- 先週観たディズニーの最新作『ズートピア』の感想です(イラストつけるの久しぶりだな…)。すでにTwitterで思いつくことを書きまくっているので、もはやブログで書くことがあんまりないんですけどね…。とにかく大好きな映画ですし、ここ半世紀くらいのディズニー映画の最高傑作と言ってもいいんじゃないかなと思います。ネタバレを控えつつ感想を書いていきますね。
- ざっくりあらすじ。草食・肉食・大小を問わず、ありとあらゆる動物が仲良く暮らす理想の都市「ズートピア」で、ウサギの新米警官ジュディとキツネの詐欺師ニックがひょんなことから出会って、とある不可思議な事件に巻き込まれていく…というお話です。
- 一見すると、アメリカの子ども向けアニメによくある感じの、擬人化アニマルわくわく大集合的な映画かな?とか思っちゃいますし、現に私もポスターなどを見た段階では若干なめていました。しかし蓋を開けてみれば、ディズニーの十八番である「動物の擬人化」という技によってしか描きえない、「差別」の生まれる構造を真正面からとらえた傑作だったので驚かされます。
- とはいえ、小難しい作品ではもちろんありません。ディズニーが総力をあげて作り上げ、ブラッシュアップを重ねたエンタメとして、もうイヤになる程よくできていて楽しい映画です。まずはいわゆる「バディもの」として抜群に面白い。ジュディとニックという正反対の二人が出会い、最初は反目し合っていたものの、だんだんお互いを理解していく…という王道ストーリーなんですが、この二人のキャラクターと関係性がとことん考え抜かれている。
- ジュディは「か弱い動物」の代表格であるウサギですが、子どもの頃の夢を諦めず、ついに史上初のウサギの警察官となります。上手くいかないことがあっても前向きに突き進み、難題をピョンと飛び越えてみせるジュディの姿は見ているだけで爽快です。対するニックはズル賢いキツネのイメージを体現するような飄々とした詐欺師で、騙しのテクの見事さはジョセフ・ジョースターばり。ヘラヘラと口先八丁で相手を煙に巻いていく姿は実に腹立たしいですが、同時にどこか痛快でもあり、非常に魅力的なキャラクターです。
- そしてこの正反対の二人の丁々発止のやり取りこそ、本作最大の魅力のひとつです。例えば序盤、自分のことを騙したニックを、ジュディが怒りながら追いかける一連のシークエンスがあります。ジュディは「誰もがなりたいものになれる」という、「アメリカ」を体現する理想主義的な考えを持っていますが、対照的にニックはニヒルで現実的です。「そいつは無理だ、人には分相応ってものがある。僕はずる賢いキツネ、君は間抜けなウサギってわけさ。」とジュディをバッサリ切り捨てます。このあたりの台詞回しが本当に見事なんですよね。
- 間抜け呼ばわりされたジュディは、"I am not a dumb bunny.(私は間抜けなウサギなんかじゃない)"とニックに食ってかかる。しかしニックはあっさりとかわして、"And that is not wet cement.(なら、そいつは柔らかいセメントなんかじゃないな)"と返して立ち去る。ジュディが足元を見ると、固まってないセメントに足を突っ込んで身動きが取れなくなっていることに気づきます。そんな彼女を尻目に余裕シャクシャクで逃げおおせるニック…。
- ここ、字幕では拾い切れていませんでしたが「君が間抜けなウサギだってことは、そいつが柔らかいセメントだってことくらい確かなことさ」っていう反語の嫌味にもなっていて、ジュディとニックの正反対っぷりが非常にスマートに表現されていて、うまいな〜と唸らされました。つくづく練りに練られた脚本だと思います。(ちなみにこの「dumb bunny(間抜けなウサギ)」というフレーズは、後半になって非常に感動的に繰り返されることになり、そこがまた上手い。)この場面はほんの一例ですが、とにかく「会話劇」としての魅力が実に大きい映画なのです。
