沼の見える街

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コロナ後の航空パニック最前線。『非常宣言』感想&レビュー

イ・ビョンホンが空中でがんばり、ソン・ガンホが地上でがんばる。『非常宣言』は韓国のスーパー映画スターが天と地でがんばりながら共演する、たいへんゴージャスな航空パニック映画だ。

面白かったのでブログにもかんたんに感想をまとめておく。ネタバレは一応控えめにしとくけど観てから読むの推奨。

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ハワイへ向かうウキウキ浮かれ気分が一転、バイオテロ地獄へと真っ逆さまに突き落とされる…。そんな最悪フライトへと事態がじわじわ嫌な感じに盛り上がっていく、スリリングな序盤がまずたいへん面白い。

バイオテロを引き起こすテロリスト(イム・シワン)も、すごい線の細いイケメンなのに、空港スタッフへの暴言とか子どもへの絡み方とかがマジでイヤで、テロと一切関係ない部分で異常な気持ち悪さを発揮していて良かった。ここまでのことをする以上、こいつはこいつで大義とかあるのか…?と思ったら……という、予想を下回ってくる感じも良い意味で底が浅くて良い。よくも悪くもその人間性や思想が特に重要になってこないという、こういう密室テロ映画では意外と珍しいキャラ作りかもしれない…。本作が真に刃を突きつけるのは、そんな軽薄な思想のテロリズムよりも、むしろ「私達」の中にこそある何か…ということが後半に明らかになるので、テロリストはその前フリにすぎないんだろうなと。

そして中盤、いよいよ航空パニック映画としての大見せ場となる、落下していく飛行機の中で巻き起こる阿鼻叫喚の地獄絵図もとにかく凄い。ふわあ…と舞い上がる女性の髪の毛の、静かでシュールな絵面から始まって、真の絶叫パニックが訪れる…という緩急の付け方も見事。「まるでハリウッドみたい!」とかそういうレベルではもはやなく、もう完全に世界トップクラスのパニックシーンだと思う。墜落する飛行機のGだけでなく、韓国の実写エンタメ映画の圧倒的な勢いをその身で感じるようだった。

というわけで、スリリングな前半〜中盤も面白いのだが、テロパニック展開が一段落して、いったん助かった〜!と思いきや絶望的な展開を迎えて、雰囲気がガラッと変わる後半こそが、むしろ本作『非常宣言』の本番だと感じた。テロリズムよりもさらに世界中に広く根深く蔓延る、しかし実は私達が心の奥底に抱えている「恐怖と保身」、そのせいで平気で他者の命に「線を引く」態度…。そこにこそ、本作の刃は最も鋭く突きつけられるのだ。

『非常宣言』を観てもつくづく思う韓国映画の凄いところは、そうした社会への批判的な視線とエンタメ的な面白さを巧みに合流させてくることで、しかもそれを本作のような(ソン・ガンホとイ・ビョンホンが共演してる)大衆娯楽大作でもガンガンやってくるのが本当に強い。そりゃ『パラサイト』が生まれる土壌だって育まれるよなと思う。 

ひるがえって日本をみるとどうしても、観客に嫌われるのを恐れてなのか知らないが、社会的・現実的なテーマにまっすぐ踏み込むことをためらうあまり、作品全体がやたらボンヤリしてしまうエンタメが少なくないように感じられる。日本(と括るのも雑だが)が真っ先に韓国映画から学ぶべきはそういうところだと思う。

ちなみに今回『非常宣言』、そういう韓国映画らしい社会批判的な視線が日本にも向けられるので、日本の観客の一部では反感を買うのかもしれない。まぁさすがに自衛隊が他国の飛行機をアレしようとするのは非現実的だ(と思いたい)し、基本はエンタメ度を増すためのフィクショナルな場面ではあると思う。ただ、今の日本の排外的な方向に傾きがちな空気、それどころか「我が国のために不安要素を排除しました!」とか言う政治家や官僚が喝采を浴びかねない現状を考えると、イヤな現実感が濃厚な場面だし、そういうとこ実は外からもよく見えちゃってるのかもな〜とか思わざるをえない。だって実際あんなことがあったら世論もめちゃくちゃ荒れてネットとかも(今以上に)ヘイトの温床になりそうじゃん…? 

