沼の見える街

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このキャラデザが凄い2022。アニメ『万聖街』感想&レビュー

中国アニメ映画『羅小黒戦記』を初めて観たときの感想は、「こりゃ日本アニメも油断してると中国に追い抜かれちゃうな(笑)」とかではなく、「うわあああ〜〜〜マジか……」という畏怖と衝撃であった。

シンプルかつ美しい2Dアニメーションで描かれる、桁外れに素晴らしいアクション。親しみやすく可愛らしい、しかし洗練されたデザインのキャラクター。環境破壊や追いやられる少数者の問題など、往年のジブリを思わせる普遍的かつ現代的なテーマ性。『羅小黒戦記』は、かつて日本アニメが得意としていたはずの領域を、洗練された形で今に昇華させた、懐かしいと同時にいまだかつてない、紛うことなき傑作アニメ映画だった。

あれから3年が経った。(当初は在日中国人の方向けだったらしい)極小規模公開から始まった『羅小黒戦記』は、その圧倒的な出来栄えから日本でも口コミが広がり、上映館もじわじわ拡大され、着実に知名度とファンダムを広げ、ついに日本語吹き替え版(https://amzn.to/3GgxDcp)が制作され、あげくのはてに映画を分割したTV番組(https://amzn.to/3YHbRWn)として今年2022に地上波放送までされた(なにその『無限列車編』みたいな待遇…)。国産アニメが幅を利かせる日本においては、中国アニメどころか海外アニメという括りでも、異例の大成功と言えるだろう。

商業的な成功だけではない。『羅小黒戦記』が日本アニメのファン、そして作り手に与えた衝撃は、静かながらも大きかった。様々なリアクションの中で最も鮮烈だったのが、伝説的なアニメーター井上俊之氏がポッドキャストで語ったインタビューだ。1時間くらいあるが、ぜひフルで聴いてみてほしい。

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井上氏が超一流のアニメーターだからこそ感じ取れる、『羅小黒戦記』の技術面の桁外れな高度さが精緻に語られ聴きごたえがある。だがそれ以上に強烈なのは、翻って日本アニメの現状に井上氏が抱いている危機感が、とても率直に表明されていることだ。「はっきり言って、負けてますね」「日本が影響を与えた〜なんて喜んでられる状態はとっくに終わってる。これからは彼らの背中を追っていくことになるかもしれない」といった(アニメ界の第一人者だからこその)シビアな意見は、アニメ素人としては震えて聞くしかなかった…。中国アニメ版「黒船」と言っても過言ではないほどのインパクトを、『羅小黒戦記』が日本のアニメ界にもたらしたことは確実だ。

 

前置きが長くなってしまったが、2022年も終盤の今、『羅小黒戦記』を制作した「寒木春華スタジオ」の新作が日本で放送された。アニメ『万聖街』である。

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『万聖街』はweb漫画『1031万聖街』のアニメ化作品で、正確には寒木春華スタジオと『非人哉』の非人哉工作室のタッグ製作となる。中国では2020年4月からweb配信され、すでに何億回も再生される大人気を誇る。このたび日本にもようやく上陸し、『羅小黒戦記』のテレビ放映に続く形で、『万聖街』日本語吹き替え版が2022年11月より放映されたというわけだ。すでに全話(1話〜6話)放送されており、AmazonプライムとかU-NEXTとか色んなサブスクで見られる。

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『万聖街』は、悪魔・天使・吸血鬼・狼男などなど、「人にあらざる」超常存在たちの楽しいルームシェア生活を描いた日常コメディだ。日本の人気作でいうと『聖☆おにいさん』が近いノリと設定かと思う。同スタジオの『羅小黒戦記』が超絶アクションをバリバリ展開する王道エンタメだったことに比べると、軽めのコメディである『万聖街』には「ほんわかして楽しいね」くらいの感想をもつ人も多いかもしれない。

だが……私が『万聖街』を観た感想は、「うわあああ〜〜〜マジか……」であった。『羅小黒戦記』の畏怖と衝撃、再びである。『万聖街』は『羅小黒戦記』とは明らかに異なる方向性の作品なのだが、似た種類の「凄み」に圧倒されてしまったのだ。その「凄み」を一言で言うなら…とにかく「絵が上手い」。

『万聖街』は『羅小黒戦記』同様、派手なエフェクトをほぼ使わず、シンプルな線と色使いで構成されたアニメーションだ。しかしだからこそ、かえって描き手の桁違いに優れた"地の作画力"がまんま出ている…という身も蓋もない凄みがある。

アクションの割合は比較的少なく、日常コメディだけあって日常的な場面が多いのだが、キャラクターの細やかな動きやさりげない感情表現も本当に上手い。キャラが部屋でダラダラしてるような日常シーンのレイアウトなどもバチバチに決まり倒している。作劇のテンポが非常に良いこともあり、観ていて本当に気持ちいい作品だ。

寒木春華スタジオ作品らしく、『万聖街』は要所で挟まれるアクションも見事な出来栄えで、とりわけアクションが派手な日本語版4話ではサブタイトルが急に「制作費ぜんぶこの回に使い果たしました」とかになるギャグがあって笑うのだが、オタク的には「いやいや日常的な作画も全然めちゃくちゃ絵がうますぎるんだが…」と慄きながら見ているので反応に困る。広義のアクションと言える、日本語版6話のバレエ「白鳥の湖」シーンも目が覚めるような美しさだ。

そして『万聖街』の「絵の上手さ」を語る上で、忘れてはいけない要素がある。アニメを見て以降、その面白さに何度も感想をつぶやいてしまったわけだが、頻繁にあるワードが登場することにお気づきだろう。

そう、「キャラデザ」である。「こいつキャラデザの話しかしてねーな」と思われかねない。もちろん『万聖街』の魅力はそれだけではないのだが、つい口を開けばキャラデザキャラデザうるさいキャラデザ星人になってしまうほど、『万聖街』のキャラデザは素晴らしい。単にビジュアル的な意味を超えて、広く「キャラクター造形」が本作の魅力にとって大きな鍵であることは確かだろう。前置きが長くなったが、今回は『万聖街』のキャラクター造形の素晴らしさを重点的に深堀りしてみたい。

 

最初に、主な登場人物一覧を見てみよう。(画像は公式サイトhttps://banseigai.com/の「キャラクター」から引用。)

いや〜〜〜素晴らしい(感嘆)。爆速で感嘆してしまったが、こんな顔だけの集合図でも『万聖街』のキャラデザの秀逸さは分かる人には分かると思う。まぁデザインの好みは人それぞれとはいえ、こうして登場キャラの顔ぶれをパッと見るだけでも、かなり「多種多様」であることには同意してもらえるだろう。いずれのキャラも天使や吸血鬼や妖怪など「人外」モチーフの特徴をさりげなく活かしつつ、髪型・目鼻耳など顔のパーツ・骨格・肌や髪の色、アクセサリーなど、各キャラの個性が小さなアイコンでも際立つほど巧みに描き分けられている。

それでいて(ツノとか包帯はあるけど)デザインの基調はかなり現実に寄せていて、いかにもアニメ的な奇抜さを避けていることにも注目したい。髪だけ見ても、ピンク・水色・紫とか、日本アニメにありがちな派手な色は全く使っていないし、アニメでしか見ないような突飛な髪型のキャラもいない。みんな天使とか悪魔とかゾンビとか奇抜な設定であることを考えると、この抑制っぷりはかなり上品で理性的に感じる。それでいてこれほど多彩に感じられるのだから、これはもう純粋にデザインのレベルが高いということだ。やはり「絵が上手い」の一言に尽きる。

 

先述したが一応言っておくと、アニメ『万聖街』はweb漫画『1031万聖街』のアニメ化なので、キャラクターデザインの根本的なアイディアは原作漫画によるものだ。よってキャラ造形への称賛はアニメ制作陣だけでなく、原作者さんにも同時に贈られるべきものなのは言うまでもない。なお原作の絵柄はこんな感じ↓。こちらも個性的で素敵ね。

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…とはいえ、アニメ化するにあたって、かなり大胆にキャラクターデザインが再構成されているのも確かだ。その手腕の凄さを考えるためにも、個別に各キャラを見ていこう。ご丁寧にも公式がキャラPVを作ってくれているので活用していく。

 

ニール

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とにかくカワイイ。ここまで直球のカワイさに全振りした男性キャラクターの主人公は、アニメ広しといえど何気に珍しいのではないだろうか。

悪魔を象徴する動物・ヤギをモチーフにした造形は、可愛らしくもスタイリッシュで完成度が高く、魔王モードになった時には頭のツノが映える。私服も普通の若者っぽい範囲で程よくオシャレだ。キャラデザの良さにも通じる美意識だろうが、本作は何気にファッションデザインも抜群である。

優しすぎるほど優しいニールの性格も素敵だ。原作者さんは「少女の心をもつ男の子」としてニールを創造したそうだが、トキシックなところが全くない心優しい男性キャラという観点からも、かなり現代的な魅力のある主人公造形ではないだろうか(だからこそ魔王モードとのギャップも激しいわけだが…)。

ちなみに最近の他作品のキャラクターで強く連想したのは、ゲーム『UNDERTALE』の続編『DELTARUNE』のラルセイである。ラルセイもとにかく(どうかと思うくらい)心優しい男の子で、ヤギっぽい風貌をしていて、実は闇の世界の重要人物であるなど、ニールとの共通点が妙に多く、なかなか興味深いシンクロニシティだ。ちなみにラルセイも近年のフィクションで屈指の好きなキャラなので、我ながら男の好み(?)がわかりやすい…。

ところでニールは設定上は男の子ではあるが、そもそも悪魔にとっては性別など大した問題ではないようで、好きな時に女の子に変身することもできる。(一瞬だがリリィとの百合が成立しており、幻覚を見ているのかと思った。)こうしたジェンダー境界を撹乱していくスタイルも『万聖街』のキャラクターの大きな魅力だ。

 

アイラ

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個人的に最も秀逸だと思うキャラデザ・その1。アイラは由緒正しい吸血鬼一族の末裔だが、実家(バンパイア城?)を出て立派なオタクとして生きると決意し、真夜中にゲーム動画を配信している。

気のいい兄ちゃんポジションの、ニールとは違う意味で現代っぽいキャラだ。昼夜逆転生活をしている今どきの若者の風貌に、赤い目や牙、尖った耳などの吸血鬼モチーフがうまく散りばめられている。「吸血鬼なのにダラけた兄ちゃん」というキャラ設定/ストーリーとしての意外性を、ビジュアル的に巧みに表現しているという意味で、キャラ造形の完成度としては『万聖街』トップクラスではないだろうか。

個性派揃いの『万聖街』の中では、アイラは最も「普通の若者」として共感しやすいキャラであり、良い意味で人間らしい。彼に限らないが、中国の普通の人々の日常生活を覗き見られるという意味でも、『万聖街』は日本のアニメファンに貴重な機会を与えてくれる。

 

リン

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個人的に最も秀逸だと思うキャラデザ・その2。リンはニールたちの住む1031号室の大家で、生真面目できれい好きな天使だ。普段は中国語・英語の先生をしている。

人間部分(?)はいかにも現実にいそうな、絵に描いたような「堅物」っぽい外見だが、背中のゴージャスな天使の羽と合わさって、目を引く意外性を獲得している。アイラと同じく設定上のギャップを体現した造形であり、キャラをひとめ見た時点で物語の面白さやコンセプトまでうっすら伝わってくるという意味でも、100点と言っていいキャラクターデザインだろう。

髪型は現実にはよくいる感じの坊主に近いベリーショートだが、意外とこの髪型のアニメの主要キャラって珍しい気もする。リンはイケメンかつカワイイ魅力的な男性キャラではあるのだが、そうしたカッコよさ/カワイさの幅を押し広げるような新規性も強いという意味で、『万聖街』を象徴するような造形だ。私服に関しても堅物らしさがよく出ていて、他のキャラに比べて若干モッサリしているのが、それが逆に本作のファッションデザインの的確さを物語っている。

 

リリィ

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リリィは明るく元気で力持ちな天使。リンの妹だが性格は正反対だ。ニールに恋心を寄せられるだけのことはあり、非常にかわいらしい女の子のキャラクターだが、キャラデザの観点からも何気にかなり興味深い。

リリィの外見は『赤毛のアン』や『長くつ下のピッピ』的なクラシックな児童文学/アニメを想起させる雰囲気が色濃い。原作漫画の絵柄ではより強調されている、兎口っぽい口元と目立つ前歯というチャームポイントもきっちり残しながら、さらにポップな可愛さに仕上げる工夫も冴えている。気分がずっとポジティブ方面で高止まりしていることもあり、あまり変化しない目の感じも、天使ならではのちょっぴり不気味な底知れなさを感じさせて良い。こうした細かい調整の結果、紛れもない「美少女」でありながら、いかにもなアニメ美少女っぽい陳腐さが巧みに回避され、ちょっと日本アニメで見たことがないバランスの「女の子」造形になっている。

