沼の見える街

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つまらない建物が世界を滅ぼす!?『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』読書感想

あなたの住む街の建物は「面白い」だろうか、それとも「つまらない」だろうか。そもそも「面白い」とか「つまらない」とかの視点で建物を見たことなんかないよ、映画じゃないんだから、と思うだろうか。そりゃたしかに街に並ぶビルも、郊外の住宅地も、「面白い」外観じゃないだろうけど、建築なんて実用性が第一であって、面白さなんて目的じゃないんだから、それでいいんじゃないの? 面白いかつまらないか、なんてそんなに重要なことか?

ああ、ものすごく重要だ、と熱く語りまくる一冊、それが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』である。

それほど建築への興味を持っていなくても、とても面白かったし、ひたすら読みやすかったし、街や建物を見る目が間違いなく変わる一冊だった。まだ1月だが、今年のベスト本に確実に入ってきそうだ。

著者は著名なデザイナーのトーマス・ヘザウィック。イギリスの〈コール・ドロップス・ヤード〉などの建築から、家具まで多様な作品群を手掛けている。

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知らなかったが、麻布台ヒルズのガーデンプラザもヘザウィック・スタジオの設計のようだ。(このまえ「高畑勲展」で行ったな。)今度行ったらよく見てみよう。

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本書『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』では、私たちの街にそびえ立ち並ぶ「つまらない(BORING)」建物をぶった斬っていく。独創性、親しみやすさ、楽しさといった人間的な要素を排除して、建築を大量生産の工業品のように捉える(にもかかわらず建築家は自身を芸術家と思い込んでいる)モダニズムがもつ有害な側面を、わかりやすく論じていく。そのうえで、建物をHUMANISE(人間らしくする)することの重要性を語る本となっている。

『HUMANISE』冒頭で、最高の例としてあげられる建築物が、ガウディの作品群だ。

著者は若い時、バルセロナでガウディが建てた「カサ・ミラ」に衝撃を受けたという。

(数年前バルセロナに行った時に撮ったカサ・ミラの写真↓ あまり長居できなかったが…)

「それまでの人生で見たどんなものにも似ていなくて、とんでもなく生々しい石の彫刻の性質と、現代的な集合住宅の性質を兼ね備えていた。
私は唖然とした。こんな建物が存在するなんて、思ってもみなかった。」

「9階建ての建物のファサードは光を受けながら驚くほどにうねっていて、内から外、上から下へと自由自在に踊っている。まるで建物自体が呼吸しているみたいだ。」

ヘザウィックは自身も建築業界でキャリアを重ね、金・時間・法規・政治の影響力も、ちょっと曲線が入るだけで建築家がビビることも知った上で、カサ・ミラが「いかに天才的であるかを明確に理解できるようになった」と。

カサ・ミラは「大胆な曲線の祭典」であり、当時もセンセーショナルで、実際ガウディも当局と揉めまくり、「高すぎ、柱が歩道にはみ出てる」など法令違反もあった。しかしガウディは高額な罰金(設計料と同額)を払ってまでこのデザインに固執した。

それはカサ・ミラの生命力あふれる外観が、一部の特権階級ではなく、道行く普通の人々への「贈り物」だったからだ、と。ガウディのカサ・ミラが視覚的に成功し、これほど多くの人に(街の人にも外国人にも)愛される理由として、著者は「反復と複雑の華麗で独特な組み合わせの結果」だと語る。

人間は繰り返し(秩序、対称性、パターン)を好む一方で、それが多すぎるとイヤになる。人は好奇心に富み、知的で、飽きっぽい動物でもあり、複雑さも好むのだ。つまり繰り返しと複雑さの絶妙なバランスが魅力的な建築(に限らないが)の条件となる。

カサ・ミラのバルコニーの鉄細工ひとつとっても、それぞれ異なるねじれ方をしている驚異的な複雑さを示す一方で、美しい反復と秩序も感じさせる。こうしたバランスが少し崩れるだけで、魅力は失われていただろうとも。

『HUMANISE』カバーの表紙にもなっている、カサ・ミラの壁の手触りについて、石の表面にも職人技が現れているそうだ。

わざわざ石を滑らかに磨いたりはせず、ざらっとした質感をあえて残し、「人間の手仕事」を強調している。現代のありがちなツルッとした建築とは違い、生々しい切り傷のような削り跡が、光の具合で建築に豊かな表情の変化をもたらす。

カサ・ミラの曲線や装飾や素材の使い方が、この建築をとても「3次元的」にしていると著者は語る。しかもこれは古代の城や王宮ではなく、普通の現代の建物であることに、いっそう感動して、すべての建築に芸術的な可能性がある、と思うようになったと。

かように冒頭でガウディのカサ・ミラを称賛しつつ、ここからが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』の本題。ではなぜ、この世の圧倒的大部分の建築物はカサ・ミラみたいじゃないのか?という問題を読者に突きつける。なぜ私たちは直線と単調さが支配する、圧倒的に「つまらない(boring)」建物に取り囲まれているのか…?

