【お仕事告知】新発売『それいきもののおかげです図鑑』(金の星社)で一部イラストを担当しました。私たちの日常を取り巻く便利なテクノロジーや多様な食生活、時には平和!?までもが、意外ないきものの「おかげ」で成り立っている事実に注目し、いきものへの愛と感謝を促す素敵な一冊です。ぜひ読もう🐭

『それいきもののおかげです図鑑』(金の星社)公式HPはこちら↓
(先月発売してたのに告知を忘れてしまい恐縮でした!)
監修は動物ブックでおなじみ今泉忠明先生、共同イラスト担当はお子様にも人気の小豆だるま先生です!
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監修は動物ブックでおなじみ今泉忠明先生、共同イラスト担当はお子様にも人気の小豆だるま先生です!
これを書いている時点(2/8の夜)で正確な選挙結果はまだ知らないが、結果に関係なく言えることがある。2026年2月の衆院選は、最悪だった。これほど何の大義もない解散総選挙は近年見たことがないし、しかも雪や寒さに襲われる地方民の心配も気にかけることなく、政権はこの2月に選挙を強行した。
結果どうなったかといえば、まさにドンピシャで選挙日前後が豪雪となり、予想通り日本各地の人々に多大な負担をもたらした。当日の悪天候が予報されていたこともあり、期日前投票に向かう人も多かったが、急すぎる選挙決行のせいでスタッフの準備も手が足りてないのがよくわかったし、会場の数自体も少なく、地元の期日前選挙の会場も珍しく激混みで並ばされた。
選挙は民主主義を継続するためのシステムであり、一般市民にも一定の負担があること自体には文句ない。しかし「今やれば明らかに国民への負担がものすごく大きいぞ」という当然の懸念をガン無視し、「今さっさと解散しないと人気がいつまで続くかわかんないし!」程度のしょうもない理由で選挙を強行したんだから、そりゃ、怒りのいっピョウくんも激怒しようというものだ。
そして、あくまで筆者(私)の視点ではあるが、選挙結果自体もきっと(事前報道や予測を信じるのであれば)まぁひどいものなんだろう。自分たちの利益のためだけにわざわざこんな時期に解散したわけなので、そりゃ勝ちもするだろとは思うが、こういう無理やりな選挙を強行した不誠実な政権の「勝利」は、やはり残念だと感じる。
その「勝利」にしても、ただでさえ深刻な日本の行き詰まりを悪化させるとしか思えない。過剰に好戦的な対外イキリと排外主義は無意味に蔓延し(日本はもう移民なしには成り立たない国であり、外国人差別してる場合では一切ないんだが…)、選択的夫婦別姓や同性婚はまたも遠のき(そんな意固地になったって結婚制度自体が敬遠されて非婚と少子化のデススパイラルが加速するだけだろと思うが…)、裏金議員の禊は済んだ〜とか言って旧統一教会みたいな悪の組織と癒着した政界の腐敗は温存され(さすがに国民もちょっと忘れっぽすぎるのではと思うが…)、憲法改正とかいう誰も得しない夢物語に膨大なコストを注いで本当に突き進むのかは知らないが、なんであれ、ロクでもない光景をたくさん見せられることだろう。
怪しげなブームの波に乗って高市首相を応援していた人は選挙結果に喜ぶかもしれないが、このロイターの記事でも「壮大なジレンマ」と言われてるように、仮に掲げてる公約みんな実現したところで、円安・債券安もさらにヤバそうだし、解決の目処な〜んも立ってない物価高・金利上昇による生活苦が確実視される中、今はメディアに煽られて熱狂してる人たちの熱気もいつまで続くか不明だ。
対中イキリ発言で支持を集めたところで、ちょっとレアアースでも止められただけで座礁する日本社会の脆弱さは何も変わらない。アメリカとの関係もどうなるか見通せない。中間選挙という爆弾を抱えてるのにICEやエプスタイン問題やらで支持率下げまくりの八方塞がりでおかしくなってオバマ夫妻への人種差別投稿をSNSに連投しているトランプが迫りくる(迫るな、あっち行っててくれ、頼む)。
選挙がどうあれ、とにかくしばらく東西の悪人がめちゃくちゃやるのは確実っぽいので、こんな本を読み返したくもなる↓。上に立つためになんでもする、金と権力をもった悪人が、結局は勝つ世の中なのかもしれない。
…というわけで、絶望すべきだろうか?
結局のところ、日本に民主主義は根付かないのだ、アメリカやヨーロッパみたいに排外主義ポピュリズムの波に飲まれて、結局は独裁的な権力の一党支配が続き、民主主義や自由主義や平等の理想は露と消え、なんならうっかり戦争に突き進み、あとは政治も社会も経済も文化もゆっくり(もしくは急速に)没落するのみ…。
そう嘆きたくなる気持ちはわかる。ごく普通に考えれば、日本社会の状況のマズさは明らかだ。別に無理して希望を持てとも言わない。橋から身を投げるとかしない限り、なんでもいい。真っ暗な部屋で壁を見つめていてもいい。だが気が向いたら、この国で絶望する前に、見てほしい地図がある。
これだ。

