翌朝ジョエルがキャンプでコーヒーを飲む場面も、地味に注目したい。ジョエルは原作ゲームでは探索中に「あ〜、コーヒーが飲みたい…」などと呟きつつ、今はめったに飲めないのであろうコーヒー愛を露わにしていたし、『The Last of Us Part II』でも彼のコーヒー大好き設定が生かされていた。しかしドラマ版では、一応コーヒーっぽい飲み物は普通に飲んでいるようだ。「焦げたウンチの匂い」とか言われて、むくれたように音を立てて飲み干すジョエルが萌えである。ちなみに焦げたウンチ呼ばわりは、文明崩壊後の生まれのエリーがコーヒーの匂いを知らないゆえなのかと思ったが、ラスアス世界で本物の(良い香りのする)コーヒーが流通してるとも考えにくいので、実は本当に劣化してヒドイ匂いのコーヒーな可能性も高い…。
というのもこの4話で、早くも続編ゲーム『The Last of Us Part II』のテーマ性を強く想起せざるをえない場面が現れるのである。先ほど「真に恐ろしい敵は人間」と言ったが、『The Last of Us Part II』はその「敵もまた人間である」という事実を、おそらくゲーム史上最も高い解像度によって描いた作品と言って良いと思う。たとえば、モブの敵キャラにも全員名前があり、殺そうとすると命乞いを始めたり、その死体を見た仲間がそいつの名前を泣き叫びはじめたりするという、ほとんど嫌がらせのような細かい処置が加えられている…。その結果、ガンガン人を殺していくゲームにもかかわらず、殺人や暴力がもつ取り返しのつかない重みを常に突きつけられたまま進行するという、まさに「プレイする地獄」のような有様になっているのだ。まさにそれこそが『The Last of Us Part II』を傑作足らしめているわけだが…。
このドラマ版4話では、ジョエルとエリーから見れば「敵」にあたる組織の内情が、けっこう詳しく描かれていくのも印象深い。ドラマ『イエロージャケッツ』(これもU-NEXTで見れます)にも出ていたメラニー・リンスキーが演じる、組織のリーダーである「キャスリン」という中年女性のキャラクターに光が当たり、敵には敵の事情があることが描かれていく様子も非常に『The Last of Us Part II』っぽいと言える。ゲームでもおなじみの黒人青年のキャラクター・ヘンリーと因縁があることが示され、このキャラや関係がどう転んでいくのか読めないが、ドラマならではの展開が見られることはまず間違いなさそうだ。ビル編が大きく変更されたことで出番が延びた中ボス・ブローターも、満を持して登場する気配なので楽しみである…。
そしてジョエルとエリーが「敵」である人間たちの罠にはまり、やむをえず戦闘になって相手を殺害していく場面は、何より『The Last of Us Part II』の思想を大いに感じさせた。ストーリー進行の上では単なる「モブ敵その1〜3」とかに過ぎない彼らもまた、この崩壊世界で共に生きてきた者同士であり、仲間が殺されれば当然だが大きなショックを受ける。仲間を殺したジョエルの命を奪おうとした寸前、後ろからエリーに撃たれた若者は、必死で命乞いを始め、ブライアンという名前を名乗り、ジョエルに「むこうに行ってろ」と言われて立ち去るエリーに「行かないでくれ」と懇願し、「お母さん!」と叫びながら、ジョエルにトドメを刺されることになる…。とても「主人公たちが協力して敵をやっつけたぞ!」という場面とは思えない、あまりに悲惨すぎる描かれ方である。だが本来「誰かをやっつける」というのは、リアルに描写すればこういうことなのだ…。
しかし穏やかな夜は続かず、目を覚ませばそこには銃口を突きつける黒人少年の姿が…!というところで4話は幕を閉じる。いよいよ『The Last of Us』シリーズを(色んな意味で…)最も象徴するサブキャラクター、ヘンリー&サム兄弟が登場…というわけで、期待が高まっていく。 というわけで4話は、神回の直後にちょうどいい(比較的)静かな回でありながら、ゲームに忠実な再現と巧みな再構成をうまく織り交ぜながら、ラスアス2を想起する辛い展開や興味深い改変などもブチこんでくるという、相変わらず目が離せないドラマであると実感させられた。
ドラマ『THE LAST OF US』3話、さすがに凄すぎんか?と打ちのめされてる…。大胆に原作から飛躍した再構成でありながら、ラスアス特有の生きることの悲哀をより浮かび上がらせ、それでいてこれほどロマンチックな愛の物語を送り出すとは…。1~2話も最高だったが3話はちょっと次元が違う。#TheLastOfUspic.twitter.com/6N2I5lGFyP
