沼の見える街

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原作『SLAM DUNK』全巻ひさびさ再読&『re:SOURCE』も読んだよメモ

『THE FIRST SLAM DUNK』がとにかく素晴らしかったし、感想記事↓もかなり読んでもらってるようなので……

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ケジメをつけるため(?)原作漫画の『SLAM DUNK』をものすごい久々に再読してきた。思い切って全巻買ったぜ!と言いたいところだが実際は近所のスーパー銭湯の漫画コーナーで1日がかりで全31巻読んできた(いうてハイペースなら5〜6時間くらいで読破できたが)。名作なんだし買っとけよって感じだが『SLAM DUNK』は紙しか出てなくてボリュームも凄いので一歩踏み出せなかった…(漫画はスペース的な問題でもう電子しかほぼ買わない派なのです)。映画は確実にもう1回観るしちゃんと金払うからよ…(当然)

みんなは買え↓

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というわけでせっかく読破したので原作漫画の簡単な感想を書き連ねておきます。結論から言えばやっぱ日本で一番有名な漫画(のひとつ)だけあって本当に色褪せない面白さだったし、再読したことで映画をさらに楽しめそうだなと思う。

それと、つい先日出たばかりの公式アートブック&メイキング的な『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』も買ったので、最後の方でその感想も。なんというか、かなりとんでもない内容だった…。とんでもないけど、映画楽しめた人は絶対買って損ない内容です(読み切りの『ピアス』も載ってるし)。

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【序盤 ヤンキー立志編】

みんな言うけど原作『SLAM DUNK』、序盤は思った以上にヤンキー漫画だった。時代もあるんだろうけど(いうて30年前だからね)とにかくバイオレンス。桜木とゆかいな仲間たちもゴリも流川もリョータも三井とゆかいな仲間たちも出会い頭でことごとく暴力に走り、誰かが(もしくは全員が)血を流す。

序盤はそんなバイオレンスヤンキー漫画でありながら、実は展開が相当のんびりしてる。桜木がバスケ部で練習するしない、掃除するしない、やめるやめない、柔道部に入る入らないとかで一向にちゃんとしたバスケの試合が始まらず、最近のジャンプ漫画のスピード感では考えられないほどゆったり時間を使っている…。実は『鬼滅の刃』も序盤がかなりスロースターター気味とはよく言われることだが、スラダンの序盤はそもそもバスケをする機会がかなり少ないので、その出足の鈍足ぶりは『鬼滅』の比ではない。(それでも今読んでもちゃんと楽しいのが凄いんだが。)

ただこの(序盤以外はほぼ消滅した)ヤンキー漫画要素が、『SLAM DUNK』の単なる初期特有の迷走、もとい黒歴史なのかと言えば決してそうではないと思う。有り余るエネルギーをうまく活かせずに、暴力的で退廃的な人生のダークサイドに迷い込んでしまう若者たちの姿は、本作のバスケがもたらす光と対置される「影」として作品全体を静かに通底し続けるのだから。インターハイ1回戦の豊玉高校なんかは湘北のダークな写し鏡とも言えるわけだし。

そして『THE FIRST SLAM DUNK』では、リョータや三井の描写を通じてその要素が再び強調されることになる。井上先生としては、やっぱりバスケの試合そのものだけでなく、力を持て余して人生の道に迷っている若者の姿を描くことのモチベーションも、今も昔も強いんだろうなと、原作を読みかえして改めて確信した。『リアル』も読み始めているので(こっちも面白い!)なおさらそう思う。

それと序盤のヤンキー立志編(一応言っとくとそんなタイトルはない)、スロースタート気味ではあるとはいえ、逆に言えばド素人の花道がバスケの基本を少しずつ理解していって、地道に成長していく様子もかなりちゃんと描いている。「庶民シュート」や「リバウンド」という基本中の基本も、覚えれば覚えるだけきっちり強くなれるという当然の描写なのだが、花道の成長とともに気持ちよく読むことができて、こういうのはやはりスポーツ漫画の普遍的な良さだなと。

