沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

『CROSSING 心の交差点』感想

映画『CROSSING 心の交差点』鑑賞したので感想まとめ。2026年の新年1本目となったが、良い映画でした。(東京でも2館しかやってないのが若干オススメしづらいが…)

mimosafilms.com

ジョージアで暮らす中年女性が、行方不明となったトランスジェンダーの姪を探して、彼女を知るという若者を引き連れ、トルコのイスタンブールをさまよう…という映画。

おぼろげな情報を頼りに、街で暮らす様々な人々や、マイノリティの権利を守る弁護士(自身もトランス女性)の力も借りて捜索を続けるが、迷宮のような都市に迷い込んでいくうち、姿を消した姪への複雑な想いや、失意や後悔や疑念が、深い霧のように視界を包んでゆく。

ジョージアの伝統舞踏と揺らぐセクシュアリティの交錯を鋭く描いた傑作『ダンサー そして私たちは踊った』のレバン・アキン監督の新作として、期待を裏切らない、見事な奥深さをもつ映画だった。

『ダンサー そして私たちは踊った』の感想↓(もう6年前か、見返さねば)

『CROSSING 心の交差点』、ジョージアやトルコにおけるLGBTQ+の人々が現実に直面している抑圧を随所で描きつつも、イスタンブールという、様々な人や価値観が「CROSSING」=交差する都市に捧げる(監督の言葉を借りれば)ラブレターのような映画でもある。

アキン監督自身がスウェーデン生まれのジョージア人(両親はトルコ生まれ)で、ゲイであることを公言している。様々な文化や価値観が交錯する中で育った作り手であり、前作『ダンサー』もまさにそうしたテーマの作品だった。イスタンブールは監督自身を擬人化ならぬ擬街化(?)したような舞台といえるかも。

劇場パンフより、アキン監督の言葉↓

「イスタンブールの面白いところは、ほんの短い距離の中に正反対の世界が共存することです。ある通りはとても宗教的で保守的でありながら、2本先の通りに入ると、男性同士が手をつなきながら歩くクィアの楽園のような場所がある。私はこの二面性を映画の中で描きたかったのです。」

エルドアン大統領の反LGBTQ+な言動もあり、西欧メディアでもそのような描かれ方をされることが多いイスタンブールだが、そうした単純化はできない複雑な都市だと監督。保守的な(その性質は異なるが)国の首都でありながら、保守性と開放性が同居する大都市という意味では、東京と重なる部分も大きいかもしれない。

『CROSSING 心の交差点』、冒頭で “トルコ語とジョージア語は、性差別がない言語であり、文法上においても、男女の区別はない。”という文が表示される。(※一般にヨーロッパの言語は男性/女性名詞など、性の区別がある。)

トルコやジョージアで、保守的な性規範に当てはまらないLGBTQ+の人々への風当たりが強いことを考えると、皮肉なニュアンスも感じさせる文だが、映画の中で様々な性や属性や立場の人々がタイトル通り「CROSSING」していく過程が描かれることで、規範の檻が切り崩されていく。性に基づくバカバカしい差別に満ちた現実社会が、銘文のごとく刻まれた冒頭の文に一歩ずつ近づいていくと示すように。

『CROSSING 心の交差点』、主要キャラクターが皆よかった。

主人公のリアはジョージアで暮らす退職した教師で、亡き姉の遺言に従い、失踪したトランスジェンダーの姪テクラを探す。自立した女性として祖国でたくましく生きつつも、LGBTQ+への理解が深いとかでは別にないのだが、だからこそ旅を通じて彼女がテクラへの向き合い方を自省する過程は、私たち不完全な観客にも考えることを促す。

もう一人の主人公であるジョージアの若者アチは、国での生活を息苦しく感じ、外に出たい一心でリアの人探しに同行する。彼が踏み入り目にすることになるイスタンブールの複雑な表情は、ジョージアやトルコの流動性と変化を象徴している。

『CROSSING 心の交差点』、特筆すべきキャラクターはやはり、トランスジェンダー女性の弁護士であるエヴリム。

本作の大筋は「失踪したトランスジェンダーの姪テクラを探す」話であり、テクラが「不在の中心」として物語を牽引するのだが、マイノリティの存在が単なる物語上の機能や背景に堕していないのは、エヴリムの実在感と丁寧な描写のおかげだろう。

ドキュメンタリー『トランスジェンダーとハリウッド』で描かれたように、トランスのキャラは何かと露悪的な暴力、性に結びつく悲劇、身体的な暴露にさらされがちだったが、そうしたメディア史的な反省を活かしたような、知性的かつ「普通」の人生をもつキャラ造形になっている。

『CROSSING 心の交差点』も良かったが、日本でも『ブルーボーイ事件』など、マイノリティの描写やトランスジェンダーを扱う主題の点で、世界水準といっていい映画が公開された。声だけはデカい極右のバックラッシュ的な言動や、それに屈従する大手メディアの振る舞いを見るとひたすら悲惨に思えるものの、日本を含めて必ずしも先進的とはいえなかった国の映画から、変化の兆しが見えるのは希望といえる。

