人生は一度きり。YOLO (You Only Live Once)という英語のスラングにもなっているほど、誰もが知っているはずの真実であるにもかかわらず、私たちはそのことをあまり意識しない。それは人間が、死について考えるのが苦手だからなのかもしれない。そんな私たちの目をさますべく(?)、ファミリー/全年齢向け作品であるにもかかわらず、「死」や「一度きりの人生」について真正面から語る作品が現れた。しかも超カッコいいアクションと笑えるギャグを山のように散りばめながら…。映画『長ぐつをはいたネコと9つの命』である。
しかし2023年、満を持して世に出たHBOドラマ『THE LAST OF US』が、全てを変えるきっかけになるかもしれない。ゲーム『THE LAST OF US』は、膨大な数のファンが存在する大人気コンテンツだが、そのファンが口を揃えて絶賛するようなドラマが完成したのである。鬼門だった「ゲームの実写化」に、ついに巨大な風穴が開けられたのだ。
というわけでドラマ『THE LAST OF US』シーズン1の最終話となる第9話を見届けたので、感想を書いておく。結論から言って、最後の最後まで素晴らしい出来栄えであった…。
The scene itself was a combination of a VFX stage, scenery and location shoot with real giraffes from the Calgary Zoo being used.#TheLastOfUspic.twitter.com/fXpgZtllam
— The Last of Us News (@TheLastofUsNews) 2023年3月14日
だが…ジョエルがその説得を、その「正しさ」を受け入れることは決してない。そしてだからこそ、ジョエルは「THE LAST OF US」という物語の主人公なのだ。
『THE LAST OF US Part2』の話になるが、マーリーンの懸念をなぞるかのように、「無意味に生きるより、意味のある死を遂げたかった」と嘆くエリーに対して、ジョエルは「もしもう一度チャンスを与えられたとしても、俺は同じことをする」とはっきり告げることになる。この言葉は単なる強がりではなく、ゲームシステム上も真実であることは重要だ。「THE LAST OF US」は、物語が分岐するマルチエンディングなゲームではない。何度プレイしても、ジョエルは必ず同じ行動を選ぶことになる。
つまり、ジョエルの「間違った」選択…つまり「たとえ人類を救うチャンスを台無しにして、邪魔するものを皆殺しにしてでも、目の前の生きている子どもを絶対に殺させたりはしない」という選択が、このゲームにおいては絶対的に「正しい」選択でもある。そんな矛盾した、しかし人の命の本質的な価値と尊さをあぶり出す強烈なメッセージこそが、「THE LAST OF US」が長い時間をかけて、ゲームという表現形式を通じて、私たちに送り届けようとしたものなのだ。
それでも、自分の信じる「正しい」選択をするために戦闘員も非戦闘員も虐殺したジョエルに、潔白な正義などあるはずもない。彼がやったことの「報い」は巡り巡って、続編『Part2』でジョエルを容赦なく捕えることになるだろう。ジョエルはプレイヤーにとって非常に思い入れの深いキャラだけに、2冒頭での衝撃的な「出来事」に猛烈に反発するファンも多かったようだが、1のラストで彼がやったことを考えれば、はっきり言って「必然」である。むしろ主人公だからといってそこを甘くするようでは、「THE LAST OF US」シリーズの名折れとさえ言えるだろう…。ジョエルの最後の「活躍」からヒロイックさを一切排したドラマ版は、その点を誤解の余地のないよう、さらに強調しているように感じた。
続編で待ち受ける不穏な未来に突き進むように、ジョエルは結局マーリーンをも殺害した末に、エリーを車に乗せてワイオミングの街へと向かう。「盗賊が来たから着の身着のままで逃げた」という苦しい嘘までついて、自分の選択にエリーを巻き込まず、嘘を貫き通すことを決めたジョエル。街に着く直前になって「嘘じゃないと誓って」とエリーに問いただされたジョエルは、「誓う」と宣言する。心のどこかでそれが真実でないと悟ったのか、エリーは悲しげな表情を一瞬浮かべるが、「わかった」と答える。そこで物語はバッサリと終わる。ドラマ「THE LAST OF US」シーズン1、これにて完結である。
