沼の見える街

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歪みを愛せよ。『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』感想&レビュー(ネタバレ控えめ)

 ただでさえ今年2023年は、『長ぐつをはいたネコと9つの命』『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』『ニモーナ』など、アニメーション表現の面でもテーマ性の面でも傑出した海外アニメ映画が連発している。だがクラクラしている我々アニメ好きにトドメをさすように、またも革新的な一作が登場した。『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』である。

予告編を見てもらうだけでも、そのアニメ表現の斬新さは伝わってくるだろう。

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 「めちゃくちゃ絵のうまい人が、落書きみたいにさっと描いたラフな絵」のカッコよさというのがあると思うが、それをアニメ表現に落とし込むことは極めて難しかった。たとえコンセプトアートやアイディアスケッチの段階では「ラフさ」にあふれていたとしても、映画が完成形に近づくにつれて、ラフではなく「本気」の、誰が見ても完成度の高いルックにまとめ上げなければいけない以上、発想の源流では満ちていた「ラフさ」は次第に失われていくものだ。だが本作『ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』では、その生き生きとした「ラフさ」が、完成したアニメの中に見事に刻まれている。

 というわけで、本作の素晴らしさを語っていきたい。ネタバレは控えめにしておくが、何も知らずに観たい人は今すぐ劇場に駆けつけてほしい。これほど素晴らしい作品にもかかわらず、今のところ日本では興収面で苦戦しているという話も聞く(海外アニメあるある)ので、なるべく早めに行ったほうがいいかもしれない…。

 

◯現代アニメーションの新たなる王道

 3Dアニメの「つるん」とした無機質とも言える質感に対して、いかに2Dアニメの「絵が動く」豊かな表現をドッキングし、昇華させるか。その挑戦にひとつの「答え」を示した超重要作『スパイダーマン:スパイダーバース』(2019)以降、海外アニメ映画は完全に次のステージに移行したといえる。

 昨年の筆頭として、昨年のドリームワークスの映画『バッドガイズ』や…

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 半年前に公開された『長ぐつをはいたネコと9つの命』が上げられる。この数年のアニメーションの流れは、↓の記事でも解説したので参照してほしい。

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 そして今年の大本命として、本家『スパイダーバース』の続編『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』が公開された。これがまた、アニメ表現の可能性を数段も押し上げるような凄まじい出来栄えの続編だった。

 こうした2Dと3Dの掛け算ともいうべきアニメ表現の「新たなる潮流」は、もはや「新たなる王道」と言っていいほどの存在感を放っているわけだが、その中でも特に今回、押さえておくべき作品がある。それは『スパイダーバース』と同じソニー・ピクチャーズ・アニメーション制作の『ミッチェル家とマシンの反乱』(2021)だ。

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 なぜ重要かというと、『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』の監督であるジェフ・ロウが、本作『ミッチェル家とマシンの反乱』の共同監督を務めていたからだ。YouTube・TikTok時代の新世代的なアニメーションやカジュアルな動画クリエイトのセンスが炸裂した長編アニメ映画であり、今回の『タートルズ』のアートと通じる部分も大いにあるので、未見ならぜひ観ておいてほしい。

 ちなみにジェフ・ロウは『怪奇ゾーン グラビティフォールズ』シーズン2の脚本家も務めていた。日本での知名度はそれほど高くないが、たいへん楽しく最後はグッときてしまうアニメだし、『アウルハウス』『ふしぎの国アンフィビア』『陰謀論のオシゴト』など、高く評価されている最先端アニメシリーズの潮流を考える上で、とても重要な起点となっている作品なので、こちらもぜひチェックしてほしい。

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◯革新的に「歪んだ」アニメーションと美術

 本作『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』のアニメーションの凄さは誰の目にも明らかなだけに、語るにしても一体どこから手を付けたものか迷うほどだ。だが最初の一歩は明らかである。私たち観客が最初に目にする物体、マンホールだ。

