- 橋口亮輔監督の映画『恋人たち』を観ました。テアトル新宿、1000円。
- ここ数日ツイッターでもブログでもずっと言ってますが、本当に素晴らしい映画でした。現時点で、今年の邦画ベストです。今年は(特に小劇場系の)邦画が大豊作の激戦区なんですが、それでも1本選ぶならこれですね。紛うことなき傑作です。
- ネタバレで面白さが減じるタイプの作品ではないと思いますが、なるべくネタバレに気をつけながら感想を語っていこうと思います。(まさかの5000字オーバーになってしまったので、お時間のあるときにお付き合いください…。)
- 『恋人たち』の主人公は3人。かつて妻を通り魔に殺されて、絶望と復讐心に苛まれながら暮らすアツシ(篠原篤)。旧友に思いを寄せる、同性愛者でエリート弁護士の四ノ宮(池田良)。気難しい姑と無愛想な夫と一緒に、倦怠と諦念に満ちた生活を送る瞳子(高橋瞳子)。全く別の人生を生きる3人を中心とした群像劇です。
- 異様な雰囲気のなかで、本作は幕を開けます。ゴミゴミと散らかった暗い部屋の中で、まるで誰かに話しかけているかのように、アツシが今は亡き妻との思い出を淡々と語っている。婚姻届を一緒に書いた時の幸福感や、禁煙ができない弱い自分に対して妻がかけてくれた優しい言葉。そうしたささやかな幸せの記憶を反芻し、言葉にしていくアツシですが、誰もいない真っ暗闇の虚空に向けて訥々と語る彼の姿からは、悲哀と狂気を感じずにはいられません。
- あまりにも理不尽な形で最愛の人を失ったアツシは、妻を殺した通り魔への憎しみを捨てられないまま、鬱屈とした日々を過ごしていました。精密な聴力を生かして橋の点検工事をしながら何とか生活しているものの、貧困のため保険料も払えません。保険課職員との会話のシーンでは、「社会」の冷淡な無関心さに対するアツシの怒りと憎悪がひしひしと伝わってきて、見ていて辛い…。
- アツシの生活はひたすら孤独に満ちています。その孤独をもっとも象徴しているのが、湯船に浮かべたアヒルのおもちゃに、ボソボソとアツシが話しかけるシーン。あまりにも悲しい姿ですが、今やこのアヒルだけが、アツシの深い絶望と孤独を理解してくれる友人なのです。
- ちなみにパンフレットによるとこのアヒルは、橋口監督の私物とのこと。監督自身、この「転覆しそうでしないアヒル」が唯一の心の支えだった時期があったのだそうです。(ここでは詳しく述べないけど)アツシというキャラクターには、前作『ぐるりのこと。』を撮ってから、監督が味わった「ドン底」の体験が深く反映されています。
- アツシの描写ももちろんですが、アツシの義姉(妻の姉)と会話するくだりも、大切な人を奪われた者の「絶望」を描いた場面として壮絶の一言でした。義姉は一見すると明るく振舞っており、アツシに手料理をもってきてくれたりして、妹の死を乗り越えたようにも見える。だけど「そんなはずがない」ということが、次第に明らかになっていく。この過程が、凄まじいまでの緊迫感に満ちていて、圧巻としか言いようがありません。
- 妹の位牌がある部屋に入って、しばらくは元気に話していた義姉が、ふと静かになる。不穏で不気味な沈黙。心配したアツシが、戸の隙間から部屋を覗いてみると…。そこでアツシが見た義姉の姿、そしてそこから始まる義姉の独白にこめられた、圧倒的な喪失感と絶望には絶句するしかありません。アツシのエピソードでは、大切な人を殺された者が一生背負うことになる傷が、一体どのようなものなのかが鮮烈に描かれることになります。
- そして2人目の主人公、バリバリと働いている弁護士の四ノ宮は、ある日、何者かに階段から突き落とされ骨折してしまいます。入院した彼を見舞いに来てくれた旧友の聡を、四ノ宮は優しく見つめる。四ノ宮は同性愛者であり、学生時代から聡のことが好きだったのです。しかしそれを何となく察した聡の妻が、自分たちの幼い息子に四ノ宮を近づけるのを嫌悪し始める。そこから四ノ宮は「差別される」ことの苦しみに打ちひしがれていきます。
