沼の見える街

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ドラマ史に残るラブロマンス。 ドラマ『THE LAST OF US』第3話感想(ネタバレあり)

結論から言って、ドラマ『THE LAST OF US』第3話は、TVドラマの歴史に名を残すことになるだろう。 

確かにドラマ『THE LAST OF US』(ザ・ラスト・オブ・アス)は最初から素晴らしく、1話も2話も「名作ゲームの実写映像化」として見事な出来栄えだった。だが今週、全世界で放送/配信された第3話「長い間」は、それまでの「見事さ」とは一段、格が違っていると感じる。もはやゲーム云々というよりも、独立したドラマ作品として、桁違いの完成度と斬新さを誇っているのだ。すでに海外のレビューでも激賞が続出していたり(たとえばIGNは第3話に10点満点を与えている )、早くもエミー賞候補筆頭の声も上がっているようだが、出来栄えから言って当然の結果だと思う。

 

1話感想

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2話感想

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感想記事↑でも書いたように、ドラマ『THE LAST OF US』1話と2話は(興味深い補足や改変があったとはいえ)ほぼ原作の展開をなぞっていた。だがこの3話で初めて、いや「早くも」というべきか、このドラマははっきりと原作ゲームと異なる展開を見せることとなった。実質「ドラマオリジナル展開」と言っていい第3話は、原作ゲームから大胆な飛躍を遂げながらも、実は『THE LAST OF US』シリーズの核心にある、「人が生きていくことの悲哀」をさらに鮮烈に浮かび上がらせている。そしてその上で、ここが何より重要なのだが、世にもロマンチックな愛の物語に仕上がっているという、真に驚くべき回になっていたのだ…。

 

というわけで今回は特にじっくり語りたい回なので、わりとネタバレ全開でいくので注意(一応注意書きは「ネタバレ注意」と「致命的なネタバレ注意」の2段構えにしておく)。正直もう、なんなら1話と2話を飛ばして3話だけでも見てくれという気分なので、未見勢は今すぐU-NEXTで見てしまってほしい…。

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ーーー以下、ネタバレ注意ーーー

 

【そして2人だけになった】

前回2話のラストで、菌に感染してしまったテスが、ジョエルとエリーを救うために迫りくる感染者たちに立ち向かい、帰らぬ人となった。過酷な人生の長年のパートナーだったテスを失い、ジョエルはさぞやショックだろうと思いきや、そこはタフな精神力と冷徹な理性を発揮し(少なくとも表面的には)無闇に落ち込むことはせず、エリーと共にあくまで淡々と旅を続けていく覚悟を決めたようだ。

2人は道中、廃墟と化したコンビニに立ち寄ったり、墜落した飛行機を見つけたりしながら、ささやかな会話を続けていく。会話の中で重要だったのは、この世界の「崩壊」がどのように始まったのかが、ジョエルの口から明示されたことだ。ラスアス菌(仮)は冬虫夏草菌の突然変異である可能性が高く、小麦などの食品に混入してしまい、世界中に広まった…という詳細が(ジョエルの言葉を信じるなら)明かされたことになる。本作に「わくわく菌類ドラマ」としての側面を期待している生きもの勢としては、テンション上がる場面だった。

ゾンビものの設定として、ゾンビウイルス(本作は菌だが)が「食品」を媒介として広まるというケースはわりと珍しい感じもするが、実際に食物が晒されている菌類の被害は世界的にもけっこう深刻なので、むしろリアリティがあるとも言える。小麦のような重要な食物に対しても、菌は猛威を振るっているのだ。

↑先日行った特別展「毒」の図録より。たとえばムギに発生する赤カビ病菌は非常に厄介である。マイコトキシンという毒素をもち、こうした穀物(ムギだけでなく稲、大麦、トウモロコシなど多様な植物に発生)がげっ歯類などの食料になるのを防いで、カビ/菌類自身の食料&すみかとなるようにしているという。菌類に人間の考えるような意志はないとはいえ、こうした菌類の不気味でイヤらしいような、たくましいような生態は、『THE LAST OF US』の恐るべき菌類にも大いに参考にされていそうだ。