コストのせい?建築家のせい?不動産業者の、自治体の、都市計画者のせい?

どれかひとつには絞れないが、最大の犯人として、著者は「モダニズム」をあげる。特にル・コルビュジエの負の影響力は圧倒的であると。どうやってモダニズムの呪いから脱し、建築に人間性を取り戻せるか、が本書の主題。

ここから『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、建築界におけるモダニズムの最大の体現者であるル・コルビュジエを「つまらなさの神」という率直すぎる呼び名とともに批判していく。もちろん建築界の大御所なので反発もあることだろうが、彼の掲げた「装飾の廃止」「直線絶対主義」「大量生産志向」「街路の廃止」「建物の外部より内部を重視」などの信念が、後の建築にとってあまりに大きな影響力をもち、いま私たちが直面する「建築的な大惨事」に結びついたと語っている。

建築家を育てる教育的な過程も、一種の「モダニズムのカルト」と化してしまい、一般大衆が何を愛するかよりも自分たちの基準を絶対視した結果、似たような「つまらない」建物を量産する温床となってしまったと。

『HUMANISE』は、モダニズムの考え方を自動インストールしてしまっている私たちに、過去に目を向けるよう促す。たとえば「最も面白い建物」の一つとして紹介されるのが、ローマのパンテオンだ。(数年前に行った時の写真↓)

私(筆者)自身もローマに行くとパンテオンには必ず訪れることにしているのだが、何度行っても前代未聞かつ唯一無二の建物だと感じる。これほど重厚でありながら、独特のふわっとした浮遊感も感じさせる空間は他にみたことがない。

2000年前に建設され、地球上で最大の無筋コンクリートドームを持っている。この作り手があまりにも野心的だったために、2000年後の今もなお、建物が人々に愛されてその場に存在しつづけているだけでなく、その屋根は支柱のないコンクリートドームとしてはいまも世界最大のものだ。

圧巻の屋根だけでなく、驚異的な精度で開閉する巨大な銅製の扉は、今どんなメーカーも作れないだろうと著者は語る。テクノロジーが直線的に進歩していくというのは現代人の誤解で、思想も技術も過去に「負ける」ことはありうる。だからこそ歴史に学ぶことは大事だ。

パンテオンが建設されていた2000年以上前、ウィトルウィウスというローマの建築家/技術者が、『建築について』という本で、建物には「firmitas (強)、utilitas(用)、venustas (美)」が揃っているべきだと語る。それぞれ「強=倒れない」「用=機能を果たす」「美=喜びを与える」の3本柱は、どれも欠かせない椅子の脚だと。

最後の「美」、言い換えれば「面白さ」は、世界でも普遍的に、壮大で重要な建物にとって必須要素だった。しかし20世紀、モダニズムの勃興で「つまらなさ」が蔓延し、その「最も楽しい脚」が折れてしまったという。

19世紀〜20世紀初頭にかけて、第一次世界大戦や、銃や車や飛行機といった工業品が、人々の意識を一変させる中、モダニストは現代世界のための全く新しい表現手段を発明する必要に駆られた。

しかし『HUMANISE』では、「1950年代以降、多くの都市計画者がモダニズム思想の餌食となった」とし、装飾の廃止、直線至上主義、大量生産性、街路の廃止といった方向に突き進むル・コルビュジエを、先述したように「つまらなさの神」として批判していく。

いうまでもないが、モダニズムそのものは芸術に多くの革新をもたらした。芸術において、その思考は「古いルールを疑う」ことに向けられ、絵画ならピカソ、文学ならジョイスやウルフなど、多くの偉業が成し遂げられた。