『ブルーボーイ事件』鑑賞。 1960年代の日本を舞台に、性別適合手術を巡る裁判を描いた映画。特筆すべきは主演の中川未悠さん(演技初挑戦とは信じがたい素晴らしい説得力と奥行き)を筆頭にした役者陣や、監督の飯塚花笑さんも含め、トランスジェンダー当事者の方を中心に制作陣を固めていること。 劇中で示されるようにマイノリティの道のりは前途多難だし、60年代と変わらないこと言ってる人多すぎだろ問題とか見ると暗くもなるが、こうした真摯な映画の存在自体に、時代は変わるもんだなとも思わされるし、変えていかなければならない。性的マイノリティを題材に描いた日本映画の新しい基準となるだろう、誠実に撮られた良作だった。

ぬまがさワタリ@『いきものニュース図解』ほか3/19同時発売 (@numagasa.bsky.social) 2025-11-23T03:05:32.549Z

bsky.app

『CROSSING 心の交差点』劇場パンフレットの最後に、トランスジェンダーの人々への理解を深めるための参考図書も4冊ほど紹介されていた。

うち1冊が『トランスジェンダー問題——議論は正義のために』。

2022年のベスト本にも選んだ本でした↓

numagasablog.com

『トランスジェンダー問題』の訳者さんが書いた、より入門っぽい日本の新書であるこちらもぜひ↓

読書メモ:『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』

『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』という本を、audibleで見かけて読んでみた(聴いてみた)のだが、けっこう面白かった。

若さや青春ばかりをもてはやし、歳を重ねることや成熟することを軽視、なんなら拒否、もっといえば恐怖する世の中に対して、「大人になる」ことの良さと必要性を説く…というかマイルドに説教していく感じの本。

www.eastpress.co.jp

公式サイトの内容紹介より↓

世間で「大人」と言われる年齢になったみなさん、立派な「大人」になれた実感はありますか? 人生の選択肢が多様に広がったからこそ、生き方が定まりにくいこの現代。それでも月日は流れ、いやおうなく私たちは年老いていきます。「成熟のロールモデル」が見えなくなった社会において、「若者」の立場を卒業し、「大人」を実践するとはどういうことか? 異なる世代との付き合い方、恋愛・結婚観、趣味とともに生きていくことについて。リアリティと現実のギャップに戸惑う人びとへ、新たな指針を示す人生論。

著者は精神科医で、専門を活かして現代人の社会適応とかそういうテーマでよく執筆しているとのこと。

時間の経過に伴う自分自身の肉体/精神の変化(要するに老い)を軽視したり、拒否したり、恐れたりすることは不幸を生むだけだ…というのは、古今東西いろんな宗教や思想などでも語られてきたことだと思うが、本書『「若者」をやめて、「大人」を始める』はそうしたテーマを身近な言葉で語る内容になっていた。

このような老いへの拒否や恐怖は、上の世代には下の世代への嫉妬や蔑視として、逆に下の世代には上の世代への反感や嫌悪として現れることが多く、どの年齢層の人にとってもタメにならない。だからこそ宗教などの形を借りて、人類が長く語り継いできた教えなのだろう。

語り口はあくまで柔らかいが、著者自身もオタクだったゆえか(特にゲームの『CLANNAD』が好きだったそう)、オタク的な人への物言いがけっこう率直というか、火の玉ストレートという感じなので、状況によってはド直球に刺さってしまう人も多いかもしれない。

たとえばアニメとかゲームとかアイドルとか(映画もまぁ部分的にはそうかな…)オタク/サブカル的な、一種の幼稚さが起爆剤になるような趣味や楽しみに、心底ハマってる時は「人生をこれに費やしてもいい!」「趣味に全賭けだ!」と思うかもしれないし、「成熟なんかどうでもいい」「大人になんかならないよ」とオバQみたいな(というたとえは通じるのだろうか)ことを思うかもしれない。

でもどうしたって自分も周囲も時間とともに変化していくものだから、いつしか楽しさも色褪せて、「趣味に全賭け」した人生を目指したはずが、趣味も楽しみもなくなった空っぽの中高年になってしまった…みたいな、実写オバQのような(こっちのほうがむしろ通じたりしてな)辛いルートについても、考えておくべきじゃないか、といった話が出たりする。(audibleで聴いたので直接ちゃんと引用できなくて恐縮だが。)

これに関しては、実際そうだよなと。「好きを大事にする」というテーゼは、オタク的な性向のある人の間ではほとんど絶対善のようなもので、それはオタク的な人たちが実際に「好きを大事にしてきた」人ばかりだから、というバイアスもあると思うし、「好きを大事にしてる俺ら vs 好きを大事にできなかったあいつら=一般人」みたいな(意地悪な言い方をすれば)選民意識や優越感を持てるかもしれない。その結果、オタク的コミュニティの中でも、オタク的コンテンツ(に限らずフィクションのかなり広い範囲でそうかもだが)自体の中でも、「好きを大事にしよう!」というテーマやメッセージがあふれかえることになる。

