沼の見える街

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『サウルの息子』感想

  • 映画『サウルの息子』観ました。ヒューマントラストシネマ有楽町、1000円。こんなに重い映画はないというくらい、重い重い、凄まじく重い話なのですが、見終わった後にはほんの少しだけ温かい感情が残る…そんな映画でした。
  • 1944年、第二次世界大戦の時期にアウシュヴィッツ収容所で、殺害された大量のユダヤ人の屍体を処理するために、「ゾンダーコマンド」という部隊が作られました。そしてその「ゾンダーコマンド」もまた、ユダヤ人で構成されているんですね。ゾンダーコマンドに任命されたユダヤ人は、同胞を殺し、その「後片付け」をさせられることと引き換えに、わずかながらの自由と安全を得られるのです。
  • もうこの簡単な説明なだけで眩暈と吐き気がしてくるような極限状態ですが、作り話ではなく歴史的な事実です。もちろんこの映画のお話自体はフィクションであるものの、かろうじて残った証拠や証言などを元に、こうした酷い仕打ちが全て実際に起こったことだと裏付けが取れています。
  • 『サウルの息子』は、そのあまりに無残な強制収容所での経験を、映画というメディアを用いて非常に生々しく追体験させることに特化した作品なのです。そういう意味で、最近日本で公開された映画の中で最も本作に近い映画は、塚本晋也監督の『野火』でしょう。かたやジャングル、かたや強制収容所と舞台は違いますが、特徴的な長回しによって主人公を後ろからグーーーッと捉え続け、その恐ろしい空間に見るものを引きずり込んで離さない…という手法が共通しています。ほとんど正方形に近い画面も没入感を極限まで上げるための手段であり、本作の地獄のような息苦しさをガンガン強めてくれます。
  • もう冒頭のシーンから本当に強烈なんですよね。ガス室で大量に同胞であるユダヤ人が殺されていくのに、主人公のサウルは心を無にしながら、彼らの苦悶の悲鳴を黙って聞いているしかない。まさに地獄です。これ以上「地獄」という言葉が当てはまる状況などない、それほどの事態なのですが、サウルはあくまで無表情で淡々と仕事をこなしていきます。彼らがこの場所で生き延びるためには、そうするしかなかったのです。
  • そんなサウルが収容所で自分の「息子」の遺体を見つけ、彼をちゃんと「埋葬」してやろうと決意する…というのが本作のお話です。ユダヤ人の宗教観では、死んだ肉体をしっかりと手順に従って埋葬することは非常に重要なことでした。人がまるで虫けらのように惨たらしく殺されていく収容所の中で、少年をきちんと埋葬してやりたい、というほんのささやかな願いを胸に、サウルは走り回ります。
  • ユダヤ式の埋葬には、「ラビ(司祭)」が必要なので、サウルは収容されているユダヤ人のなかにラビがいないか、血眼になって探します。その裏ではどうやらゾンダーコマンドによる武装蜂起作戦が進行しているようなのですが、サウルは「われ関せず」とばかりに、自分の「息子」の埋葬のことしか考えない。ナチスからの虐待のみならず、味方である周囲のユダヤ人とも衝突しますが、くじけずに「埋葬」という目的に向かって突き進んでいくのです。
  • そしてついに蜂起の日が訪れ、収容所を脱走するチャンスがやってきます。「息子」の遺体を抱えて逃げようとするサウル…。絶望的な前半から息詰まるような中盤、そして非常にスリリングな終盤…。とにかく非常に濃密な2時間でした。ラストのある場面でサウルがどんな表情を浮かべたか、ぜひ劇場で確かめてほしいです。
  • ゾンダーコマンドは、収容所であらゆる尊厳を踏みにじられ、心を無にしながら生き延びながらも、写真や文章といった手段で「記録」を未来に残していました。間違いなく自分たちは殺されると覚悟を決めながらも、未来の誰かがこれを見て、きっと自分たちの無念や怒りを汲み取ってくれるだろう…。そういう願いをこめて、「記録」を収容所のあちこちに隠して回ったのです。
  • そして実際、それらの記録はのちに発見され、こうした映画が作られる礎(いしずえ)となりました。本作はその「記録する」という行為、写真を撮ったり文章を書いたりして何かを「残す」という行為を、ギリギリの状況下に置かれた人間のせめてもの「反抗」として描き出すのです。だからこそ、救いのない話であるにもかかわらず、未来に何かがつながっていくのかもしれない…というラストシーンが胸を打ちます。究極の記録媒体である「映画」というメディアを愛する、あらゆる映画ファンに見て欲しい作品でもありますね。
  • ちょっと短いですが、くたびれたのと重い話をして疲れたので終わります…。本作の紹介漫画を描いてみたいという気持ちもあるのですが、さすがに重たすぎるかもな…。なんにせよ、今年のものすごく重要な一本になることは間違いないと思うので、ぜひ(体調を整えて)見てみてください。ちなみに私はショックな出来事があって落ち込んでいる時に見たので、ものすごく重い気持ちになりました(逆に中和されたかもしれないけど)。とにかく忘れがたい映画になりそうです。ではまた…。