これは「Democracy Index」、日本語では「民主主義指数」と呼ばれる指数をビジュアル化した世界地図だ。
民主主義指数とは、有名雑誌『エコノミスト』を刊行する企業や研究所が毎年発表している指数である。世界167の国・地域の「民主主義の度合い」がどれくらいか、という指標をスコアで表している。「選挙プロセスと多元主義」「政府の機能度」「政治参加」「政治文化」「市民の自由」といった5つの部門に基づいて得点をつける。
上記のサイトの世界地図では、2024年時点での各国の「民主主義指数」を0(赤)から10(青)のグラデーションで色分けしている。
地図の下にある「年」のパラメーター動かすと年ごとの比較もできる。民主主義指数は2006年から発表しているので、最長20年の各国のスコアを図れる。たとえば2015年と2024年(最新)を比べるとこんな感じになって↓、ここ10年でも世界の指数がけっこう動いているのが色でパッとわかる。

年ごとに比較した状態で、ある国にポイントすると、スコアの推移も表示されるのでわかりやすい。2006年から2024年で、一番スコアの変動が激しい部類の国・チュニジアはこんな感じ。

2006年の時点では「3.06(独裁政治体制)」だったのが、途中(2010年ごろ)にジャスミン革命によって「アラブの春」を巻き起こして民主主義指数もガツンと爆上げ、そのまま民主化達成!!……とはいかず、サイード大統領の強権化もあって指数は下がり続けているが、それでも「アラブの春」の前よりはスコアが上がって4.71(混合政治体制)になった…といった、一筋縄ではいかない動きも見て取れる。「アラブの春は無駄だった」みたいなありがちな冷笑は、社会の変化を単純化しすぎだ。
民主主義指数のwikipediaページには、「スコアの増減の最大値」…つまりその年の「いちばん上がった国」「いちばん下がった国」も記載されていて、眺めていると歴史のハイライト感もある。

スコアが下がった国だと、2022年のロシア(ウクライナ侵攻)は最もわかりやすい。2024年のバングラデシュ(政権崩壊)、2021年のアフガニスタン(アメリカ撤退→タリバン支配)、2019年の中国(香港の弾圧など。翌年に新型コロナがくるのも示唆的)など、大きな出来事があると民主主義の状態に即座に影響する様がわかる。
逆に上がったのは、2020年の台湾(蔡英文での改革、コロナ対処への成功など。歴史的なスコア上昇で「完全民主主義」に格上げされた)。2019年のタイ(民主的政府の誕生、まだ「欠陥民主主義」カテゴリーとはいえ格上げ)。完全勝利とはいかずとも、ここ数年で変化も確かに起きているようだ。
さて、我らが日本の指数は0から10でいくつだろう。極右がブイブイいわせてるし、せいぜい「5」か「6」あたりだろうか。違う。日本の民主主義指数は「8.48」だ。

東/東南/南などアジア諸国全体で見ても、ほぼ最高スコアである。あくまで2024年時点ではあるが、アジアで日本より高いのは台湾(8.78)だけだ。
日本で政治への意識や関心が高い人ほど「嘘ぉ、そんなに高いわけないよ…」と思うかもしれない。日本の実情をよく知らないヨーロッパの雑誌や研究所が適当に言ってんじゃないの?と。気持ちはわかる。だが近隣の東アジア諸国に限っても、たとえば韓国の指数が「7.75」、中国が「2.11」、北朝鮮は「1.08」となっている。アジア全体の民主主義指数の平均は、残念ながら高くない。大陸ごと(オーストララシアも含む)の集計でみると、アフリカの次に低い。民主主義指数が8を上回っている「完全民主主義」の国も、アジアでは日本と台湾だけである。
もちろん数字だけで全てを表すのは不可能だし、あくまで参考値として受け止めるべきではある。たとえばお隣の韓国は2024年時点のスコアは先述のように7点台で、分類も「欠陥民主主義」となっているが、その前年の2023年には日本と同じく「完全民主主義」の8点台だった。指数が下がった最大の要因は、尹大統領が2024年末に起こした戒厳令騒動の影響だろう。思い返してもつくづく大変な事件だったし、韓国市民社会が迅速に対応しなければ本当に東アジアがどうなっていたかわからなかったので、スコアの引き下げもやむなし、とは思う。ただ政権交代もあったし、今後また「完全民主主義」に戻る見込みは大きい。
日本も韓国も、アジアの中では格段に民主主義度が高いほうだが、それでも完全民主主義(8点以上)と欠陥民主主義(6点〜8点未満)の間を揺れ動く国という立ち位置だ。日本も2015年ごろ(第三次安倍政権のあたり)には、いちど7点台(欠陥民主主義)にまで下げたりしている。同じ自民党でも岸田→石破あたりの流れでまた8点台(完全民主主義)に上がったが、再び極右方向に揺り戻しが激しい今後、どうなるかは未知数だ。
しかし大事なのは、細かい数字でも、カテゴリー分類でもない。大事なのはアジア全体で、いやほとんど世界全体で、「まだまだ民主主義は珍しい」と肝に銘じることだ。そう、民主主義はいまだ黎明期にある。民主主義は、まだ赤ちゃんなのだ。
こちらの表をみてほしい。

