東京都美術館「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」に行った。とても楽しめたので、かんたんな感想レポート。
スウェーデン美術の黄金時代を築いた画家カール・ラーションの作品《カードゲームの支度》を筆頭に、その前でゆっくり時間を過ごすに値する美しい絵の数々に出会えて満足できた。
西洋美術史の本にもスウェーデン絵画はあまり登場しない。ゴンブリッチの『美術の物語』にも北欧の近代美術の画家はエドヴァルド・ムンクしか登場しない、西洋でさえ北欧アートは軽んじられとるな〜…というのが定番の批判になっている、と本展図録のコラムでも語られていた。
(『美術の物語』は誰もが認める名著なのでオススメ↓)
だからこそというべきか、この「スウェーデン絵画」展の特徴として、19世紀後半の美術史における激震地だったパリと、スウェーデンの画家たちの間の、付かず離れずの絶妙な距離感が強調されている。パリとの密接な関係を保ちつつ、スウェーデンの自然や文化を描くための、独自の美意識を発展させていった。そうした画家たちの試みの数々に目を奪われる展示だった。
スウェーデンの若い世代の芸術家は、1880年頃からフランスで学び、新しい美術の潮流を祖国に持ち帰った。ただしセザンヌとかゴッホみたいな、後期印象派といいつつほぼモダニズム突入しとるやん、みたいな画風とは全く違って、レアリスムをベースにしつつ、あくまで人や世界に対する写実性と親しみやすさは保ったまま、日常や自然を描いた。その代表格がスウェーデンの「国民的画家」と称されるカール・ラーション。今回は代表作である《カードゲームの支度》が展示されている。



家具や壁の緑と赤、木材のブラウンなどを基調にして、誰しもホッとできると同時に、強く目を引くような鮮やかな色彩空間を作り出している。こうした試みは今も「北欧の暮らし」的なイメージの中に生きてるんだろうな、と思わせる見事な絵画だ。
ラーションが実際の居住地を描いた連作「ある住まい」シリーズが人気で、素材の問題などもあってあまり一気に展示できないようなのだが、東京展ではこの「キッチン」が展示されていた。静けさと親しみやすさ、空間をうまく使った構図の美しさが決まっていて、ずっと見ていたくなる。なんとなくだが、とても日本人ウケしそうな画風だなと思う(いつかまとめて「ある住まい」シリーズの展示とかできたら大盛況かもしれない)

ともあれ、フランスで起こった近代アート革命は確かに偉大だったが、それだけが西欧近代美術の「本流」ということでは当然なくて、国や地域でそれぞれ異なるトライアル&エラーが繰り返された結果、スウェーデンでも独自の魅力を今も放つ作品が数多く生み出された。それを紹介するのが本展の趣旨である。
鳥好きとして見逃せないのは、ブリューノ・リリエフォッシュという画家である。「スウェーデン人画家のABC」と呼ばれる、特に名高い3人の画家がいる(うち一人が先ほどのカール・ラーション)なのだが、リリエフォッシュはその一人だ。

鳥や動物の絵画を得意とした人なのだが、どれも素晴らしくて、同じ動物描きとして(傲慢!!)見入ってしまった。こちらの《カケス》(会場では撮影禁止エリアだったので図録より部分転載)をはじめ、身近な鳥たちの一瞬の動きや表情を見事に捉えている。自然や生物の観察とは、やはり素晴らしいものだ、とシンプルに思わせてくれる。
この《カケス》で、葉っぱを手前にざっくり描いて置く果敢さなど、日本画(浮世絵)からの影響も指摘されてるようで、このへんも日本というかパリとのつながりを感じさせる。ただしパリの画家でも印象派っぽい技法でこのリアルタッチで動物を描いた人はあまり思いつかないので、やはりリリエフォッシュの視点ならでは、スウェーデンという土地ならではでの独自の発展を遂げたと言ってよさそう。
ブリューノ・リリエフォッシュの鳥絵画でいうと、《4種の鳥の習作》も非常に良かった。額縁は日本の襖絵や屏風絵に見られる「貼交(はりまぜ)」を意識していて、リリエフォッシュ自身がデザインしたもの。

セアカモズ(左上)の大胆な筆さばきも、キタヤナギムシクイ(右)の写真と見紛う精緻さも、同じ一枚のなかでタッチからけっこう違ったりして見どころ多い。


フランスのバルビゾン派(コローとか)のような自然主義的な風景画を実践しつつ、同時に鳥たちの動きのある瞬間を精緻に捉えるという技法はなかなか特異で、限りなくナショナル・ジオグラフィックみたいな(?)ことを19世紀後半の絵画でやろうとしている。
4種の鳥たちには「捕食」という共通要素もあり、生命と自然の相互関係という大きなテーマも表現されているのだろう。動物にはイマイチ興味もてなかったように見えるフランス勢とは一線を画していると言えて、このへんはさすが自然を深く愛する北欧のセンスというべきなのか。
ブリューノ・リリエフォッシュ、鳥絵だと他にも「ケワタガモ」と「ダイシャクシギ」も見落とすなかれ。