『HUMANISE』著者が問題視する「つまらなさの蔓延」が、なぜ建築の分野で際立って起こってしまったのか…言い換えればモダニズムの精神が「暴走」したのはなぜか。

大きなファクターとして上げられるのが、第二次世界大戦である。戦争や爆撃によって荒廃した町や都市の悲惨な状況と、モダニズムの夢と熱狂はあまりにバッチリ噛み合ってしまった。爆撃を受けた場所にとどまらず、戦前の歴史ある建物の多くが取り壊されてしまう。その結果として…

"何十年もかけて、つまらなさが各大陸をベージュ色の霧のように包み、その攻撃的な虚無が何百万もの人々を窒息させている。"

ただしル・コルビュジエに対して全体的に辛辣なヘザウィックも、必ずしもル・コルビュジエを害悪扱いするだけではない、とはフォローしておく。

批判的な気持ちを抱きつつ地方まで観に行った、ル・コルビュジエの建てたロンシャン礼拝堂を、著者は「私が今までの人生で見た中で、最高の建物の一つだった」「崇高だった」と称賛している。皮肉にもというべきか、それはル・コルビュジエが日頃から公言している信念と、真っ向から対立するような建築だった。

あまりの影響力の大きさゆえ、本書のような手厳しい批判も出るのは頷けるものの、やはり巨匠なだけあって(?)ル・コルビュジエも、なかなか一言では語れない複雑さも持ち合わせていたんだろうと思う。

 

『HUMANISE』で問題視される「つまらない建物」は、単に美的な不満というだけにとどまらず、気候変動を引き起こす、といった観点もあると。

コンクリートや鉄鋼の炭素排出量は甚大で、建設/建築資材は年間排出量の11%(航空の5倍)。作っては壊しを繰り返すことは炭素コストの観点からいえば最悪で、「建物を長持ちさせる」ことは、気候変動対策としても必須となる。

だが「つまらない建物」は修繕のサイクルが短く、老朽化の割合が高く、何より住民に愛されないので、取り壊されても「まぁいっか…」と反発も起こりにくい。逆に面白い、愛される建物は取り壊されにくいという。

持続可能性のためにも「面白さ」は大切なのである。

『HUMANISE』、作っては壊し…の短絡思考へのアンチとして日本の伝統文化「金継ぎ」をあげる。

陶器のひび割れを金で修復し、その経年劣化や不完全の状態、そして傷をこそ「美しい」とする価値観。よそと同じくつまらん建物が蔓延する日本ではあるが、だからこそ「1000年残る」ような自国の伝統に立ち返る必要があるし、保守主義というのは本来こういうものではないのか? 保守なら保守してほしいものだ…

『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、モダニズムの歪みと暴走を批判してきたけど、じゃあ具体的にはどんな建築を作れば良いっての?というごもっともな問いにも、本書なりの答えを出している。

それを極限までシンプルに突き詰めたのが「ヒューマナイズ・ルール」。(ご丁寧に切り取り線もあるぞ。)

ヘザウィックは「人々が通り過ぎる間、注意を引き続けられる建物を作るべき」というシンプルなルールを提唱する。近/中/遠距離から見て「面白い」と感じられるようなデザインにしようというわけだ。

段階が3つに分かれているのは、「通り過ぎる人」の移動手段や距離や体験も異なるから。実際、「面白い」建物はこのいずれの距離感から見ても、人の興味を引き続けられると語る。

じゃあ「面白さ」って何?という話にはなるだろうが、建築における面白さ=人間らしさとは何か、という話も本のなかでされていて、いきもの好き視点で「そうだな…」と思う部分もあった。

曲線とフラクタルは、人間的だ。

動物がつまらない住み処で生息しているのを見たことがあるだろうか?

ヘザウィックの手掛けた建築群も、流線型や渦巻きや手触りといった動物の肉体、もしくは巣などの構造物から多くを取り入れているのだろう。(もちろんこうした「自然」の形状が建築の人間らしさにとって唯一の正解ではなく、直線や直角が美しさや人間らしさをもたらすことも多いことも強調しているが)。私たち人間も結局はいきものなので、四角四面で平坦な単調さより、複雑なパターンや破調への強い愛着をどこかに抱えてるのだろう。

そしてやはりヘザウィックも、こうしたエッセンスを(本書でひとつの究極の理想として提示される)ガウディから学び取ったんじゃないかと思う。

私自身も、数年前にバルセロナに行って改めて感じたことだが、いきものが作り出す構造物や、いきもの自体の形態を、ガウディは意識的に取り入れていると思う(それを100年以上前に建築分野でやったという事実がまさに天才的なのだが)。