 どこの街にもある、何の変哲もないはずのマンホールの蓋はずだが、まるで子どもがフリーハンドで適当に描いたかのように、その円形は奇妙に歪んでいる。だがこの「歪み」こそが、本作のアートの革新性を体現するものだ。これを冒頭でバーンと示すことで、このマンホールに作品全体の「思想」を象徴させているようにも思える。「このアニメはこれで行きますんで、ヨロシク!」と決意宣言をするかのように、作り手の打ち鳴らす「号砲」であるかのように。

 この「歪んだ楕円」は他にも、直後に出てくる信号機など、本来は「正円」として描かれるはずの様々な物体にも適応される。このラフなフリーハンド感が、本作が表す世界観に独特の疾走感と心地よさを与えているのだ。

 「歪み」が"侵食"するのは円だけではなく、街そのものにも及ぶ。アートブックには街のコンセプトアートが載っているのだが、そこには「幼児が太いクレヨンで描いた感を出す」「ガサツな線で形を崩す」などの指示がわざわざ出されている。

 これはあくまでコンセプトアートのはずだが、実際の作品で描かれる街の背景をチェックしてみると、むしろさらに歪んでラフな感じの描かれ方になっていることがよくわかる。↓

 この「街」はタートルズたちが「見ている」街でもある。主役のタートルズがあくまでティーンエイジャーであり、人間社会や文化をまだよく理解していないがゆえの「解像度の低さ」の表現でもあるのだろう。だからこそ、「何かよくわからないけど不思議で楽しそうな街」としてのニューヨークが輝かしく見えてくる。こうした全年齢アニメ映画としては珍しいほど、シーンの大半を「夜の街」の描写が占めるというのも、本作のオリジナリティを増している。

 とりわけ面白いのは、本作のアートを貫く「歪み」が、主役のミュータントの造形や、物体や街の美術だけでなく、地上の人間のデザインにも適用されていることだ。

 本作には沢山の人間が登場するが、誰一人として「左右対称」ではなく、キュビズム的な美術表現も連想するほど、左右非対称かつ不均衡に歪んでいる。わかりやすく「異形」的にぐにゃぐにゃしているミュータントたちより、むしろ人間たちのデザインの方の「歪み」をこそ強く意識させる構造になっているのだ。

 こうした発想は、『ベルヴィル・ランデブー』(2002)で広く知られるフランスのアニメーション監督シルヴァン・ショメなど、ヨーロッパのアートアニメ的なキャラクター造形や美術と通じる部分もある。わざわざ露悪的に「醜く」描いているというよりは、現実の有り様を正確に写し取り、リアリティと生命感あふれる世界をユーモラスに構築しようとする試みなのだ。

 本作『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』のキャラクターデザイナーのウッドロウ・ホワイトも、アートブックの中で「人間のキャラクターもミュータントに負けないくらい変な見た目にしようとした」と語っている。「受容と疎外が本作のテーマ」であり、「人間を醜くすることで、ミュータント目線で物が見れて、タートルズにとっての人間の奇妙さがわかりやすくなる」と考えたという。 

 確かに本作の「歪み」は誇張されているといえるが、実は私たち現実の人間の外見にしても、自分で思っているほどに「左右対称」ではない。ためしに自分の顔写真の中心に鏡を立てて無理やり「左右対称」にしてみると、「あれ、なんか違うな…」と違和感を抱く人が大半ではないだろうか(実は目の大きさや位置、顔の輪郭なども左右で微妙に異なったりするため)。大抵のアニメなどで描かれる人間は、美しく左右対称に整っていることが多いが、むしろそれこそが「誇張」された表現ではないか…ということまで考えてしまう。

 生物である以上、キレイに「整って」いることなどなく、むしろみんな「歪んで」いるにもかかわらず、地下にすむミュータントだけが「気持ち悪い」と罵られ、石を投げられてしまう…。先述したマンホールは、タートルズたちが暮らす地下の世界と、人間たちが暮らす地上の世界をつなぐ「ドア」でもある。そんなドアまでもがぐにゃりと「歪んで」いる冒頭の絵は、本作の根本的なテーマを(どこか皮肉に)示唆しているように思えてこないだろうか。

