも目を向けてみると、カートゥーンネットワークの『スティーブン・ユニバース』や『アドベンチャー・タイム』、ドリームワークスの『シーラとプリンセス戦士』、ディズニーの『アウルハウス』などなど、全年齢向けのメジャーなアニメ作品だからこそ、同性カップルをメインキャラとして登場させたり、同性間の「愛」を匂わせではなく公式に、かつ肯定的に描くことで、アニメ界に変化の波を起こそうとする作品が次々と生まれている。
・しかも、これらはあくまで「超メジャースタジオの全年齢向けアニメ」という狭い範囲の一部にすぎない。大人向けの海外アニメ、海外ドラマ、映画、ゲームなど全世界のカルチャーを含めれば、同性愛者や同性カップルがメインキャラとして登場し、現実に生きているマイノリティを(消費ではなく)エンパワメントしていこうとする高い志をもった作品は、数え切れないほど存在する。保守的な日本でさえ、NHKでレズビアン女性が主人公のドラマ『作りたい女と食べたい女』が放送されて人気を博するような時代、それが2023年なのだ。
・だからこそ、世界の真摯な作品に肩を並べるように、日本のアニメ界が大きく歩みを進める瞬間を見てみたいと、日本生まれのアニメファンとして心待ちにしていた。そして『水星の魔女』は、少なくとも11話まで見た時点では、そんな革新的な作品になれるポテンシャルを秘めているように感じられた。スレッタやミオリネ、そして2人の関係性の描写を通じて、現実を生きる(特にマイノリティの)人々を励まし、慰め、寄り添い、エンパワメントするような主流エンタメ作品になってくれるのかと期待した。
・ただ、やはり12話ラストの「あの感じ」を見る限りだと、やはり過大な期待だったのかもな…という感覚も否めない。エンパワメントではなく、ショッキングな描写によって彼女たちを「消費」する、よくあるオタク的アニメの方向に大きく舵を切ったように感じられたからだ。ここから奇跡の逆転劇で持ち直して真の傑作になるのか、それとも破綻してグダグダになって駄作として終わるのか、平凡な作品としてなんとなく流れ去っていくのか、わかるはずもない。
・もっと言えば究極的には、本作がどうなろうが、どうでもいいとさえ言える。さっきも言ったが、今やコンテンツは見切れないほど大量にある。そして何より時代の流れや、人の意識の変化を止めることはできない。世の中が移り変わるにつれて、遅かれ早かれ、真に大きな変革を成し遂げる日本のアニメ作品もいつか現れることだろう。
・ただやはり、『水星の魔女』とスレミオへの期待と願いも捨てきれないからこそ、こうして何万字も語ってしまったというわけだ。この度を越した長文に付き合ってくれた人も「結局は推しカプに成就してほしいってだけの話だろ」と思っているかもしれない。それは実際その通りである。だが誓ってもいいが、本当にスレッタとミオリネが「成就」して終わったならば、そのことで心から勇気づけられたと、やっとフィクションから「祝福」を受け取ることができたと感じる人は、日本にも世界にも、計り知れないほど沢山いると思う。
・だから最後に、なけなしの期待と精一杯の願いを込めて、もう一度『祝福』の歌詞を引用して終わりたい。
この星に生まれたこと
この世界で生き続けること
その全てを愛せるように
目一杯の祝福を君に
YOASOBI『祝福』より
果たして『機動戦士ガンダム 水星の魔女』は、この素晴らしいオープニング曲に恥じない作品になるのだろうか。この世界で今も生き続ける、これまで十分な「祝福」を受けてこなかった大勢の人々に、「目一杯の祝福」を届ける作品になれるのだろうか。そうなってほしいと、まだ願っている。
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