確かにドラマ『THE LAST OF US』(ザ・ラスト・オブ・アス)は最初から素晴らしく、1話も2話も「名作ゲームの実写映像化」として見事な出来栄えだった。だが今週、全世界で放送/配信された第3話「長い間」は、それまでの「見事さ」とは一段、格が違っていると感じる。もはやゲーム云々というよりも、独立したドラマ作品として、桁違いの完成度と斬新さを誇っているのだ。すでに海外のレビューでも激賞が続出していたり(たとえばIGNは第3話に10点満点を与えている)、早くもエミー賞候補筆頭の声も上がっているようだが、出来栄えから言って当然の結果だと思う。
感想記事↑でも書いたように、ドラマ『THE LAST OF US』1話と2話は(興味深い補足や改変があったとはいえ)ほぼ原作の展開をなぞっていた。だがこの3話で初めて、いや「早くも」というべきか、このドラマははっきりと原作ゲームと異なる展開を見せることとなった。実質「ドラマオリジナル展開」と言っていい第3話は、原作ゲームから大胆な飛躍を遂げながらも、実は『THE LAST OF US』シリーズの核心にある、「人が生きていくことの悲哀」をさらに鮮烈に浮かび上がらせている。そしてその上で、ここが何より重要なのだが、世にもロマンチックな愛の物語に仕上がっているという、真に驚くべき回になっていたのだ…。
↑先日行った特別展「毒」の図録より。たとえばムギに発生する赤カビ病菌は非常に厄介である。マイコトキシンという毒素をもち、こうした穀物(ムギだけでなく稲、大麦、トウモロコシなど多様な植物に発生)がげっ歯類などの食料になるのを防いで、カビ/菌類自身の食料&すみかとなるようにしているという。菌類に人間の考えるような意志はないとはいえ、こうした菌類の不気味でイヤらしいような、たくましいような生態は、『THE LAST OF US』の恐るべき菌類にも大いに参考にされていそうだ。
ビルは原作ゲーム『THE LAST OF US』をプレイした人にとってはおなじみのキャラクターだ。人間不信でかなり気難しいものの、なんだかんだジョエルとエリーを助けてくれる、印象的な味方キャラとして活躍してくれたからだ。彼と一緒に学校に忍び込み、中ボス感染者・ブローターと闘うくだりなどは原作プレイヤーにとっても思い出深いシーンである。
そして原作ゲームでも、彼が同性愛者であることはそれとなく明示されていた。フランクの最期を見た彼の(珍しく)感情たっぷりの口ぶりや、エリーが家からくすねたゲイ向けのアダルト雑誌からも、そのことは伝わるようになっている。ただし、フランクとの関係もセリフでうっすら"匂わせ"られるだけなので、例えばDLC『Left Behind』や『THE LAST OF US part2』で、エリーのセクシュアリティが明白に描かれたことなどに比べれば、あくまでさらっと言及する程度ではあった。ひょっとするとビルが同性愛者だとは気付かずにゲームを続行した人も多かったかもしれない。『THE LAST OF US』シリーズ(特にpart2)はクィア表現について相当に先進的な大作ゲームと言えるが、第一作に関しては、10年前の作品であるがゆえの時代的・社会的な限界を感じさせる部分もある。
だからこそ、そんな『THE LAST OF US』を10年後に改めて語り直すドラマ版で、ゲームではさらっと流されるだけだったビルとフランクの関係に、これ以上なくじっくりと焦点が当てられることは、まさに必然だったのかもしれない。「匂わせ」どころか、誰がどう見ても明白な「同性カップルの恋愛」として、ラスアスらしい残酷さや悲哀もたっぷり漂わせながらも、世にもロマンチックな「愛の物語」を、ドラマ『THE LAST OF US』第3話は世界に届けてみせたのだ…。
ちなみにフランクを演じるのは、ドラマ『ホワイト・ロータス 諸事情だらけのリゾートホテル』で支配人のアーモンドを演じたマレー・バートレット(ちょうど最近見たばかりだったので嬉しい)。マレーさん自身もゲイであることを公言しており、しっかり当事者キャスティングをしている。また、3話の監督を務めるのはドラマ『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』のピーター・ホアー監督(自身もゲイ)であり、当事者の視点も大いに盛り込んだ同性ロマンスとしての繊細な描写も、今回の見所と言えるだろう。