リリィの造形や描かれ方を見ていても思うが、『羅小黒戦記』『万聖街』ともに、ジェンダー的なストレスの圧倒的な低さ、特に女性描写のフェアさは印象深い。まぁ両作とも、そもそも女性キャラの割合がかなり低いのと、『万聖街』の視聴者はどちらかといえば女性が多いのかな?という要因もあるだろうが、それにしても見やすい。女性キャラへの消費っぽい視線が限りなくゼロに近く、ジェンダーバイアス的なネタもほぼ皆無なのは(近いタイプの日本アニメと比べても)それだけで新鮮で、風通しが良く感じる。

こうした姿勢は、作り手のいわゆるポリティカル・コレクトネス的な意識の高さや、海外マーケットを意識した配慮なども影響しているのかもしれないが、そもそも中国マーケットという時点で視聴者の数は膨大かつ多様なわけで、時代の流れや人々の意識の変化への迅速な対応が必然的に求められるということなのかもしれない。

 

ダーマオ

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マッチョで不運な狼人間・ダーマオは、特にお気に入りのキャラの1人だ。オオカミのしっぽを思わせる前髪に鋭い目つきと、狼男モチーフの記号をマッチョガイの顔と体躯にうまく取り入れた造形になっている。『羅小黒戦記』から続く、寒木春華スタジオのケモ描写の上手さは、本作ではダーマオのケモ形態(人狼モードも妖怪っぽくてカッコいい)によって発揮されている。

ところで先ほど「『万聖街』にはセクシャルな要素がなくて見やすい」と書いたばかりだが、実際にはある。ただしお色気担当はマッチョな男であり、その筆頭がダーマオだ。その鍛え上げた肉体を視聴者に見せつけるためか、妙に脱いだり脱がされたりするシーンが多く、本作の肌色成分を増やす役割を果たしている。

こんなマッチョな見た目なのに職業がデザイナーで、社会人あるあるな苦労をしている様子も身につまされる。本作の登場人物は超常存在なのに皆なんらかの職業があるのが面白いのだが、ダーマオの仕事は制作陣とジャンルが近いこともあってか、妙に実感が込められているような…(料金表のくだりとか)。

『万聖街』は個々のキャラデザだけでなくキャラ同士の関係性も魅力で、ニール/リリィ(かわいい)とかダーマオ/アイラ(たのしい)とかニック/リン(やばい。後述)あたりがshipとして人気のようだが、個人的にはダーマオとニールの関係がかなり好きである。マッチョで粗暴な狼男であるダーマオが、ニールの真摯な優しさに触れて心を開き、大切な存在として互いに友情を育んでいくプロセスが少しずつ描かれていく(6話のラーメンの場面も地味に良い)。『万聖街』には男性キャラクター同士が、ときに衝突しながらもお互いをケアしあい、優しくいたわりあう場面が何気に多い。これは昨今の海外映画/ドラマのテーマ性のトレンドとも通じていて、意識したかはともかく『万聖街』の現代的な側面として輝きを放っている。

余談だが、ダーマオが仲良くなる、広場でダンスや太極拳に興じる中高年の人たちの作画が地味に良くて、こういう「そのへんの普通の人」をちゃんとした解像度で描くところも『万聖街』の良さである。『羅小黒戦記』映画版の第2幕における街の人々の生活描写の見事さを思い出したし、モブ的なキャラクターを単なる「書き割り」として処理しないあたりに寒木春華スタジオの美学を感じる。

 

ニック

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ニールの兄にして、おしゃれチャライケ男な悪魔、それがニックである。キャラデザももちろん良いが、内面も含めた広義のキャラ造形という意味では、本作で最もおいしいキャラクターと言える。いかにも悪魔って感じの悪役めいた登場のわりに、なんだかんだ面倒見が良かったり、意外と繊細な側面を見せていった結果、今のところ最も心理描写や過去が丁寧に掘り下げられたキャラになっているのは皮肉だ。なおニックもやたら脱ぐシーンが多く、ダーマオに続く本作のお色気担当その2である。『万聖街』ではガタイが良くないとセクシー担当になれない。

ちなみに天使のリン先生との絡みが多く、正反対の外見や性格が絵になることもあり、ニック/リン(尼林)は中国アニメ全体でも屈指の人気shipらしい。…でしょうね!

ニックがリンのお見合いを邪魔(?)しようとしたり、プールやテニスのエピソードでもなんだかんだ組まされてワチャワチャやったりと、明らかにカップリングを意識させる形で描かれており、ほぼ公式カプと言っていいだろう…。

↓公式のクリスマスイラストでも意味深に近い2人。

なおニックも弟のニール同様、好きな時に女性に変身できる。ニックがセクシー美女になるシーンでは、リン/ニックの関係に、BL的であると同時に異性愛カプでもあるという独特の緊張感が生まれてかなりヤバい。リリィがセクシャルな視線から徹底的に守られている上、後述する新キャラ「もも」もああいう感じなので、チャライケ男のニックが本作ほぼ唯一のセクシー女性(?)という事態になっているのも、なんか屈折していて凄い。

 

アブー

エジプト出身のミイラ。アフリカ/中東系な褐色の肌とミイラの包帯をうまく組み合わせたデザインで、突飛な見た目ながらも『万聖街』の国際色豊かな風通しの良さを高めており、素敵なキャラ造形だ。ただいかんせん「存在感が薄い」という設定もありセリフがほぼ皆無、周囲との絡みも極めて少ないため、寡黙で心優しいナイスガイであること以外は謎に包まれている。今後の活躍(するのかな)を楽しみにしたい。

 

イワン

リリィの友達の輝くイケメン天使。ニールの恋のライバルポジション的に登場するが、普通にイイやつなのが好ましいなと思った。こういうポジの人がイイやつなのって作品の大人度を感じさせるよね。

ただ彼の描写に関しては少し気になる部分もある。ニールにこっそり手紙を渡して好意を伝えるくだりからも、イワンはヘテロセクシュアルではない、おそらくゲイなのかな?と思わせる描かれ方になっている。だが、それがニール&魔王の「ええ〜(汗」という戸惑いでギャグっぽく処理されてしまうのは正直やや古くさいし、なぜかそのイベントを経た後もニール&魔王がイワンを(リリィに近づく)恋のライバルとして認識していて、展開として不自然になってしまっている。

極めてノイズが少ない『万聖街』にしては、イワンまわりは妙にチグハグな瑕疵が目立つので、少数派を描きたいという作り手の意識はあっても、(中国だから規制が云々とかすぐに言い出すのもどうかと思うが)やはり中国社会でLGBTQ+のキャラを正面から描くのはまだ難しいということか…?などと邪推してしまうほどだ。…ただまぁ性的マイノリティの存在を(消費/ネタ文脈でなく)正面からしっかり描いた主流エンタメ作品が、じゃあ日本にどんだけあるんだよって話なので、この辺の"古さ"はアジア圏エンタメ全体の課題とも言えそうだ。

ちょっと気になったとはいえ、イワン自身は好ましいキャラクターだし、彼の背景やセクシャリティ含め、今後の展開でさらに掘り下げられるのを待ちたい。細かいところでは「白鳥の湖」を踊る魔王ニールに(女性観客やイワンだけでなく)モブおじさんもウットリしていたりと、ホモフォビア的な風潮に与しない姿勢も感じられるので、『万聖街』にはこうした面での飛躍にも期待してしまう。ニック/リンという超人気BLカプも抱えてるわけだしね…

 

もも

桜の国…というか日本出身の「猫又」のネコ女性で、酒癖がめちゃ悪い。日本語版5話から登場した新キャラだが、「また超いいキャラデザが増えてしまった…手加減してくれ…」と思うほどバチ好みデザインであった。いい年した大人の女性キャラとしての造形がかなり良く、沢城みゆきさんの声の演技も実にナチュラルで最高である。

回想ではギャグっぽく流されていたが、「そもそも向いてなかった上に、スキャンダルで転落した元アイドル」というキャラ背景はかなり切実で興味深い。日本のアイドル業界の過酷さは中国でも有名なんだろうか…とか思ったりしたが、(売れない俳優であるゾンビのルイスくんも含め)はぐれ者やノケ者が寄り集まって生きる『万聖街』の優しいあり方を象徴するキャラでもある。

ちなみに同じ猫モチーフのスレンダーな女性キャラとして『ダンジョン飯』のイヅツミを連想した。肌(?)の露出自体は多い割に、セクシャルな雰囲気が削ぎ落とされているというのも、けっこう共通したキャラ造形思想だな…とか興味深く思ったり。

 

"anime"とカートゥーンの中間地点としての『万聖街』

…というわけで『万聖街』のキャラデザを褒め称えてきたが、翻って考えてしまうのは、日本アニメでこれほど多彩なキャラクター造形を自然に出せている作品がどれほどあるだろう…ということだ。

「日本のアニメキャラ、髪の色や目の形がちょっと違うだけでみんな同じじゃね」という揶揄もよく聞くが、実際そうした側面は否めない。カワイイ系/萌え系のみならず、メジャーどころの作品でも正直「また似たような制服女子か…」とは感じがちだ。女の子よりは幅が増すとはいえ、イケメン的な男性キャラも似通いがちな問題もある。(今年は『犬王』とかあったし)例外も当然あるが、全体としては現状の日本アニメのキャラデザは、かなり幅が狭くなってしまっていると感じる。

私も『魔法少女まどか☆マギカ』とか大好きなので、アニメ興味ない人に「みんな顔同じじゃねーか」とか言われたら「同じじゃないもん…ほむらとマミさんと杏子の顔とか微妙に違うもん…」とか苦しい反論をするかもしれない。「アニメなんてしょせん記号の集まりなわけで、髪型や色や服が違えば最低限の見分けはつくし、顔が同じだって別にいいだろ!」という考え方もそれはそれで一理ある。だが結局、そういう(アニメ好き以外にとっては)微小で内向きな差異に、アニメの作り手もファンもなまじ「違い」や「個性」を見出し続けてきてしまった結果、キャラ造形の縮小再生産に繋がっているのではないか…と、『万聖街』の風通しの良い多彩さを見ると改めて考えてしまう。

そんな『万聖街』の造形に秘訣はあるのだろうか…と考える上で、ひとつヒントになるかもしれないのが「カートゥーン」である。『万聖街』や『羅小黒戦記』を観ている時の楽しさ・心地よさは、日本のアニメよりもむしろ、海外の第一線の全年齢向けカートゥーンを見る喜びに近いなと感じるのだ。たとえば大傑作アニメ『スティーブン・ユニバース』のような…。

『万聖街』のキャラデザも多様ではあるが、体型・肌の色・顔の作り・エスニシティ・セクシュアリティ・身体障害の有無などなど、主要キャラが超常的な宝石=ジェムという特殊な設定も活かした『スティーブン・ユニバース』のキャラ造形は、まさに桁外れの多様さを誇る。子ども向けアニメという重要なジャンルで、自身もマイノリティ性をもつ天才レベッカ・シュガーを中心に、社会的な意識と志の極めて高いクリエイターが手掛けた結晶のような名作だ。(早く普通にぜんぶ日本で見られるようになってほしい…。)ドリームワークスの『シーラとプリンセス戦士』なども、この潮流に位置するカートゥーン作品だろう。

そうしたカートゥーンの多様性への挑戦に感化されるかのように、近年ではピクサーの『私ときどきレッサーパンダ』などメジャー大作からも、旧来的な「カワイさ/カッコよさ」の枠を逸脱・破壊していくような大胆なキャラデザのアニメが続々登場しており、新時代の「多様さ」を目指す姿勢は眩しく映る。

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あくまで私見だが、『羅小黒戦記』などの寒木春華スタジオの作品、特に今回の『万聖街』は、こうした海外カートゥーンの流れを強く汲んでいるように感じられる。実は井上俊之氏も先述のインタビューで、『羅小黒戦記』が日本アニメよりも海外カートゥーンから影響を受けている可能性について少し言及していた。(実際のところどうなのか、制作陣に聴いてみたいところだ。)

基本的には『万聖街』は、従来の日本的2Dアニメ(英語でも"anime"と呼ばれて親しまれる)的な「カワイイ/カッコいい」キャラ造形の文法を踏襲した作品であり、その意味では日本の大多数のアニメと変わらないはずだ。しかしだからこそ逆に、"anime"のカワイさ/カッコよさと、カートゥーンの現代的な先進性・包括性という、両者の美点をうまく融合したような手腕が際立つ。"anime"とカートゥーンの中間地点として、『万聖街』を見ることもできるかもしれない。