数年前に行ったサグラダ・ファミリアも、外見からぱっと見でいちばん連想したのはシロアリの巨大な巣だった(アフリカには5mを超える巣を作る仲間もいる)。

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バルセロナの街のどこからも目に入ることもあり、荘厳さを通り越して巨大な異形の怪物のような迫力がある外装も凄いが、聖堂内部の植物の根や菌類を思わせるような柱の使い方にも目を奪われる。

結果、あまりに「生命度」が高すぎてちょっと不気味さもあるがそれでも美しいという、完全に唯一無二の建築物となっている。

時に気持ち悪かったりグロテスクだったりもする生物の荒々しいパワフルさを、ガウディは建築という無機物を通じて抽出・再構成しようとしたのだと解釈している。

サグラダ・ファミリア、少し登ってみたところから見下ろす尖塔も印象的だった。

先っぽに、カラフルな玉が沢山ついた装飾物があるのだが、ガウディは虫や植物や菌類の生態や形態にインスパイアされているのではないか、という仮説も踏まえると、なんかの卵みたいにも思えてきて、不気味といえなくもない…のだが、とにかくそういう生理的なひっかかりを与えるものも含めて、「生命」を強烈に感じさせる意匠が隅々まで凝らされた、ものすごい建築物である。

サグラダ・ファミリア、塔の上に登っていく階段や手すりや通路の窓だけみても、「つまらない造形にだけはしないぞ」という強迫観念のようなものさえ感じた。「びよーん」とか「ぐにゃり」みたいな、あまり大聖堂的ではない擬音が随所で聞こえてくるかのようだ。

ガウディが残した「すべては大自然の偉大な本から出る」という言葉がある。創造のために発見すべき形はすでに自然の中に存在すると。この思想をもとに、ガウディは植物や動物や洞窟など自然環境の造形を建築に取り入れる。特に自然の中にある「幾何学」を重視し、後には放物線など曲面の追及に結びつく。

その思想の最大スケールの成果といえるのが、バルセロナのグエル公園。

エウゼビ・グエイ(=グエル)伯爵が分譲住宅として作った空間で、ガウディに好き勝手やらせただけあって必然ものすごいデザインになり、当時としては(いや今もだが)造形が斬新すぎてマジで誰も買わなかったようだ。しかし今では世界遺産の公園となっているので結果オーライ(?)

有名なトカゲくんもいるよ↓


もうひとつ紹介したいのが、バルセロナのガウディ建築の中でも最高傑作との呼び声も高い、郊外にあるコロニア・グエル教会。

繊維工場がある工業団地の労働者が通うための聖堂を作るはずが、途中でガウディが手を引き、フリーダムな発想の地下教会だけが残る。

天井を這う肋骨のようなレンガのアーチ、ぐにゃりとうねる切り出し玄武岩の柱…。

建物の外見も含めて、まるで巨大なクモやカニにも似た空想上の動物の体内にいるかのようだ、と思った。完成版は一体どうなっていたのか気になるが、たとえ未完成でも、『HUMANISE』で批判される「つまらなさ」の概念と、あらゆる意味で正反対の建物といえるだろう。電車を乗り継ぐアクセスなど少し手間だったが、行ってよかった。

コロニア・グエル教会、建築に詳しい人がみればさらに凄いことを色々やっているようで、たとえばポーチ(内部も凄いんだがこのあたりも凄い)のアーチ区画にある「放物双曲面体」は、「建築史上初めて現れた曲面体」として評価されている。

「ガウディが、三角形によって直線と同じように放物曲線を表現したことは驚きに値する」と解説(日本語版も売店に売っていた)にあった。

曲線に命をかけた建築家の本領発揮といえるし、この教会の成り立ち(工業団地の労働者が通うことを想定)を思うと、ガウディは本当に一般大衆のためにガチ技術を駆使して美しい建築を作ることを重んじた人だったんだな…と。『HUMANISE』でもまさに、そこが最も評価されているポイントだった。

そんなわけで、ガウディを起点にして建築の来た道とこれからを考えていく『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、とても面白かったし、万人に開かれたわかりやすい書きぶりの本なのでオススメです。「読んだ後に世界を見る目が変わる」という意味では、まさに私の考える「良い本」の条件を満たす一冊だった。お値段は少し張るが、凝った装丁なので、できれば紙で読むのがいいと思う。

ガウディにも改めて興味が向いたので色々読んでみるつもり↓

↓ガウディ没後100年で、こんなイベントもやるらしいので行ってみようかな。

meets.naked.works