日本を含む「完全民主主義」の国に住んでいる人は、世界人口のわずか約6.6%だ。ヨーロッパ(主に北欧など)とニュージーランドが最高レベル(9点台)で、日本や台湾と同程度のスコア(8点台半ば)なのがカナダなど北米、ウルグアイなど南米の一部、イギリスやドイツなど他の欧州諸国やオーストラリア、といった並びだ。まぁこうして並べると欧米圏の先進国に点が少し辛めで、日本にちょい甘く出てるんじゃないかという気もするが、肝心なのは、世界全体でみれば、まともな民主主義はSSRレアリティということだ。「完全民主主義」ではない国に、世界人口の9割以上が暮らしているのだから。
それどころか最低スコア分類である「独裁政治体制」の国、いわゆる独裁国家に住む人は、なんと世界人口の4割近くにのぼる。アフガニスタンのようにほぼ機能停止した国(0.26点)、ミャンマーのように重大な政治危機が進行中の国(0.96点)、ロシア、中国、イランなどの代表的な独裁政権の大国も含まれる。
また「混合政治体制」、つまり「非自由主義的民主主義」という、制度は一応の民主制だが実質的に自由が制限されている国(たとえばトルコ)も、全体の15.7%と地味に多い。これも含めると、地球人の2人に1人は、私たちが考えるような「自由」が存在しない国に暮らしているといっても過言ではない。
つまり基本的には(よほどの国ガチャや為政者ガチャでも引き当てない限り)世界のどこに生まれたとしても、権威主義者や全体主義者や独裁者っぽい人が権力の座にデデンと鎮座しているという状況であり、2026年のいま現在であっても、民主主義や自由や人権の尊重を求める人々は、そうした勢力と対峙する宿命にある。
ここで強調しておくが、「他のもっとヤバい国に比べたら日本は恵まれている、文句言うな」とか「日本の外にもどこにも理想郷なんかない、いやなら出てけ」とか言いたいわけでは一切ない(むしろ国を出る選択肢も常にあったほうがいいと思う、パスポートくらいはみんな取ったほうがいいよ!)。それでも、選挙の結果が悪かったくらいで、この日本でいちいち絶望して全部諦めているようでは、もっとヤバい国で今も闘っている人々に申し訳が立たない、ということには同意してもらえるんじゃないかと思う。
「…なるほど、相対的にみれば日本の民主主義は確かにまだ安定した状況にあるのだろう。そうは言っても、さっきあんたが懸念したように、日本がもっと悪い状況にこれから陥る見込みだってあるでしょ」と思うかもしれない。全くそのとおりだ。私自身も(少なくとも数年〜十年レベルの短期では)楽観は全然していない。お隣の韓国が極めて薄い薄氷をギリギリ渡っているように、日本も一歩間違えればいつ権威主義の奈落に転落したっておかしくない。トップも核武装すべきとか言ってるし…。
その一方で、保守的な自民党の一党支配がこれほど長く続き、トップも概ね権威主義的な気質に思えてしまうファイナル右翼列島・日本で、どうして(世界の平均に比べれば)高い民主主義指数が出ているのか、ということも考える必要がある。何が日本の民主主義を(一応)転落から守っているのか。
答えはシンプル、憲法である。
いくら国のトップが独裁者志望のサイコ人間だったとしても、ホッブズのいうところの巨大怪獣リヴァイアサンだったとしても、日本国憲法がある以上、それに縛られた上で行動せざるをえない。たとえば政権を批判した国民をぶっ殺したり国外追放したりはできない(できる国も沢山ある!)。
私たち日本人は敗戦後にほとんど「棚ぼた」みたいに憲法と民主主義体制を手に入れたので、そのありがたみをいまいち噛み締めてないが、独裁者にとって国家権力を縛る憲法ほど邪魔なものはない。とにかく邪魔で仕方ない憲法という鎖を引きちぎろうとする。とはいえ独裁者=怪物だってバカではないので「邪魔だからちぎらせて、おねがい!」なんて素直に言わない。「敵国が攻めてきた時、こんな鎖があったらあなたたちを守れませんよ? それにこの鎖は、海外から押し付けられたものでしょ?情けないですねぇ…」とか言葉巧みに言い出して、なんとか国民自身にちぎらせようとする。この鎖が「どのように手に入ったか」なんてことは、鎖の効力とも、鎖が縛る怪物の恐ろしさとも、何の関係もないのだが…。
繰り返すが、リヴァイアサンを縛る鎖こと日本国憲法も、それによって維持される民主主義も、たとえ自力で勝ち取ったわけではないにせよ、その重要性は変わらない。いま民主主義が曲がりなりにも存在している国は、それが存在しない国の人々のためにも、今後も民主主義の灯台を存続させ、鍛え上げ、灯火を消さない義務があるのだ。
「民主主義は完璧でも万能でもない。むしろ最悪の政治形態だ。ただし他のあらゆる政治形態よりマシなだけだ」というチャーチルの格言がある。
実際その通りで、民主主義には沢山の欠点があるし、ある国がいま民主主義体制ではないからといって、その国やそこに住んでいる人々を見下す理由にはならない。まぁ不完全という意味では私たちと似たようなものか、という謙虚さも必要だ。
たとえば中国は明らかに民主主義国家ではないが、近年の再生可能エネルギー政策にしても大したものだし、こうした重要な領域で、一応は民主主義国家のはずの日本やアメリカが大きく遅れを取っていると謙虚に認めよう。(参考↓)
ただしそれでも、やはりチャーチルの格言通り、「やっぱり一党独裁体制って限界あるよな…」「なんだかんだ民主主義つえーな」となる局面は必ず来るだろう。民主主義は武器であり、重荷ではない。時間をかけて、磨いていく必要がある。
昨今、世界の民主主義諸国で、トランプ政権のアメリカを筆頭に極右的なバックラッシュが盛り上がっていて、日本も確実にその渦の中にいるのは確かだ。しかし、こういうたかだか数年〜十年くらいの傾向を見てすぐ「民主主義の、おわりっ…!」「リベラリズムの、終えん…!」とか急いで言い出すうっかりやさんが多くて呆れてしまう。あなたが5歳ならともかく、社会や若い世代に一定の責任がある大人なのであれば、もう少し本とか読んで歴史の推移や世界の変化や人類の進歩に目を向けようよ、と思う。
ちゃっかり民主主義や憲法を運よくゲットした日本の現代人がそんな体たらくでは、王様にぶっ殺されたりしつつも文字を発明した5000年前の人類とか、王様をぶっ殺して力技で人権宣言を爆誕させた200年前の人類とか、今日も独裁政権に殺されたり誘拐されたりしながらも自由と平等を求めて闘っている人たちが、報われないではないか。
絶望して暗い部屋に閉じこもるかわりに、窓を開け、外の世界に目を向ければ、もっと深刻な民主主義の危機に立ち向かう人々の姿から、多くのことを学べるはずだ。その「窓」になってくれるものこそが、たとえば本や映画である。民衆に国境を超えて連帯なんてされると困るから、独裁者はいつだって、文化や知識や芸術を恐れるのだ。
ほんの一例をあげれば、映画『燃え上がる女性記者たち』は、インド(民主主義指数: 7.29、欠陥民主主義)で圧倒的な権力を振るうモディ政権に立ち向かう女性ジャーナリストたちを描いている。
レバン・アキン監督は、ジョージア(民主主義指数: 4.70、混合政治体制)出身であり、『CROSSING 心の交差点』など、祖国で過酷な扱いを受けるマイノリティの姿を捉えた映画を作り続けている。
イラン(民主主義指数:1.96、独裁政治体制)出身のモハマド・ラスロフ監督が、祖国を追放されてまで、映画『聖なるイチジクの種』を撮ったりもしている。
こうした海外の映画や本が、観られたり読めたりすることは、民主主義にとって(国内の文化と同じくらい)大切だ。政治とは結局のところ、文化の下流にすぎない。私たち民衆が何を思い、何を話し、何を作り、何を選ぶかが、巡り巡って社会全体の流れを決定づける。ひとつひとつは小さい火花でも、つまらない国境など超えて、混ざり混ざって巡り巡って、大きな爆発と激震を世の中に引き起こすかもしれない。
選挙の結果を受けて、「希望はどこにもない」と嘆く人もいるだろう。民主主義を求めて世界各地で権威主義や独裁に立ち向かう人々を、「どうせ勝てるわけないのに」と虫けら扱いする人もいるだろう。
そんな絶望と冷笑へのアンサーとして、尊敬するアメリカの思想家レベッカ・ソルニットの言葉と、中国の傑作SF小説『三体』から、ひとつずつ言葉を引用して終わろう。
「私がこんなことを書くのは、希望はソファに座って宝くじを握りしめながら幸運を願うこととは違うからだ。希望とは非常時にあなたがドアを破るための斧であり、希望はあなたを戸外に引きずり出すはずだからだ。」
レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望』
「見てみろよ。これが虫けらだ。こいつらとおれたちの技術力の差は、おれたちと三体文明の技術力の差よりずっと大きいよな。そして、おれたち地球人は、この虫けらをなんとか滅ぼそうと、全力を傾けてきた。(…)この果てしない戦争は、人類文明の開闢以来ずっとつづいてきた。しかし、まだ結果は出ていない。虫けらどもはまだ絶滅してないどころか、我が物顔でのさばっている。人類が出現する前と比べても、虫の数はまるで減ってない。
地球人を虫けら扱いする三体人は、どうやら、ひとつの事実を忘れちまってるらしい。すなわち、虫けらはいままで一度も敗北したことがないって事実をな」
劉慈欣『三体』