こうしたジャンル横断的な中国アニメの面白さは、『羅小黒戦記』や『万聖街』に限ったことではない。こちらのインタビュー記事でも存分に語ったように、『時光代理人』にもアニメの新しい可能性を感じた。本作のストーリーの転がし方、現代社会のあり方への批評的な視点などは、日本アニメよりも、むしろ海外ドラマなどを強く参照しているのではないか…と思わされたのだ。

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中国アニメといえば映画『雄獅少年 少年とそらに舞う獅子』も今年ベスト級に大好きな映画だが、こちらも「若者の夢を阻む現実社会の重み」を避けずに描くシーンが非常に鮮烈だった。これは、実写映画のリアリズムを見事にCGアニメに組み込んだ好例と言えるだろう。

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『万聖街』も含め、いずれも違う方向性の中国アニメなのでひとくくりにはできないが、その全てに共通するのは、カートゥーン・ドラマ・実写映画など、他国/他ジャンルの創作物の美点を貪欲に取り込んでいるように見えることだ。それは同じく中国アニメの共通点である、「現実」への眼差しの鋭さと、諸問題を様々な形でフィクションに反映する手腕にも繋がっていく。

複雑な現実社会のあり方と、そこで生きる多様な人々を、フィクションの中にどのように織り込んでいくか…。これは今や全世界の創作者にとっての至上命題となっているが、その意味で中国アニメは特に「熱い」地点にいると感じる。『万聖街』の多彩なキャラクターもまた、複雑化・多様化していく社会や人のあり方を、才能あるクリエイターたちが鋭敏に創作物へ映し出した成果なのではないだろうか。

そんな中国アニメのハイレベルっぷりを目の当たりにすると、先述した井上俊之氏の語る切実な危機感も確かによくわかる。だが一方で、そうした変化の波は、着実に日本にも訪れているとも感じる。アニメやゲームなどを見ても、例えば『機動戦士ガンダム 水星の魔女』のキャラ造形の多彩さ、『ポケットモンスター スカーレット/バイオレット』のジェンダーレスな面白さなど、確実に新しい潮流を感じさせる作品も増えてきた。

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今まさに日本アニメも変化の途上にあると思うからこそ、すぐ隣でそのビッグウェーブに乗りまくってる中国アニメを見逃すのはもったいないと言える。散々理屈っぽく語り倒してしまったが、基本的には『万聖街』は超絶見やすいコメディなので、中国アニメなんて全然知らね〜という人も気軽にチェックしてほしい。おしまい。…せめて1万字に収めようと頑張ったけど1万2千字を超えてしまった。これじゃ万聖街じゃなくて、1万2千聖街だよ〜〜〜(←オチ)

新シーズンの製作も(日本語版も!)決まってて楽しみ!

各種配信とかでぜひ観てね〜

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超高画質の異世界プラネットアース。『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』感想

みんな〜ウェイしてる? 私も『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』観てきました。ウェ〜〜〜イ!

というわけで感想をブログにかんたんに書いておく。かんたんに…と言いながら、ブログ感想を再始動して以来、毎回書いてく内に妙に筆が乗ってきて気づいたら1万字とかを突破しがちで、書く方も疲れるし読む方もいいかげん大変だと思うので、今回こそマジでかんたんに、具体的には3千字で終わらせたい。乗るしかねぇ、多忙な現代人のウェイオブウォーターに。

<ざっくり説明>

かつて世界1位の興行収入を記録した…と思ったら『アベンジャーズ エンドゲーム』に抜かれた!と思ったら最近リバイバルで抜き返して1位に返り咲いた忙しい映画『アバター』(2009)の13年ぶりの続編(劇中でも10年が経過)、それが『アバター: ウェイ・オブ・ウォーター』。ジェームズ・キャメロン監督は凄い大金(4億ドルとか)をかけた超大作を自信たっぷりに送り出し、有名監督の習わしとしてヒーロー映画をディスったりしている。上映時間はまさかの192分と『RRR』より長いが、その出来栄えはいかに…?

 

【予告編】

ところで、同じく3Dだった『ブラックパンサー ワカンダフォーエバー』のときに3Dの予告編流してくれればいいのに!と思った。せっかく観客みんな3Dメガネかけてたのに!

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ちなみに…『ロード・オブ・ザ・リング』観てなかった件と同じくらい映画ファンとしては言いづらいのだが、実は前作『アバター』も観てなかったので、続編公開の前に家でサッと観といた。感想は……まぁ普通かな。公開当時に劇場でちゃんと3D体験したら凄かったんだろうなと思った。映画ファンと話す時「実はアバター観てないんだよね」と言うと「観てねーのかよ」と怒られがちだが、「わかったよ観るよ」と言うと「まぁでも今から家で観てもね…」と冷められがちで、なんやねんと思ったが、実際に観てなんとなくわかった。家で観てもね…

 

でもなんだかんだ有名作なので今からでも観よう↓

amzn.to

 

ーーー以下(そんなネタバレでもないが)ネタバレ注意ーーー

 

<よかったところ>

・圧巻のビジュアル表現

まず、ビジュアル面では(少なくとも映画としては)はっきりと観たことのない映像だった。並大抵の映像表現では驚けなくなっている現代、しっかりビジュアル面で凄いものを見せてくれる大作映画はそれだけで凄いし、ここに関しては「大口叩くだけのことはあるぜキャメロン」というかやっぱ「さすが巨匠」と思わざるをえない。

たぶん本作を都内で観る上で、現時点でベストの選択と思われる「丸の内ピカデリーのドルビーシネマのハイフレームレート3D」で観たのだが、単に「映像が綺麗」というのを超えて、こういう現実の世界を本当に切り取って劇場に持ってきたくらいのリアルな質感があって、インパクト的には「ブルーレイを初めて見た時」に匹敵するような凄みがあった。(若い人にはしょぼく聞こえたらゴメンだが、当時は「映像がDVDと全然ちがう!」と驚けたんです…)

特に中盤、海人(うみんちゅ)版ナヴィこと「メトカイナ族」が暮らす海の光景は圧倒的だった。最新鋭の「流体シミュレーション技術」とハイフレームレートでしか実現できなかった水表現のリアリティと滑らかさは前代未聞で、まさに「ウェイ・オブ・ウォーター」のタイトルに恥じない美麗さ。3D効果も相まって、架空の海洋生物たちの生命感あふれる海の世界へどっぷり「没入」する気持ちになれる。3D+ドルビーシネマ+ハイフレームレートだと通常料金では3千円超えるが、この海の場面だけで元が取れるほどの凄まじいクオリティだと感じる。

 

・超ビッグバジェット「わくわく生きもの映画」

そう、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は死ぬほど金をかけた「わくわく生きもの映画」である。現実には存在しない生きものたちを、現実世界で撮ったようにしか見えないHFRの超高画質で「捉えた」ドキュメンタリーみたいに見えてくる。まさに異世界プラネットアース、地球外ナショナルジオグラフィック、別次元ダーウィンが来た! の趣きだ。

プレシオサウルスっぽい「イル」、トビウオ+ワニみたいな「スキムウィング」、そしてクジラのような巨大生物「トゥルクン」。他にも美しい魚たちやタコ、クラゲ、マンボウ、イソギンチャク、ジャイアントケルプなどなど、登場する架空の生きものを挙げていけばキリがない。地球の動物と似てるけど絶妙に違うクリーチャーの生き様を臨場感たっぷりに捉える超絶美麗ショットが続き、生きものフィクションが好きな身としてはたいへん眼福である。

まぁクリーチャーデザインに関しては、いずれも現実の元ネタ生物を2〜3種ほどかけ合わせた感じで、それほど斬新とまでは思わなかったのも事実(この点では最近のディズニーの『ストレンジ・ワールド/もうひとつの世界』の方が興奮したかも)。ただ逆に言えば「これは地球で言えばクジラね、イルカね、クラゲね」とあっさり脳が認識できるため、超高画質の異世界ドキュメンタリーとしての迫力を集中して味わえたといえる。

生きもの映画としてのテーマ性も、おおむねまっとうではないかと思う(前作同様、動物を主人公サイドにちょっと都合よく扱い過ぎではないか…とは思うけど)。クジラ(ではないけど地球で言えば明らかにクジラ)の知能を強調したり、そんな海の動物たちを踏みにじる人間の醜さを描いたり(捕鯨国である日本としては耳が痛いテーマ性とも言えるが)、そいつらを生きものパワーで撃退したりと、生きもの好きとしても溜飲が下がる展開だし、クライマックスは怪獣映画めいた楽しさもある。これほどの世界的な超大作で、動物の魅力や知性に光を当て、動物/環境保護の大切さを物語に織り込む姿勢は真摯だし、キャメロンのような巨匠にしかできないことだろう。生きもの好きとしては素直に尊敬すべきポイントである。(だからこそ、せっかく来日してくれた監督に、国際的にも紛糾中のイルカショーを考えなしに見せたりはしないでほしかった…。気まずすぎるだろ。)

そんなわけで、もはや「架空の生物である」ことが若干もったいなく感じるレベルの映像だったので、いっそ本物の海洋ドキュメンタリーを今回の3D+HFR形式で公開してくれれば絶対観に行くのに…とか思うほどだ。キャメロン監督はクジラの海洋ドキュメンタリーの製作を務めたりもしてるし。(この経験も本作に活かされているのだろう。)

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<気になったところ>

・ビジュアルは本当に凄い。凄いのだが…?

さっき「ビジュアル面では(少なくとも映画としては)はっきりと観たことのない映像だった」と書いた。ただし「映画としては」に注目してほしい。そのヌルッヌルのなめらかな映像の凄さには驚きつつも、「マジで人生で初めて見た映像だ!」とまでは驚けなかったのだ。「ゲームっぽいな」と思ったからである。

特にPS4/5の『Horizon』シリーズは強く連想した。『Horizon』自体、かなり『アバター』の影響を受けたのでは?と思わせる世界観なのだが、ここにきて続編の『Horizon Forbidden West』に(ビジュアル的なインパクト面でもストーリー面でも)ちょっと追い抜かれちゃってる感がなきにしもあらず。海の世界に突入!という展開も被ってるしね…(海中で呼吸できる理屈が適当すぎるところも同じで笑ってしまった)。

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そう…キャメロンが留守にしてた(わけではないが)この13年の間に、ゲームを筆頭に「映画以外」の映像メディアも極めて大きな飛躍を遂げたのである。没入感という意味ではVR技術の成長っぷりも凄い。例えば「オーシャンリフト」というVRゲームは、グラフィックは『アバター2』より全然ショボいにもかかわらず、VRの特性が存分に発揮され、水中のマナティやイルカが「そこにいる」としか思えないほどの実在感を放っている。巨大竜がウロウロしてる深海ステージは怖くてプレイできないほどだ。

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それもあって「こんな"リアル"で凄い映像、観たことないだろ!?」というキャメロンのドヤ感あふれる表現に「うん、たしかにめちゃ凄いんだけど…」とやや言葉が濁るのも事実だ。もっと言えば「映画における"リアル"って本当にそういうことなのか…?」と根本的な思考を促されるほどだった。

極端な例を引き合いに出すようだが、先月「チャップリン特集上映」で名作群をぶっ続けで観て、そもそも白黒だし画質も全然ハイではないのだが、本当に面白くて楽しくて心打たれたし、キャラが「生きてそこにいる」と思える体験をしたばかりだ。これも「映画の"リアル"とは?」という問いをさらに考えさせられるきっかけとなった。

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『アバター2』のように、ドキュメンタリーとも見紛う超高画質で「リアル」な映像を突き詰めることは、映画表現の新たな挑戦として確実に意義があると思う。しかし、その挑戦が創作物の本質的なリアリティを真にカサ増しできるものなのか…、つまり「キャラや世界が本当にそこにいる/ある」ようだと、人々の心に深く刻み込むことができるのかといえば、それはまた全然違う話だよな…とも思うのだった。キャメロンもそんなことは十分わかってると思うけど。

 

・やたら保守的なストーリーとテーマ性

そういうことをわざわざ考えちゃうのは、やっぱ(前作同様)ストーリーやテーマ性がちょっと微妙に感じたからでもある。 特に「家族!父親!母親!子!感動!」みたいな、最近のハリウッド大作でもわりと珍しいレベルで濃厚な家族主義的・家父長制的なテーマ性に胸焼けした…。なんでこんな宇宙の果てが舞台で登場人物みんなエイリアンの映画で、こんな規範的な物語を観なきゃならんのだ…とは思っちゃう。これは本作に限った話ではなくディズニーとかもだが(本作で言えば肌が青かったり先住民風だったり)マイノリティっぽい表象でさえあれば、いくらでも保守的な物語をやってもいい、と思ってる節ないか…? 