最初は「つまんねー」と馬鹿にしていたものの、まずは何よりも基礎が大事なんだ…というまっとうな視点を、ヤンキー世界でハチャメチャな生活をしていた主人公が獲得していく物語が『SLAM DUNK』であるとも言える。だからこそクライマックスの山王戦で花道が最後にぽつりと言う「左手はそえるだけ…」が不朽の名台詞の座を獲得しているんだよね。(ここは後で詳しく語る。)

練習試合の陵南戦では、あれだけ試合に出せ出せ言っていた花道が、いざ試合に出るとめちゃくちゃ緊張してしまう…みたいな描写とかが細やかでリアルで面白かった。花道は最初からずっとこういう可愛げがあって、いっけん自信過剰な性格と矛盾するようだけど「人間ってそういうもんだよな!」とも思えるし、やっぱすげ〜イイ主人公造形だなあと。漫画史に残る主人公だけあるよ。

どうでもいいことだが、序盤で「晴子の顔が赤木(ゴリ)の顔になってる、ギャー!」という悪夢を花道が見る場面があって、まぁ古い感じのギャグではあるのだが、今はゴリみたいな顔の女性って別に全然「美人」として語られうるよな…とか思ったりした。そもそもゴリの顔も今は普通に「ハンサム」の一形態になってると思うしな。こういうとこにも時代の変化を感じるし、女性だけでなく男性側の「美」の基準も広まってるということか…(いや当時からゴリは美しく描かれてたじゃん、と言われたらそうかもだが)。

【中盤 バスケがしたいです編&全国めざしてレッツゴー編】

陵南戦でチュートリアル的な序盤が終わり、いよいよ本格的にバスケ漫画に…と思いきや、ヤンキー&バイオレンス要素の最後の打ち上げ花火のような三井編(バスケがしたいです編)が始まる。不良がスポーツ!という点では、森田まさのりの『ROOKIES』とかもスラダンのこうした流れを継いでいたんだな…と思ったり。

三井編を読み返して改めて思ったのが、三井の挫折の理由がわりとたいしたことねえ〜…ということなのだが(結局そこまで深刻な怪我でもなかったんだよね?)、でもだからこそ逆に切実でもあったなと。そんな凄い悲劇ではなく、ちょっとしたケガとか、くだらない嫉妬とか、ほんの小さなつまずきで、才能あふれる人が前途洋々な未来をダメにしてしまう…ということは現実にも非常にありふれているんだろうなと思う。三井を深刻な悲劇の犠牲者としてヒロイックに描くことはせず、追い詰められると「バスケなんて遊びに夢中になってバカじゃねーの?」とか駄々っ子めいた悪態をつく態度とか本当カッコ悪いし哀れなんだけど、でもだからこそ多くの人に思い当たる節がある、普遍的な苦悩を描けているなと…。そういう人間の薄っぺらい部分に対する細かい掘り下げがあってこそ「バスケがしたいです…」と三井が崩れ落ちる場面が(有名すぎて完全にミーム化してるにもかかわらず)今も変わらぬ感動をもたらすんだと思う。

三井編が終わると全国めざすぞ編が始まり、もう憑き物が(ヤンキーの憑き物?)落ちたように完全なるスポーツ漫画になって、潔いほどバスケしかしなくなる。バイオレンス成分がなくなって少しさびしい気もするが、当然ながらバスケ漫画として本当に面白いし、ここからが本番感。

湘北vs翔陽。監督も兼ねてるキャプテン・藤間、なんでそんな特殊な事情になってるのかの背景が全然語られないのが妙に面白い。なんだかんだ掛け持ちの負担は大きかったようで、「まともな監督が翔陽にいれば…」とか試合の後に言われてて、読者的には「いやそれは…うん…そうだね!」となるしかないのだが…。本当は翔陽のそういうバックストーリーも描こうとしたけど削ったのかな。

