・というわけで映画「博士と彼女のセオリー」みた。おととい、六本木のTOHOシネマズ。
・いきなり文句めいた余談だが、今回は妙に予告編が長く感じた…。15時40分スタートの回で見たのに、本編が始まった瞬間に時計をみたら16時だったという。15分くらいなら遅刻しても問題ないのか。映画館に遅れてくる人が多いのってそういう理由なのかしら。うーむ。
・映画自体はとても良かった。最近だと「イミテーション・ゲーム」と天才科学者つながりでかぶっているようだが、物語的にはそんなに似てない。むしろ「きっと、星のせいじゃない」みたいな難病モノに近い。
・主演のエディ・レッドメインはこの作品でアカデミー賞を獲ったわけだが、この一個前があの「ジュピター」なんだな…。で、その前が「レ・ミゼラブル」のマリウスか。色々な意味で山あり谷ありであるなあ。
・日本の俳優でいうと、「そこのみにて光輝く」に出て大絶賛されたのと同じ年に「ルパン3世」にも出た綾野剛みたいなものだろうか…。
・その後のホーキングの運命を知っているにもかかわらず、序盤キラキラしているあまり「リア充爆発しろ」とちょっと思っちゃうくらいのバランスがうまい。
・「リア充」という言葉はあまり好きではないが、洋画とかみてて、英米の名門大とかで、凄い優秀でスポーツもできて友達も恋人もいて順風満帆!みたいな描写をみると、「リア充が…!」と反射的に思ってしまうんだよな。
・日本だともう、ちょっと友達とわいわいやってるくらいですぐ「リア充」とか言われそうだが、欧米のあの辺の人たちの「リア充」っぷりはレベルが違いすぎる気がする。
・「リアが充であることを…強いられているんだ!(集中線)」という一種の気迫すら感じる。
・まあ、映画の中ではそういう「圧倒的リア充描写」というのは、大抵は後の悲劇を引き立てるための伏線だったりするんだけど。何も「13日の金曜日」とかじゃなくても、本作みたいなドラマとかでも。そんで、「あ、なんかさっき、爆発しろとか思っちゃって悪かったな…」みたいに観客に思わせるバランス。
・映画や作品における「幸福な日々」の描写って難しいよな、と思う。近頃すごく思うのだが、「のちの悲劇の引き立て役にすぎない幸福でも、ちゃんとリアリティをもって描く」ことができている作品は、確実におもしろい。最近の洋画とか洋ドラとかでも、実はその点にすごく気を使っているのではないだろうか。
・大好きな「まどかマギカ」という作品の、最大の不満点がそこなんだよな。不幸に叩き落すための「幸福」描写にすぎないから仕方ないとはいえ、ちょっとテンプレ感が否めないというか。あえて記号的にしているというのもわかるんだけど。
・だから二次創作で、自分なりにそこを補完している感じですね。「好きな作品」の全てを丸ごと大好き!である必要はないと思うし。ジョジョでさえ「ここはどうなの?」っていうのが、ないではないしな。そこも含めて愛おしい。
・関係ない脱線をしたうえに長くなったが、とても良い映画だった。見られる方はぜひ。