沼の見える街

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『リリーのすべて』感想

  • 映画『リリーのすべて』(原題:The Danish Girl)の感想です。TOHOシネマズ新宿、1100円。哀切で美しい物語で、胸に突き刺さるとはこのことか…という作品でした。体と心が痛くなります…本当に綺麗な映画なのですが。
  • 邦題はまるで岩井俊二の『リリィ・シュシュのすべて』みたいで、なんでまたこんな紛らわしいタイトルを…と思っちゃいますね…。原題を直訳すると「デンマークの娘」で、実際にデンマークを舞台にした実話ベースのお話なのです。
  • 監督は『英国王のスピーチ』のトム・フーパーで、主演は『レ・ミゼラブル』や『博士と彼女のセオリー』のエディ・レッドメインなので、監督も主演もアカデミー受賞者という豪華さ…。当然のように本作も今年のアカデミー賞にいっぱいノミネートされてましたね。ちなみに主人公の妻・ゲルダを演じたアリシア・ヴィキャンデルが助演女優賞をゲットしていました。めでたい!(本当はマッドマックスFRのシャーリーズ・セロンに取って欲しかったけどなぜかノミネートすらされてなかったので仕方ないですね。ていうか主演女優賞あげるべきだろ!!)
  • やや脱線しましたが、『リリーのすべて』がどんな話か一応説明しておくと、いわゆる「トランスジェンダー(性別違和)」にまつわる物語です。風景画家のアイナー・ヴェイナー(エディ・レッドメイン)という人が主役なんですが、おなじく画家である妻・ゲルダが、ある日ほんの冗談で彼に女装をさせたんですね。アイナーも「しょうがないな…」てな感じでドレスを身につけるんですが、どうにもその格好が「しっくり」きて仕方がない。それが決定的な引き金になり、アイナーは、これまで抑えてきた自分の中の「女性」としての「性」に気づいてしまうのです。
  • 今でこそ「肉体の性」と「精神の性」が一致しないことがあるという事実は広く知られていますが、なんといっても本作の舞台は約100年前ですし、まだそうしたことに対する人々の理解はゼロに等しかった。しかしアイナーは自分の中の「女性」に「リリー」という名前を与え、本当の自分は男性のアイナーではなく女性のリリーなのだ、と確信していくことになります。
  • まずはこの序盤で、アイナーが自分の本当の「性」に気づくという場面が圧巻でした。ドレスやストッキングといった衣服の質感を体で味わうことで、自分の中に押し込めていた「性」が静かに、しかし一種の獰猛さをともなって花開いてゆく。「自分は男ではなく、女なのだ」と気づいてしまったことに対する戸惑い、恐怖、そしてそれらと矛盾するような抑えきれない喜びが、レッドメインの表情の繊細な変化からひしひしと伝わってきます。やはり素晴らしい役者さんです。
  • 一度「真実」を知ってしまったアイナーは、もう引き返せません。より入念に「女性」の格好をして、ゲルダと一緒に街に繰り出すようになります。しばらくはゲルダも夫の心にもたらされた真の変化に気づいていなかったようで、無邪気に夫を女装させて遊んだりしていました。しかしある日パーティ会場でアイナー(というかリリー)が、ベン・ウィショー演じるヘンリクと出会うことで、全てがガラッと変わってしまいます。
  • 女装した夫が人目を忍んで男とキスしているところを見て、ゲルダは大きなショックを受けるんですね。「エディ・レッドメインベン・ウィショーがキスしてるシーンなんて眼福以外の何物でもないだろ」という人も多い気もしますが、ゲルダにはBL的な感性はなかったのでしょう(そういう問題ではない)。
  • ともかく、アイナーが真剣に「リリー」として生きたいと願っていることをゲルダは知ってしまいます。しかし愛する夫が、まったく別の人間どころか、男ですらなくなろうとしている現実をなかなか受け入れられず、ゲルダはなんとか「リリー」に「アイナー」へ戻ってもらおうとする。しかしアイナーは、女性として生きることをどうしても諦められません。
  • 色々な医者のもとをタライまわしにされ、「精神病」などという(現代から見れば)誤った診断をされるばかりで、アイナーもゲルダも絶望してしまいます。しかしある時、アイナーたちはとある進歩的な医者に巡り会い、当時は世界で誰も挑んだことがない「性別を変える」ための手術について知らされる。怯えるゲルダを尻目に、アイナーは「それが最後の希望だ」と微笑み、手術を実行するという決意をするのです。
  • 「リリーになる」ための手術を受けに電車に乗るアイナーを、ゲルダが駅のホームで見送る場面はもう感涙必至であり、素晴らしい場面でした…。手術の後に生き延びられる保証はなく、もう生きているアイナーとは会えないかもしれない。というか、手術が成功したところで、会えるのはアイナーではなく「リリー」なわけで、もう自分の「夫」と再会できることはないのです。それでもゲルダは、彼を黙って見送る。ここの演技を取り出すだけでも、アカデミー賞を取ったのは納得というものです。
  • そしてアイナーは命を賭しても、「女として生きる」という自分の「宿命」へ進んでいこうとする。世間からどう見られようと、自分が決して譲れないもののために、己の「業(ごう)」に向かって突き進んでいく映画というのは、それだけで泣いてしまいますね…。人の運命の不可逆性を「駅」というモチーフに託して描く手法はベタといえばベタですが、さすがトム・フーパーというべきか非常に見事に決まっていて、まさに名シーンだったと思います。
  • そして手術の結果は…という展開になるんですが、ここからはネタバレになっちゃうので、この辺にしておくことにします。最初に「悲しい」とか言っちゃったので大体予想がついてしまうかもしれませんが…。しかし「悲しい」だけで終わるのではなく、映画のラストであるものが「舞い上がる」シーンには不思議な爽やかさがあり、思わずゲルダと一緒に微笑んでしまうことでしょう。
  • 題材的にも非常に深刻な映画ではありますが、ものすごく腕のある監督と役者とスタッフが集結して作った、めったに見られないようなトップクラスの質の高さを誇る美しい映画ですし、あまり構えずにご覧になってみてはいかがでしょう。「レッドメインとウィショーがイチャイチャしてるのが見たい」的な動機で行くのも全然OKだと思います。映画の奥深さに比べてやたらと浅い感想になってしまいましたが、今日はこの辺で…。もはやすっかり良作の定番となったアレクサンドル・デスプラの音楽も最高の一言でしたね。ではまた。