 

◯愛すべき「歪んだ」キャラクターたち

 キャラクターもみな魅力的だ。まずはいうまでもなく、タートルズの面々がいい。リーダー的なレオナルド、パワー系のラファエロ、陽気なミケランジェロ、頭脳派のドナテッロという王道的なキャラクター造形の4人組ながら、たいへんリアリティのある「おバカなティーン感」を醸し出してくれる。

 まず基本的なことだが、原語版では4人とも声優をリアル「ティーンエイジャー」で揃えているのはエライ。本作の邦題は『ミュータント・タートルズ』だが、オリジナル表記は『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』であり、「ティーンエイジ」要素はタイトルに入るほど重要にもかかわらず、実はこれまでそれほど重視されてこなかった。ある意味では"当事者キャスティング"といえる、「リアル10代」が命を吹き込んだ楽しくカワイくバカな会話の数々が、本作のタートルズに嘘くさくない生命力を与えている。「大人が考えた都合良い子ども」感が限りなく薄いのだ。

 楽しさだけでなく、単なる子どもにすぎないカメたちが高い格闘能力と武器を振り回してる姿を見ると「大丈夫かな…」とちょっとヒヤヒヤするし、恐ろしげな目にあっているのを見ると「やめてあげて〜」と思ってしまうし、本当に子どもの振る舞いを観ているようで、良くも悪くも全体的に目が離せないスリルも生んでいる。こうした若々しい勢いを、本作のアートの「ラフな」タッチが倍増させていることも特筆すべきだ。(カメとはいえ)ティーンの描かれ方のリアルさとしては、けっこう本当にアニメ史に残る級ではないだろうか。

 カワイイだけでなく、アクション映画としてきっちりカッコいい場面も用意されているのはさすがだ。特に街の悪党たちの根城に乗り込むシークエンスで、全く同じ構図で複数の時系列のシーンをすばやく切り替えながら、シームレスにバトルを繋いでいく場面は凄い(言葉で説明すると伝わりづらいが…)。近年のアニメの中でも最大級にカッコよく、実写映画でもなかなか観ないような、スタイリッシュなバトルシーンとなっている。

 どのメンバーも魅力的だが、日本の観客にとって、オタク的な性格のドナテッロ(ドニー)は、特に印象に残るキャラクターかもしれない。というのも『進撃の巨人』のようなアニメなど、日本のポップカルチャーへの言及をちょいちょい挟んでくれるからである。『進撃』に至ってはクライマックスでけっこう重要な鍵を握ったりさえする。

 ちなみにアートブックで、ドニーが着てるパーカーのロゴが思いっきり『ジョジョの奇妙な冒険』であることに気づいたが、ジェフ監督が「"同士求む"という彼なりのサイン」と明言していた。ドニーの声優を務めた子が「ジョジョ」好きだったゆえのチョイスらしい。『進撃の巨人』といい、現代のオタク海外ティーンの日本アニメ受容もうっすら伝わってくるのも興味深かった。よく見るとゲーム機(ニンテンドー64!)にカービィのソフトがあったり、高校の掲示板に『ヒロアカ』のデクがいたりするので探してみよう。

 タートルズ以外でお気に入りだったキャラクターは、エイプリルである。

 カメラの前に立つと緊張して吐いてしまうという、ジャーナリスト志望者としてはそこそこ深刻な弱点を抱えながらも、決して諦めることなく夢とチャンスを狙う…という、繊細さとタフさを併せ持つ女の子だ。

 最悪の失敗場面が映像に残ってしまい、それがネットミーム化して拡散…というのは、本来ギャグですまされないくらい心の傷を残しそうな出来事だが、現代ならではの「ありそう」な顛末でけっこう怖い。しかしだからこそ、彼女が本作でたどるストーリーは、何か大きな失敗をしたり、人前で大恥をかいてしまった若者(や大人)を勇気づけるのではないだろうか。新時代の映像の力でのし上がろうとする少女という点で、監督の前作『ミッチェル家とマシンの反乱』の主人公ケイティとも通じる人格でもある。