父親が先導して、妻や子どもを巻き込んで故郷から逃げるように別の土地へ赴く…という『アバター2』と似た筋書きの物語は、最近AppleTV+のドラマ『モスキート・コースト』でも見たのだが、こっちは家父長制や家族主義へのガン詰めっぷりが半端なくて、本作の後に見ると温度差にクラックラすると思う。

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まぁ世界的ビッグバジェットが保守的になるのはしょうがないっしょ…という意見もあろうが、「海の青い人」がまさかのモロかぶりした直近のMCU映画『ブラックパンサー ワカンダフォーエバー』にしても、実質的な主人公は全員女性だったりと、過去の男性中心的なヒーロー映画を問い直す視点が大いにあったわけで。キャメロンがdisってるヒーロー映画と比べても、『アバター2』のそうした面での古さは目についてしまう。

そんなわけでキャメロンは確実に今も立派な巨匠だが、映像表現にしてもテーマ性にしても、やはり現在の最先端に比べると分が悪い部分はあるなと改めて思わされた。ただそれは裏を返せば、ちゃんと後続が育ってる、映画もドラマもゲームもエンタメ界がきっちり「進化」してるということで、それはキャメロンとしても望むところなんじゃないかとも思う。ヒーロー映画もたまには観たってや、マエストロ。

<まとめ>

物語やテーマ性の革新性には欠けるが、ビジュアル表現(特に海)は間違いなく斬新で、生きもの映画としても真摯な作りなので、海と生きもの好きは間違いなく一見の価値あり。なんか日本でだけ苦戦してるとも聞くが(今スラダンも凄いからね)、確実に劇場で観て損はない娯楽大作です。みんなもアバターでウェイしよう!

 

ーーー

よっしゃ〜3千字に収まった!ごめんうそ全然収まらなかった。5千字オーバーした。まぁいいやもうブログなんだからなんでも。なんにせよ本作のように、絶賛というほどではないにせよ「良いところもある・どうかと思うところもある」くらいの作品の感想も(記録の意味も込めて)なるべくあっさり、こまめにあげられればなと思うのでよろしくウェイです。持続可能な地球を目指すように、持続可能なブログ更新を目指したい…(?)

 

原作『SLAM DUNK』全巻ひさびさ再読&『re:SOURCE』も読んだよメモ

『THE FIRST SLAM DUNK』がとにかく素晴らしかったし、感想記事↓もかなり読んでもらってるようなので……

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ケジメをつけるため(?)原作漫画の『SLAM DUNK』をものすごい久々に再読してきた。思い切って全巻買ったぜ!と言いたいところだが実際は近所のスーパー銭湯の漫画コーナーで1日がかりで全31巻読んできた(いうてハイペースなら5〜6時間くらいで読破できたが)。名作なんだし買っとけよって感じだが『SLAM DUNK』は紙しか出てなくてボリュームも凄いので一歩踏み出せなかった…(漫画はスペース的な問題でもう電子しかほぼ買わない派なのです)。映画は確実にもう1回観るしちゃんと金払うからよ…(当然)

みんなは買え↓

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というわけでせっかく読破したので原作漫画の簡単な感想を書き連ねておきます。結論から言えばやっぱ日本で一番有名な漫画(のひとつ)だけあって本当に色褪せない面白さだったし、再読したことで映画をさらに楽しめそうだなと思う。

それと、つい先日出たばかりの公式アートブック&メイキング的な『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』も買ったので、最後の方でその感想も。なんというか、かなりとんでもない内容だった…。とんでもないけど、映画楽しめた人は絶対買って損ない内容です(読み切りの『ピアス』も載ってるし)。

amzn.to

【序盤 ヤンキー立志編】

みんな言うけど原作『SLAM DUNK』、序盤は思った以上にヤンキー漫画だった。時代もあるんだろうけど(いうて30年前だからね)とにかくバイオレンス。桜木とゆかいな仲間たちもゴリも流川もリョータも三井とゆかいな仲間たちも出会い頭でことごとく暴力に走り、誰かが(もしくは全員が)血を流す。

序盤はそんなバイオレンスヤンキー漫画でありながら、実は展開が相当のんびりしてる。桜木がバスケ部で練習するしない、掃除するしない、やめるやめない、柔道部に入る入らないとかで一向にちゃんとしたバスケの試合が始まらず、最近のジャンプ漫画のスピード感では考えられないほどゆったり時間を使っている…。実は『鬼滅の刃』も序盤がかなりスロースターター気味とはよく言われることだが、スラダンの序盤はそもそもバスケをする機会がかなり少ないので、その出足の鈍足ぶりは『鬼滅』の比ではない。(それでも今読んでもちゃんと楽しいのが凄いんだが。)

ただこの(序盤以外はほぼ消滅した)ヤンキー漫画要素が、『SLAM DUNK』の単なる初期特有の迷走、もとい黒歴史なのかと言えば決してそうではないと思う。有り余るエネルギーをうまく活かせずに、暴力的で退廃的な人生のダークサイドに迷い込んでしまう若者たちの姿は、本作のバスケがもたらす光と対置される「影」として作品全体を静かに通底し続けるのだから。インターハイ1回戦の豊玉高校なんかは湘北のダークな写し鏡とも言えるわけだし。

そして『THE FIRST SLAM DUNK』では、リョータや三井の描写を通じてその要素が再び強調されることになる。井上先生としては、やっぱりバスケの試合そのものだけでなく、力を持て余して人生の道に迷っている若者の姿を描くことのモチベーションも、今も昔も強いんだろうなと、原作を読みかえして改めて確信した。『リアル』も読み始めているので(こっちも面白い!)なおさらそう思う。

それと序盤のヤンキー立志編(一応言っとくとそんなタイトルはない)、スロースタート気味ではあるとはいえ、逆に言えばド素人の花道がバスケの基本を少しずつ理解していって、地道に成長していく様子もかなりちゃんと描いている。「庶民シュート」や「リバウンド」という基本中の基本も、覚えれば覚えるだけきっちり強くなれるという当然の描写なのだが、花道の成長とともに気持ちよく読むことができて、こういうのはやはりスポーツ漫画の普遍的な良さだなと。

最初は「つまんねー」と馬鹿にしていたものの、まずは何よりも基礎が大事なんだ…というまっとうな視点を、ヤンキー世界でハチャメチャな生活をしていた主人公が獲得していく物語が『SLAM DUNK』であるとも言える。だからこそクライマックスの山王戦で花道が最後にぽつりと言う「左手はそえるだけ…」が不朽の名台詞の座を獲得しているんだよね。(ここは後で詳しく語る。)

練習試合の陵南戦では、あれだけ試合に出せ出せ言っていた花道が、いざ試合に出るとめちゃくちゃ緊張してしまう…みたいな描写とかが細やかでリアルで面白かった。花道は最初からずっとこういう可愛げがあって、いっけん自信過剰な性格と矛盾するようだけど「人間ってそういうもんだよな!」とも思えるし、やっぱすげ〜イイ主人公造形だなあと。漫画史に残る主人公だけあるよ。

どうでもいいことだが、序盤で「晴子の顔が赤木(ゴリ)の顔になってる、ギャー!」という悪夢を花道が見る場面があって、まぁ古い感じのギャグではあるのだが、今はゴリみたいな顔の女性って別に全然「美人」として語られうるよな…とか思ったりした。そもそもゴリの顔も今は普通に「ハンサム」の一形態になってると思うしな。こういうとこにも時代の変化を感じるし、女性だけでなく男性側の「美」の基準も広まってるということか…(いや当時からゴリは美しく描かれてたじゃん、と言われたらそうかもだが)。

【中盤 バスケがしたいです編&全国めざしてレッツゴー編】

陵南戦でチュートリアル的な序盤が終わり、いよいよ本格的にバスケ漫画に…と思いきや、ヤンキー&バイオレンス要素の最後の打ち上げ花火のような三井編(バスケがしたいです編)が始まる。不良がスポーツ!という点では、森田まさのりの『ROOKIES』とかもスラダンのこうした流れを継いでいたんだな…と思ったり。

三井編を読み返して改めて思ったのが、三井の挫折の理由がわりとたいしたことねえ〜…ということなのだが(結局そこまで深刻な怪我でもなかったんだよね?)、でもだからこそ逆に切実でもあったなと。そんな凄い悲劇ではなく、ちょっとしたケガとか、くだらない嫉妬とか、ほんの小さなつまずきで、才能あふれる人が前途洋々な未来をダメにしてしまう…ということは現実にも非常にありふれているんだろうなと思う。三井を深刻な悲劇の犠牲者としてヒロイックに描くことはせず、追い詰められると「バスケなんて遊びに夢中になってバカじゃねーの?」とか駄々っ子めいた悪態をつく態度とか本当カッコ悪いし哀れなんだけど、でもだからこそ多くの人に思い当たる節がある、普遍的な苦悩を描けているなと…。そういう人間の薄っぺらい部分に対する細かい掘り下げがあってこそ「バスケがしたいです…」と三井が崩れ落ちる場面が(有名すぎて完全にミーム化してるにもかかわらず)今も変わらぬ感動をもたらすんだと思う。

三井編が終わると全国めざすぞ編が始まり、もう憑き物が(ヤンキーの憑き物?)落ちたように完全なるスポーツ漫画になって、潔いほどバスケしかしなくなる。バイオレンス成分がなくなって少しさびしい気もするが、当然ながらバスケ漫画として本当に面白いし、ここからが本番感。

湘北vs翔陽。監督も兼ねてるキャプテン・藤間、なんでそんな特殊な事情になってるのかの背景が全然語られないのが妙に面白い。なんだかんだ掛け持ちの負担は大きかったようで、「まともな監督が翔陽にいれば…」とか試合の後に言われてて、読者的には「いやそれは…うん…そうだね!」となるしかないのだが…。本当は翔陽のそういうバックストーリーも描こうとしたけど削ったのかな。

湘北vs海南。読み返すと原作屈指の熱いバトルなのだが、うろおぼえすぎてフレッシュな気持ちで楽しめた。こんな激闘がパスミスで終わるのも凄い結末だなと驚いたけど、いくら熱い闘いが繰り広げられようと、終わる時はあっさり終わるのが試合…というクールさがいい。この後もう1回くらい湘北が海南と闘うんだっけ?と思ってたけどそんなことはなかったぜ(うろおぼえすぎる)。

続く海南vs陵南の試合も熱かった。素朴な疑問だが、こういうどっちが勝つかわからない強敵vs強敵の闘い、今はむしろマンガ的な王道の熱い展開って感じだけど(ジョジョ5部のボスvsリゾットとかも)、連載当時はかなり珍しい展開だったんだろうか、そうでもなかったんだろうか。

海南vs陵南、「それでも仙道なら…仙道ならきっとなんとかしてくれる…!!」の死ぬほど有名な場面、本当にけっこうな大ピンチなので、仙道の頼れるっぷりが染みて、純粋にものすごく熱いシーンだった。「諦めたらそこで試合終了ですよ」とか「安西先生…バスケがしたいです」を筆頭に、全体的に『SLAM DUNK』はミームと化しているような有名すぎるセリフや場面が連発するので、「有名なアレだ…」と思わずに純朴な心で読み進めるのが(ジョジョ級に)難しいのだが、でもそういう場面はやはりミームと化すだけあってしみじみ名シーンばかりだなとも思う。ミームと言えば安西先生の「まるで成長していない…!」はもっとギャグ文脈なのかとうろ覚えってたけど全然そんなことなく、むしろ(その後の展開とかを考えても)スラダンで一番キツいシーンとさえ言える…。成長を焦るあまり逆に成長できなかった人の視点からもキツいが、教育者にとってもまさに悪夢だ。そりゃ安西先生も教育方針ガラ変するわ…と思ってしまう。

満を持しての湘北vs陵南もほぼ全てうろ覚えだったが、最後に木暮が決めるくだりは流石に名場面すぎてちゃんと覚えていた。…と思ったが最後の最後は花道が決めて勝利だったことは忘れていた。これだけの激闘を制するのがこの(湘北メンバーで最もかけ離れた)2人ってイイよな〜。むこうの監督の負けゼリフも真摯な教育者って感じでとてもイイ。

【終盤 山王ぶったおせ編】

 やっと山王戦なので、気合を入れる意味で一回お風呂に入ることにした(リマインド:読んでいる場所はスーパー銭湯)。体も温まり、いよいよ漫画で読み返す山王戦は当然のことながらめちゃくちゃ面白かった…。そして改めて『THE FIRST SLAM DUNK』は「映画」として成立させるために、本当に色々な点を大胆に変えたり、削ったり、調整したりしてきたんだなと実感した。映画初見では、原作がうろ覚えすぎて「ここは削った」「ここはそのまま」とかほぼ全然わからなかったのだが…。