湘北vs海南。読み返すと原作屈指の熱いバトルなのだが、うろおぼえすぎてフレッシュな気持ちで楽しめた。こんな激闘がパスミスで終わるのも凄い結末だなと驚いたけど、いくら熱い闘いが繰り広げられようと、終わる時はあっさり終わるのが試合…というクールさがいい。この後もう1回くらい湘北が海南と闘うんだっけ?と思ってたけどそんなことはなかったぜ(うろおぼえすぎる)。

続く海南vs陵南の試合も熱かった。素朴な疑問だが、こういうどっちが勝つかわからない強敵vs強敵の闘い、今はむしろマンガ的な王道の熱い展開って感じだけど(ジョジョ5部のボスvsリゾットとかも)、連載当時はかなり珍しい展開だったんだろうか、そうでもなかったんだろうか。

海南vs陵南、「それでも仙道なら…仙道ならきっとなんとかしてくれる…!!」の死ぬほど有名な場面、本当にけっこうな大ピンチなので、仙道の頼れるっぷりが染みて、純粋にものすごく熱いシーンだった。「諦めたらそこで試合終了ですよ」とか「安西先生…バスケがしたいです」を筆頭に、全体的に『SLAM DUNK』はミームと化しているような有名すぎるセリフや場面が連発するので、「有名なアレだ…」と思わずに純朴な心で読み進めるのが(ジョジョ級に)難しいのだが、でもそういう場面はやはりミームと化すだけあってしみじみ名シーンばかりだなとも思う。ミームと言えば安西先生の「まるで成長していない…!」はもっとギャグ文脈なのかとうろ覚えってたけど全然そんなことなく、むしろ(その後の展開とかを考えても)スラダンで一番キツいシーンとさえ言える…。成長を焦るあまり逆に成長できなかった人の視点からもキツいが、教育者にとってもまさに悪夢だ。そりゃ安西先生も教育方針ガラ変するわ…と思ってしまう。

満を持しての湘北vs陵南もほぼ全てうろ覚えだったが、最後に木暮が決めるくだりは流石に名場面すぎてちゃんと覚えていた。…と思ったが最後の最後は花道が決めて勝利だったことは忘れていた。これだけの激闘を制するのがこの(湘北メンバーで最もかけ離れた)2人ってイイよな〜。むこうの監督の負けゼリフも真摯な教育者って感じでとてもイイ。

【終盤 山王ぶったおせ編】

 やっと山王戦なので、気合を入れる意味で一回お風呂に入ることにした(リマインド:読んでいる場所はスーパー銭湯)。体も温まり、いよいよ漫画で読み返す山王戦は当然のことながらめちゃくちゃ面白かった…。そして改めて『THE FIRST SLAM DUNK』は「映画」として成立させるために、本当に色々な点を大胆に変えたり、削ったり、調整したりしてきたんだなと実感した。映画初見では、原作がうろ覚えすぎて「ここは削った」「ここはそのまま」とかほぼ全然わからなかったのだが…。

 映画では削られていたものの、原作で特に好きだったくだりは、絶望的なまでの天才っぷりを発揮してきた沢北が、逆に桜木の「天才ド素人」っぷりに"恐怖"さえも感じ始める心の動き。沢北が、流川をも上回る完膚無きまでのガチ天才であるからこそ、桜木の(バスケ強者から見れば)全く意味不明な動きが理解できない、というジャンケンみたいな強弱の理屈が少年漫画バトルロジックとしても面白い。桜木を意識して動きがぎこちなくなってしまった沢北が、ふと視線をやった先にヌッ……と桜木が立っている場面なんてほとんどホラー漫画みたいな大ゴマの使い方で、彼の戦慄っぷりが伝わってきて笑ってしまった。ただこのシーンなども、実は漫画にしかできない時間や空間の切り取り方を駆使しているので、映画で削られていたのもしょうがないかなという感じはする。