この選挙、マジで何? その謎を解明するため我々は極寒の大地(投票所)へと向かった…。
疑問が尽きなくても雪が降っても選挙は迫りくる!貴重な権利である選挙権を放棄せず、世の中や政治への要望や懸念や憤怒、あなたの思いの丈を投票用紙でぶつけよう。選挙スタッフの皆様はほんとにお疲れ様です!
解散に何の大義もないし急すぎて選挙スタッフや豪雪地方の人など各方面に大迷惑だしマジでいいかげんにしろよお前(政権)…という憤怒ばかりが脳に渦巻く選挙になってしまいましたが、そういう怒りも投票で表現すべきだろうなと思ってイラスト描きましたよ。
投票スタンスを言っておくと、世界を見渡しても、排外主義や差別(人種/性etc)や非科学や反知性主義を煽って安い人気を得ようとするポピュリズム右翼に政治を任せると本当に最悪なことになるなと実感するばかりなので、投票先もなるべくそういう勢力を削れそうなところを選ぼうと思います(選挙区の様子を見つつ期日前投票するつもり)。
まぁ事前報道をみると、まさにそういう政党の議席が増大しそうで、ひでー状況だなと思いますが(そりゃ国も衰退するよ!!)、だからといっていちいち絶望していられないので、レベッカ・ソルニットの『暗闇のなかの希望』とか100回読み返して不屈の精神を鍛えたいものです。
まぁまずは目の前の選挙を大事にしたいですね、頼むぜ国民〜
2/20公開映画『おさるのベン』の公式紹介イラストを描きました。
可愛くて、賢くて…
— パラマウント・ピクチャーズ(日本版) (@Paramount_Japan) 2026年1月31日
それだけじゃない?🐒
みんなでベンのことをもっと知ろう✏️
イラスト:ぬまがさワタリさん
𝟐月𝟐𝟎日(金)公開🎬 pic.twitter.com/q6lqx7zbiX
愛らしい「家族」だったチンパンジーのベンが変貌し、たのしい夜が血の惨劇に!という恐怖の動物パニック映画です。動物の飼育や狂犬病にまつわる大事なメッセージを(バイオレンスに)伝えてくれる作品でもあるぞ。