 映画では削られていたものの、原作で特に好きだったくだりは、絶望的なまでの天才っぷりを発揮してきた沢北が、逆に桜木の「天才ド素人」っぷりに"恐怖"さえも感じ始める心の動き。沢北が、流川をも上回る完膚無きまでのガチ天才であるからこそ、桜木の(バスケ強者から見れば)全く意味不明な動きが理解できない、というジャンケンみたいな強弱の理屈が少年漫画バトルロジックとしても面白い。桜木を意識して動きがぎこちなくなってしまった沢北が、ふと視線をやった先にヌッ……と桜木が立っている場面なんてほとんどホラー漫画みたいな大ゴマの使い方で、彼の戦慄っぷりが伝わってきて笑ってしまった。ただこのシーンなども、実は漫画にしかできない時間や空間の切り取り方を駆使しているので、映画で削られていたのもしょうがないかなという感じはする。

あと原作では魚住とか清田とか「今まで闘ったアイツら」が再登場して檄を飛ばしたりしてくれる、少年漫画らしいアツイ場面も多いのだが、そういうファンサービス的な要素を映画ではバッサリ削ってるのも英断。クールすぎるといえばそうかもだが、ギリギリまで焦点を絞って映画としての切れ味を増そうとする作り手の気概を感じるし、こうした細かい工夫の結果、ガチ初見勢でも十全に楽しめる、これほど「開かれた」作品になったんだろうなと。

映画の初見でもわかった数少ない変更ポイントとして、ラストの花道の超名台詞「左手はそえるだけ…」を無音にしたくだりがある。これを「なんで言わないの?」と憤る原作ファンも多いかもしれないが、個人的には「な、なるほど…!」と思ったというか、本作の「原作ファンもガチ初見勢も楽しませる」という姿勢を象徴するような変更ポイントだなと。「左手はそえるだけ」って、たとえミュートになっていようが、スラダンを一度でも読破した人なら絶対に脳内で「聴こえてくる」セリフである一方で、原作を読んだことのない人にとっては(たとえセリフとして聞こえたとしても)その真の重み、真の感動が伝わってこないセリフでもあるんだよね。

さっきも書いたけど、欲望や体力の赴くままにめちゃくちゃな生活をしていて、持て余した力によって自分の人生をダメにしていたかもしれない奴らが、「スポーツ」という一種の秩序をそのエネルギーに与えることで、自分でも思ってもいなかったほど"高く跳べる"ようになる、という物語が『SLAM DUNK』の根本なのだと思う。無法図な力に一定の「秩序」を与えて飛躍させることがスポーツ(だけでなくアートでも学問でも漫画でもあらゆること)の可能性なのだとしたら、そのために最も大事なことは、やはり地道な練習と基礎なのである。

だからこそ、最初は「つまらない」と馬鹿にしていた「地道な練習と基礎」の大切さを花道が学んでいく…という、丁寧な積み重ねの描写を本作は欠かさない。それがあってこそ、花道や湘北メンバーの死闘が、ド派手な必殺技めいた「スラムダンク」ではなく、まさに"基礎中の基礎"である「左手はそえるだけ」のセリフと、地道に練習してきた「つまらない」シュートによって決着することが、真に深い感動を与えてくれるのだ。

…ただし、である。こうした積み重ねのストーリーは、あくまでも原作の主人公だった「花道の物語」であるとも言える。それこそ1本の映画では絶対に描ききれないことでもあり、本作はリョータ視点なこともあって、「花道の物語」を描くにしても時間的な限界があるし、初見の人にとっては感動も中途半端になってしまうだろう。だから「左手はそえるだけ」のセリフはいっそ無音にすることで、原作ファンには「脳内で再生してもらう」、初見の人には「何を言ったか想像してもらう」という凄い判断をしたわけだ。なんつー決断だよと驚愕してしまうが(自分が井上雄彦だったら絶対にそんな判断できる自信がない)、これほどの超有名タイトルであるからこそ可能な荒業といえる。

同じく名シーンである「大好きです 今度は嘘じゃないっす」がバッサリ削られたのも、「花道のストーリーを最初期から追ってないと感動が十分に伝わらない」セリフであるという点で、似たような理由じゃないかと思う。原作を読み返すと本当に良いシーンなので、よく思い切って削ったな!?とやはり震撼してしまうし、「さすがにこれは入れてよ!?」と戸惑ってor怒っている人の気持もわかるのだが…。

 

ここで冒頭で述べた本『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』に話を映すと、この本の非常に充実したインタビューでは、井上氏が「あくまで本作はリョータ視点の話なので、花道のつぶやく声は彼には聞こえないから…」的な話をしていたりもした。上で書いたような理由もあるんじゃないかと思うが、リアリズムの飽くなき追求の現れでもあるということか…。

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それにしてもこの『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』を読むとよくわかるのだが、井上雄彦氏の(監督なら当たり前とも言えるけど)映画への関わり方がマジで生半可じゃなくて、ちょっともう戦慄するしかない。モーションキャプチャーを元にアニメーターが起こしたリアルなCGに、さらに凄い精度で漫画家ならではの訂正や修正を入れて、自身の考える理想の絵と動きを限界まで追求していく…というプロセスが詳しく語られている。井上氏にとっても、共に作業するアニメーターにとっても、その道のりの果てしなさを考えると気が遠くなってしまう。「絶対に良いものができる」という確信がなければ不可能だったんじゃないだろうか…(できたから良いが…)。

漫画のアニメ化といえば、今の日本の映画界/アニメ界でも中心的コンテンツと言えるわけだが、「アニメはできる限りオリジナルの漫画を"尊重"して、原作通りに作ろうね」という姿勢が主流といえる。そんな中、原作者である井上雄彦氏がガッツリ関わった『THE FIRST SLAM DUNK』がむしろ近年で最も、原作を大胆に「変える」ことを恐れないアニメになってることは凄く面白いと思う。

スラダン原作を読み返してつくづく思うのは、やっぱり漫画とアニメって全く違うエンタメ形式であって、時間の経過や思考の表現を表すにしろ、たとえば小さなコマの使い方ひとつでも、本来は完全に別の手法が要求される。(実際、その両者の深すぎる溝にずっと井上氏自身も煩悶してきたことが『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』には赤裸々に書いてあった。)

たとえば『鬼滅』にしろ『ジョジョ』にしろ、極力「原作通り」を目指す志向をみせる昨今のアニメって、要はコアな原作ファン(私とか)が怒らないようにする「安全な」作りでもあるんだと思う。ただ、そこにどうにも違和感を抱くこともある。今でいえばジョジョ6部のアニメがやってて、全然ふつうに良い出来だし楽しく見てるんだけど、原作漫画の大ファンからすると、漫画の絵を(上手く再構成&微調整してるとはいえ)ほぼそのまま再現したアニメを見ながら「これってよく考えると何なんだろう…?」と思うこともあって。

ジョジョは本来あくまで「漫画」であり、紙の上で二次元の絵と文字の組み合わせによって物語を語るという「縛り」ありきの表現のために最適化された作品なわけで。その結果として異様なポージングとか奇妙な擬音とか凄い構図とかも生まれていると思うんだけど、たとえば荒木飛呂彦先生が本当にアニメーションの手法でジョジョの物語を語ろうと思ったら、また全然違うスタイルになるはずじゃん? 少なくとも現行のアニメみたいな「漫画をそのままアニメにしたよ」的な作りにはならないわけじゃん?…という気持ちが頭の片隅にある。これはジョジョに限った話ではなく、漫画のアニメ化全体に思うことなのだが…。

いやいや、アニメを作ってるのが原作者じゃなく第三者な以上、そこはオリジナリティとか出せなくたって仕方ないだろ!というのは本当にその通りだし、原作ファン(私含む)への忖度もある以上、実際には難しいよなと思う。それでも、というかだからこそ、原作者が超ガッツリ関わった『THE FIRST SLAM DUNK』がその辺のしがらみをブッちぎって原作を大胆に変更&再構成して、革新的な傑作へと飛躍させてくれたことは、本当に痛快だし、凄く示唆に富んでもいるし、漫画好き&アニメ好きとしても両者の関係について改めて考えさせられたのだった…。

まぁそんな『THE FIRST SLAM DUNK』にしたって、「原作者が思いっきり関わってる」という大前提がなかったら(たとえ改変がどんなに効果的でも)絶対にもっと非難轟々だったろうし、その意味で今回は本当に唯一無二の挑戦であって、再現性があるか怪しいとも言えるんだけど。でもだからこそ、『SLAM DUNK』が日本の漫画の歴史に刻まれたように、『THE FIRST SLAM DUNK』もまた確実に日本のアニメ/映画にとっての超重要作として語られていくだろうと確信するのだった。

 

最後は結局原作よりも映画の話になっちゃいましたが、いったん終わり。『THE FIRST SLAM DUNK』未見の人、スラダン原作まったく知らなくても本当もうすぐ観に行っちゃったほうがいいと思う!!おしまい。

 

「IUU漁業」問題をウナぴょんが語る! WWFジャパン公式コラボ図解

【WWFジャパンとの公式コラボ図解!】
海のお魚を危機に追いやり、漁業を衰退させ、さらに奴隷労働まで横行しているという激ヤバな違法漁業「IUU漁業」問題について、海の社会派妖精・ウナぴょんが解説します。IUU漁業をなくすためのweb署名も実施中なので、ぜひご協力ください&拡散きぼウナ!

 

web署名ページはこちら。↓お気軽に署名してもらえると嬉しウナ!

www.change.org

 

WWFの特設ページはこちら↓

www.wwf.or.jp

IUU漁業問題の基本、私のコラボ図解、IUU問題に危機感を持つ8名の方からのメッセージ+ダイジェスト動画などがまとまっています。

 

ウナぴょんの過去の活躍はこちら↓

こっちもぜひチェックしてね。

『ポケットモンスター スカーレット』クリアしたよ報告

ゲーム『ポケットモンスター スカーレット』をクリアした。生きもの好きの視点からTwitterでもけっこう「このポケモンの元ネタはこれだろ!」的なコメントをしてきたし、普段なら「わくわく動物ゲームとして楽しむポケモンSV」的なブログ記事を書く流れなのだが、このたび文春オンラインさんでまさにそういう内容の記事を書かせてもらったので、ぜひこちらを読んでほしい。

bunshun.jp

 

…というわけでもう書くことは特にない(?)のだが、生きもの好き視点"以外"でもけっこう印象深いゲームではあったので、『ポケットモンスター スカーレット』クリア後の雑感をつらつら書き連ねておきたい。ネタバレとかはそんな気にしないので未クリアの人は一応注意。ちなみにスカーレットを選んだ(博士のキャラデザが好みだったため…)。

 

【バード・オブ・ザ・リング 旅の仲間】

記事にも書いたように、鳥を中心にパーティを組む「とりつかい」プレイを…少なくとも途中までやっていた。お気に入りのメンバーを紹介するぜ。

 

・クワッス(命名:クワぴちゃ)

 記念すべき御三家初のカモだし(デザイン面ではホゲータに惹かれつつも)カモ好きとしては一択であった。進化後のウェルカモは初見では正直「う〜ん」となったが、ぶっちゃけ御三家の2段階目ってわりとそんな感じよね。練られまくっている初期形態と最終形態に比べて、2段階目はこう良くも悪くも…ユルめ。今回の御三家も、初期形態と最終形態は明らかに「プロの仕事だな」という、ファンメイドの御三家ポケモンと一線を画した完成度と意外性があるのだが、2段階目だけはファンメイドとそんな見分けつかない感じがする。

 ただそんなユルめの2段階目にしかない愛嬌みたいなのもあって、若干のダサかわ感にも慣れてきてむしろ愛おしく思えてくるので、旅の後半くらいで最終形のかっこいい姿に進化しちゃうとなんだかんだ寂しいというのもお約束である。君を忘れない、ウェルカモ。

 最終形態のウェーニバルは(一部でキモいとか言われてるらしいが)一筋縄ではいかないヒネったカッコよさと美しさがあり、現代のポケモンらしくて良いデザインだと思う。カモの進化が白鳥だったらベタすぎてつまらんなあとか思っていたが(コアルヒーとかぶるし)、まさかクジャク+レンカク系?とは…。足のピエロっぽい独特な感じは、バン類の弁足をちょっと意識してるのかなと思った。良い意味で生々しい生きものらしさがあって好き。

 あとウェーニバル、カーニバルダンサーをモチーフにしてるだけあってけっこう女性的…とまでは言わないまでも、かなり中性的というか、ジェンダーの境界線上にあるような面白いデザインだなと思う。今回はマスカーニャ(ニャオハの最終形)が明白に女性的なデザインで(マフォクシー、アシレーヌの流れを汲む感じ)、ラウドボーン(ホゲータの最終形)が四足歩行の怪獣型なので、ウェーニバルは細身のイケメン枠(バシャーモ、ゴウカザル、ゲッコウガ、エースバーンとかの流れ)ということなんだろうが、そのポジションにしては中性的なセクシーさを感じさせるキャラデザというのは興味深いし、御三家最終形のバランスがちょっと面白いことになってる。このジェンダー撹乱的な感じは(後述するけど)人間のキャラデザにもかなり通じてるんだよね。ウェーニバル、好きだわー。

 