あと原作では魚住とか清田とか「今まで闘ったアイツら」が再登場して檄を飛ばしたりしてくれる、少年漫画らしいアツイ場面も多いのだが、そういうファンサービス的な要素を映画ではバッサリ削ってるのも英断。クールすぎるといえばそうかもだが、ギリギリまで焦点を絞って映画としての切れ味を増そうとする作り手の気概を感じるし、こうした細かい工夫の結果、ガチ初見勢でも十全に楽しめる、これほど「開かれた」作品になったんだろうなと。

映画の初見でもわかった数少ない変更ポイントとして、ラストの花道の超名台詞「左手はそえるだけ…」を無音にしたくだりがある。これを「なんで言わないの?」と憤る原作ファンも多いかもしれないが、個人的には「な、なるほど…!」と思ったというか、本作の「原作ファンもガチ初見勢も楽しませる」という姿勢を象徴するような変更ポイントだなと。「左手はそえるだけ」って、たとえミュートになっていようが、スラダンを一度でも読破した人なら絶対に脳内で「聴こえてくる」セリフである一方で、原作を読んだことのない人にとっては(たとえセリフとして聞こえたとしても)その真の重み、真の感動が伝わってこないセリフでもあるんだよね。

さっきも書いたけど、欲望や体力の赴くままにめちゃくちゃな生活をしていて、持て余した力によって自分の人生をダメにしていたかもしれない奴らが、「スポーツ」という一種の秩序をそのエネルギーに与えることで、自分でも思ってもいなかったほど"高く跳べる"ようになる、という物語が『SLAM DUNK』の根本なのだと思う。無法図な力に一定の「秩序」を与えて飛躍させることがスポーツ(だけでなくアートでも学問でも漫画でもあらゆること)の可能性なのだとしたら、そのために最も大事なことは、やはり地道な練習と基礎なのである。

だからこそ、最初は「つまらない」と馬鹿にしていた「地道な練習と基礎」の大切さを花道が学んでいく…という、丁寧な積み重ねの描写を本作は欠かさない。それがあってこそ、花道や湘北メンバーの死闘が、ド派手な必殺技めいた「スラムダンク」ではなく、まさに"基礎中の基礎"である「左手はそえるだけ」のセリフと、地道に練習してきた「つまらない」シュートによって決着することが、真に深い感動を与えてくれるのだ。

…ただし、である。こうした積み重ねのストーリーは、あくまでも原作の主人公だった「花道の物語」であるとも言える。それこそ1本の映画では絶対に描ききれないことでもあり、本作はリョータ視点なこともあって、「花道の物語」を描くにしても時間的な限界があるし、初見の人にとっては感動も中途半端になってしまうだろう。だから「左手はそえるだけ」のセリフはいっそ無音にすることで、原作ファンには「脳内で再生してもらう」、初見の人には「何を言ったか想像してもらう」という凄い判断をしたわけだ。なんつー決断だよと驚愕してしまうが(自分が井上雄彦だったら絶対にそんな判断できる自信がない)、これほどの超有名タイトルであるからこそ可能な荒業といえる。

同じく名シーンである「大好きです 今度は嘘じゃないっす」がバッサリ削られたのも、「花道のストーリーを最初期から追ってないと感動が十分に伝わらない」セリフであるという点で、似たような理由じゃないかと思う。原作を読み返すと本当に良いシーンなので、よく思い切って削ったな!?とやはり震撼してしまうし、「さすがにこれは入れてよ!?」と戸惑ってor怒っている人の気持もわかるのだが…。

 

ここで冒頭で述べた本『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』に話を映すと、この本の非常に充実したインタビューでは、井上氏が「あくまで本作はリョータ視点の話なので、花道のつぶやく声は彼には聞こえないから…」的な話をしていたりもした。上で書いたような理由もあるんじゃないかと思うが、リアリズムの飽くなき追求の現れでもあるということか…。

