沼の見える街

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『野火』を語るナイト

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  • 塚本晋也監督の映画『野火』を先週見たので、忘れないうちに感想を書いとこうかなと思います。渋谷ユーロスペース、1400円。
  • イラストは『野火』本編っていうより単なる制作風景ですけど…。兵士が映画を撮る話だと誤解されたらどうしよう(それはそれで見たい)。どっかの特集ページで、ジャングルの中で主役の兵士に扮しながらカメラを担いでいる塚本監督の姿を見つけて、「なんかカッコイイ」と思ったので真似っこさせていただきました。
  • 軽く説明しておくと、大岡昇平の小説『野火』を、カルト映画の金字塔『鉄男』の塚本晋也監督がまさかの映画化。第二次世界大戦の末期、フィリピンのレイテ島で、シビアすぎる苦渋の生活を強いられた日本兵の姿を容赦なく描きます。『野火』はすでに市川崑が映画化していますが、今回そっちはあんまり関係なくて、あくまで塚本監督自身が小説を読んで得たインスピレーションに基づいた映画化とのこと。
  • さて塚本版『野火』ですが、公開規模がとても小さいにもかかわらず、すでに映画ファンの間でも大変な話題になっていますね(次回のタマフルの課題作品にもなってました)。映画『野火』の制作は、監督が近年ずっと抱いていたという危機感から出発しています。「戦争はロマンチックなものではなく、ただひたすら悲惨な生き地獄である」という当然といえば当然の認識が、だんだん失われかけているのではないか。戦場の記憶を語り継ぐことのできる世代がいなくなり、そして今再びキナ臭い空気が濃くなっている。今を逃せばもう、こういう映画は作れなくなってしまうのではないか。そういった危機感や切実な焦りが、塚本監督を突き動かしていたようです。
  • でもこのご時世、「戦争の悲惨さ」をド直球で描いた作品となると、出資してくれる人が誰もいない。特攻していく兵士を美しく描いた「号泣必至の感動作」ならともかく、陰惨で汚くてグロい「リアルな戦争映画」なんかに集まるお金は永遠にゼロというわけです。
  • なので塚本監督は自分で「海獣シアター」というレーベルを立ち上げ、それどころか自分自身で主演をつとめてまで、なんとか『野火』を自主制作映画として世に送り出したのでした。まさしく渾身の一本なのです。
  • 主人公は、結核を患う田村一等兵。「病人は足手まといだ」と上官に罵られて部隊から追い払われ、野戦病院に行ってこいと命じられます。まあ病院といってもジャングルの中にある超ボロい小屋にすぎないんですが、そっちはそっちで死にかけた血まみれの兵士がゴロゴロしていて、田村を寝かせるスペースも食料もない。そんなわけで、病院も追い払われてしまう。部隊と病院を往復する田村の姿は悲惨であると同時に、どこか滑稽で、カットのつなぎ方とかでちょっと笑えるシーンに仕立てられているのが面白い。
  • この『野火』という作品、非常に暗く陰惨な映画である一方で、同時に(ユーモアというよりは)「滑稽さ」が全編を貫いている点がとてもユニーク。たとえば、小指くらいのサイズのちっぽけな芋を、大の大人が貴重な食料として取り合ったり、物々交換の材料として真剣に交渉したりする姿が幾度も描かれます。はっきり言って滑稽きわまりないのですが、だからこそいっそう悲惨さが際立つ。戦場における「絆」だの「連帯」だの「男らしさ」だの、そうした幻想に対して徹底的に冷水をぶっかけまくるのです。
  • ちょっと脱線しますが、この映画を見て、吉本隆明という思想家(吉本ばななのお父さん)にまつわるエピソードを思い出しました。この吉本氏、子どもの頃はけっこうな軍国少年で、「おれも戦争に行って、銃を撃ちまくって華々しく死にたい」とか父親に言ったそうなんですね。すると戦争経験者の父親が冷めた口調で、「いや、戦争ってのはそんな勇ましいもんじゃないよ。ドンパチで死ぬ人なんかあんまりいなくて、むしろ腹を壊して下痢のしすぎで脱水症状で死んだりとか、塹壕に入ってたら砂がどさっと落ちてきて窒息死とか、そんなんばっかりだよ」と言い放ったそうです。これに吉本少年はびっくりして、一気に気持ちが冷めて、もう「戦争行きたい」なんて二度と思わなくなった…と、そういうエピソードを読んだことがあります。『野火』のテーマも、吉本父が子どもに伝えたかったことによく似ているんじゃないかな〜とふと思いました。
  • 話を映画に戻します。誰もが言うことでしょうが、本作の「残酷描写」の容赦なさはぶっちぎりで今年の邦画ナンバー1でしょう。とくに中盤、暗闇のなかを進む日本兵たちを待ち受ける運命のむごたらしさといったら、まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図! この辺はもう『鉄男』を撮った塚本監督の面目躍如というべきか、特撮で鍛えた特殊メイクの技術がフルに生かされています。不謹慎ながら、あまりにグロすぎてちょっと笑ってしまいましたよ…。
  • 意外というべきか本作、「戦争反対!」とかの正しいメッセージを声高に叫ぶ映画ではないんですよね。徹底的な悲惨さのなかにも先述したような「滑稽さ」が含まれているので、言ってしまえば一種の「スプラッタムービー」としても楽しめるようにもなっている。この辺が海外で評価が割れたりする理由でもあるとは思うんですが、塚本監督は(限られた予算の中で)自分の特殊技能を「まずは見てもらう」ためのフック、そして「強烈なリアリティを生む」ための武器として正面から使ったわけで、そこを批判するのはおかしい。「怖いもの見たさ」みたいなノリで本作を観に行くの、全然アリだと思います。映画って本来そういうもんですし。
  • 単に「サスペンス」として見ても凄く面白い映画です。主人公が教会に隠れていたら地元民の男女二人組がやってきて、「撃つか?撃たないか?」という選択を迫られる序盤のシーンなんかも、じりじりと緊張と狂気がピークに向かっていく過程が描かれ、たいへんな緊迫感にあふれていました。
  • そして、残酷で陰惨な描写の中で、突然鮮やかに迫ってくる美しい自然。過酷な物語における一服の清涼剤であると同時に、よりいっそう人間の無力さを引き立てるシビアな舞台装置でもあります。だからある意味、本作、レイテ島の「観光」映画でもあるんですよね。観光というか地獄めぐりというか…。
  • あ、2000字を超えてしまった…。後半のリリー・フランキーたちとの「肉」をめぐるやりとりとか、どんどん(大岡昇平とも親交の深かった)武田泰淳の『ひかりごけ』的なカーニバル方面にドライブしていくんですけど、今日はちょっと語りきれないので一旦ここまで。なんにせよ自主制作かつ小規模公開にもかかわらず、これほどまでに話題になっているのは、監督の命がけの姿勢がちゃんと観客に伝わっているということだと思います。「戦争、マジで嫌だな…」とつくづく感じましたよ。「戦争に行きたくない等と言う若者は身勝手」とか抜かして炎上した議員さんも、ぜひ見たらいいんじゃないでしょうか。百田先生との勉強会よりずっとタメになると思いますよ。
  • 東京では今のところユーロスペースでしかやってませんが、行ける方はぜひ…と書こうとしたら「立川シネマシティ」でもやってるじゃん!「さっすが立川シネマシティ!並みの小劇場にはできないことを平然とやってのける!そこに痺れるッ!憧れるゥ!」って感じですね。ではまた。