その後ジョエルとエリーは、ショッキングな光景にたどり着く。それは、人間の死体が山と積まれた穴だった。この人々は、軍隊によって元の居住区から連れてこられたものの、収容する居場所がすでになかったために抹殺された…という無残な真相が明かされる。前話の感想でも語ってきた「命の線引き」の恐ろしさが、ここでもまざまざと映し出されるわけだ。穴の中で白骨死体と化した親子の服装と巧みにリンクさせて、物語は文明の崩壊が始まった2003年へと飛ぶ。そこでいよいよ、今回の主役となる人物である、変わり者の男・ビルに視点が移っていく。

 

【ビルとフランク、愛の物語】

ビルは原作ゲーム『THE LAST OF US』をプレイした人にとってはおなじみのキャラクターだ。人間不信でかなり気難しいものの、なんだかんだジョエルとエリーを助けてくれる、印象的な味方キャラとして活躍してくれたからだ。彼と一緒に学校に忍び込み、中ボス感染者・ブローターと闘うくだりなどは原作プレイヤーにとっても思い出深いシーンである。

そして原作ゲームでも、彼が同性愛者であることはそれとなく明示されていた。フランクの最期を見た彼の(珍しく)感情たっぷりの口ぶりや、エリーが家からくすねたゲイ向けのアダルト雑誌からも、そのことは伝わるようになっている。ただし、フランクとの関係もセリフでうっすら"匂わせ"られるだけなので、例えばDLC『Left Behind』や『THE LAST OF US part2』で、エリーのセクシュアリティが明白に描かれたことなどに比べれば、あくまでさらっと言及する程度ではあった。ひょっとするとビルが同性愛者だとは気付かずにゲームを続行した人も多かったかもしれない。『THE LAST OF US』シリーズ(特にpart2)はクィア表現について相当に先進的な大作ゲームと言えるが、第一作に関しては、10年前の作品であるがゆえの時代的・社会的な限界を感じさせる部分もある。

だからこそ、そんな『THE LAST OF US』を10年後に改めて語り直すドラマ版で、ゲームではさらっと流されるだけだったビルとフランクの関係に、これ以上なくじっくりと焦点が当てられることは、まさに必然だったのかもしれない。「匂わせ」どころか、誰がどう見ても明白な「同性カップルの恋愛」として、ラスアスらしい残酷さや悲哀もたっぷり漂わせながらも、世にもロマンチックな「愛の物語」を、ドラマ『THE LAST OF US』第3話は世界に届けてみせたのだ…。

2003年、ラスアス世界の菌類パニックが始まった時、ビルは政府も社会も他者も全く信頼していない、陰謀論者のサバイバリストだった。だがそれゆえにビルは、軍隊が人々を街から連れ去っていく中、地下に篭ってやり過ごすことで、人々が去った無人の街に1人だけ留まることができたのだ。先述したように、この時に連れていかれた親子が、結局は殺されてしまったわけなので、ビルの極端な生き方が彼の命を救ったことになる。

ビルは感染者や略奪者を寄せ付けないフェンスや防衛システムをDIYで築き上げ、この殺伐として物資にも乏しいラスアス世界では考えられないような、豊かな自給自足の生活を送り続ける。一人だけの生活に本心では孤独を感じていたかもしれないが、そもそも人間なんて基本的に嫌いだったであろうビルは、他人がいない生活に満足し、それなりに幸福に暮らしていたようだ。

