- というわけで映画『セッション』をみた。最近見た映画『バードマン』との対比をしようかと思ってこんな絵を描いてしまった。全ッ然違うジャンルの映画なんだけど、けっこう通じるものがあって面白い。
- でも、両作を並べて論じてる人、すでにいるんだよな…。どうしようかな。
- しかし、菊池成孔と町山智浩の論争(?)込みで楽しむのがデフォルトになってるのがなんかすごいな。お二方、「セッション」の日本における盛り上がりにものすごく貢献していますね…。
(以下ややネタバレ感想注意)
- さて、『セッション』…いい映画だとは思ったし、各方面から絶賛されているのもよくわかる、のだが…。個人的には「もう一声…」という感じの作品だった。完全にはノリきれなかったな〜という感じ。絵まで描いといてなんだけど。
- この鬼教師のスパルタ指導が気に食わなくて云々、とか、音楽の質がよくない、とか、そういうことではまったくない。基本「音楽もの」というよりは「ホラー」として観たので、むしろ超こわいドン引きするようなスパルタ指導が見られるのかな?とわくわくして映画館に行った。
- で、その姿勢が、楽しめきれない原因だったのかも。良いところもたくさんある映画だったけど。まず、予告編でも垣間見られる、一回目の「スパルタ指導」の場面は最高だった。間違いなくこの映画の白眉かと。
- 主人公の音大生ニーマンが練習場に朝6時に呼び出されるけど誰もいなくて、3時間くらい待ってたら、ぞろぞろと見知らぬ実力者っぽい人たちが談笑しながら入ってくる。この場面イヤだったな〜…! まだ鬼教師は登場してもいないんだけど、ここのイヤ〜な感じは強烈で、実によかった…。
- そんで、だんだん人が揃ってきて、練習開始の9時が近づいてくるにつれてどんどん空気が険しくなる。カチッ、カチッと秒針が時を刻む。9時ジャストに針が来ると同時に、鬼教師フレッチャーがバーーンと登場! コワイ!!!完全にホラーの文法で、もう笑うしかない。
- そこから、伝説の「ニーマンいびり」に突入する…前に、恐怖を盛り上げるための前菜として(?)他のメンバーをフレッチャーがいじめ始めるのだが、これも本当にイヤな場面だった…(褒め言葉)。「マンガくん」には訴えられても一切文句言えないと思うよ、フレッチャー先生…。
- で、さんざん他のメンバーをボロッボロにした後、「10分休憩後、新入り(ニーマンのこと)が演奏する」とくる。わざわざ休憩を挟むのがまた実にイヤだ。で、緊張するニーマンに優しい言葉をかけにくるのだが…あとはもうお察し、という感じ。
- 続く場面も素晴らしかったのだが…この映画を「ホラー」的に楽しむなら、正直このくだりがピークだったかな〜という感じ。あとはまあ、「ホラー」の常で、「怪物」がその真の姿を現してからは、だんだん怖くなくなってくるというか。
- いや、そもそも「ホラー」じゃなくて「音楽映画」なんだけども! ちょっとその「こわい」側面を期待しすぎてしまったのかな。宣伝でもそこばっかりが強調されてる、という点もあるが。
- いやいや、でもやっぱり一番近いのはホラーだよな。『セッション』とすごく似てる物語として、スティーヴン・キングの『ミザリー』があげられる。とあるサイコ野郎(女性だが)の手にかかり、身動きのできない状況に「とらわれて」しまった男の話。一対一の戦いが始まり、最後にはある昇華を迎える、という構造がよく似ている。『ミザリー』における小説が、『セッション』における音楽なのだろう。だから音楽(ドラム)は、ある意味なんでも良かったというか、物語のための道具だったともいえるのではないか。(現に、『セッション』は音楽的にはてんでダメ、というプロミュージシャンの声も複数あるようだ。私はちゃんと迫力を感じたが…。)ゆえに「音楽映画」というよりはやっぱり「ホラー」という方がふさわしいと思う。
- で、それなら「ホラー」として、もっと徹底的に怖がらせて欲しかった…というのが正直な気持ち。傑作『ミザリー』と比べても、「ホラー」として本作をみると、以下のような不満がやはり残る。(1)フレッチャー先生が大学教師としてなんぼなんでもリアリティに欠ける。(2)クライマックスの脚本の詰めが微妙に甘い気がする。
- 音楽映画を期待していったらめっちゃ怖かった!という見方ができれば理想的だったのだが、宣伝的にもそうはいかないからな〜。うーん。たしかに最後は熱かったから、音楽映画としてもよくできてるのか、な…。
- またもや長すぎなのでいったん切ろう。でもトータルでは相当楽しめたのは確かなので、未見の方は見たらいいです。バリエーション豊かな賛否両論を含めて楽しむ作品なので。
- …バードマンの話、してない…。なんだったんだ最初の絵は。『セッション』との最大の共通項はとりあえず「ドラム」ですね。またいつか機会があれば比較して語りたいです…。