沼の見える街

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『リップヴァンウィンクルの花嫁』感想

  • 岩井俊二監督の最新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』を観てきました。新宿バルト9、1300円(夕方割)。結論から言いますが、今年の暫定ベストです。邦画に限って言えばこのままベスト1位になるんじゃないかというくらい大好きですね。とにかく最高でした。
  • 岩井監督といえば去年のアニメ映画『花とアリス殺人事件』が記憶に新しいですね。「ロトスコープ」という実写とアニメの融合のような手法を駆使した作品なんですが、本当に可愛らしくて優しくて鮮やかな毒があって、「素敵」としか言いようのない映画でした。実際、多くの映画ファンから熱い支持を受け、海外で賞も取ったりしたようなのですが、日本だとあんまり話題にされなくて、微妙に不遇な扱いだったんですよね…。マジに素晴らしい作品ですし、もっとアニメファンにも普及してほしいものです。
  • そんなわけで『花とアリス殺人事件』大好き人間の一人として、同監督の『リップヴァンウィンクルの花嫁』にも大いに期待していたのですが、これが予想をはるかに超えてくる、とんでもない作品でした…。一年に数本あるかないかの、「こういうのが観たくて映画館に通っている」と断言できるような映画です。
  • ただ、さっそくあらすじを説明したいところなのですが、ちょっともうそれだけでネタバレになってしまうんですよね…。ガルパン風に「リプヴァンはいいぞ」とかで済ませたい気もするんですが、そうもいかないし…。とりあえずネタバレを控えながら何とか書いてみます。
  • 前半のさわりだけ少し話すと、学校の臨時講師をしている皆川七海(黒木華)という若い女性が主人公です。七海はネット(LINEっぽいSNS)で知り合った男性と付き合い始めたんですが、「ネットで買い物をするみたいに簡単に恋人が手に入ってしまった…」とか薄ぼんやりしたことをこれまたSNSでつぶやいていたと思ったら、あっさりその男性と結婚をすることになってしまいます。ひとまずめでたい。
  • しかし人付き合いをあんまりしない七海には、結婚式に呼べるような身内が全然いないんですね。相手の男も「それじゃ世間体が悪いよ…」みたいに嫌味を言ってくるし、つい心配になってしまいます。そんな時に(これまたSNSを通じて)知ったのが、結婚式などのセレモニーに「偽の親族」として「代理出席」してくれるという業者の存在です。七海は怪しいと思いつつも、背に腹は代えられぬとばかりにその代理出席サービス業者に連絡をとる。そこでやってきたのが、安室(アムロ)と名乗る「なんでも屋」の男でした。
  • この安室を綾野剛が演じているんですが、ほんっとうにうさんくさくて素晴らしかったですね…。普段はわりと硬派でカッコイイ役が多い俳優さんですし、個人的にも『そこのみにて光輝く』の寡黙な主人公のイメージが強いので、今回のような飄々とした、とにかく「うさんくさい」という言葉がドンピシャで当てはまるような役回りは実に新鮮でした。
  • 安室は、七海を日常の世界から引き離して全く異質の世界に引き込もうとする、いわば「悪魔」のような存在として描かれてるんですが、妙な実在感と生活感があって「こういう奴ホントにいそうだな…」と思わせてくれます。やってることはけっこう極悪というか、「ひでえ」の一言だったりするんですが、謎の合理性と強引さに物を言わせてグイグイ事態を転がしていく手腕は、見ていてスカッとするところもあります。(中盤で七海をホテルへ迎えにくるシーンなんて最高でしたね。)
  • 彼の主宰する「代理出席サービス」も、現実にホントにこういう内実なのかはわからないとはいえ、「うわ〜こういう仕事ありそう…!」と感じさせられましたね。結婚式で「偽者の知り合い」として振舞うなんて、まさしく「スキマ商売」なわけですが、確かに意外とけっこう需要あるんじゃないかな…とか思ったり。式の直前にこっそり「偽者」のみんなで打ち合わせをするくだりとか、まるで演劇の稽古の初日のようで、「楽しそう」とすら感じてしまいました。ちょっとやってみたい。