ただここで考えるべきなのは、「好き」は移り変わるということである。「好き」という感情は、その対象がものであれ人であれ、本質的に不安定なものだ。人間が変化するものである以上、本来は何一つ悪いことではないはずだが、オタク的な趣味を自分のアイデンティティにしてきた人は、ここで苦しむことになり、すでに飽きているはずの趣味や楽しみにしがみつき、余計に人生をこじらせることもあるかもしれない。別に、ただの趣味なんだから、いつやめたって、新しい何かを探したって、別にいいはずなのだが…。

自分としてもオタク界隈にそれなりに入り浸っていて(基準としてはユルイだろうがコミケも以前よく行ってたし、何回か同人誌を出したこともある)、性格的にも相当オタク的傾向が強い身としても、まぁやっぱ本書で語られる「成熟」は、広義/狭義の「オタク」な人たちこそが本当に重視すべき(だった)テーマだよな、と今起きている色んなことを眺めても思わざるをえない。

もっと言えば、成熟を軽視してきたことのしわ寄せが、オタク的カルチャーの作り手にもファンにも一気に襲いかかってきているのが今なのかもな、と思う。成熟を拒み、大人になることを拒み、居心地のいい子ども部屋にとどまり続けることを選んでも、未来に待つのはどん詰まり、くらいの危機感が求められるのかもしれない。

たとえば先日、庵野監督が「子ども向けのアニメーションが少ない」という話をしてる対談を見かけた。

news.yahoo.co.jp

庵野監督(と山崎監督)という、アニメや実写で日本エンタメの一線を担う人ならではの懸念もあるようで、もちろん2人が言ってることもよくわかるんだけど、個人的には、日本アニメのもっと根本的な問題って、「本当の意味で大人向けのアニメが少ない」ってことではないだろうか…などと不躾なことを思ったりはした。幼さが一種の呪いになってるというか。

もっと言うと、それは庵野監督が危惧する「子ども向けが少ない」問題と根っこが同じなのではないかと。

良質な「子ども向け」作品も、良質な「大人向け」作品も、結局のところ成熟した大人にしか作れないと思うんだよね。そして見る側も(子ども部屋から出られないオタクではなく)成熟した大人である必要があるんだろうなと。

たとえば引き合いに出して恐縮だが、中国の『羅小黒戦記』シリーズは、web版とかのノリをみても、たぶん作ってる人みんな超オタクなんだろうな笑と思う一方で、映画版(特に先日の『2』)を観て、そんなオタク連中に(失礼)どうしてこうも「成熟」した内容の作品が作れたんだろう、と、そのこと自体に感銘を受けたりした。

numagasablog.com

日本でも、昨日TVでやったという『かぐや姫の物語』とか、文句無しに世界最高水準の、本来的な意味での「大人向けアニメーション」と言って良いと思うけど、やっぱどうしたってド異端というかウルトラ外れ値の超上澄みといわざるをえないし、商業的に成立させるのも難しい(これはさすがに極端な例だが、『かぐや姫の物語』は制作費52億円→興行収入25億円という壮大な大赤字。)

正直ここまで圧倒的に凄くなくていいから、もうちょい作画とかもユルくていいから、少なくとも脚本面で『かぐや姫の物語』くらいの強度や社会的視線、それこそ「成熟」を感じさせるような大人向けのアニメ作品とか、もっと観られると嬉しいなと思う。ややマイナー系になればそれなりに思いつくのだが…(昨年でも『無名の人生』『ひゃくえむ。』『劇場版 モノノ怪』など)

まぁアニメ談義になると長くなるし本題からズレるので、また別の機会に。

 

話を『「若者」をやめて、「大人」を始める』に戻すと、本自体は面白かったし時々はこういうマイルド説教本も読むべきだなと思えたが、その一方、具体的な「大人の始め方」の話だと結局(そればっかりじゃないけど)結婚とか育児の重要性にウェイトがいく感じで、別にいいんだが、日本社会のわりと素朴な保守性みたいなところにスポッとハマれた著者なんだろうな、とは感じた。(たとえば、いや同性愛者の人は結婚も育児も実質できんやん、この国で…みたいな視点はまるでない。)

もちろんそうした、結婚や育児のような(狭義の)人間関係や他者への貢献が「成熟」を推進しうることに異論はないが、いま「成熟」の話をするのであれば、もっと「社会」のウェイトを上げることも必要では、と思う。たとえば結婚も育児もしないが、世の中を良くするために働きかける、みたいな人生も立派に「成熟した大人」の生き方だろうし。