和やかに食事をすませたフランクは、約束通り出発する前に、ヴィンテージもののピアノが気になり、見せてほしい…とビルにお願いする。いつの間にか楽譜も見つけて、勝手にピアノを弾き、歌いはじめるフランク。その曲はリンダ・ロンシュタット「ロング・ロング・タイム」だった。第3話の原語タイトル"Long, Long Time"の元になっている曲であり、今回の鍵を握る一曲である。
ドラマ『THE LAST OF US』の画期的なポイントとして、「コロナ以降のリアリティを取り入れた、パンデミック以降初のパンデミック超大作」であることはすでに述べた。実は第3話は、その点でも語り甲斐のある回だ。なんといっても「まるでロックダウンのように」社会的に隔絶された状況で繰り広げられる愛の物語なのだから…。予想外の方向性ではあるが、「コロナ以降のリアリティ」によって大いに奥行きを増している回であるように感じた。
だが…そんなビルとフランクの人間らしく幸せな生活を脅かす、最大の脅威となるのもまた人間であるということが、『THE LAST OF US』らしい皮肉さと残酷さを感じさせる。ジョエルの警告通り、ある夜、彼らの家を略奪者たちが襲撃するのである。火炎放射や電流などの殺意あふれる防衛ギミックで、なんとか略奪者たちを撃退するも、銃弾を腹に食らってしまったビル…。フランクは必死で、今にも死にそうなビルの傷に応急承知を施し、なんとか彼の命を救おうとするのだった。
残酷なことばかり起きるこの世界で、無力な人間たちは愚かな判断を繰り返し、無意味で無残な「THE LAST OF US(人類の終わり)」を迎える運命なのかもしれない。しかしそれでも、ほんの一瞬かもしれないが、何か価値のある、無垢な、美しい瞬間も、確かに存在したのだ…。そんな想いをプレイヤーに抱かせるような、『THE LAST OF US』シリーズにとって極めて重要な場面で流れる曲、それがこの「Vanishing Grace」なのだ。ドラマ版では初めて流れたことになるが、ビルとフランクの最期は、まさにこの曲が象徴する意味合いにふさわしい。『THE LAST OF US』に通底して流れる人間の深い悲しみと、だからこそ際立つ美しい感動をもたらしてくれる、正真正銘の名場面だった。
必要な物資や武器を揃え、最期のメッセージと車のキーを受け取り、ビルとフランクの家を後にするジョエルとエリー。その姿を、2人の遺体が眠る部屋の開かれた窓から捉えたショットで、この第3話は締めくくられる。まるで2人の苦難に満ちた旅への出発を、ビルとフランクが見送っているかのように…。『THE LAST OF US』ゲーム版のタイトル画面を彷彿とさせる「窓」のショットで締める美しいエンディングは、完璧の一言だ。
結末も含め、まさに文句なしの「神回」と言えるこの第3話が、世界に与えたであろう衝撃と意義深さは、どれほど強調しても足りない。そもそもこのドラマ版『THE LAST OF US』は、すでに各話の視聴者数が2000万人を超えるレベルの、世界中で桁違いに広く観られているドラマである。こんな超メジャー級のタイトルで、約1時間の尺を丸ごと使って、中年男性同士の、世にもロマンチックで愛おしく悲しいロマンスがじっくり描かれ、これほど大勢の人に「なんとか2人に幸せになってほしい」と思わせただろうという、そのことだけ見ても前代未聞な気がするし、エンタメ界全体にとっても歴史的な瞬間だったんじゃないかと思う。
本書で語られるようにインディゲームにも沢山あるみたいだが、そもそも超メジャー級タイトルでも『The Last of Us Part2』とかがすでに現れてるわけだからね。ラスアス2みたいにレズビアン女性を主人公に据えて(もう1人の主人公も筋肉バッキバキのコワモテ女性だし)こんな超弩級のエンタメを成立させた作品が、じゃあ映画やドラマやアニメにどんだけあるかって言ったら全く思いつかないので、なんならこうした観点では映像エンタメ全体がゲームに水を開けられちゃってる感じもする。
ファザルとの交流を経て、映画のメカニズムに関する知識を得たサマイは、仲間たちと一緒にお手製の「映写機」をDIY(Do It Yourself)して、自分たちで映画を上映しようと挑戦する。フィルムを盗み出すという、決して褒められたものではない所業に手を染めつつではあるが、非常に貧しい暮らしを送っている子どもたちにとっては、それが唯一の「映画」にふれる手段でもあった。素人なりのトライアル&エラーを繰り返しながら、自分たちだけのやり方で「正解」へと近づいていくプロセスは、間違いなく本作で最も心躍る場面だ。