映画ファン的には地味にトロイ・コッツァー(『コーダ あいのうた』)がメインキャラとして出てくるのも注目(全体としてはお前が悪いんだろという役回りではあるが…笑)。
そんなに「必然性」もなくB級スピリット満載なホラーにろう者の方が登場するのも時代の進歩ですな。
普通にエンタメ映画としても、たいへんキレのいい動物パニックホラーなので、残酷表現だけ大丈夫ならオススメ。公開おたのしみに〜
しかし傑作『NOPE』といい、ホラー界におけるチンパンジーのビッグウェーブを感じざるをえない。
こわすぎたら『猿の惑星』リブート版のかっこいいチンパンジーとかも観てバランスをとろう…

【おしらせ】3/7(土)の「三鷹の森アニメフェスタ2026」で、映画『Flow』特別上映&トークショーを開催いたします!
「三鷹の森アニメフェスタ2026」とは、三鷹の森ジブリ美術館が厳選した傑作アニメ映画を上映する恒例イベント。ニャんとこのたび、光栄にもジブリ美術館さまからお声をかけていただき、私がトークショーに登壇することに。2025年ベストにも選んだ大好きな映画『Flow』を、参加者の皆様と一緒に観た後で、楽しく語らせて頂きます。
『Flow』特別上映&トークショー、ともに入場無料ですが、webかはがきで事前に申し込む仕組みになっています(当日券も少しあるそうですが)。恒例の人気イベントだけあって抽選になる見込みも高いらしく、そこだけちょっと恐縮ですが…ぜひ!
公式HP等からお申し込みの上、あそびにきてくれよニャ🐈
ジブリ美術館HP↓
https://www.ghibli-museum.jp/news/014044/
三鷹市HP↓
チラシはこんな感じ↓

申し込み方法はこんな感じ↓

いい機会とばかり『Flow』をおうちで見返していたが、やはり素晴らしい映画だなと。この世にアニメが(それも色々なアニメが)あって良かった、そして動物がいてよかった!とつくづく思える最高の動物アニメ映画だと思います。アニメフェスタのトークショーで何を話すかは未定ですが、「動物アニメとリアリズム」みたいな話ができたらいいなとイメージしてます(『野生の島のロズ』も『ズートピア2』もあったし、ここ最近だけでも語りしろが多そう。あと期待の超どうぶつ映画『私がビーバーになる時』もちょうどトークショーの前日公開だ!)
司会・聞き手は、フリーアナウンサーの小島一宏さんとのこと。楽しいトークができたらいいな。

ところで「三鷹の森アニメフェスタ2026」、第一部にあたる<短編映画上映「絆を描くアニメーション」>も面白そうですね。アードマンの映画も、まったく知らなかった海外のアニメもあるし。余裕あればこっちもチェックしたいものですが…
なにはともあれ世界のアニメファンよ、3月は三鷹に集おう!

あなたの住む街の建物は「面白い」だろうか、それとも「つまらない」だろうか。そもそも「面白い」とか「つまらない」とかの視点で建物を見たことなんかないよ、映画じゃないんだから、と思うだろうか。そりゃたしかに街に並ぶビルも、郊外の住宅地も、「面白い」外観じゃないだろうけど、建築なんて実用性が第一であって、面白さなんて目的じゃないんだから、それでいいんじゃないの? 面白いかつまらないか、なんてそんなに重要なことか?
ああ、ものすごく重要だ、と熱く語りまくる一冊、それが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』である。
それほど建築への興味を持っていなくても、とても面白かったし、ひたすら読みやすかったし、街や建物を見る目が間違いなく変わる一冊だった。まだ1月だが、今年のベスト本に確実に入ってきそうだ。
著者は著名なデザイナーのトーマス・ヘザウィック。イギリスの〈コール・ドロップス・ヤード〉などの建築から、家具まで多様な作品群を手掛けている。
知らなかったが、麻布台ヒルズのガーデンプラザもヘザウィック・スタジオの設計のようだ。(このまえ「高畑勲展」で行ったな。)今度行ったらよく見てみよう。
本書『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』では、私たちの街にそびえ立ち並ぶ「つまらない(BORING)」建物をぶった斬っていく。独創性、親しみやすさ、楽しさといった人間的な要素を排除して、建築を大量生産の工業品のように捉える(にもかかわらず建築家は自身を芸術家と思い込んでいる)モダニズムがもつ有害な側面を、わかりやすく論じていく。そのうえで、建物をHUMANISE(人間らしくする)することの重要性を語る本となっている。
『HUMANISE』冒頭で、最高の例としてあげられる建築物が、ガウディの作品群だ。
著者は若い時、バルセロナでガウディが建てた「カサ・ミラ」に衝撃を受けたという。
(数年前バルセロナに行った時に撮ったカサ・ミラの写真↓ あまり長居できなかったが…)