・他の鳥たち

 タイカイデン(命名:カイぱちん)とファイアロー(命名:コマぴゅん)が、クワッスと並ぶ鳥パーティの主力となった。どっちも高火力で素早いので旅の頼れる相棒。タイカイデンは「ちくでん」で電気を吸収してくれるので、いざというときの雷除けにもなってくれる。ただし技が電気と飛行しかないので電気タイプ相手だとやっぱキツイ。ファイアローは意外と強力な炎技を覚えてくれないので、かなり後半までニトロチャージでがんばる必要があった。フレアドライブ覚えてからはミサイルみたいな使い方ばかりして少し申し訳なかった。

 地味に強かったのがフラミンゴのカラミンゴ(命名:ミンゴぴん)。序盤鳥…と呼ぶにはしっくりこなさすぎる(でかくて進化しないし)のだが、序盤に出てくる鳥ポケなのでまぁ序盤鳥なのだろう。格闘/飛行で攻撃力が高いし、鳥パーティが苦手なタイプの打点をつきやすいのでかなり重宝した。ウェーニバルが格闘タイプでかぶるので、終盤はボックス入りさせてしまったけど…。

 オドリドリは序盤で手に入ったので一応鳥パーティで使っていたが、ロクなタイプ一致技を覚えてくれないので、あえなく不採用となった。クエスパトラやオトシドリやイキリンコ(いまだに野生で一回も見てないが)とか気になる鳥ポケは他にもいたが、以下に記述する子たちが有能すぎて手放せず、そもそも鳥パーティの構想が半端になってしまったことを告白する。

 

・ドオー

電気対策の用心棒&ぬいぐるみポジションとして入れていたが、ゲームを進めれば進めるほど普通に強いことに気づき始める。どく/じめんでフェアリーや電気に強いのがまずありがたいし、地味に水を無効化できる特性「ちょすい」が強力(うっかり特性を忘れて、水無効でびっくりしたことが多かったが…)。あくびも重宝。

 

・デカヌチャン

初期形態のカヌチャンを見て「これはカッコよく/かわいく進化するやつだな」と先が気になって育てたが、案の定いい感じに進化してカワイイし、タイプ(フェアリー/はがね)も技(デカハンマー他)も強いので手放せなくなった。この子がいなかったら四天王は厳しかったかもな…(特に鳥パーティだけではドラゴンになすすべがなかった気がする)。鍛冶(かぬち)を元にしたネーミングも秀逸だし、今回のポケモンデザインでもトップクラスの出来だなと。

 

・キノガッサ

「きのこのほうし」と「みねうち」を覚えてくれる高火力ポケモンという、あまりに便利な捕獲要因すぎて最後まで手放せず。ただ本作、ボックスにいる子を好きな時に引き出せるシステムだし、別にいちいち連れ歩く必要もさしてなかったのだが。(あ、だから殿堂入りシステムも廃止されたのかな…)

 

そんなわけで半端に終わった鳥パーティだが、ケジメとして最大の関門・ナンジャモには純然たる鳥パーティで挑んだ。

まぁレベル差もあるし、いうても余裕で勝てるだろとか思っていたが、さすがにタイプ相性で苦戦させられ、タイカイデンの渾身の一撃が外れて死んだり、ナンジャモがコイル使わないとか地味なフェイントもかましてきて(本作こういうの多くない?)けっこうな激闘になった。バトル後にちょうどウェルカモが最終形態に進化したのも良い思い出(遅いっちゃ遅いが…)。ありがとう鳥たち。ついでにありがとうナンジャモ。

 

【ポケモン初のオープンワールド、その良し悪し】

 初の完全オープンワールドということで、ポケモン赤緑からプレイし続けている世代として、まさかこんな進化を遂げるとは…と小学生の自分に教えてあげたくなったし、素直におお〜と思うところも多かった。序盤こそ(アルセウスのときも感じていたが)「移動だるくね…?」と思っていたが、コライドンとの出会い以降はほぼどこでもダッシュできたので、ストレスは軽減。広い世界を走り回る気持ちよさ、そして何より「あそこに見たことないポケモンがいるぞ!」というときの興奮は、ポケモンGOとアルセウス以降のシリーズならではの魅力があった。

 ただ同時に、やっぱswitchのマシンパワーってそろそろ限界だよな…と感じざるを得ない部分もまぁまぁ多かった。特に街では処理落ちでゲーム終了も数回あったし、ポケモンの数が増える&フィールド処理が複雑になる水辺とかはカクカクでいつ落ちるか緊張感が凄かった。もうグラとかはこのままでいいからPS5でやらせてくれ…(絶対むり)。

 そういうハード面もだし、そもそもオープンワールドである意味が、少なくともストーリー上はどれくらいあるんだろう、とかも思った。オープンワールドであることの楽しさって「自由度」にあると思うのだが、本作は別に野生ポケモンや敵トレーナーのレベルをこっちにあわせてくれるわけでもないので、実質的には取れるルートはそんなに多様じゃないっていう。マップに「ここは初心者向け」「こいつは強いよ」とか一応書いてあるので、「理想的なルート」はうっすら推察できるんだけど。

 しかも理想的な「順番」を間違えると、ある箇所ではやたらめったら苦戦したり、ある箇所では拍子抜けするほど楽勝だったりして、どっちにしろ「ちょうどいい難易度」になりにくいんだよね。砂漠のイダイナキバ戦は死ぬほど大変だったが、(道順的にはラストに想定されていたのであろう)氷のジムリーダー戦はあっさり倒せすぎてつまんない、みたいなことも起こる。だったら、あらかじめ作り手が想定した「道」をしっかり設定するとか、ゼルダBotWみたいに本当にどこから遊んでも難易度がそれほど変わらない作りにするとか、工夫してほしかった気も。ゼルダBotW発売当時ならまだしも、もう(アサクリとかホライゾンとか)世界水準のオープンワールドゲームにも沢山ふれてしまっているからな…。

 ていうか本作をやって改めて、根本的なことを思ったのだが、個人的にはゲームに「自由度」をそこまで求めてないのかもしれない。別に不自由でもいいので、作り手が「最も面白い」と想定した道順と難易度バランスでプレイしたいとか、身も蓋もないことを思ってしまう。これは映画やドラマなど、作り手がベストだと考える内容をひたすら一本道で見せていくエンタメを愛する人間ならではの古い感覚なのかもしれないが…。(で、そういう一本道ゲームも別に沢山あるので、オープンワールドに文句言うのは筋違いなんだろうが。)

 てなわけでオープンワールドゲームとして大満足とは言えないが、ポケモンがこうした方向性で進化を続けていくなら、それは楽しみなので見守りたい。ただやっぱその場合switch自体のアップグレードはさすがに必須だろうな…とは思う。というか従来の2DのRPGのポケモンを、超絶高いクオリティで今作ったらどうなるんだろうとか空想してしまい、個人的にはそっちの方がむしろ遊んでみたいのだが。

 

【愛すべきサブキャラと良質なストーリー(そして突然の百合)】

 今回は地味にサブキャラとメインストーリーが良かったなあと思う。3つのストーリーが並行して展開し、それぞれのルートでジムリーダー、巨大なぬしポケモン、スター団を倒すことを目標にしつつ、各ルートのサブキャラと共に物語を進めていくわけだが、いずれのキャラも印象的で、3つのストーリーと3人のサブキャラ&主人公が一堂に会する終盤はかなり盛り上がった。

 

・ペパー

出会った時はなんだこいつは…と思ったが、一緒にぬしポケモンを打倒する中で「意外とイイやつ」感がじわじわ高まり、最終的には本作で、というかポケモン史上でも最もストレートに胸を打つエピソードを届けてくれる。犬祭りゲームとしてのポケモンSVをさらに盛り上げてくれた功績も大きい。終盤の展開はよく考えるとだいぶ可哀想な気もするが、そのあたりもぐっと飲み込んで前を向く辺り、だいぶ大人なパーソナリティである。ちなみに(想定レベルを下回っていたとかもあったんだろうが)ペパーくんとのラストバトルが難易度的には一番キツかった。旅の途中で適当に捕まえてたポケモン、ちゃんと育ててたんだね…。

 

・ボタン

 今回いちばん好きなキャラ。コミュニケーションが得意でない、微妙に生々しいオタク・アトモスフィアが味わい深い。外見的にも目の感じとか、赤と青を大胆に組み合わせたデザインも実にカッコいい(市川春子先生キャラデザ説はホントなんだろうか、そうなら納得感はあるが。)打倒スター団の旅の相棒(?)となってくれて、なんか裏あるんだろうなとは薄々思っていたが、クラベル校長の謎に巧みなミスリーディングもあり、ボタンの秘密が明かされる場面では普通に「おお!」となってしまった。(クラベルなんなんだよお前…)

 ボタンはパッと見でも喋り方でも男子か女子か判別しづらく(設定上は女の子らしいが)、ノンバイナリー的な雰囲気なのもイイなと思った。ウェーニバルの項でも言ったけど、ジェンダー撹乱的なキャラデザが多い本作の方向性を象徴するような人物造形でもある。「パッと見では性別がわからない」キャラとしては、他には四天王のチリが代表格だろう。中性的で洗練された外見と、妙に気さくで気だるげな性格のギャップが凄くカッコよくて、夢主を大量発生させてそうである…。

 

・ネモ

 すでに散々バトルマニアとかヒソカとか言われているっぽく、たしかにストーリー上では「どんどん実る…!」みたいな異様な前のめりを見せてくるので少し怖いのだが、最終盤では相性悪そうなペパーやボタンをいい感じにまとめてあげたり、人格者ぶりを発揮してくれて良かった。ネモのキャラデザも、ありがちな「美少女」デザを絶妙かつ意図的に外した感じが面白くて、わりと語りどころがある。

 さっきも言ったが、保守的/内向き/オタク的に感じられることも多い日本ゲームの中では、近年のポケモンのキャラデザは(スプラトゥーンとも並んで)際立って海外を強く意識していることを感じさせるのだが、今回のSVは前回の剣盾ともまた異なる意味で開かれた感じで、そこも興味深かった。

 

・キハダ先生と突然の百合(ハリーポッターと賢者の石)

 …ところでみんな、学校イベントはちゃんとこなしてるだろうか? スルーしてる人も多いだろう。授業は(先生には申し訳ないけど)かなり内容がつまらないし、テストも科目によっては中途半端に難しいので、全体的にストレスが多く、逆にリアルな学校生活の追体験ができるとも言えるレベルだ。授業を受けなくてもマジで一切ストーリーに支障がないので、普通にスルーしてる人も多いんじゃないかと思う。

 ただ教師陣のキャラがかなり魅力的なので、授業を進めていくごとに先生との色々なコミュニケーションが開放されていくのが楽しく、サボらずに一度受けてみるのも良いと思う。私はカラッとした体育教師のキハダ先生が好きだった。いわゆるメシマズ的なギャグがあって、普段なら「女性キャラのメシマズネタとか古臭くてつまんねー」と思うところだが、キハダ先生の場合は「マジで体を鍛えることしか興味ない」というパーソナリティもあり、あまり嫌な感じがしなかった。

 そんなことよりキハダ先生といえば、異常な百合のポテンシャルで界隈をざわめかせている。ジムリーダーのリップとのまさかの幼馴染関係が明らかになるのも凄いし(「ポケモンバトルで負けたほうがなんでも言うこと聞くんだ!」みたいなセリフをカラッと言っててヤバい)、かと思えば学校では保健室のミモザ先生との絆を育んでいたりするので、リップ-キハダ-ミモザの社会人百合トライアングルみたいになっていて凄みがあった。キハダ先生に「ミモザ先生!私の幼馴染に会ってほしいんだ!」と言われて行ってみたら超有名人のリップが現れてうおぉ〜いマジかよキハダお前、幼馴染ってリップ様かよ大ファンだよ私、知ってたらもっとキメてきたのに〜適当なカッコで来ちゃったじゃんふざけんなよ言えよマジでキハダお前と手汗をかきまくるミモザ、当然のようにキハダを自分だけのものだと思って余裕こいていたら学校で知らん女(美人)と謎の絆を育んでいた事実に微笑みながらも静かにショックを受けて手汗をかきまくるリップ、そんな2人の心の機微に全然気づいておらず「大好きな2人が知り合ってくれて嬉しいぞ!」とはしゃぎ続けるキハダ先生……というエピソードは特になかったが、追加DLCで確実にあると思う。

 

