沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

『インサイド・ヘッド』を語るナイト

  • というわけで、『インサイド・ヘッド』(原題:Inside Out)の感想を書こうと思います。立川シネマシティ、1000円。昨夜は上映前の「アレ」をひたすらディスるナイトになってしまったので、今夜はさっさと本編に入りたいと思います。
  • あ、その前に、恒例の短編『南の島のラブソング』(原題:Lava)について少し。南の海のひとりぼっちの活火山が、リア充な野生動物たちを羨ましがって「ぼくも恋人がほしいな」という願いを歌にする、という内容でした。いま思うとなかなかよくできた綺麗なアニメだった気がしますね。ただ、いかんせん直前の「アレ」で心がすさんでいたので、どうしても「ま〜た無生物の恋かよ…もういいよ」とか「海外のCGアニメって悲しみを表す表情が1パターンしかないわけ?」とか「語りの一人称と三人称が混乱してて微妙に気持ち悪い」とか「クライマックスで主人公がああなるロジックが欠如してる」とか「オチがなんか息苦しくてイヤ」とか「全体的にキモい」とか、けっこう散々な感想を抱きながら見てしまいました。サツバツ!…でも大自然の描写とかホントきれいでしたし、うん、良かったですよ。このアニメは何も悪くないです。ドリカムが悪いんです(そんな結論?)。
  • さて、『インサイド・ヘッド』。ざっくり言うと、ライリーという11歳の少女の頭のなかに住む「感情」が繰り広げるドタバタ劇ですね。監督は名作『モンスターズ・インク』や『カールじいさんの空飛ぶ家』のピート・ドクターということで、私も大変に期待度を上げていました。海外で大絶賛されているという評判も耳に入ってきましたし、これは絶対に面白いだろう!と。
  • ただ、最初に「次のピクサー長編は、脳の中の感情が主人公!」という予告編を見たとき、「なんか短編っぽいな…」と思ったのは事実なんですよね。脳内会議なんて、いかにも長編の前に5分くらいの短編でやりそうな、随分こじんまりとしたアイディアだな…と。で、実際『インサイド・ヘッド』を見てみたら、その予感が良くも悪くも的中しちゃったなという感じでしょうか。短編的な発想を一本の長編映画に「ふくらませた」感が否めない作品ではありました。「大傑作!」というよりは、「やや小粒だが優れた佳品」という印象。
  • いやまぁ、それを言ったら『カールじいさん』とかもスッゴイ短編っぽい話でしたけどね。風船で家ごと空を飛ぶシーンで原題の「Up」がドーンと出て終了、とかでも全然おかしくない作品でしたし。(もちろん長編にしたからこそ、もう一度「飛ぶ(Up)」ことを決意するあのシーンとかが活きたわけですが。)
  • 脱線しましたが『インサイド・ヘッド』、総じて言えば実に良くできた面白い作品でしたよ。まず良かった点は「ギャグのキレ」でしょうか。最近のディズニーピクサー作品ではダントツに笑えました。全体的にギャグはバシッとはまっていましたが、一番笑ったのは中盤に出てくる「イケメン製造機」ですかね…。ライリーの脳の中にある、自分好みの男の子(妄想)を作り出せるマシンのことです。そこから生み出されるイケメンが実に良い味出してまして…。終盤のひどすぎる活用法とかも最高でしたね。たしかに「ライリーのためなら死ねる」とは言ってたけどさあ!ひでえ。
  • あとはやっぱり、作品のメッセージそのものも素晴らしいと思います。どうしてポジティブな感情(ヨロコビ)だけではなく、ネガティブな感情(カナシミ)が大事なのか、というテーマをしっかりと示してくれたことは、子供向けのアニメとして本当に誠実。さらに「物語はなぜ必要なのか」みたいなメタな問いにもつながっていくわけですよね。深い。
  • それと誰もが言うことでしょうが、「脳の仕組み」をポップかつスタイリッシュに絵で見せてくれる手腕も圧巻でした。「寝ているときの夢はどのように生み出されるのか」とか、「べつに好きでもないCMソングが繰り返し脳内再生されてしまうのはなぜか」といった謎が、「脳の機能」を(清掃業者とか映画女優とかに)擬人化することで解明されていくわけです。さすがピクサーだけあって、子供向けアニメにもかかわらず、脳科学に対する知的好奇心をビリビリ刺激される映画でしたよ。
  • 個人的に最も面白かったのは、脳の「イメージ処理」を映像表現で見せてくれたところでしょうか。脳の「概念化ゾーン」みたいな危険地帯にヨロコビたちが迷い込んじゃって、「キュビズムっぽい単純な立体→平面→色→線」というように、どんどん「抽象化」されていってしまうんですよ。「やべー!このままじゃ抽象化されてしまう!」なんて、今までに聞いたこともない実に斬新なサスペンスですし、視覚的にもセンス・オブ・ワンダーって感じでとっても良かったです。
  • どっちかというと、感情にまつわる人情話より、むしろああいう「脳の働き」をもっとたっぷり見たかった気さえしますね。途中「帰納的推論ゾーン」とか「デジャヴゾーン」とか、名前だけ出てきてあっさり流されましたが、いや、めちゃくちゃ気になるんですけどそのゾーン…。寄り道してくれよ〜。次回作があったらその辺をじっくり冒険してほしい。
  • そんな感じで『インサイド・ヘッド』、基本的には楽しく新鮮な驚きに満ちた映画なんですが、あえて欠点をあげるなら、やはり「アウトサイド・ヘッド」側の弱さでしょうか。「頭の外」、つまりライリーの人間ドラマ部分がちょっと陳腐で、結末もやや安易な「家族愛」的なところに回収されちゃって、なんかもったいないな〜って感じ。
  • ていうか別に、あのままバスに乗って旅に出ちゃえばよかったのに、って私なんかは思っちゃうんですけどね(ひょっとするとアメリカでは小学生が一人で遠くに行くことはダイレクトに行方不明や死を意味するんだろうか…コワイ!)。そしてその旅の中で、肉体的な冒険(アウトサイド・ヘッド)と精神的な冒険(インサイド・ヘッド)が並行して進んでいって、次第に両者が結びついていき、最終的にはライリーが自分で納得のいく答えを見つけ出す、みたいなダイナミックな展開が見たかったな〜。原題も「Inside Out」なわけだし。まあ無い物ねだりです。無茶言うなって感じか。このへんも次回作に期待ですね。
  • 言いたいことはあるにせよ、絶対に観て損はない映画です。とにかくすべてがハイクオリティですし、「今年ベスト!」みたいに言う人がいるのも頷けますよ。上映前の「苦行」を乗り越えてでも観る価値は十分にあるはず。ちょっと雑になっちゃいましたが、時間がないので今日はこのへんで。ではまた。