「それまでの人生で見たどんなものにも似ていなくて、とんでもなく生々しい石の彫刻の性質と、現代的な集合住宅の性質を兼ね備えていた。
私は唖然とした。こんな建物が存在するなんて、思ってもみなかった。」「9階建ての建物のファサードは光を受けながら驚くほどにうねっていて、内から外、上から下へと自由自在に踊っている。まるで建物自体が呼吸しているみたいだ。」
ヘザウィックは自身も建築業界でキャリアを重ね、金・時間・法規・政治の影響力も、ちょっと曲線が入るだけで建築家がビビることも知った上で、カサ・ミラが「いかに天才的であるかを明確に理解できるようになった」と。
カサ・ミラは「大胆な曲線の祭典」であり、当時もセンセーショナルで、実際ガウディも当局と揉めまくり、「高すぎ、柱が歩道にはみ出てる」など法令違反もあった。しかしガウディは高額な罰金(設計料と同額)を払ってまでこのデザインに固執した。
それはカサ・ミラの生命力あふれる外観が、一部の特権階級ではなく、道行く普通の人々への「贈り物」だったからだ、と。ガウディのカサ・ミラが視覚的に成功し、これほど多くの人に(街の人にも外国人にも)愛される理由として、著者は「反復と複雑の華麗で独特な組み合わせの結果」だと語る。

人間は繰り返し(秩序、対称性、パターン)を好む一方で、それが多すぎるとイヤになる。人は好奇心に富み、知的で、飽きっぽい動物でもあり、複雑さも好むのだ。つまり繰り返しと複雑さの絶妙なバランスが魅力的な建築(に限らないが)の条件となる。
カサ・ミラのバルコニーの鉄細工ひとつとっても、それぞれ異なるねじれ方をしている驚異的な複雑さを示す一方で、美しい反復と秩序も感じさせる。こうしたバランスが少し崩れるだけで、魅力は失われていただろうとも。
『HUMANISE』カバーの表紙にもなっている、カサ・ミラの壁の手触りについて、石の表面にも職人技が現れているそうだ。
わざわざ石を滑らかに磨いたりはせず、ざらっとした質感をあえて残し、「人間の手仕事」を強調している。現代のありがちなツルッとした建築とは違い、生々しい切り傷のような削り跡が、光の具合で建築に豊かな表情の変化をもたらす。
カサ・ミラの曲線や装飾や素材の使い方が、この建築をとても「3次元的」にしていると著者は語る。しかもこれは古代の城や王宮ではなく、普通の現代の建物であることに、いっそう感動して、すべての建築に芸術的な可能性がある、と思うようになったと。
かように冒頭でガウディのカサ・ミラを称賛しつつ、ここからが『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』の本題。ではなぜ、この世の圧倒的大部分の建築物はカサ・ミラみたいじゃないのか?という問題を読者に突きつける。なぜ私たちは直線と単調さが支配する、圧倒的に「つまらない(boring)」建物に取り囲まれているのか…?
コストのせい?建築家のせい?不動産業者の、自治体の、都市計画者のせい?
どれかひとつには絞れないが、最大の犯人として、著者は「モダニズム」をあげる。特にル・コルビュジエの負の影響力は圧倒的であると。どうやってモダニズムの呪いから脱し、建築に人間性を取り戻せるか、が本書の主題。

ここから『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、建築界におけるモダニズムの最大の体現者であるル・コルビュジエを「つまらなさの神」という率直すぎる呼び名とともに批判していく。もちろん建築界の大御所なので反発もあることだろうが、彼の掲げた「装飾の廃止」「直線絶対主義」「大量生産志向」「街路の廃止」「建物の外部より内部を重視」などの信念が、後の建築にとってあまりに大きな影響力をもち、いま私たちが直面する「建築的な大惨事」に結びついたと語っている。
建築家を育てる教育的な過程も、一種の「モダニズムのカルト」と化してしまい、一般大衆が何を愛するかよりも自分たちの基準を絶対視した結果、似たような「つまらない」建物を量産する温床となってしまったと。
『HUMANISE』は、モダニズムの考え方を自動インストールしてしまっている私たちに、過去に目を向けるよう促す。たとえば「最も面白い建物」の一つとして紹介されるのが、ローマのパンテオンだ。(数年前に行った時の写真↓)


私(筆者)自身もローマに行くとパンテオンには必ず訪れることにしているのだが、何度行っても前代未聞かつ唯一無二の建物だと感じる。これほど重厚でありながら、独特のふわっとした浮遊感も感じさせる空間は他にみたことがない。
2000年前に建設され、地球上で最大の無筋コンクリートドームを持っている。この作り手があまりにも野心的だったために、2000年後の今もなお、建物が人々に愛されてその場に存在しつづけているだけでなく、その屋根は支柱のないコンクリートドームとしてはいまも世界最大のものだ。
圧巻の屋根だけでなく、驚異的な精度で開閉する巨大な銅製の扉は、今どんなメーカーも作れないだろうと著者は語る。テクノロジーが直線的に進歩していくというのは現代人の誤解で、思想も技術も過去に「負ける」ことはありうる。だからこそ歴史に学ぶことは大事だ。
パンテオンが建設されていた2000年以上前、ウィトルウィウスというローマの建築家/技術者が、『建築について』という本で、建物には「firmitas (強)、utilitas(用)、venustas (美)」が揃っているべきだと語る。それぞれ「強=倒れない」「用=機能を果たす」「美=喜びを与える」の3本柱は、どれも欠かせない椅子の脚だと。