 なお昔のアニメなどでは大人の白人女性として描かれていたエイプリルだが、近年ではキャラクターの再構成・再解釈が進み、2Dアニメ『ライズ・オブ・ザ・ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ』では黒人少女として登場している。↓

 本作『ミュータント・パニック!』のエイプリルもこうした流れを継いだと言えそうだが、がっしりしたリアリティのある体格やラフな服装など、Z世代的なルックが本作の世界観によくマッチしている。大人向け・子ども向け双方において、アニメにおける「少女」の描き方がどうしても「美少女」方向で画一的になりがちな日本でも、こうしたリアリズムあふれる魅力的なキャラクター造形に挑戦してほしいところだが…。

 ちなみにエイプリルの原語版の声優をアヨ・エデビリ(Ayo Edebiri)が務めていることを知り、嬉しくなった。大好きなドラマ『The Bear(邦題:一流シェフのファミリーレストラン)』の準主役といえるシドニー役の女優である。世間の絶賛にも納得するしかない傑作ドラマなので、本作のエイプリルが気に入った人は必ずこちらも観てほしい。邦題はひどいが…。

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◯「歪んだ」世界のまっすぐなストーリー

 本作の美点を語る上で、どうしてもアニメ表現や美術に注目せざるをえないが、ストーリーもとても力強く、心を打つものだった。本作のストーリーの良さを語る点で、2人の対照的な重要キャラクターに光を当てたい。スプリンターとスーパーフライである。

 まず、ネズミのミュータントであるスプリンターは、タートルズの父親にして師匠のようなキャラクターだ。幼いカメたちを助けたことで、自分もミュータントに変異してしまい、それ以降タートルズを地下で世話することになる。ちなみに原語ではジャッキー・チェンが声を演じているだけあって、アクション的な見せ場も用意されている。

 そんなスプリンターだが、いちど「地上」に出た時、人間たちに化け物扱いをされて追い回されたことがトラウマとなり、タートルズにも地上に出ることを禁じて育てることになる。こうしたキャラクター造形に、現実のマイノリティ、とりわけアメリカの都市部で生きる移民・難民(やその子孫)の姿が反映されていることは疑いようもない。

 自分が受けた過酷な差別や弾圧が傷となり、若い世代に対して(傷ついてほしくないばかりに)抑圧的な振る舞いをしてしまう…という負の連鎖は、近年のアニメでも『私ときどきレッサーパンダ』や『マイ・エレメント』などでも暗喩的に語られた問題なのだが、本作『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』ではより直接的に光が当てられる。

 ここでも、キャラクター描写の「歪み」が重要な鍵となっていることに注目だ。タートルズにしろスプリンターにしろ、後に登場する他のミュータントにしろ、ごちゃごちゃ・グニョグニョした「歪み」が隠されずに表現されている。これによって、「僕たちを受け入れてくれる人間が他にもいるかな?」と尋ねるタートルズに対して、エイプリルが「いないよ」と返す(ひどい)場面も、まぁとはいえムリもないかな…と思えてくる。それほど生々しいリアリティを放つ造形になっているからこそ、現実のマイノリティのメタファーでもある彼らを取り巻く状況のシビアさが、嘘くさくなく伝わってくる。

 その意味で本作の「メインヴィラン」となるハエのミュータント、スーパーフライも興味深いキャラクターだ。

 原語版では有名ミュージシャンのアイスキューブが声を演じていることもあり、敵役とはいえチャーミングさや人間臭さも存分に発揮するキャラ造形となっている。多数派の人間に虐げられてきたことから、暴力による復讐や世界の撹乱を決意した人物という点で、『ブラックパンサー』のキルモンガーや、『羅小黒戦記』の風息(フーシー)に相当する、恐ろしげな一方で共感や同情をも誘う「悪役」キャラクターといえるだろう。