いうなれば「オタク、大人になろうよ」とはぜひ言いたいし言われたいが、別に「オタク、結婚と子育てしようよ」と言いたいわけではないし、言われたくもない。(誰もそんなことを言われる筋合いはないし、誰でも結婚と子育てができるわけでもないし、向いてるとも限らないし、皆が多少がんばったところで日本の少子高齢化は回避不能だし、人類はマスでみればもうそんなに増える必要ないし、etc)

もちろん『「若者」をやめて、「大人」を始める』は、安易に結婚や育児で君も成熟!みたいな単純な内容ではなく(それなら読んでられなかっただろう…)、本書で定義されていたような「成熟」を実現する上で本当に重要なのは、自分だけの利己的で狭い「子ども部屋」にこもらず、もっと「社会」や「世界」や「人類」といった大きな視点を尊重することだと思うが、違うだろうか。このへん、言い方まちがえたらただのパターナリズムになっちゃうし、バランスって難しいよね。

というわけで全部に賛同するわけでもないのだが、時々はこういう本も読んで思考に刺激を与えよう、と思うのでした。

Audible版はデジタルボイスだけど普通に聞きやすかった(ぶっちゃけクセの強めな人間の読み手よりも聴きやすい、まであるかも…)

Audible、ちょうど3ヶ月99円キャンペーンやってたので興味あればぜひ↓

amzn.to

ところで『「若者」をやめて、「大人」を始める』と似たテーマを扱った、より当事者性が強い関連書といえそうな、『パーティーが終わって、中年が始まる』という本も、この前なんかで見かけて読んでみたけど興味深かったな。(電子半額してた↓ 1/10時点)

 

著者pha氏のことはよく知らなかったが、「日本一有名なニート」の異名をもつ方らしい。気楽な生き方指南などで人気だったが、最近は中年の危機も意識するようになり、若者時代の気楽さを相対化して見るようになった、的な内容。

やや世知辛いタイトルながら、気楽で自由な若さの終わりも見据えつつ、老いという大地に軟着陸する方法を考えるのは、万人にとって大事だろうなと。着陸方法は人それぞれだと思うが、時間の経過や自分の変化を恐れすぎず、時には自分のため、時には世のため人のために、生きていきたいものですね(まとめ)

ビニールタッキーさんの「月間おもしろ映画宣伝」最終回を特別寄稿しました。

昨年10月に残念ながら亡くなった友人ビニールタッキーさんが、映画ナタリーで連載していたコラム「月間おもしろ映画宣伝」。

このたび不肖私が、その最終回(とささやかなイラスト)を代わりに書かせてもらいました。

心優しき映画宣伝ウォッチャー・ビニールタッキーさんの、この世での旅路は終わっても、映画宣伝の物語は続く!という気持ちで、悲しい気持ちに押しつぶされぬよう、なるべく明るい最終回になるよう書いてみましたので、よろしければお読みください。

natalie.mu

本ブログで思い出を語った記事はこちら↓

numagasablog.com

 

ビニールタッキーさんの奥様

ナタリー担当編集の松本さん

昨年末にはビニールタッキーさんと交友のあった映画ファンのお友達と集まって、でかいスイーツでビニタキさん(あひるのすがた)を包囲したのだった。ちょいちょい集まって思い出を語れたらいいな。

読書メモ:『なぜ悪人が上に立つのか―人間社会の不都合な権力構造』

str.toyokeizai.net

突如として他国に侵攻して石油の所有権を主張する凶悪な大統領から、会社や学校など小集団の意地悪なリーダーまで、「一体全体なぜこんな最悪な人間がこの地位まで上り詰めたんだ?」と不思議に思うことは規模の大小を問わず多い。

最も大きな要因は「権力に最も引き寄せられる人が、それに最もふさわしくない人であることが多い」という身も蓋もない事実である。さらに「人を最悪に変えてしまう」権力の効能も加わり、気づけば「悪人が上に立つ」世界の出来上がり。

希望のない話に思えるが、諦めずに「もっと良い」リーダーを選び、もっと良い市民社会を構築することは可能だと説く、警鐘とやる気に満ちた一冊、それが『なぜ悪人が上に立つのか―人間社会の不都合な権力構造』だ。

現実に殺戮に関わった独裁者とか、スケールのデカい極悪人(ただ会ってみるとあくまで温厚で親切に見えたりする)やその関係者に著者がインタビューしにいく箇所もスリリングだ。

そうした巨悪だけでなく、ごく普通の学校のメンテナンス職員が、昇給と昇進を求めて権力の魔力に取り憑かれ、マフィアのボスのようなパワハラや脅迫に走るようになり、ついには爆弾まで送りつける事態になっていくとか、ネトフリでドラマ化しそうなエピソードにも事欠かない。

国家権力の代表例といえば警察だが、本書『なぜ悪人が上に立つのか』で、タイムリーにして恐ろしい身近な事例が、警察官の採用方法によって「どんな警察官が集まるか」が決まってしまうという話。