しかし…そんなビルの元に、ある来訪者が現れる。それがフランクだった。ビルの仕掛けた沢山の罠の一つ、落とし穴にハマったフランクは、必死で「武器は持ってない」と伝え、命からがら穴の中から出してもらったと思えば、「もう2日も何も食べてない、食べるものをくれ」とビルに懇願する。他人を一切信用してないビルは、一旦は断って「さっさと失せろ」とつれない態度をとるが、根負けして結局家の中に招き入れる。

ちなみにフランクを演じるのは、ドラマ『ホワイト・ロータス 諸事情だらけのリゾートホテル』で支配人のアーモンドを演じたマレー・バートレット(ちょうど最近見たばかりだったので嬉しい)。マレーさん自身もゲイであることを公言しており、しっかり当事者キャスティングをしている。また、3話の監督を務めるのはドラマ『IT’S A SIN 哀しみの天使たち』のピーター・ホアー監督(自身もゲイ)であり、当事者の視点も大いに盛り込んだ同性ロマンスとしての繊細な描写も、今回の見所と言えるだろう。

ラスアス世界では貴重品である温かいシャワーを満喫するフランクに、着替えを持ってくるビル。いつになくドギマギして見えることから、この時点でかなりフランクが気になっているようだ(パッと見で好みのタイプだったのかもしれない)。

それからビルは、フランクに手料理をごちそうする。この荒廃した世界で、本格的なジビエ料理とワインが楽しめるだけでも驚くべきことなのに、ぶっきらぼうに見えるビルの姿からは意外な料理の美味しさにフランクは大喜び。ずっと自分のためだけに料理をしてきたビルも、喜んでくれる人が現れてまんざらでもなさそうだ。

和やかに食事をすませたフランクは、約束通り出発する前に、ヴィンテージもののピアノが気になり、見せてほしい…とビルにお願いする。いつの間にか楽譜も見つけて、勝手にピアノを弾き、歌いはじめるフランク。その曲はリンダ・ロンシュタット「ロング・ロング・タイム」だった。第3話の原語タイトル"Long, Long Time"の元になっている曲であり、今回の鍵を握る一曲である。

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ビルにとって「ロング・ロング・タイム」は、それまでマイノリティとして孤独に生きてきた人生に寄り添ってくれた曲だったのだろう。なんにせよ、ビルには思い入れが深いその曲が、フランクの微妙な腕前で演奏されることにビルはしびれを切らしたのか、自分で「ロング・ロング・タイム」の弾き語りを始める。その情感に溢れた美しい歌声と演奏に、フランクは深く心打たれたようだ。ビルのセクシュアリティにもフランクは気づいていたようで、思いが通じ合った2人はキスをかわし、恋に落ちるのだった。男性同士ということを差し置いても、ドラマでもなかなか見かけないレベルの、ものすごくロマンチックな「恋のはじまり」描写と言えるだろう。

そしてフランクは、結局この家を発つことはせず、ビルと2人で暮らし続けることを選んだ。その後は、時に数年単位で時間を飛ばしながら、ビルとフランク2人の外界から閉ざされた、しかし愛情豊かな生活に、どのような変化が訪れるのかが描かれていく。

ドラマ『THE LAST OF US』の画期的なポイントとして、「コロナ以降のリアリティを取り入れた、パンデミック以降初のパンデミック超大作」であることはすでに述べた。実は第3話は、その点でも語り甲斐のある回だ。なんといっても「まるでロックダウンのように」社会的に隔絶された状況で繰り広げられる愛の物語なのだから…。予想外の方向性ではあるが、「コロナ以降のリアリティ」によって大いに奥行きを増している回であるように感じた。 

ビルとフランクの関係は、愛情があるとはいえ、なんといっても2人だけの閉ざされた生活であり、社会的なサポートも何もないという極限状況なので、一筋縄ではいかない部分も多かったようだ。この辺の困難さは、現実にコロナ以降「家に閉じ込められる」機会を長く経験したからこそ、視聴者もより深く共感できそうなポイントである。幸福なベッドシーンから、いきなり4年後の派手なケンカに飛ぶ…という場面転換も、そんな波乱万丈な2人の生活っぷりや、そもそもビルとフランクが根本的に違う性格の人間であることをうまく表現している。