そんなこんなで楽しかったポケモンSV、まだクリア後要素が色々ありそうなのでまだしばらく続けたいと思います。おわり。

天才の頭の中を覗くような。『THE FIRST SLAM DUNK』感想&レビュー

 バスケットボールはあまり好きではない。中学の時、バスケ部の連中がイヤなやつばっかりだったからだ。性格の悪いイジメっ子とチャラいアホがたしなむスポーツ、それがバスケなのだろう…。そんなふうに中学生の私は考え、それ以降バスケを見たり遊んだりする機会も特になかった。私の人生とバスケの唯一の接点といえば大人気漫画『SLAM DUNK』(以下スラダン)であり、一応読んでみたら名作だけあって確かに面白かった。しかし中学のバスケ部には自分を桜木花道だと思いこんでるアホとかもいて鬱陶しかったので、「スラダン」がバスケのイメージを向上するまでは至らず、バスケは私の心の「別にどうでもいい箱」に入れられた。

 しかしそんなバスケ一切興味なし人生に、もう一度バスケに触れる機会が訪れた。映画『THE FIRST SLAM DUNK』である。予告編を見た時点では、特に思うところは全くなかった。あ〜最近よくある感じの名作リメイクね、私らの世代もすっかりノスタルジー消費者ターゲットだね、てかスラダン原作者の井上雄彦氏が監督もやるの?どういうこと?てか手描き2Dじゃなくて3DCGなの?大丈夫?なんか声優交代とかで文句言われてるし、まぁ熱心なファンじゃないしどうでもいいっちゃいいけど…。しかし公開されると、意外と映画/アニメファンの間で評判が良く、せっかくだし観に行っておくかと劇場に足を運んだ。その結果……

『THE FIRST SLAM DUNK』は、素晴らしかった。スラダン原作のアニメ化として云々というのを超えて、純粋に1本の独立したアニメ映画として、いまだかつてない作品が現れたと感じる。海外のアニメ映画を継続的にチェックしている身としても言うが、世界全体を見回しても、こんなアニメーション作品は前例がないんじゃないだろうか。いま海外アニメは(むしろ日本やアメリカ以外のアニメが)とても豊かで先鋭的なことになっているので、日頃あまり「日本アニメすごい」的なガラパゴス称賛はしないようにしてるのだが、それでも『THE FIRST SLAM DUNK』は世界的にもかなり前代未聞にして、間違いなく独創的なアニメ映画になっていると思う。

 ここで再び私のスラダンへのスタンスをまとめておくと「原作漫画は子どものころ読んだきり、それも細部はうろ覚えだし、特定のキャラに別に愛着もないが、各キャラがどんな性格でどんな背景があるかくらいはまぁまぁ覚えてる。ちなみにアニメ版は全然みてない」程度のものだ。全く熱心なファンではないが、まさに私くらいの層が『THE FIRST SLAM DUNK』を最も楽しめる観客である可能性も、けっこう大きいようにも思う。「とにかくオールドファンに金を落としてもらおう」的な、洋の東西を問わず流行中の懐古趣味リメイクとはかけ離れた、とても開かれた作品であることは確かだ。

 ただ(うろ覚えとかですらなく)本当にマジで一切スラダンを知らない状態で『THE FIRST SLAM DUNK』を観るのは、さすがに「もったいない」感が若干勝つ気もする。というのも本作『THE FIRST SLAM DUNK』を先に観ることで、伝説的に面白い原作漫画の終盤のネタバレを食らうとも言えるからだ。何も知らない純粋な気持ちで原作を味わいたい人は、映画を観る前にさっさと読んでしまおう。(私もうろ覚えなので読まねば…)

amzn.to

 ただし原作スラダンの結末はもはやミーム化してるレベルで有名なので(『あしたのジョー』の結末に匹敵するかも)、すでにぼんやり知ってるなら映画を躊躇する意味は特にない。主要キャラの性格や背景など、最低限の説明は的確に挟まれるので「全く意味がわからない」ことはないだろうし、完全初見も全然アリかと思う。映画館で観ることに大きな意味がある映画なので、原作への熱量を問わず、基本的にはすぐに劇場に駆けつけて、観客席の熱気を味わうのがベストだろう。

 

ーーー以下、ネタバレは特に避けないので注意(ネタバレで楽しみが損なわれるタイプの作品とは思ってないが…)ーーー

 

大きく分けて2つ、本作の最も素晴らしいと感じたポイントを語っていきたい。そのポイントが両方とも、最も賛否が分かれそうな点であることも面白いところだ。

ポイント1:【革新的なアニメーション表現】

youtu.be

 本作の予告編を観てパッと浮かんだ感想は「あれ、手書き2Dアニメじゃなくて3DCGか〜」というものだ。まずこの「2Dじゃない」件に反発している原作やアニメのファンも多いようだし、その気持ちはわからなくもない。3DCG技術の進化によって、海外の大作アニメ映画はほぼ完全に3D化が進んでおり、日本アニメも例外ではなく(ディズニーやピクサー等の水準にはほど遠いが)フル3Dのアニメも増えてきたし、馴染み深い2Dアニメの領域にも(セルルック風など)3Dが進出している。しかしまだ技術の過渡期ゆえか、中途半端な3D技術に違和感を感じる機会も多いのが日本アニメ界の現在地といえる。

 だが『THE FIRST SLAM DUNK』本編の3Dアニメ表現には、端的に言って驚かされた。まず冒頭からガッと引き込まれる。大きな海が眼前に広がる沖縄のバスケコートで、2人の男の子(その正体は後述する)がバスケに興じている。予告編でもチラリと見えた、なんてことない光景のはずだが、劇場で本編を見ると直感的に「まるで現実のようだ」と感じた。よく考えるとこれは不思議なことだ。ビジュアル的な意味でのCGのクオリティ自体は必ずしも最高峰ではなく、パッと見で「CGだな」とわかるレベルで、たとえばPS5の最新ゲームのような「実写に見紛うほどの美麗なCG」とかではないのだから。なのになぜ「現実のようだ」とまで感じたのだろう。

 鍵となるのは「動き」だ。本作のキャラクターの動きは、モーションキャプチャー技術を使って描かれている。劇中人物がバスケをプレイするシーンでは、現実のバスケプレイヤーの動きをキャプチャーし、そこにトゥーンレンダリング(CGを漫画やイラスト風の作画でレンダリングすること)を施したという。多分そこからさらに手作業で細かい調整を行うのだろう。その結果「漫画/アニメっぽいルックのキャラが、限りなく現実に近い動きをしている」という3Dアニメーションが具現化している。

 その手法こそが、まるで実写とアニメーション、虚構と現実の境目の上を2時間ぶっ通しで走り続けるような、いまだかつてない不思議なリアリズムを本作にもたらしているのだ。「そんなにリアリズムが大事なら、実写を作ればいいじゃない」という意見もあるかもしれない。だが本作のアニメ表現が生む新鮮な驚きは、通常の実写映画からは生まれえない。キャラのビジュアルが漫画/アニメ的であるがゆえに、一種の異化効果によって、逆に「現実の人間の動き」を強く想起させるのだ。

 『THE FIRST SLAM DUNK』のリアリズムにおいて、「動き」と同じくらい重要なのは「声」だ。動きにあわせて、声の演技もいわゆる「アニメ的」な抑揚を程よく抑えた、リアリティの高い演技になっている。本作は昔のアニメ版から声優を変更した件で炎上気味になったようだが、ここまでアニメーションの手法が抜本的に新しくなってしまえば、そりゃ声優だって変更するしかないだろうと思う。往年の2Dアニメにマッチするタイプの、フィクショナルな演技では確実に浮いていたはずだ。

 そんな『THE FIRST SLAM DUNK』の大半はバスケの試合シーンが占める。予告では伏せられていたが、実は本作で描かれる試合は原作漫画のクライマックスである、「山王」との闘いだったのだ。本作を称賛する声で特に多いのが「映画というよりも、本当に試合を観てるようだった」というもので、まったくもって同感である。バスケのコートを縦横無尽に走り回るキャラクターたちの姿を、劇中の試合進行とほぼリアルタイムで捉えたがゆえの臨場感は圧倒的だ。

 もちろんリアリズム一辺倒ではなく、アニメゆえの楽しさも満載である。試合が白熱する中で、たとえばダンクシュートを決める瞬間を真下から捉えた映像、ドリブルをものすごく低い視点から捉えた絵面など、「実写では不可能なアングル」が多発する。「漫画のような実写」と「実写のような漫画」の交錯点としての「漫画でも実写でもないアニメ」が、映画全体に驚くようなダイナミズムをもたらしているのだ。

 キャラが3DCGかつ、会場全体を映した俯瞰ショットが多いからかもしれないが、試合の空気感に、漫画で読んだ印象よりも少し突き放した現実的なクールさ・ドライさが漂っていたのも良かった。主人公たちにとっては凄く重要な試合だが、あくまで「現実の会場で沢山行われているうちの一試合」に過ぎない、というような…。これは実際に会場の観客席で(第三者視点から)スポーツの試合を観戦している人に近い感覚かもしれない。

 この「ドライさ」も感じるアニメ手法によって、逆に強烈な存在感を獲得したキャラクターがいる。言わずと知れた『SLAM DUNK』の主人公・桜木花道である。全体的にはリアリティが高い、まるで本物の試合のような雰囲気であるからこそ、ド素人だが天才的なセンスをもつ桜木の破天荒な行動が、良い意味で「悪目立ち」するのだ。ダブルドリブルの場面の可笑しさったらないし、机の上に立って観客を煽りまくるシーンでは「マジでやべーやつがいるよ…」と客席の心情とリンクした。

 しかしだからこそ、チームがピンチを迎えた時に桜木が不敵にも言う「おめーらバスケかぶれの常識はオレには通用しねえ!シロートだからよ!」というセリフが、まさに(漫画においては達人だがアニメ業では「シロート」である)井上氏の境遇とも一致することにゾクッとしてしまう。終盤になるにつれ、机に突っ込んでまで勝利に固執する桜木の様子に、彼に反感を抱いていた試合の観客までもがつい応援してしまう姿は、「漫画家がアニメ監督ねぇ…」と斜に構えていた私たち映画の観客の心情とも、見事にリンクするかのようだ。

 この実写的リアリズムと漫画的ダイナミズムの交錯点のようなアニメの試合を「観戦」することで、「天才漫画家でありアニメ素人」である井上雄彦氏が多大な手間をかけて(2Dではなく)3Dアニメ表現にこだわった理由が見えてくる。それは天才の頭の中で起こっている「リアル」をそのまま出力するためだと思う。つまり井上氏がかつて「漫画」の形でアウトプットしていた、脳内で縦横無尽に繰り広げられる「動き」をリアルかつダイナミックに表現するための、現時点でのベストな手法が「3DCGアニメ」だったから…ではないだろうか。

 現在の日本アニメは…というと雑に括り過ぎだが、全体の傾向としては「強い"絵"の力によって、いかに現実を魅力的に歪曲するか」にアニメーションの重点が置かれていると感じる。大ヒットした『鬼滅の刃』でも新海作品でも、まずはカッコよかったり美麗だったりする、現実を魅力的に歪めた"絵"が中心となり、それを軸にキャラを動かしたり、エモい音楽や派手な特殊効果を重ねたりして、アニメーションを成立させるという発想が根強いと思う。

 だがそうした主流的な日本アニメのスタイルは、現実の人間のリアルな躍動にこそ命が吹き込まれるという、井上氏が極めてきた創作の方法論と、実は相容れないものだったのだろう。だからこそ氏は、今回のような新しいチャレンジに出たのではないか。あえなく失敗する可能性も大いにあったはずだが、蓋を開けてみれば、1本のアニメ映画として(世界的に見ても)前代未聞の革新的な作品ができあがったわけだ。

 実際、『THE FIRST SLAM DUNK』のような発想で作られた、近年の日本・海外のアニメ映画は(特にこうした大作エンタメでは)全く思いつかない。あえて国内で1本、近い種類の驚きを感じた近年のアニメ映画をあげるなら、岩井俊二が監督を務めた『花とアリス殺人事件』だろうか…。

 両作品は、アニメ世界に異質な現実感を持ち込んだ作品であること、監督がアニメ畑の作家ではないことが共通している。ただし『花とアリス殺人事件』は全編ロトスコープなので、モーションキャプチャーの方法論をベースにしつつも、同時に漫画/アニメ的なダイナミズムを大胆に織り交ぜた『THE FIRST SLAM DUNK』とはやはり全く異なると言えるが…。

 同じくCGを使ったアニメであっても、たとえばディズニー/ピクサー/ドリームワークスのような海外アニメ映画の主流とも、『THE FIRST SLAM DUNK』は全く異なっている。あえて海外から挙げるなら、今年見た素晴らしい中国アニメ『雄獅少年』が、高いリアリズムと(後述するが)逆境の中で生きる若者へのシンパシーという点で、通じるところが多いと言えそうだ。

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そして自分でも意外だが、同じく今年観たアニメ映画である『FLEE』を思い出した。アフガニスタンから難民として「脱出」したゲイの青年の人生を、実写を元にしたアニメーションで語り直した特異な作品で、表現手法としてアニメがもつ大きな可能性を改めて感じさせてくれる映画だ。