アメリカ南部ジョージアのとある町は小さく平和なのだが、なぜか警察署は死ぬほどマッチョで恐ろしげで戦闘的な勧誘動画を公式HPに載せていたりする。こうしたメッセージの出し方によっては、やたら攻撃的だったり、警察活動を戦争のように捉える人(実際、アメリカの警察官志望者は元軍人が多いそうだ)が過剰に集まってしまい、それが警察暴力のような深刻な問題の温床にもなる。

BLM運動の成果もあってか一定の警察改革が行われたが、「すでにいる」警察官の行動を変えることばかりに注目し、「これから雇う」警察官に着目してこなかったと本書は問題提起する。

警察官の勧誘動画の話で、ジョージアの町(ハードロックをBGMにパニッシャーみたいな武装マッチョCM)と対照的な例として、ニュージーランド警察のCMがあげられる。

youtu.be

そこでは「ニュージーランド警察は、大きな違いをもたらせる新人を募集します」という呼び掛けとともに、マオリ族の警察官が色々な人を助けたり、容疑者を追跡していたと思ったら犬だったり…というほっこりエピソードを挟んだりしつつ、「あなたも他者を気遣って、警察官になりませんか?」と締める。パニッシャーではなくヘルパーを募集したのである。

その結果、募集者の属性は多様になり、かつ数も増加した(権力を腐敗させないためには数も重要)という、日本含め他の国も学ぶべきことが多そうな事例となったそうだ。

この話がなんでタイムリーかというと、ちょうどアメリカで今日、ICE(移民税関捜査局)職員が発砲して女性が死亡して大騒ぎになっているから。はっきり言って現状のICEなんて『なぜ悪人が上に立つのか』の言葉を借りれば、それこそパニッシャー気取りの暴力的で差別的な傾向のある人間を全国から積極的にかき集めたようなものなので、必然こうなるよな…というほかない。

www.cnn.co.jp

そもそもトップであるトランプがアメリカ史上最悪の腐敗した権力と言わざるを得ないので、腐敗のトリクルダウンみたいな感じで、どこかで必ず人々の日常ラインにたどり着く。日本も排外主義が凄いことになっているのでよそのことは言えないが、恐ろしいことだ…。

『なぜ悪人が上に立つのか』本文にこういう箇所がある。

"権力についてのケルトナーの研究は、明確な作用を浮き彫りにする。権力のある人は、自分を抑制する力を失う傾向にある、というのがそれだ。「権力に酔う」というのは、まさに打ってつけの描写だ。権力があるという感覚を強められた人は、他者にどう思われるかは、あまり気にしなくなる。他者の心をうまく読めなくなる。他者に共感する必要を、それほど感じなくなるからだ。彼らは、規則は自分には当てはまらない、と感じはじめる。"

ICE職員の暴走もまさにこれで、ただでさえ暴力的な傾向があったり、権力という(アルコールにも似た?)ものに酔いやすい人間が、さらにトランプのような国のトップが暴力を煽っているわけだから、権力に酔うどころか泥酔して、今回みたいな事件を起こしたことも何も不思議ではないといえる。

 

そうした独裁者にどのように対応していくか、というのも『なぜ悪人が上に立つのか』の主要テーマだ。野球の成績を評価する上でリーダーシップの重要性が単純に評価されすぎ、という身近な話にこう続ける。

"この一見すると些細な点が重要なのは、野球のダイヤモンドよりも重大な領域を支配する、多くの不道徳で下劣な指導者が、自分の成果を目覚ましいものに見せ掛けるのが「本当に」得意だからだ。"

過程に着目せず、つい結果だけを見てしまう…という私たち一般人の性質を、不道徳な権力者はよく知っていて、本当は自分の政策や行動の成果ではないものも、平気で自分の手柄として主張する。その結果、「ナチスも良いことをした」とかいつまでも言ってるうっかりやさんがいなくならない、というわけだ。

まさに日本でも話題になった本『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』でも語られていたことである。短い本で読みやすいので一読オススメ。電子半額還元してるし↓(1/8時点)

『なぜ悪人が上に立つのか』、「巧みなPRキャンペーンを展開したおかげで、受けるに値しない称賛を勝ち取った指導者」の例としてムッソリーニをあげる。

今ではイタリアの独裁者として悪名高い彼でも、「とはいえ、ムッソリーニは列車を時刻表どおりに走らせた」という称賛だけはなぜか今も消えていない。だが、これは嘘である。ムッソリーニは前任者が改良した交通インフラを自分の手柄としてPRしただけで、実際は虚栄心を満たす駅の装飾などに注力しており、一般人の交通手段になど何の関心もなかった(結果、列車の運行も特に改善されず)。

人々が悪人のPRを真に受けてしまいがちなことや、「いっけん悪いけど、実はいいこともした」みたいなストーリーが好きすぎることは、「なぜ悪人が上に立つのか」の理由のひとつでもある。