そんな中、フランクが「友達を呼ぼう」と突然言い始めるので、視聴者もちょっと面食らい、ビル同様「友達って誰だよ…」と思うところだが、その"友達"とは他ならぬテスのことだった。個人的にドラマ版のテスがゲーム版以上に大好きなこともあり、過去シーンとはいえ再登場してくれたのは嬉しいサプライズである。テスはパートナーのジョエルと一緒に(どっちもけっこう若返っている)ビルの家にやってくるのだった。

最初こそ食卓で銃を構えてまで警戒していたビルだったが、ジョエルとのやり取りの中で少しずつ心を開いていき、2人と協力関係を築くことができたようだ。他者に心を開くことが、結局のところ(ビルにとって最も大切な存在である)フランクを守ることにも繋がるのだ…というジョエルの後押しもビルの心を動かしたのだろう。

かように色々トラブルもあったビルとフランクの生活ではあるが、その根底には確かに愛情が流れていたことを最もよく象徴している名場面が、2人がイチゴを食べるシーンだ。銃とイチゴの種を交換したというフランクが、ビルに内緒でこっそりイチゴを育てていてくれたのである。この荒廃した世界では、もしかしたら二度と食べられないかも…と思っていたであろうイチゴを久々に食べたビルが、その美味しさと幸福感のあまり笑いだしてしまう姿は忘れがたい。「君が現れる前は、何も怖くなかった」とビルはフランクに告げ、口づけをかわす。たとえ絶望的に崩壊した世界の片隅であっても、お互いを思いやり、愛し合う人間の心は、イチゴの果実のように美しく、しぶとく生き残っているのだ。

だが…そんなビルとフランクの人間らしく幸せな生活を脅かす、最大の脅威となるのもまた人間であるということが、『THE LAST OF US』らしい皮肉さと残酷さを感じさせる。ジョエルの警告通り、ある夜、彼らの家を略奪者たちが襲撃するのである。火炎放射や電流などの殺意あふれる防衛ギミックで、なんとか略奪者たちを撃退するも、銃弾を腹に食らってしまったビル…。フランクは必死で、今にも死にそうなビルの傷に応急承知を施し、なんとか彼の命を救おうとするのだった。

 

 

ーーー以下、致命的なネタバレ注意ーーー

 

 

【ラスト・オブ・LOVE...】

そんな極限状況から場面はあっさり移り、なんと10年もの時間が経過していた。時系列は2023年となり、つまりこのドラマがジョエルやエリーの視点から描いてきた「現在」にほぼ重なったわけだ。一時は大ピンチに陥ったビルとフランクだが、たくましくも生き延びて、着実に年老いていったようである。略奪者の襲撃にあった時点では、重傷を負ったのはビルの方だったが、10年後に車椅子に乗っていたのはフランクの方だ。年老いたフランクは、自分では身動きも難しいほどの、重い病気にかかっているようだ…。

2人だけの高齢者(とすでに言っていい年齢だろう)の生活で、片方が車椅子の重病患者となれば実際かなり大変であり、夜にベッドに入るのも一苦労だ。そんな中でフランクは、何かを決意したかのように翌朝、車椅子に乗りながらビルの目覚めを迎える。「何してる」と戸惑うビルに対し、フランクは「今日を自分の"最後の日"にする」と告げるのだった…。

要は安楽死を選ぶことにしたという、フランクの覚悟は確かに悲壮なものであるし、福祉や医療の発達した通常の現代社会であれば、ビルもきっと全力で止めたことだろう。だが…今ここは何の社会的サポートもない、荒れ果てた世界だ。下手に苦しみながら生きながらえて、ビルに大きな「負荷」をかけるよりも、まだ自分の精神と肉体のコントロールが効くうちに、幸せな記憶と愛情を抱いたまま穏やかに逝きたい…というフランクの願いは、納得のいくものと思えてくるのも事実だ。だからこそビルもフランクの意志を尊重し、幸福な「最期の一日」を過ごすことにする。