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 もちろん『FLEE』とは作品テーマも規模もあまりにも異なるのだが、現実とアニメの境界に踏み込んでいくチャレンジ精神という点では、『THE FIRST SLAM DUNK』にはこうしたアート映画にも共鳴する志の高さがあると感じる。

 そんなわけで本作は、2Dアニメ/漫画/実写映画の枠組みを踏み越え、それらを融合するような大胆な手法としての「3Dアニメ」の新しい可能性を切り開いた。しかし実は従来的な「2D」表現への愛着もたっぷり表現されている。3Dへの期待を感じさせる冒頭から始まったかと思うと、オープニングでは逆に意表をついて、「手描き2Dアニメ」のワクワクするような魅力を強調してくるのだから(そして最終盤のぶち上がる場面にも繋がっていく)。うろ覚え勢である私でさえ「あいつらが帰ってきた!」と興奮したのだから、原作ファンは感涙モノといって良いはずだ。なんにせよ本作、アニメ表現に少しでも興味がある人は、決して見逃さないほうがいいだろう。

【ポイント2:リョータについて】

 こうしたアニメ表現の革新性に匹敵するほど、『THE FIRST SLAM DUNK』を観て素晴らしいと感じたポイントがある。それは宮城リョータにまつわるエピソードだ。

 リョータは、実質的な本作の「主人公」と言っていい。先述した「冒頭でバスケに興じている2人の男の子」とは、宮城リョータと兄のソータだったのだ。本作は、原作漫画では描かれることのなかった、実はリョータが内心で抱えていた葛藤を描写していく。いわば壮大な「後づけ」と言えばそれまでだが、まさにこの点こそが『SLAM DUNK』を今リメイクする必然性だと思えるほど、個人的には心打たれた。

 私が原作うろ覚え勢なせいもあるだろうが、リョータはメインの5人の中では比較的(ファンには申し訳ないが)印象の薄いキャラだったように思う。リョータには桜木や流川のようないかにも少年漫画的なケレン味もないし、赤木(ゴリ)のように過去にまつわる濃いエピソードもないし、三井のように大胆な変化を遂げるドラマチックな展開もなかったはずだ。リョータは確かな実力をもつ魅力的な人物だが、あくまで脇を固める名サブキャラだったように記憶している。

 だが、そんなリョータを中心に再構成された本作を観て、改めて気づくことがある。『SLAM DUNK』があまりに有名な作品であり、そしてリョータ自身も人気のキャラであるゆえに、『THE FIRST SLAM DUNK』を語る上でも意外と見落とされそうなポイントだ。それは宮城リョータのようなキャラクターが、日本のアニメ作品で「主人公」として正面から深く描かれるのは意外なほど珍しいということである。

 アニメ好きの人はちょっと考えてみてほしいが、本作のリョータのような、スポーツが好きで雰囲気は少々チャラいが、実は家庭の背景など様々な苦悩や鬱屈も抱えている…という、そのへんのストリートにいそうなリアリティある"普通の若者"が、近年の日本のアニメで「主人公」として描かれたことがどれほどあるだろうか…? いやちゃんと探せばあるのだろうが(書いてて『サイバーパンク:エッジランナーズ』とかはわりと当てはまるかなと思った)、それはともかく、リョータのような人物が深い解像度とリアリティ、そしてシンパシーを伴って主人公を務めているというだけでも、『THE FIRST SLAM DUNK』は相当フレッシュな作品に感じられた。

 原作の時点で、リョータは主要メンバー5人の中で最も「こういうヤツって本当にいそうだな」という身近なリアリティを有していたキャラと言える。『THE FIRST SLAM DUNK』はその点が強調されるとともにさらに掘り下げられ、一見するとよくいるチャラめの若者だが、実は複雑で繊細な内面をもつリョータという人物を重層的な視点から描き出そうと試みる。

  先述したように本作冒頭のリョータと兄・ソータがバスケをしている場面がまず鮮烈だ。モーションキャプチャーによるリアルな動きと、かなり抑えられた声の演技のトーンが「まるで現実みたい」な効果を生むことについてはすでに言及した。だが話が進むと、このいっけん和やかなバスケの場面の裏に、実は「厳しすぎる現実」が横たわっていることが見えてくる。

 実はリョータとソータの宮城家は、父を失っていた。ソータは嘆き悲しむ母親に、一家の長男として家族を支えると告げるが、とはいえ彼もまた子どもに過ぎない…。秘密基地のような洞穴で、現実を受け止めきれないソータが泣きじゃくる哀れな姿をリョータは目にする。そんな悲惨な状況だからこそ、兄弟にとってバスケは、キツい現実に心折れないための「救い」であり、ある種の「逃避」のような役割も果たしていたことがわかる。「辛いときこそ平気なフリをしていろ」といった内容の兄の言葉は、その後もリョータの人生にこだまし続ける。

 だがあろうことか、ただでさえしんどい宮城家とリョータをさらなる悲劇が襲う。なんとソータまでもが、海の事故で帰らぬ人となってしまうのだ…(兄の死は冒頭の時点では直接的には描かれないのだが)。あまりに無情な展開だが、現実には「これくらい」の悲劇は起こるときは起こるし、重なるときは重なってしまうんだろうな…とも思わせるような、妙にドライな冷淡さに貫かれていて震えてしまう。(広がる海のイメージと大きな喪失の結びつけ方から、極めて間接的にではあるが、「ポスト3.11映画」として受け止める余地も残しているように思った。)

 キツすぎる悲劇が起ころうが、人生は淡々と続いていく。父も兄も喪ったリョータは成長してバスケ部の選手になり、兄の形見に「いってくる」と告げて試合に向かうのだった。この直後のオープニングがブチ上げで最高にカッコいいので誤魔化されてる気もするが、冷静に考えるとどんな始まり方だよ、『ブラックパンサー ワカンダフォーエバー』かよと思ってしまうほどに、あまりに悲しすぎる冒頭である。

 だが冒頭から全体を貫くこの「悲しさ」こそが、本作を特別なものにしている。その後のリョータのスポーツへの向き合い方は、悲しみに満ちている。優秀なバスケ選手だった兄の後を追い、不在の穴を埋めるようにして、リョータはバスケにすがりついていく。切実さもあってバスケの腕前はどんどん上達していくが、心に空いた穴が真に埋まることはない。それでも「辛いときこそ…」という兄の言葉を胸に、リョータは「平気なふり」をしながら、自分の人生の逆風にバスケで挑んでいくのだ。

 このリョータの描かれ方をみて、私などは「ああ、そうだよね…こういう人だって沢山いるよな…」と少し反省したほどだ。スポーツマンといえば、あたかも「リア充」(リアルが充実している人)や「陽キャ」(明るくて人付き合いが上手い人)の代表格のような存在にも思われがちだ。そうしたリア充や陽キャと自分は違う…的なルサンチマンをバネに、何かに没頭するというキャラ造形はアニメにおいて馴染み深いものだ。だが現実逃避は陰キャオタクの専売特許ではない。現実の辛さを忘れたくて創作行為やサブカル趣味や科学研究に打ち込む人がいるように、(いっけん明るくチャラく振る舞っているかもしれないが)同じ理由でスポーツに打ち込んでいる人だって沢山いるはずだ。

 日本アニメ界には、そもそもオタク的な感性をもつクリエイターが集まりやすいし、その作品を(私含め)オタク的な感性をもつ鑑賞者が見るという高濃度オタクサイクルがいまだに根強いと思う。だからこそ取りこぼされるタイプのキャラクター="他者"って絶対いるよな…とは以前から感じていたが、本作のリョータはまさに「オタク的な想像力が取りこぼしてきた」"他者"ではないかと思えた。オタクの支配権と影響力が強すぎる日本アニメ界において、物語やキャラを描く上で実は密かに存在していた「檻」のような枠組みを、スラダンという超有名作品の力をフル活用してぶち破るパワーがとても痛快で、同時に痛烈でもあった。

 冒頭で「バスケは好きじゃなかった」と書いたが、昔のしょうもない思い出などから、スポーツへのうっすらした偏見をもっているような私のようなオタク系人間は、つい"ナードvsジョック"(いわゆる文化系オタクvsスポーツ系リア充)的な安易な対立項にとらわれてしまいがちだ。おめーが偏ってるだけだろと言われればそれまでだが、実際そうした構造は(アニメに限らず)フィクションに数え切れないほど出てくるので、実はうっすら影響されてる人も多いのでないかと思う。だが現実には「オタクvsリア充」みたいなシンプルな対立項に、人間が都合よく収まるわけがない。

 本作のリョータ(や後の三井)のように「現実がキツすぎて、持て余したエネルギーを変にこじらせて自分をダメにしないためには、もうスポーツしかないんだ…」というような、切羽詰まった状態にある若い人って、実際には多いんだと思う。車椅子バスケを描いた井上氏の過去作『リアル』は未読なのだが(読みます)、おそらくそうした作品などを経たことによって、そんな若者たちへの井上氏のシンパシーはますます強まっていったのだろう。

 その結晶としての『THE FIRST SLAM DUNK』は、「しんどい人生に抗うためにスポーツに打ち込む若者」に向けた力強いエールのようにも受け止められる。かつてスラダンの読者だった元スポーツ好きや、リアルタイムでスポーツに打ち込む、悩みや鬱屈や喪失を抱えた若い人々は、本作のリョータたちの物語を見て、どこか深い部分で慰められ、励まされるのではないだろうか。井上雄彦氏が『SLAM DUNK』を今リメイクした背景には、エンタメにおける共感の網からこぼれ落ちてきた「他者」たちをすくい上げたい、という現実世界に広く開かれた意志があったのだと思う。その意志が、アニメ表現において「リアル=現実」を強く志向した姿勢とも深く共鳴しているのは、まさに必然だろう。

 

 (またも1万字くらい書いてしまったのでそろそろ終わりたいが)一応最後に言っておくと、『THE FIRST SLAM DUNK』は、必ずしも観た人全員をまんべんなく満足させる、端正でバランス完璧な作品とは言えないのかも知れない。私も絶賛しつつ、気になる点もないではない。たとえば回想シーンを多用することで、特に試合の後半は、せっかくのスピーディでスリリングな展開をやや損なっている感もある。また、長大な山王戦を映画の尺に押し込めたことで、どうしても削らざるをえなかった場面やセリフなども少なくないようだ(私は原作うろ覚えなので気にならないが)。

 それでも、私が良い映画…というか良い創作物の条件だと考えているものが2つある。それは「見たことのない何かを見せてくれること」、そして「他者への想像力を拡張してくれること」だ。本作は獰猛なまでに大胆なアニメ表現によって前者を、深みのあるリョータの物語によって後者を満たしてくれた。この基準から言えば『THE FIRST SLAM DUNK』は、紛れもない傑作と言わざるを得ない。

 たしかに、スラダン原作や昔のアニメの熱心なファンが本作をどう思うのか、原作うろ覚え勢としては検討もつかない。私の観測範囲では称賛の声が非常に多いとはいえ、けっこうな熱量で反発してる「オールドファン」の声もちらほら目にする。ただ言わせてもらえば、もしもずっと好きだった作家が、自分の過去作をベースに、これほど革新的かつ真摯な作品へと飛躍したのなら、私なら心から誇らしく思うだろうし、そんな作家を愛した自分の目は間違ってなかった、と感動することだろう。だからお前もそう思うべきだ!…とは決して言わないが、できる限り思い込みやこだわりを捨てたオープンな心で、天才の頭の中を覗いてもらえればと思う。

 

12/18追記

たくさん読んでもらってありがとうございます!追記(?)として原作漫画の再読レポートも書きました。

numagasablog.com

 

カルガモ令嬢が伝授する「カモ見」の愉しみ

この大課金時代にありながら、いくら見ようとビタイチ課金されない庶民のための高コスパエンタメ、それが「カモ見」…。どんな大富豪にも買収できない、この世にカモがいる限り揺るがない不滅のエンタメ「カモ見」の楽しさを、誇り高きカルガモ令嬢カモミールが皆さまにプレゼンいたしますわ。初心者にも見つけやすい「かもセブン」も紹介しますわよ。

 

<参考文献ですわ>

amzn.to

経験豊かな「ガンカモ博士」が、個性豊かななカモ類の生態、渡り、保全に関する情報を解説してくださる、希少な「カモ学」の本ですわ。

 

本の中でも触れられていたヒドリガモの「労働寄生」の決定的瞬間はこちら。オオバン、がんばってほしいですわね…

 

鳥雑誌『BIRDER』カモ回(2020年12月号 カモ類ウォッチングの愉しみ)もカモ初心者にオススメでしてよ。

BIRDER (バーダー) 2020年 12月号 [雑誌] | BIRDER編集部 | 趣味・その他 | Kindleストア | Amazon

 

そういえば5年前にこんな早見表も作りましたわね。この5年で世界は激動してしまいましたが、カモはどっこい揺るがぬ存在なのですわ。

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