『なぜ悪人が上に立つのか』、権力の座についた「悪人」は昨今、デジタルテクノロジーを駆使して、「パノプティコン型」の監視社会を作り上げようとする。大企業や権威主義国家は、労働者の全てを監視する前代未聞の能力を得ている。中国の「社会信用システム」もその一環だろう。

絶望的にも思えてくるが、私たち一般人が第一にやるべきことはこの「監視社会」の構造を逆転させること。つまり権力が私たちを監視するのではなく、私たちが権力を監視するべきだと結論づける。

その最大の役割を担うのがジャーナリズムのはずが、世界各地で今それが(億万長者や権力の介入もあって)衰退してるのは懸念すべきだろう。

つい先日読んだ『過疎ビジネス』でも、地方ジャーナリズムの運営が成り立っていないことが、腐敗を加速させているという話も出ていた。

numagasablog.com

ジャーナリズムは科学や司法やその他諸々と同じくらい必要不可欠なシステムで、PRばかり得意な悪人に世界をボロボロにさせないための最終防衛ラインなのだ。まずこの世界が「悪人が上に立ちやすい」世界であることを認め、そのうえで傾向と対策を見極め実行していくための一冊となっている。おそろしいけどオススメです

kindle版がなんか67%とか大幅還元してます↓(1/8時点)

読書感想:『まじめに動物の言語を考えてみた』

「動物に"言語"はあるか?」「動物と"話す"ことは可能か?」という問題は、はるか昔から人々を惹きつけてきた。

今回読んだ本『まじめに動物の言語を考えてみた』(アリク・カーシェンバウム著)では、オオカミ、イルカ、ヨウム、ハイラックス、テナガザル、チンパンジーといった、複雑で興味深い音声コミュニケーション手段を駆使する動物たちを中心に、最新研究によってその謎に光を当てる。

www.kashiwashobo.co.jp

公式HPより

"誰もが動物と会話したいと思っている。はたしてそれは可能なのだろうか。残念ながらこれまでの研究では明確な答えが出ていない。なぜなら、私たちはそれを調べる方法を間違えているからなのだ。

 それを実現するには、動物が発する音(声)を調べて、それを人間の言葉に「翻訳」するのではなく、動物がなぜそのような行動をとるのか、その行動はどこから来るのか、そしてその行動を支えるために彼ら特有のコミュニケーションがどのように進化してきたのかを理解する必要があるのだ。"

 

本書の肝は、動物の「言語」が私たち人類が想像する言語のあり方と、必ずしも同じではないこと(たとえばイルカのコミュニケーションはいわゆる言語とは異なる、と主張する)。だがそこにこそ動物という不思議な「他者」の面白さがある。

日本でも最近(よく話題になるシジュウカラの「言葉」とか)動物の「言語」の研究に光が当たっていて、もちろん良いことなんだけど、一方で私たち人間は言語によるコミュニケーションを非常に重視する動物だから、「言語を使う、イコール知性」みたいな強いバイアスを持っていることも自覚して、動物をその色眼鏡で見ないよう注意すべきなんだよね。

そのあたり、本書『まじめに動物の言語を考えてみた』は真摯に向き合って、本の中でも何度も繰り返される。もし動物に「言語」があったとして、それはあくまで社会的生活がスムーズに成立するように進化の過程で獲得したツールのひとつにすぎない。そして、もし厳密の意味での「言語」をもたなかったとしても、言語になんて一切頼らなくても何の問題もなく生きていけるというだけのことだ。

 

『まじめに動物の言語を考えてみた』、(原題は"Why Animals Talk: The New Science of Animal Communication"=直訳「なぜ動物は話すのか:動物のコミュニケーションの最新科学」だが)邦題通り、動物の言語をまじめに、なんならわりとシビアに考えていて、第2章で「イルカに言語はない」と断言するくだりとか真摯である。イルカの賢さを評価する人は反発するかもだが、そもそも「賢さ」と「言語」は別に関係がないというのが本書の主張。

「イルカには言語がなかったから、機械を発明できなかったというのは、明らかに事実に反する。むしろ、機械をつくる必要がなかったから、イルカは言語をもたないのだ。これは本書の核心でもある。僕たちが考えるべきは、動物が何を必要としているのかであって、動物がどんな能力を備えていると思いたいかではないのだ。
イルカは自力で問題を解決した。」

たしかにイルカは「ホイッスル」で音声コミュニケーションをとり、お互いを名前で呼び合う特異な能力をもつので、「概念の表象をもち、その表象を他者に伝える」という意味では言語の本質的な特徴がある。ただし、その(名前に使う)シグネチャーホイッスルを除けば、これまでイルカが他の対象物を表現した記録はないという。

イルカの祖先が海中での生活に適応し、効率よく獲物を得たり、シャチから逃げるには、賢く、協力的で、コミュニケーション能力が高い必要があり、そうした能力を研ぎ澄ませていった。とはいえ、人間の言うところの言語が必要だったわけではない。イルカは人間の歩んできた道を追随してきたのではなく、完全にオリジナルな進化を遂げてきたというわけだ。

