- 映画『アリスのままで』(原題:STILL ALICE) を観ました。新宿ピカデリー、1500円。今年も前半が終了しようという時に、凄まじいのが来てしまった。
- 結論から言いますが、紛う事なき傑作だと思います。世界中で賞を取りまくってるのも、「そりゃそうだろうな」という感じ。ただ…気軽に「みんな観てね!」とオススメできるタイプの作品ではありません。相当ハードな映画です。
- 広告やポスターから漂ってくる「感動&号泣必至の難病モノ」というイメージをもって劇場に行くと、まじで深々と刺されると思います。ちょっと本気で観客を殺しにかかっているような、殺気にも似た覚悟が漂う恐ろしい作品。
- 主人公アリスは50歳の女性で、言語学を専門とする大学教授です。夫や子供達と一緒に満たされた幸せな日々を送っていましたが、ある日、自分が若年性アルツハイマー病を発症したと知ります。そこから全てが狂い始め、アリスの苦闘の日々が始まる…というお話です。
- なんといっても、映画をみた全員が思うことでしょうが、アリスを演じたジュリアン・ムーアが凄い。本当に凄い。アカデミー主演女優賞を取ったのも納得ですよ。発表された時は「え〜、『ゴーン・ガール』のロザムンド・パイクにあげろよー!」とブーブー言ったものですが…これは仕方ないかも。いくらなんでも相手が悪すぎたよ、ろざむん(愛称)…。
- さて、じゅりあん(愛称)…もといジュリアン・ムーア。知的でウィットに富んだインテリ女性が、少しずつ、しかし確実に記憶と人格を蝕まれていく様を、真正面から生々しく演じていました。とりわけ中盤の感動的なスピーチと、そこから終盤にかけてどんどん末期の状態へ向かっていく様。このあたりの演技は本当に「伝説級」としか言いようがないと思います。長く語り継がれていくことでしょう。
- 彼女の演技力の凄まじさが最もよく表れているシーンがあります。本作でも一番強烈な場面のひとつなのですが、病気の初期段階、まだ意識がしっかりしているアリスが、「未来の自分へのメッセージ動画」を作るんですね。こう言うとなんだか綺麗に聞こえますし、実際に動画の口調も優しく穏やかなのですが、そのメッセージというのが、もう…。絶句してしまうような「アリスの絶望と覚悟」を感じさせる内容なのです。(ちなみにその場面で「蝶 (Butterfly) 」がキーワードになります。)
- そしてクライマックス、かなり病状が進んでしまったアリスが、その「メッセージ」を偶然見つけるんですね。ここで、「過去のしっかりしたアリス」が「病状の進んだアリス」に話しかけることになるわけですが、もう完全に「別の人」にしか思えないんですよ。同じ人が演じているのに。そこで観客は、「ああ、人を作っているのは記憶なんだ」という事実を強烈に思い知らされるわけです。セリフによってではなく、その「二人」のあまりに大きな差異によって。まさに実写でしかなし得ない表現ですし、役者の恐ろしさを思い知らされる、本作の白眉とも言える名場面になっていました。
- さて本作、ジュリアン・ムーアが激賞されるのは当然だし、アルツハイマー病というテーマの社会的な価値が非常に高いのも確かです。でもそれだけじゃない。「女優補正」「難病補正」で評価されてるだけの作品ではないと思います。というのもこの映画、とにかく脚本がよくできているのです。
- 『アリスのままで』、「サスペンス」として観ても一級品なんですよね。あえて不謹慎な言い方をしますが、ぶっちゃけスゴイ面白いんですよ。ストーリーテリングの技術が極めて高いので、101分間まったく観客を退屈させません。いわゆる「難病モノ」なわけですが、下手なスリラーよりずっとハラハラしますし、もっと言えば下手なホラーよりずっと怖いです。
- 開始直後、冒頭の家族での食事シーンからして、その語り口の上手いこと。何気ない会話と行動と表情だけで、家族のメンバー(と不在の次女リディア)の性格や関係性を、実にスマートに語っていきます。そして和気あいあいとした会話の中からふとこぼれ出る「あれ?」という不自然さと不穏さ。アリスが会話の流れを勘違いしたりするだけで、異常にドキドキするんですよ。そこからつながる次の場面の、あの胃が痛くなるような講演会のハラハラ感ときたら…!えっと、難病モノっていうか、どう考えてもサスペンスの文法ですよねコレ…。
- サスペンスと言えば中盤のスピーチもすごかった。けっこう病状が悪化したアリスが、ある集会に呼ばれるんですね。まあ言ってみれば「アリスが原稿を読み上げる」だけの場面なんですが、実に手に汗握る、スリリングな見せ場となっていました。緊迫感で言えば、『マッドマックス』のカーチェイスに全然負けていませんでしたよ。で、「なにかアリスがやらかすんじゃないか」と散々思わせておいてからの、ど真ん中ど直球の感動的なスピーチ…!「原稿を読み上げる」だけのアリスの姿から、「闘う」人間の美しさが湧き上がっていました。…これで泣かない人っているんですかね。いてもいいけど。私は泣きました。
- そしてちょっとネタバレ注意ですが、この映画の最も素晴らしい点は、そういう「感動的」で「いい話」として本作を終わらせることだってできただろうに、そうしなかったことです。あくまでも現実的に物語は進んでいき、「え?」と思うようなタイミングで映画が終わります。…奇跡も救いも特になし。
- でも、あれこそがいちばん誠実な終わり方だと私は思います。ぜひ映画館で確かめてほしいです。エンドロールでは原題の「STILL ALICE(まだ、アリス)」がスクリーンに浮かびあがり、そのタイトルの真の意味を観客に考えさせようとします。果たして、人をその人たらしめているものはなんなのか。記憶や人格が病気によって失われても、なお残るものとはなんなのか。そもそも、本当にそれらは「失われた」のか。そういった問いがゆっくりと心の中に広がっていく、深い余韻を残すエンディングでした。
- もっと語りたいことがいっぱいあるのですが、いったんこのあたりで。腹の底にズシンとくる作品とはいえ、決して重苦しいだけの「難病映画」ではありませんので、(なるべく体調と精神状態に余裕のあるときに)ご覧になってみてはいかがでしょう。もし観たことで仮に心に傷が残ったとしても、いいんじゃないでしょうか。後悔はしないはずですし、この映画を見た後では、自分や他者や世の中を見る視点が確実に変わると思う。それこそが映画の力ですよね。こういう映画を観たいものです…ああいう映画ではなく(蒸し返すなっての)。ではまた。