最後の「美」、言い換えれば「面白さ」は、世界でも普遍的に、壮大で重要な建物にとって必須要素だった。しかし20世紀、モダニズムの勃興で「つまらなさ」が蔓延し、その「最も楽しい脚」が折れてしまったという。

19世紀〜20世紀初頭にかけて、第一次世界大戦や、銃や車や飛行機といった工業品が、人々の意識を一変させる中、モダニストは現代世界のための全く新しい表現手段を発明する必要に駆られた。
しかし『HUMANISE』では、「1950年代以降、多くの都市計画者がモダニズム思想の餌食となった」とし、装飾の廃止、直線至上主義、大量生産性、街路の廃止といった方向に突き進むル・コルビュジエを、先述したように「つまらなさの神」として批判していく。
いうまでもないが、モダニズムそのものは芸術に多くの革新をもたらした。芸術において、その思考は「古いルールを疑う」ことに向けられ、絵画ならピカソ、文学ならジョイスやウルフなど、多くの偉業が成し遂げられた。
『HUMANISE』著者が問題視する「つまらなさの蔓延」が、なぜ建築の分野で際立って起こってしまったのか…言い換えればモダニズムの精神が「暴走」したのはなぜか。
大きなファクターとして上げられるのが、第二次世界大戦である。戦争や爆撃によって荒廃した町や都市の悲惨な状況と、モダニズムの夢と熱狂はあまりにバッチリ噛み合ってしまった。爆撃を受けた場所にとどまらず、戦前の歴史ある建物の多くが取り壊されてしまう。その結果として…
"何十年もかけて、つまらなさが各大陸をベージュ色の霧のように包み、その攻撃的な虚無が何百万もの人々を窒息させている。"
ただしル・コルビュジエに対して全体的に辛辣なヘザウィックも、必ずしもル・コルビュジエを害悪扱いするだけではない、とはフォローしておく。
批判的な気持ちを抱きつつ地方まで観に行った、ル・コルビュジエの建てたロンシャン礼拝堂を、著者は「私が今までの人生で見た中で、最高の建物の一つだった」「崇高だった」と称賛している。皮肉にもというべきか、それはル・コルビュジエが日頃から公言している信念と、真っ向から対立するような建築だった。

あまりの影響力の大きさゆえ、本書のような手厳しい批判も出るのは頷けるものの、やはり巨匠なだけあって(?)ル・コルビュジエも、なかなか一言では語れない複雑さも持ち合わせていたんだろうと思う。
『HUMANISE』で問題視される「つまらない建物」は、単に美的な不満というだけにとどまらず、気候変動を引き起こす、といった観点もあると。

コンクリートや鉄鋼の炭素排出量は甚大で、建設/建築資材は年間排出量の11%(航空の5倍)。作っては壊しを繰り返すことは炭素コストの観点からいえば最悪で、「建物を長持ちさせる」ことは、気候変動対策としても必須となる。
だが「つまらない建物」は修繕のサイクルが短く、老朽化の割合が高く、何より住民に愛されないので、取り壊されても「まぁいっか…」と反発も起こりにくい。逆に面白い、愛される建物は取り壊されにくいという。
持続可能性のためにも「面白さ」は大切なのである。
『HUMANISE』、作っては壊し…の短絡思考へのアンチとして日本の伝統文化「金継ぎ」をあげる。

陶器のひび割れを金で修復し、その経年劣化や不完全の状態、そして傷をこそ「美しい」とする価値観。よそと同じくつまらん建物が蔓延する日本ではあるが、だからこそ「1000年残る」ような自国の伝統に立ち返る必要があるし、保守主義というのは本来こういうものではないのか? 保守なら保守してほしいものだ…
『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、モダニズムの歪みと暴走を批判してきたけど、じゃあ具体的にはどんな建築を作れば良いっての?というごもっともな問いにも、本書なりの答えを出している。
それを極限までシンプルに突き詰めたのが「ヒューマナイズ・ルール」。(ご丁寧に切り取り線もあるぞ。)

ヘザウィックは「人々が通り過ぎる間、注意を引き続けられる建物を作るべき」というシンプルなルールを提唱する。近/中/遠距離から見て「面白い」と感じられるようなデザインにしようというわけだ。

段階が3つに分かれているのは、「通り過ぎる人」の移動手段や距離や体験も異なるから。実際、「面白い」建物はこのいずれの距離感から見ても、人の興味を引き続けられると語る。
じゃあ「面白さ」って何?という話にはなるだろうが、建築における面白さ=人間らしさとは何か、という話も本のなかでされていて、いきもの好き視点で「そうだな…」と思う部分もあった。
曲線とフラクタルは、人間的だ。

動物がつまらない住み処で生息しているのを見たことがあるだろうか?