ブティックに行って着飾ったりと、お互い一日を楽しみながら、2人は文字通り「最後の晩餐」を迎える。そこでビルがフランクに運んでくるのが、最初に彼らが出会った日の料理とワインだったことも、悲しいと同時に美しくもある。

いよいよ食事も終わり、フランクの頼みどおり、致死量の薬をワインに入れるビル。一緒にワインを飲み干すのだが…実はビルもまた、自分のワインにすでに薬を混ぜていたのだった。ビルは、フランクと一緒に死を選ぶ決意を固めていたのだ。

生きているビルと行動を共にした原作ゲームのプレイヤーの多くは、この場面でかなり意表を突かれたかもしれない。ゲームの話通りなら、この後ジョエルとエリーとの冒険がビルを待っているはずであり、つまりビルはなんだかんだ生き残るんだろう…と無意識で予想していたはずだからだ。

だが驚くべきは、いざこのドラマ版の展開を目にしてしまえば、原作ゲームのコアなファンである私でさえ「そうだよな、ビル…そうに決まってるよな」と思わざるをえなかったことだ。じっくり約1時間かけて語られた、2人が築いてきた関係性の見事な表現には、原作ゲームで示された運命を書き換えるだけの説得力があったことになる。

自分も一緒に死ぬというビルの決断に、視聴者としては100%納得するしかない一方で、フランクは必ずしも完全に納得がいったわけではないようだ。自分の死に「付き合わせる」形になってしまったのだからそれも当然だし、フランクは「怒ろうと思った」と一応は言うのだが、その直後に「でも客観的に見ると…なんてロマンチックなんだ」と微笑む。ここまで2人のロマンスに付き合ってきた視聴者から見ても、全くもって同感と言わざるを得ない。互いへの愛情を頼りに、荒んだ世界を生き抜いてきた2人にとって、これ以上にロマンチックな「結末」があるだろうか…。

死を目前にした2人は、お互いしかいない穏やかな最期を迎えるため、奥の寝室へと歩み去っていく。そんな姿のバックに流れるのが、ゲーム『THE LAST OF US』における屈指の名BGM「Vanishing Grace」であることに、原作ファンとしても心を打ち震わせてしまった。

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残酷なことばかり起きるこの世界で、無力な人間たちは愚かな判断を繰り返し、無意味で無残な「THE LAST OF US(人類の終わり)」を迎える運命なのかもしれない。しかしそれでも、ほんの一瞬かもしれないが、何か価値のある、無垢な、美しい瞬間も、確かに存在したのだ…。そんな想いをプレイヤーに抱かせるような、『THE LAST OF US』シリーズにとって極めて重要な場面で流れる曲、それがこの「Vanishing Grace」なのだ。ドラマ版では初めて流れたことになるが、ビルとフランクの最期は、まさにこの曲が象徴する意味合いにふさわしい。『THE LAST OF US』に通底して流れる人間の深い悲しみと、だからこそ際立つ美しい感動をもたらしてくれる、正真正銘の名場面だった。

余談だが自分の中でこの曲を勝手に「キリンのテーマ」と呼んでいた(原作プレイ済みなら同意してもらえるだろう)ので、曲が流れた時に感極まって「ビル、フランク……あなたたちが、あなたたちこそが……"キリン"なんだ……!!」と叫びだしたくなったが、ビルとフランクもそんなこと言われたって困ることだろう。