- この四ノ宮というキャラクターは実に面白い。橋口監督が、四ノ宮役の池田さんに「俺は四ノ宮が嫌いだ」とハッキリ告げたそうなんですが(ひどくね?)、その話からもわかるように、四ノ宮は決して「いい人」ではないんですね。むしろ、いつも人を見下してる、腹立たしいイヤな奴。ふつう「差別される同性愛者」を映画に出すときって、わりと善良な性格にすることが多いと思うんだけど、本作は違う。恋人に横柄な態度をとって嫌われたり、自分より弱い立場の人にひどい仕打ちをしたり、四ノ宮は人間的な卑劣さを抱えている。そのことが、この「差別する/される」存在である四ノ宮という人物に、とても普遍的なテーマ性を与えています。(監督自身の性的マイノリティとしての実感も生かされているのでしょう。)
- 四ノ宮のエピソードの白眉は、聡と二人きりで車の中にいるときの、緊迫感に満ちた会話シーンだと思います。聡(とその家族)の自分に対する不自然な態度について、それとなく尋ねる四ノ宮に対して、「ん〜」と生返事を返し続ける聡。それだけの会話シーンなんだけど、とにかく緊迫感が半端じゃない。淡々とした会話の中から、じわじわと、しかしハッキリと浮かびあってくる、ゾッとするほど明らかな「差別」の輪郭。このリアリティと恐ろしさが、とにかく強烈なのです。四ノ宮がこの「差別」にどのように向き合っていくのかが、このエピソードの主軸となります。
- 3人目の主人公は、地方で退屈な生活を送る瞳子。偏屈な姑ともあまりうまくいっておらず、夫との間にもあまり愛情はないということが、台所での会話やベッドシーン(布団だけど)からもよくわかります。そんな瞳子の数少ない楽しみは、「雅子さま」の追っかけをしていたころの、自分が映り込んだ録画番組を繰り返し見返すこと。まだ自分がキラキラしていた昔を懐かしがっているのでしょうか…。
- この3人のお話が交互に語られながら物語は進んでいきます。こうして書いてみると、ひたすら暗くて絶望しかない映画みたいに思えますね…。間違ってはいません。たしかに基本的には、生きることの暗い側面をこれでもかというほど強調して描いている作品ですから…。しかしだからこそ、合間合間にはさまれるちょっとした明るさやユーモア、優しさのシーンが輝きを放つんですよね。そして人生のそうした場面の価値こそが、本作の根幹をなすテーマなのだと思います。
- たとえば、弁当屋さんのパートタイムで働いている瞳子が、ある日、精肉業者の藤田と出会う。そしてひょんなことから、小屋から脱走したニワトリを瞳子と藤田が一緒に自転車に乗って追いかけることになる。その瞬間、この映画で初めて明るい音楽が流れ出し、それまでズーンと重かった雰囲気がふっと明るくなって、大きなカタルシスをもたらす。まさしく「映画が走り出す瞬間」なんですね。
- ここ、言ってしまえば、くたびれたおじさんとおばさんが田舎の路上で逃げたニワトリを追っかけてるだけの場面なわけで、しょぼいと言えばしょぼさ全開なんですが、きっと見た人はみんな、その美しさに胸を打たれると思います。ちなみに私は泣きました。そしてその場面の終わり方に「えええーーー!?」となりました。ニクイことしやがって…。ぜひ劇場で涙ぐみ、驚いてほしいです。最高のシーンでしたね、色んな意味で…。
- ちょっとした明るさや優しさが輝いて見えるという意味で、もうひとつ大好きなシーンがあります。鬱々としながら川をぼんやり眺めていたアツシに対し、同僚の女の子がふらりと近寄ってきて、飴玉(アメちゃん)をくれる場面です。その子がアツシに突然「篠原さん(アツシの苗字)って暗いですよね…」とか難癖をつけてきたと思ったら、なぜか「篠原さん、うちに来ません?」と続けるのです。当然、面食らうアツシ。観客もつい「えっ、まさかのラブ展開っすか?」と思っちゃうんですが、それに続く彼女の言葉が「職場に暗い人がいるって話したら、うちのお母さんが一緒にテレビ見たいって言ってたので」なんですよ…。こんなん言われたらびっくりですよね。そりゃアツシも、「えっ?俺と?きみのお母さんが?一緒にテレビ見るの…?(なんで?)」っていうリアクションになるよ…。一見するとワケわかんないんですけど、でもこのシーンがまた、驚くほど感動的なんですよね…。