ヘザウィックの手掛けた建築群も、流線型や渦巻きや手触りといった動物の肉体、もしくは巣などの構造物から多くを取り入れているのだろう。(もちろんこうした「自然」の形状が建築の人間らしさにとって唯一の正解ではなく、直線や直角が美しさや人間らしさをもたらすことも多いことも強調しているが)。私たち人間も結局はいきものなので、四角四面で平坦な単調さより、複雑なパターンや破調への強い愛着をどこかに抱えてるのだろう。
そしてやはりヘザウィックも、こうしたエッセンスを(本書でひとつの究極の理想として提示される)ガウディから学び取ったんじゃないかと思う。
私自身も、数年前にバルセロナに行って改めて感じたことだが、いきものが作り出す構造物や、いきもの自体の形態を、ガウディは意識的に取り入れていると思う(それを100年以上前に建築分野でやったという事実がまさに天才的なのだが)。

数年前に行ったサグラダ・ファミリアも、外見からぱっと見でいちばん連想したのはシロアリの巨大な巣だった(アフリカには5mを超える巣を作る仲間もいる)。
バルセロナの街のどこからも目に入ることもあり、荘厳さを通り越して巨大な異形の怪物のような迫力がある外装も凄いが、聖堂内部の植物の根や菌類を思わせるような柱の使い方にも目を奪われる。

結果、あまりに「生命度」が高すぎてちょっと不気味さもあるがそれでも美しいという、完全に唯一無二の建築物となっている。
時に気持ち悪かったりグロテスクだったりもする生物の荒々しいパワフルさを、ガウディは建築という無機物を通じて抽出・再構成しようとしたのだと解釈している。
サグラダ・ファミリア、少し登ってみたところから見下ろす尖塔も印象的だった。

先っぽに、カラフルな玉が沢山ついた装飾物があるのだが、ガウディは虫や植物や菌類の生態や形態にインスパイアされているのではないか、という仮説も踏まえると、なんかの卵みたいにも思えてきて、不気味といえなくもない…のだが、とにかくそういう生理的なひっかかりを与えるものも含めて、「生命」を強烈に感じさせる意匠が隅々まで凝らされた、ものすごい建築物である。
サグラダ・ファミリア、塔の上に登っていく階段や手すりや通路の窓だけみても、「つまらない造形にだけはしないぞ」という強迫観念のようなものさえ感じた。「びよーん」とか「ぐにゃり」みたいな、あまり大聖堂的ではない擬音が随所で聞こえてくるかのようだ。
ガウディが残した「すべては大自然の偉大な本から出る」という言葉がある。創造のために発見すべき形はすでに自然の中に存在すると。この思想をもとに、ガウディは植物や動物や洞窟など自然環境の造形を建築に取り入れる。特に自然の中にある「幾何学」を重視し、後には放物線など曲面の追及に結びつく。
その思想の最大スケールの成果といえるのが、バルセロナのグエル公園。



エウゼビ・グエイ(=グエル)伯爵が分譲住宅として作った空間で、ガウディに好き勝手やらせただけあって必然ものすごいデザインになり、当時としては(いや今もだが)造形が斬新すぎてマジで誰も買わなかったようだ。しかし今では世界遺産の公園となっているので結果オーライ(?)
有名なトカゲくんもいるよ↓

もうひとつ紹介したいのが、バルセロナのガウディ建築の中でも最高傑作との呼び声も高い、郊外にあるコロニア・グエル教会。

繊維工場がある工業団地の労働者が通うための聖堂を作るはずが、途中でガウディが手を引き、フリーダムな発想の地下教会だけが残る。

天井を這う肋骨のようなレンガのアーチ、ぐにゃりとうねる切り出し玄武岩の柱…。

建物の外見も含めて、まるで巨大なクモやカニにも似た空想上の動物の体内にいるかのようだ、と思った。完成版は一体どうなっていたのか気になるが、たとえ未完成でも、『HUMANISE』で批判される「つまらなさ」の概念と、あらゆる意味で正反対の建物といえるだろう。電車を乗り継ぐアクセスなど少し手間だったが、行ってよかった。
コロニア・グエル教会、建築に詳しい人がみればさらに凄いことを色々やっているようで、たとえばポーチ(内部も凄いんだがこのあたりも凄い)のアーチ区画にある「放物双曲面体」は、「建築史上初めて現れた曲面体」として評価されている。

「ガウディが、三角形によって直線と同じように放物曲線を表現したことは驚きに値する」と解説(日本語版も売店に売っていた)にあった。
曲線に命をかけた建築家の本領発揮といえるし、この教会の成り立ち(工業団地の労働者が通うことを想定)を思うと、ガウディは本当に一般大衆のためにガチ技術を駆使して美しい建築を作ることを重んじた人だったんだな…と。『HUMANISE』でもまさに、そこが最も評価されているポイントだった。
そんなわけで、ガウディを起点にして建築の来た道とこれからを考えていく『HUMANISE 建築で人間味のある都市をつくる』、とても面白かったし、万人に開かれたわかりやすい書きぶりの本なのでオススメです。「読んだ後に世界を見る目が変わる」という意味では、まさに私の考える「良い本」の条件を満たす一冊だった。お値段は少し張るが、凝った装丁なので、できれば紙で読むのがいいと思う。
ガウディにも改めて興味が向いたので色々読んでみるつもり↓
↓ガウディ没後100年で、こんなイベントもやるらしいので行ってみようかな。