たとえばオオカミとイルカはともに複雑なコミュニケーションをする社会性哺乳類として比べられるのだが、その内実はかなり異なるという。

重要な違いのひとつが、オオカミは天敵がほぼいない頂点捕食者だが、イルカはシャチなどのより大きな捕食者の脅威にさらされること。

ゆえにオオカミが仲間と協力するのは、狩り、なわばり防衛、子育てくらいな一方、イルカはもっと顕密な協力が必要になる(その意味でイルカはオオカミよりコヨーテと比較されるべき、とも)。

また「遊び」の最中も、イルカのほうがさかんにコミュニケーションを取ることも大きな違い。オオカミの遊びはもっと「儀式化」されてると。進化の条件ごとに、遊びのあり方も全く違うんだよね。

オオカミと遊び、といえば『狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか』も面白かったな↓

そのオオカミも、まるで言語のように入り組んだコミュニケーション方法をもち、『まじめに動物の言語を考えてみた』の主人公の一匹(一種?)である。

オオカミのパック(群れ)内のコミュニケーションに用いられる多様な音声には「ワイン」「ウィンパー」「イェルプ」といった呼び名がある。すすり泣きや懇願に似た声や、騒々しい唸り声を組み合わせて、他の種(例:人間の祖先)に感情を理解させることは生存上も有利に働くようだ。

短距離のシグナルのほうが人の話し声に近いのだが、「ここではないどこか」に向けて声を伝える、オオカミの長距離コミュニケーション…そう、ご存知「遠吠え」は、まったく性質が異なる。情報の量とトレードオフで、「多く」より「遠く」を追求する遠吠えは、10キロメートル以上離れた相手にも聞こえる。光を収束させたレーザービームにたとえられる。

『まじめに動物の言語を考えてみた』、オオカミの遠吠えのマネをするコツものっている。それは、ピッチの上昇(あおー↑↑↑ーーん)を誇張しすぎないこと。もう少し穏やかな変化で「あおー↑ーおー↑ーん」くらいに鳴くと、ずっとリアルな響きになるそう。

ピッチの急上昇とその後の穏やかな下降というざっくりしたパターンこそが、オオカミの遠吠えの本質的な特徴である。子どもが遠吠えを雑にマネすれば、オオカミには偽物とバレてしまうだろうが、とはいえ「遠吠えなのね」ということは認識してもらえるようだ。

距離があるほど音の他の要素は失われてしまうが、音の高さとテンポの変化は容易に認識できる。音の性質が遠吠えを進化させたと言えそうだ。

 

『まじめに動物の言語を考えてみた』、とりわけ面白い動物がハイラックスだ。日本語ではイワダヌキとも呼ばれる、風変わりな外見で、たしかにタヌキのようにもみえるし、ウサギやモルモットにも似ているが、そのどれでもない、独立した種である。

このハイラックス、鳴き声を「歌」のように用いることで知られる。聴いての通り(↓)あまり美声というわけではないが…

www.youtube.com

ハイラックスの歌が面白いのは「統語」があるらしいこと。

言語学者の多くは、統語(語を順番に並べるときのルール)は言語にとって不可欠だと考える。

ハイラックスの特別な音の整理方法は、ヒトが単語を正しい順番に並べて伝えることに似ている…だけでなく、(ほとんどの鳴禽と違い)統語を学習し、後天的に歌の構造を調整できるという。

『まじめに動物の言語を考えてみた』、ハイラックスの「歌」をまじめに分析する。分析自体は簡単で、なぜなら語彙(鳴き声の種類)がさほど多くないからだ。具体的には5種類で、それぞれ「ウェイル(長く物悲しい)」「チャック(短く連続的)」「スノート(荒い鼻息)」「ツイート(鳥のさえずり)」「スクイーク(きしむ高音)」といった名前もついている。

ハイラックスはこれらを組み合わせて歌を作るのだが、でたらめに組み合わせているわけではないという証明として、それぞれの音の「直後」に出現する音の確率に注目する。

ウェイル→スノートと続く確率は高い(45%)一方、スノート→ウェイルは低い(6%)、など大きな偏りがある。もしランダムならこうしたバラつきは生じないはずだ。

統語の存在は、ホシムクドリなどの鳥(話題のシジュウカラもその一種か)から、クジラやコウモリまで、多くの動物で実証されている。ただし、それがすなわち「言語の存在」を意味するわけではないのは注意しよう。

ハイラックスにしても、こうした複雑な後天的統語によって、何も環境問題や株式市場といった複雑な事象について話しているわけではなく、歌の役割も内容も(自分の存在をアピールするとかメスを惹きつけるとか)単純である。ただ、それを伝えるやり方が複雑なのだ。

歌の「複雑性」はある個体がどれだけ強くて健康かを示す指標であり、ハイラックスの歌もその意味でクジャクの羽に近い。だがその統語が進化の上で、言語の礎を築いたのかもしれない、と著者は語る。