- アツシは、自分の妻が理不尽に殺されて、毎日毎日、決して消えない憎しみの中で心をすり減らしている。それでも、ふと目の前に現れた「謎すぎる親切」に対して「えっ??」と驚くことで、ほんの一瞬だけ憎悪を忘れるんですよね。別に大した親切じゃないし、女の子も深い考えがあって言ったわけじゃないと思うんですよ。実際にアツシがその子の家にテレビを見に行くことはないかもしれないし、彼女と恋愛に発展することもないだろうし、アツシの抱える問題が解決したわけでは全くない。それでもアツシは、そのワケのわからない、赤の他人の親切心がうれしかった。だからこそ、その子の差し出した飴玉を受け取って、少し照れながら、「お母さんにお礼言っといて」と告げるんですよね。アツシが劇中で初めて、他者に心を開く場面です。
- 「不条理な暴力」にさらされて全てを失ったアツシという男が、いうなればその真逆の「不条理な善意」とでも呼ぶべきものに出くわして、面食らうと同時に、ほんのちょっとだけ救われるっていう…。このバランス、この暖かさ。作り手の、この「世界そのもの」に対する、ささやかではあるけれど、しかし確かな信頼を感じとることができる、本当に素晴らしい場面です。もう思い返すだけで涙ぐんでしまいますね…。(同じく傑作邦画『その街のこども』の中で、森山未來が窓の向こうの「お父さん」に手を振るシーン、あの静かな感動に通じるものがあります。)
- そして(アツシの物語とは別の意味で)重くシビアな、「差別」をテーマとした四ノ宮のエピソードにも、最後の最後にハッとするような美しいシーンが用意されている…のですが、さすがにネタバレなので黙っておきます。ちょっとだけ書くと、序盤で観客をすごくゲンナリさせてくれるあの人が、なんと…イヤ、やっぱりやめておこう。「人間ってのはしょうもねえなあ…」と苦笑いしつつも、つい四ノ宮と一緒に涙を流してしまう人が続出することと思うので、劇場で確認してください。ちなみに私は泣きました。
- この映画は、何かが根本的に「解決する」ことが全くないんですよね。アツシの人生も、四ノ宮の人生も、瞳子の人生も、これといって変化もなく、何の救いもないまま続いていく。それでも、ほんの少しの変化だとか、どうでもいいような優しさだとか、くだらないけど笑える一瞬だとか、そういったささやかなものこそ、わずかな救いと希望になりうるのではないか。そういう真摯な想いがこめられた映画なのだと思います。
- 主演の3人(ほぼ演技経験は無し)が素晴らしかったのはもちろん、脇を固めるベテラン勢も最高でしたね…。藤田役の光石研さんは、いっけん素朴でしっかりしていそうで実は…という難しい役柄を好演。「美女水」とかいう胡散臭い水を売りつける女・晴美を演じた安藤玉恵さんも最高のコメディリリーフで、ヘビィな本作に笑いをもたらしていました(ラストの展開は場内爆笑!)。アツシを気にかける片腕の上司・黒田もすごく重要な役回りですが、演じる黒田大輔さんの落ち着いた演技で、決して嘘くさくない地に足の着いた優しさが表現されていました(弁当のシーンには本作のメッセージ性が結実)。
- 他の脇役で個人的に好きなのは、アツシの同僚の「とにかく明るいバカ」、大津くんですかね…。(演じる大津尋葵さんに感想ツイートを「いいね」してもらったから言うわけでは決してなく、彼は物語のテーマ的にも不可欠な役柄だったと思います。「いいバカ」に救われるっていう…。)とにかくキャストの皆さん、一人残らず素晴らしかったです。
- 主役3人のいっけん無関係な人生が、(美女水とか弁当とかを鍵にして)さりげなくリンクしていく様子なんかも「これぞ群像劇!」という感じで実に面白かったりして、まだまだ語り足りないんですが、さすがにもう長すぎるのでやめます…。もうホント、誰の目にも明らかな傑作なんで、見てくださいとしか言えないですね。絶対面白いんで…!!公開館がやたら少ないのがネックといえばネックですが、そんな事情は気にせず、全力でオススメします。見てください。5000字も書いたんですよ!?(知らねーよ)
- つくづく、これほどの傑作を撮ってくれた監督やスタッフやキャストにも、公開してくれたテアトル新宿さんにも、感謝の念しかありません。絶望を描いているにもかかわらず、見た人の心には必ず希望が残る。生きづらさを抱えたすべての人に贈られたかのような、どこまでも優しい映画でした。こういう映画がたまに見られるから、映画館通いは辞められないのです。かような長文を読んでくださった方(いるのかな…)どうもありがとうございました。ではまた。