  • こうした冒頭のSNS結婚のあっさり具合や、奇妙な代理出席サービスの描写からも伝わって来るんですが、岩井監督は「嘘」や「偽者」や「演じること」といった普遍的な主題をアップデートすることで、現代の世の中にぽっかりと空いた深くて暗い空洞を描こうとしているんだと思います。
  •  ものすごく強烈だったのは、七海たちの結婚式のオプションで、「新郎新婦の子ども時代」が「再現」されるというイベントがあるんですね。二人と両親の前に突然少年と少女が現れて「ぼくは野球が大好きだったよ」とか「私は勉強を頑張ったよね」とか「お父さんお母さんありがとう」とか言うわけです。それを聞いた親御さんが涙したりするわけですが、これは当然ながら新郎新婦の子どもの頃という「設定」なだけで、目の前にいるのは単なる役者(偽者)なわけですよね。
  • いっけん良いシーンですが、一歩引いてみると「いや誰だよお前ら…」という寒々しさを覚えますし、まったく見知らぬ子供たちが堂々と「自分の過去を演じている」という状況には恐怖さえ感じます。そしてこのシーンの「誰だよ…」という、なんとも言えない居心地の悪さこそが、実はこの映画の核心なのかもしれません。他者を「演じる」ことが容易になり、むしろ当たり前の行為ですらある現代において、「自分」でさえも他者との置き換えが可能となっている。自分が自分であるとはどういうことなのか、自分はどこへ向かえばいいのか、もう誰にもわからない。こうした寄るべなさは繰り返しこの映画の中で、異なる形で変奏されていくことになります。(必ずしもネガティブな描かれ方ではないのが面白いところ。)
  • そして七海は安室のこうした助力(?)を得て無事に結婚式を終えるわけですが、ある日、夫が浮気をしているのではないかという疑念を抱き、再び安室に連絡を取ります。ここから、これまでの話からは誰も予想することのできないであろう超展開が幕を開けることになるのです。嘘と真実がバンバン裏返りながら、物語は息つく間もなく二転三転していき、3時間という長さがあっという間に過ぎていきます。
  • 物語的な起伏の少ない『花とアリス殺人事件』も、あれはあれで素晴らしいものでした。しかし今回はまるで違っていて、確かだと思っていた地面の底がどんどん抜けていくような、真っ逆さまにどこまでも落ちていくような、独特な浮遊感を味わうことができます。七海がどこに向かい、最後にどこにたどり着くのか、「かわいそう」とか「わかる」とか「ひでえ」とか思いながら、やや不謹慎なワクワク感とともに見守ることになるわけですね。これぞ映画を観る喜びだよな、と感じられて仕方がなかったです。
  • 映画に限らず、物語がもつ真価って何かというと、それは「飛躍」だと思うんですよね。普通に日常を生きているだけでは出会えないような異常な何かが、斜め上からものすごい勢いでぶつかってくるような体験ができたら、それだけでその作品には価値があると思うのです。
  • たとえばこの映画の中盤から後半の展開を指して「トンデモ展開」と言う意見も見かけたんですが、少なくとも私はこういう「トンデモ=飛躍」を味わうために映画館に通っています。もちろん飛躍すればいいってもんではないですが、本作のように優れた「飛躍」のある作品を観ると、たとえお話的には暗かったり悲しかったりするようなものでも、なぜか元気が出てくる。良質な物語の「飛躍」は日常に何か新しい、目の覚めるような視点をもたらしてくれる。この映画は別に明るい話ではなく、むしろ「ひでえ話」なんですが、観ていると「生きることは面白い」「世界は美しい」と自然に思えてくることでしょう。元気の出る映画なのです。そりゃ岩井俊二なので好き嫌いはあるでしょうが(雑なくくり)、そのことだけは保証したいと思います。
  • 3000字こえたので、この辺でいったんやめておこう…。もう一人の主人公、(COCCOが演じる)真白さんの話とか全然できませんでしたが、後々ということで…。ではまた。