 なお少々ネタバレとなるが、スーパーフライがクライマックスで変身する「最終形態」が、異形の「わくわく動物映画」でもある本作を締めくくるにふさわしいカオスっぷりでアガるので必見だ。日本のゲーム『塊魂』や、イタリアの画家ジュゼッペ・アルチンボルドを参考にしたとアートブックに書いてあって、ズバリそんな感じだな…!と思った。

 ところで本作、当初は(冒頭でスーパーフライを育てていた)科学者バクスターがハエのミュータントになる…という話だったらしいのだが、やはりスーパーフライの出生は元々ハエだった方が物語として締まると判断したのだろう。そこにはスプリンターとの対比もあるのだと思う。

 スプリンターとスーパーフライは実は似た背景をもつキャラクターで、「プロフェッサーXとマグニートーのような関係性」だと作り手も語っている。どちらも多数派の人間に弾圧されたトラウマを持つと同時に、家族のような同胞への愛情も抱えている。2人は最終的に分岐することとなるが、スーパーフライを「邪悪」として片付けることもしづらい。元はと言えば2人を傷つけたのは、異なる他者を排除せずにはいられなかった人間の性質なのだから。

 だからこそクライマックスで、恐怖に怯えるスプリンターに差し伸べられるささやかな「救い」と、そこから始まる逆襲は、今年の全てのエンタメ作品でもトップクラスに熱く、感動的なものとして輝いている。ネタバレは避けたいが、『スパイダーマン』シリーズの過去作とも通じるようなカタルシスがあり、独特のタッチで描かれる「街」そのものが「もうひとりの主人公」であるような本作にふさわしい、文句なしに燃える展開だ。

 この展開に対して「あっさり手のひらを返しやがって…」という声もあるかもしれない(正直それも理解できる)が、本作は人間がまさにその「手のひら」を、異質な他者やマイノリティに対してどのように用いるべきなのか…と突きつける物語でもある。自分たちの「歪み」に気づくことさえなく、他者の「歪み」にばかり目をつけて、拳を握りしめ、排除するべきなのか。それともそうした「歪み」もまた愛することで、追い詰められた弱者に対して「手を差し伸べる」べきだろうか。人々が正しい「手の使い方」にたどり着くため、ジャーナリズムがいかに重要な役割を果たすかということも、唯一の善良な人間キャラであるエイプリルの活躍を通じて示されるのが巧みだ。

この素晴らしく「歪んだ」美しいアートで描かれたアニメ映画よりも、よほど不完全で不健全に「歪んで」いるようにも思える我々のリアル世界が、果たして本作の結末が示したような希望に向かって分岐できるのか…。それはまさしく私たちの「手」にかかっているということが、本作が最も伝えたかった「まっすぐな」メッセージではないかと思う。

 

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ところで必須ではないが、観ておくとさらに『ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!』が楽しめると思われる配信作品がある。Netflixの『ボクらを作ったオモチャたち』シーズン3初回のタートルズ回だ。意外にも長く複雑に曲がりくねった『タートルズ』シリーズの歴史をざっくり眺めることができる。実はジェフ・ロウ監督も、この回を観てから『ミュータント・パニック!』を発想した、と語っていた。ラストで『タートルズ』を創造した(が後に仲違いをしてしまった)2人が、仲良く手描きのイラストを描いている姿は、今回の映画の美術に対して大きなインスピレーションを与えたのではないだろうか。

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記事でも何度か紹介したがアート本『アート・オブ・ミュータント・タートルズ:ミュータント・パニック!』もオススメ。美しいコンセプト絵とか設定イラストとかジェフ・ロウ監督やセスのインタビューとか色々のってて良かった。海外アニメのアート本が劇場公開と同時に出るとか滅多にない厚遇だし、ファンはゲットしようね(日本が最速出版らしいし)