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それにしてもこの『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』を読むとよくわかるのだが、井上雄彦氏の(監督なら当たり前とも言えるけど)映画への関わり方がマジで生半可じゃなくて、ちょっともう戦慄するしかない。モーションキャプチャーを元にアニメーターが起こしたリアルなCGに、さらに凄い精度で漫画家ならではの訂正や修正を入れて、自身の考える理想の絵と動きを限界まで追求していく…というプロセスが詳しく語られている。井上氏にとっても、共に作業するアニメーターにとっても、その道のりの果てしなさを考えると気が遠くなってしまう。「絶対に良いものができる」という確信がなければ不可能だったんじゃないだろうか…(できたから良いが…)。

漫画のアニメ化といえば、今の日本の映画界/アニメ界でも中心的コンテンツと言えるわけだが、「アニメはできる限りオリジナルの漫画を"尊重"して、原作通りに作ろうね」という姿勢が主流といえる。そんな中、原作者である井上雄彦氏がガッツリ関わった『THE FIRST SLAM DUNK』がむしろ近年で最も、原作を大胆に「変える」ことを恐れないアニメになってることは凄く面白いと思う。

スラダン原作を読み返してつくづく思うのは、やっぱり漫画とアニメって全く違うエンタメ形式であって、時間の経過や思考の表現を表すにしろ、たとえば小さなコマの使い方ひとつでも、本来は完全に別の手法が要求される。(実際、その両者の深すぎる溝にずっと井上氏自身も煩悶してきたことが『THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE』には赤裸々に書いてあった。)

たとえば『鬼滅』にしろ『ジョジョ』にしろ、極力「原作通り」を目指す志向をみせる昨今のアニメって、要はコアな原作ファン(私とか)が怒らないようにする「安全な」作りでもあるんだと思う。ただ、そこにどうにも違和感を抱くこともある。今でいえばジョジョ6部のアニメがやってて、全然ふつうに良い出来だし楽しく見てるんだけど、原作漫画の大ファンからすると、漫画の絵を(上手く再構成&微調整してるとはいえ)ほぼそのまま再現したアニメを見ながら「これってよく考えると何なんだろう…?」と思うこともあって。

ジョジョは本来あくまで「漫画」であり、紙の上で二次元の絵と文字の組み合わせによって物語を語るという「縛り」ありきの表現のために最適化された作品なわけで。その結果として異様なポージングとか奇妙な擬音とか凄い構図とかも生まれていると思うんだけど、たとえば荒木飛呂彦先生が本当にアニメーションの手法でジョジョの物語を語ろうと思ったら、また全然違うスタイルになるはずじゃん? 少なくとも現行のアニメみたいな「漫画をそのままアニメにしたよ」的な作りにはならないわけじゃん?…という気持ちが頭の片隅にある。これはジョジョに限った話ではなく、漫画のアニメ化全体に思うことなのだが…。

いやいや、アニメを作ってるのが原作者じゃなく第三者な以上、そこはオリジナリティとか出せなくたって仕方ないだろ!というのは本当にその通りだし、原作ファン(私含む)への忖度もある以上、実際には難しいよなと思う。それでも、というかだからこそ、原作者が超ガッツリ関わった『THE FIRST SLAM DUNK』がその辺のしがらみをブッちぎって原作を大胆に変更&再構成して、革新的な傑作へと飛躍させてくれたことは、本当に痛快だし、凄く示唆に富んでもいるし、漫画好き&アニメ好きとしても両者の関係について改めて考えさせられたのだった…。

まぁそんな『THE FIRST SLAM DUNK』にしたって、「原作者が思いっきり関わってる」という大前提がなかったら(たとえ改変がどんなに効果的でも)絶対にもっと非難轟々だったろうし、その意味で今回は本当に唯一無二の挑戦であって、再現性があるか怪しいとも言えるんだけど。でもだからこそ、『SLAM DUNK』が日本の漫画の歴史に刻まれたように、『THE FIRST SLAM DUNK』もまた確実に日本のアニメ/映画にとっての超重要作として語られていくだろうと確信するのだった。

 

最後は結局原作よりも映画の話になっちゃいましたが、いったん終わり。『THE FIRST SLAM DUNK』未見の人、スラダン原作まったく知らなくても本当もうすぐ観に行っちゃったほうがいいと思う!!おしまい。