 少なくとも、あの場面をもって「反日」だのと言うのはまさに見当外れであり、どっちかと言えば「確かに冷淡な対応だけど、日本の言うことにも一理あるんじゃね…?」と観客を誘導するための前フリにすぎない(さらにアメリカの前フリもあるし)。むしろ『非常宣言』が最も明確に批判の矛先を向けているのは、韓国の社会や体制、そして自国民のあり方だろう。コロナ禍は言うまでもなく、国民的トラウマといえる2014年のセウォル号沈没事故は明確に意識されているだろうし、もっと言えばごく最近起こった、梨泰院の痛ましすぎる転倒事故さえも、批判の射程圏内に入ってくるような鋭さをも感じた。

 テロや事故などで大変な目にあっている人々を本来は守るべきはずの国家権力が、逆にそうした人々に対して、いかに消極的だったり、冷淡だったり、残酷になりうるか…。そうした体制への根深い不信感が、『非常宣言』の主人公たちを待ち受ける運命には反映されている。さらに一般市民も時として、恐怖と保身の気持ちに負けてしまい、他者の命をジャッジできる立場に自分がいると思い込み、当事者の心情も考えずに「見捨てろ」とか「自己責任だ」とか、ひどい言葉を投げつけてしまう。

そして「これは韓国特有の事情だ」などという"誤解"を許さないほど、本作は恐ろしい普遍性をも獲得している。ここで描かれている社会の醜く残酷な有様を、コロナ禍を経た私たちの誰が「他人事」として片付けられるというのだろうか。

そうしたどの社会にもある残酷さ、そして誰の心にもある傲慢さを穿つかのように、本作で最も深く心を打つシーンが終盤に用意されている。飛行機に乗る絶体絶命の人々が、とある悲壮な「覚悟」を決め、泣きながら地上の家族に連絡する場面だ。これを「自己犠牲の美化」として批判する声もあるようだが、その見方は正しくないと私は思う。

この場面は、「大勢のためには少数が犠牲になるのも仕方ない」という意見をもつ劇中の市民たち、そして「それも一理あるのかも…?」という方向に心が少し動いてしまった観客たちに対して、「あんたらが簡単に口にする"仕方ない犠牲"って、マジで意味わかってる? こういうことだからね?」と作り手が、まっとうな怒りをもって改めて突きつけた場面だと私は受け止めた。乗客たちの高潔な判断に感動することも当然できるが、それ以上に「こんなことが正しいと本当に思うか?」と、今だからこそ問い直したのだと思う。「犠牲」をただの数字ではなく、「顔の見える人間」として描くことのできる映画ならではのやり方で、本作は世の中の悪しき思考停止に抗っているのだろう。

 

ところで「コロナ禍以降の嫌なリアリティ」と「命に線を引くことの恐ろしさ」に光を当てる手腕といえば、パンデミック以降の娯楽大作という点で、ドラマ版『THE LAST OF US』に今とても注目しているのだが…

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それよりも一足はやく、韓国映画からも『非常宣言』が出てきたので、素直にさすがっすね〜と思わざるをえない。HBOにちょっと勝ってるじゃん韓国エンタメ(勝ち負けじゃないけど)

 

そんなわけで『非常宣言』、面白かったし感銘も受けたのだが、あえて気になったところにも触れておく。まず、恐るべき殺人ウイルスのルールが微妙に不明確で、接触感染なのか空気感染なのかとか(ネズミの場面で少し示されてはいたが)ちょっとわかりづらい。せっかくコロナ後の感染ものなのだから、この辺りのリアリティ描写にはもう少し期待してしまう。感染した人も死んだり死ななかったりするのでので、サスペンス的な盛り上がりを少し損なっていた感じもする。

さらに、夫婦の絆であるとか、父と娘の親子関係であるとか、家族規範的な描写によってエモさをブーストする手法がやや過剰かな…というのは感じた。これは韓国映画の大衆エンタメに総じてけっこう感じる部分だが…(まぁ日本映画も似たようなもんなのであまり強く言えない)。ただこうした保守的な「ベタさ」が、先述した終盤の感動的なシーンを強化していた部分もあるので、一長一短ではある。

また、二大男性スターの共演作なので尺的にも仕方ない面もあるが、事件の解決に挑むメインの女性キャラがいないのも少々物足りない。せっかくお医者さん(だよね?)の女性もいたのだから、たとえば彼女がウイルスの謎を解き、先述した「ルール」をより明快にする、などの作劇上の役割をもたせても良かった気がする。

こうした点は、むしろ同じ韓国の航空パニック映画『ノンストップ』の方が、ずっと風通しの良さを感じさせてくれた(こっちは純然たるコメディだが…)。

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ちなみに『ノンストップ』も大好きな映画なので、年間ベストにも選んだ。

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『ノンストップ』はちょっとした不意打ちがあるので、ポスターも予告も見ずに全然なにも知らず観た方が楽しめると思う。深いテーマ性とかはないが、こんな誰が観ても「楽しかったわ〜」で終われる気持ちのいい快作も珍しいので、ぜひおうちで気軽に観てほしい。

超ちなみに、『非常宣言』で副操縦士ヒョンスを演じていたキム・ナムギルは『ノンストップ』にも登場するわけだが、なんつー役回りだよという死ぬほど雑な扱いで逆に美味しい。決して見逃さぬように…。