- こうしたシニカルなユーモアを交えながら、全く退屈させることなくテンポよく物語が進んでいくにつれて(途中そのテンポを意図的にぶった切るナマケモノのギャグとかが入るんですが)、次第に本作の真のテーマが浮き彫りになっていきます。そのテーマというのが、先述した「差別」に関する問題なんですね。
- ズートピアでは草食動物や肉食動物、体の大きな動物や小さな動物、多種多様な戯画化された動物たちが共生しているわけですが、当然ながらそこには人種や宗教や性別といった、様々な人間の異なる「属性」というメタファーを読み取ることができるわけです。まさに「人種のるつぼ」アメリカの縮図であり、もっと言えばこれから人間たちが作り上げていくべき(だと作り手が考えている)、一種の理想郷(ユートピア)としての社会なのですよね。
- 実際そのように描かれているズートピアですが、それでもなおそこには「属性」の違いがもたらす差別や偏見が確実に存在する…。そうしたシビアな現実が映画の中では描かれています。いわんや、現実社会の私たちをや…という具合に、わくわくアニマルライフを可愛く描きながらも、同時に人間のあいだに根強く残る「差別」の形を浮き彫りにし、目の前に容赦なく突きつけてくるハードな映画でもあるわけです。
- そのシビアな視点が最もよく現れる場面が中盤にあります。主人公のジュディは序盤から一貫して「差別される」存在であり、持ち前の根性と前向きさで差別に立ち向かってきました。「しょせんは弱っちいウサギ」と周囲に舐められまくっていたジュディがだんだん認められていき、ついには大きな成功を収める過程は非常に痛快です。しかし、そこで終わらないのが『ズートピア』の特異性なんですね。ジュディは中盤、自分の中にも存在していた「差別」の心によって、大切な人を傷つけてしまうことになるのです。
- 本作『ズートピア』は「差別をなくそう」「差別に負けずに諦めないで生きよう」という前向きなテーマに満ちた作品ですが、それ以上に、「自分の中にもある差別の心に気づこう」という極めてビターな、しかし大切なメッセージを発信している映画だったわけです。この点こそ『ズートピア』が他のディズニーの傑作群から、さらに頭一つ抜けている点だと思います。
- 自分の中の「差別」に向き合うことは本当にキツイことですが、そこからしか始まらないこともある、ということを本作は告げています。現にジュディは自分の過ちに気付いた後、それを償うために再び「トライ」することになる。本作の主題歌『Try Everything(すべてにトライしよう)』は、きれいごとだけでは成り立たない社会や人生を踏まえた上で、それでも理想に向けてトライし続けるんだ、という内容になっていますが、主人公ジュディがちゃんと物語を通じてそれを体現してくれるわけですね。
- 「多様性」という言葉を口にするのは簡単ですが、人種も文化も異なる他者が寄り集まって暮らす以上、必ず困難なことはあるし、揉め事の種も絶えないでしょうし、時には自分の中の「差別」の心が判断を曇らせ、誰かを傷つけるかもしれない。それでも多種多様な「他者」の属性を尊重し、互いに気持ち良く生きていこうという理想は絶対に正しいのだから、間違えることがあればそれを認めて、また次の「トライ」に挑もう…。こうしたホロ苦い、しかし本当の意味で優しく真摯なしっかり地に足のついたメッセージが、『ズートピア』にはこめられているのです。
- こんなメッセージなんて下手すれば「ケッ、意識のお高いこってすなぁ」くらいに思われてしまうのが関の山ですが、それを笑えて泣ける超絶面白いエンターテインメントの形で発信してきたという点に、ディズニーという恐るべき作り手集団の「本気」を感じて震えましたね…。長々と書いてしまったのでそろそろ終わりますが、必ず映画館で観た方がいいと断言できる作品です。個人的には去年の大傑作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に肉薄するレベルというか、同じ「棚」に入ることになりそうだな…と思っています。またTwitterなどで色々語りますね。それでは…。