波の一部と化しているかのようなケワタガモもそうだが、ほとんど背景と同化しているダイシャクシギの姿に、リリエフォッシュはダーウィンの理論(環境への順応)から受けた影響を反映したようだ。生命と風景がほぼ一体化している光景というのは、たしかに思いのほか印象派っぽいテーマなのかもしれない。(そのものズバリ動物の保護色や擬態をモチーフにそれを表現するのはユニークだが…。)ダーウィン進化論と印象派という、19世紀の科学と美術をそれぞれ代表する二大概念の橋渡しのような人ともいえるね、リリエフォッシュ。面白い画家に会えてよかった。
他にリリエフォッシュ関連で、ちょっと面白かったくだり。
スウェーデンを代表する大画家アンデシュ・ソーン(先述した「スウェーデン人画家のABC」の3人目)は山奥の小屋で暮らし、よく画家仲間を招待していたが、暖房とかないし寒すぎて友人には不評だったらしい。スウェーデンの人が寒いというんだからほんとに寒かったのだろう。
先述のブリューノ・リリエフォッシュもソーンちに招待されたが、やはり寒すぎたのかさっさと帰ってしまったという。

これはその時ソーンがリリエフォッシュを描いた絵だが、そのエピソードを聞いた後だと「うう、寒いよぉ…」というリリエフォッシュの気持ちが伝わってくる(さすがに軽装すぎるのでマジでぜんぶ雪中で描いたんじゃなさそうだが)。
ソーンもけっこう面白い画家で、この《故郷の調べ》とか、去年描いたんだ〜といわれてもうっかり信じそうになるような不思議な現代性がある。実際は百年前の絵画なのだが。なんだろう、服の色使いとかも相まって、ぱっと見だとヘッドホンしてギター弾き語りしてるみたいに見える…というのもあるんだろうけど。

いいなと思う絵、他にも沢山あったが、いったん4枚ほど。
ファンニ・ブラーテ《陽光》

タイトル通り陽光がつくりだす平穏な室内空間が目に心地良い。子どもがのんびり寝っ転がってる姿も印象的だが、この時代のスウェーデン絵画にはけっこう、当時の北欧の教育についての新しい意識が反映されているんだとか。
カール・ヴィルヘルムソン《ゴースウー小岩島》

ヴィルヘルムソンは海で親族を亡くしていたり、故郷の海にけっこう複雑な思いを抱えていたそうなのだが、そうした人の生や死も包み込むような輝かしい美しさが表現されている。
グスタヴ・アンカルクローナ《太古の時代》

暗闇にぼわっと浮かび上がる、明け方のような夕暮れのようなオーロラのような光がなんとも目を引き、写真撮ってる人も多かった印象。ヴァイキング船の船首がちょっとカワイイというのもあるかも。「北欧らしい自然とは、歴史とは、絵画とは、なんなのか」という、ある種のナショナリズム的なアートを掘り下げる中で生まれた美でもある。北欧の人が考える「北欧らしさ」、けっこう興味深いな。
アウグスト・ストリンドバリ《ワンダーランド》

19世紀北欧を代表する芸術家…だがどちらかというと小説家、劇作家として知られているストリンドバリの描いた絵。最初は森を描こうとしたが、なんだかんだモチーフが変わっていき、ついには抽象的な光の空間という感じになっていた…という経緯を踏まえても、かなりもうジャクソン・ポロックみたいな抽象画の方向に突き進んでいる雰囲気がある。その意味では、少し前にあたるターナーがやったことも、モネがやったこともそうなんだけど。このあたりの限りなく抽象画っぽい具象画は、個人的に本物の抽象画よりも興味をひかれるかもしれない。
「スウェーデン絵画展」を楽しんだ後、こんなことをブルスカに書いた。
美術展で数時間ほど過ごしたのだが、やはり人間の描いた絵というのは素晴らしいなと思った。絵とは、誰かが世界をちゃんと見たという証拠であり、日々を適当に生きてしょうもないものばかり見て時間とエネルギーを無駄にして大抵の美を見逃して死んでいく悲しき存在である私たちは、世界を見ることに基本的に失敗している私たちは、絵を見ることで、誰かが世界を見ることに成功した証拠を見ることで、元気づけられるのだ。私たちもくだらんものばかり見てないで、広告に惑わされてないで、死ぬ前にもっとたくさんの美に触れよう、世界に美を見出そうと励まされるのだ。それが絵の核心であり、結果だけ機械にポンと出してもらっても仕方ないのだ。
— ぬまがさワタリ@『いきものニュース図解』ほか3/19同時発売 (@numagasa.bsky.social) 2026-02-27T10:32:52.411Z
その次の日くらいに、トランプがイランを爆撃したり、第三次世界大戦みたいな雰囲気になったというのもあり、かえってなおさら絵を観たりすることの重要性を思うようになった。
芸術が現実逃避と社会性の忌避を正当化するための口実であってはならないし(特にそういう傾向が文化的にも強い日本では)、基本的に世の中で起きていることに対して開かれていたほうがいいと思うが、それと同時に「閉じる」こと、つまり外界にカオスが渦巻いている時に、自分が愛する美しい世界に閉じこもることの重要性も増していくかもしれない、と思ったりする。
ソルニットの『オーウェルの薔薇』はまさにそうしたテーマの本だった。
注意経済(アテンション・エコノミー)が生み出した乱痴気騒ぎを無視して「閉じる」ことは、むしろより広い世界に窓を「開く」ことでもある。その窓のひとつが、絵なのだ。