2時間の映画ではなく、10時間近くをストーリーテリングに費やせるドラマならではの手腕だが、ラスアス(1+DLC)の物語を比較的コンパクトに収めるためには、これ以上よくできた構成は考えられないと言っても良い。今後ゲームを映像化しようと考える全ての制作陣が、そして実写映像化に若干の不安を覚えつつ楽しみにするゲームファンが、このドラマ「THE LAST OF US」をひとつの大きな基準にすることになるだろう。
とにかく数ヶ月の間、心から楽しませてもらったドラマ「THE LAST OF US」、制作陣には純粋な感謝の念しかない。間違いなく2023年のベストドラマとして、いや2020年代のベストドラマのひとつとして語られることになるだろう。個人的には「THE LAST OF US」はpart2からがいよいよ本番くらいにまで思ってるので、今からシーズン2にも絶大な信頼を寄せざるを得ない。ありがとうドラマ「THE LAST OF US」、ありがとうジョエルとエリー、ありがとう感染者たち。また会える日を楽しみにしている…。
比較的静かな4話という助走からジャンプするように、これまでで最もド派手であり、最も哀しくやりきれない、凄まじく濃厚な神回であった。ある意味では『THE LAST OF US』シリーズを最も象徴するキャラクターである、ヘンリー&サム兄弟がいよいよ登場し、彼らの複雑な人間性と生き方が繊細に描かれる。弟サムが聾者の設定になっており、手話や筆談でコミュニケーションを取るキャラクターとして再解釈されているのも、現代的かつ有効な変更点と言える。
そして(これまでもその要素はあったが)いよいよ『THE LAST OF US part2』を連想させる暴力と復讐の連鎖が、兄ヘンリーとキャスリンの確執を通して描かれていく。サムの命を救うためだったとはいえ、薬と引き換えに兄を売られたキャスリンが、ヘンリーに抱く憎しみは、納得が行ってしまう感情でもある。物語の展開的には「悪」っぽい側となるキャスリンにも、ドラマ版オリジナルの展開を加えて十分に理解できる動機を与えるこの手腕は、やはり『THE LAST OF US part2』を連想する凄みをドラマ版に与えている。そしてこの究極の選択は、ドラマ最終話でジョエルに降りかかることにもなるわけだが…。
というわけで5話は、ゲーム中盤のエピソードの再構成と、世界や人物の奥行きをさらに増す変更が際立つ、見事なアレンジを見せてくれた。だが同時に「ここを変えたらもう『THE LAST OF US』じゃなくなる」という点は(たとえ視聴者が心の底では願っていたとしても)決して変えない鋼の意志も貫いてみせる…。そう、最後のサムとヘンリーの無惨な死のことである。
5話ラストにしたって、凡庸な作品ならもっと「ショッキングでしょ?」と露悪的にドヤったり、ベッタリした情緒的な演出をまぶしそうなものなのに、2人の死や悲しみを凄くあっさり処理している。そのことによって逆に、複雑な背景をもつ彼らが悩みながらも取ってきた選択や行動、その全てが無意味で無価値であったかのように、あっさりとその生命を追えてしまう虚しさがいっそう際立つのだ。ドラマ『THE LAST OF US』はキツい物語なのは確かだが、露悪的・表面的なショッキングさ/過激さ/残酷さで注目を集める姿勢からは確実に距離を取るという真摯な姿勢が、5話でさらにハッキリしたと思う(怖いのはもちろん怖いが)。グロいの無理、で敬遠するのはもったいない作品である。
ライリーは最後のサプライズとして、ウォークマンをエリーに渡すと、エタ・ジェイムズの「I Got You Babe」を流して踊りだす。愛情が高ぶる中、ついにエリーはライリーに「行かないでほしい」という本当の思いを告げ、キスをする。思わず謝るエリーだが、ライリーは「なぜ謝るの?」と返す。2人の思いが通じ合ったのだ。
それにしてもこの7話といい、伝説の3話といい、劇中で描かれる印象深いロマンスがどちらも男性同士・女性同士となっており、もはやドラマ「THE LAST OF US」現代最高峰レベルのクィア大作ドラマとなっている(どっちも結末は悲しみが深いとはいえ…)。だが、そもそも原作ゲームからしてクィアな要素は強いわけで、ニール・ドラックマンを中心とした才能豊かなストーリーテラーが、世間の反発にも負けず「物語の力」を正しく使おうとしてきたことの結晶と言えるだろう。本当にラスアスシリーズのファンで良かったな…としみじみ思える7話だった。