それはともかく、しばらく後のこと…。ビルとフランク亡き後の家を、ジョエルとエリーが訪れる。家の荒れた様子からジョエルはうっすらと悟っていたようだが、エリーが見つけた手紙によって、2人に何が起こったのか知ることになる。手紙の中でビルは、他人も社会も憎んできた自分が、たった一人だけ守りたい人間に出会えたことを素直に吐露しながら、ジョエルに自分の持ち物を託すと語り、「テスを守ってやれ」と伝える。すでにテスを失ったジョエルにとっては胸の痛くなる言葉だったろうが、どこか似た者同士ともいえるビルから投げかけられた「守りたいと思える1人を守り抜け」という最期のメッセージは、ジョエルの今後にとって重要な指針となっていくことだろう。

必要な物資や武器を揃え、最期のメッセージと車のキーを受け取り、ビルとフランクの家を後にするジョエルとエリー。その姿を、2人の遺体が眠る部屋の開かれた窓から捉えたショットで、この第3話は締めくくられる。まるで2人の苦難に満ちた旅への出発を、ビルとフランクが見送っているかのように…。『THE LAST OF US』ゲーム版のタイトル画面を彷彿とさせる「窓」のショットで締める美しいエンディングは、完璧の一言だ。

 

結末も含め、まさに文句なしの「神回」と言えるこの第3話が、世界に与えたであろう衝撃と意義深さは、どれほど強調しても足りない。そもそもこのドラマ版『THE LAST OF US』は、すでに各話の視聴者数が2000万人を超えるレベルの、世界中で桁違いに広く観られているドラマである。こんな超メジャー級のタイトルで、約1時間の尺を丸ごと使って、中年男性同士の、世にもロマンチックで愛おしく悲しいロマンスがじっくり描かれ、これほど大勢の人に「なんとか2人に幸せになってほしい」と思わせただろうという、そのことだけ見ても前代未聞な気がするし、エンタメ界全体にとっても歴史的な瞬間だったんじゃないかと思う。

2023年の今になっても、世界中の性的マイノリティの過酷な現状は存続し続けているし、日本にしても同性婚が成立する兆しがいつまでたっても見えない上に、最高権力者も「同性婚は極めて慎重な検討が必要」とか一生言い続けており最悪である。しかしだからこそ高い志と技術を兼ね備えたクリエイターが、こうした先進的なエンタメを世界に送り届けることによって、「世界は変わりつつある」と示してくれることそのものが、遠くの明るい星のように輝いて見える。「このドラマこそが"キリン"なんだ…!」と思わず叫びだしたくなるほどだ。(きっとドラマの作り手なら、何が言いたいかわかってくれることだろう。)

 

それにしても第3話でここまでのものを見せられると、前回までで「ゲームとドラマここは違う!ここは同じ!」とかでハシャいでたのが我ながらちょっと幼稚に思えてくるほどであり、もう原作と何が違っても文句言わないから独立したドラマとしての最善を追求してくれ…とさえ願っている始末だ。とか言って結末とかが本当にマジで全然ちがっていたらさすがに怒るかもしれないが、もはやこの素晴らしいドラマのクリエイターの手掛けたものであれば、それはそれで見てみたいとさえ思う。

あと原作ゲーム大好き勢としては「ドラマから観ても全然いいけど、せっかくプレイ環境あるならゲームを先にやってほしいかな〜」(PS4版なら激安で手に入るし…)というスタンスでいたのだが、この第3話でついに「いやもうゲーム知らなくても観たほうがいい」派に鞍替えした。それだけ、独立したドラマとしての完成度がすでに凄いことになっているという事実に、原作ゲームファンとしても喜びを隠せない。

てなわけで、U-NEXTは月額料金も高いしハードルたけーよという人も多いだろうが、このドラマを見るためだけでもその価値は確実にあると約束できるし、どうしても高すぎるのであれば31日間無料トライアルでもなんでも使って(マジで一銭も払いたくない場合は全話完結してからのほうがいいかもだが…)、この世界規模のラスアス祭りに一緒に乗ってくれたらファンとしては嬉しい。なんなら3話だけでも見てくれ!

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