言語は化石に残らないので、どのような「進化」を遂げたか厳密に知ることは難しいが、動物たちの「統語」はヒントを与えてくれる。

統語は動物のコミュニケーションにとって普遍的かつ基礎をなすもので、動物の脳は語順を区別することができる。ただし、語順で意味が大きく変わることは少ないし、違いが意味をもつ必要もない。

個体の利益に大事なのは「違いがわかる」こと、つまり統語の理解があること。良い歌とダメな歌を区別できる能力を、ヒトの祖先も高度化させていき、メッセージはより明瞭、正確、具体的になり、フレーズに潜むパターンを理解する脳をもつことが有利になり、ついにヒトの真の言語能力に進化を遂げたのかもしれない、という。

「ハイラックスは奇妙な動物で、生きた化石でもなんでもないが、動物界において統語が普遍的であり、太古の昔から存在したであろうことを教えてくれた。それより何より、草もまともに消化できないこの小動物は、統語を利用してコミュニケーションをおこない、複雑さを利用してメッセージを伝える。こうしたメッセージは、千差万別な動物たちの間でこれまでも、おそらくは動物が音を出すようになって以来、ずっとやりとりされてきた。僕たちの祖先はただ、こうした能力を転用しただけなのだ。」

他の動物の「言語」(たとえ厳密な意味での「言語」でなくても)は、人の言語能力を解き明かす鍵になるとわかる。昨年のベスト本にあげた『動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか 人間には感知できない驚異の環世界』同様、動物について学ぶことの魅力が詰まった一冊だと思う。

新年早々、すてきな動物本に巡り会えて幸先がいいことだ(表紙もイイね)

 

ーーーおわりーーー

 

…余談ですが、思うところあってブログのgoogle広告を停止したので(若干ヤな広告が目立つようになったので…)、なにかしら代替をゆるめに模索してます。まぁ元からそんなに収益化とか目指してもないとはいえ…

とりあえず、有料販売機能を使った投げ銭でもしばらく置いてみようかなと。

というわけで気が向いたら、投げ銭はこちら↓(ささやかなお礼イラストあり)

この続きを読むには
購入して全文を読む

読書メモ『過疎ビジネス』

2026年は読んだ本のSNS感想をなるべくブログにまとめよう週刊、その一環(続くかは未知数だが第一歩)

shinsho.shueisha.co.jp

「無視されるような、ちっちゃい自治体がいいんですよ。誰も気にしない自治体」。
福島県国見町の官民連携事業を請け負ったコンサル企業の社長(ローカルビジネス界隈では有名人らしい)が言い放った言葉だ。

「企業版ふるさと納税」を財源にし、DMMなど大企業も親会社として深く関わっているそのビジネスの実態を知り、スクープを飛ばした地方紙の記者が、取材の経緯を語る。

どんな闇ビジネスかざっくりいうと、人口8000人ほどの福島県国見町で、高規格救急車12台を近隣の自治体に貸し出す「リース事業」が2022年に突然始まった。原資は、匿名の企業(後にDMMなど関連企業3社と判明)から「企業版ふるさと納税」で寄付された4億3200万円だという。

著者の横山記者(河北新報)はひょんなことからそのリース事業について知り、こりゃおかしいぞと調べていくと、悪徳コンサルだけでなく、国、企業、自治体、なんなら地元の報道までもが互いに癒着し合う地獄に足を踏み入れることに。人口減に苦しむ地方をまさに「食い物」にする様は恐ろしいが、地道な調査報道に基づく正統派ジャーナリズムの意地と矜持をみせる一冊だった。

別に悪いこともしてない人道支援/人権的なNPOとかに対して、根拠のない陰謀論に便乗して「公金チューチュー」などと揶揄をする人がネットに増えた(政治家すら言い出してる)けど、こういうマジモンのチューチュー、てかそんなかわいげな効果音ではすまない大金バキュームに対して普段どれだけ怒ってんだ、と突っ込みたくなる。

とはいえ自分だってこの本読むまで全然知らない悪行だったので、この河北新報のジャーナリストみたいに、日本各地で地道にまっとうな方に進もうとしている人々を応援しなきゃいかんなと思った。

『過疎ビジネス』を切り口にしたノンフィクション著者対談も見つけた。

shueisha.online

記事より

"コンサルだけが悪者のようにも聞こえますが、そういうことではありません。取材する中では、自治体が単純な「被害者」ではなかったという構図も見えてきました。国見町のような地方の過疎の自治体──私は「限界役場」という言葉を使いましたが──には「地方創生」といってもそれを担える人材がおらず、外部のコンサルに丸投げの状態になってしまっている。それが不正を生む土壌になっていたことも、取材を通じてつまびらかにしていきました。"

2人ともデカい弁護士事務所から「記事を取り下げないと訴えるぞ」と通知がきた、となかなかコワイ経験を語る。しょせんは脅しで、形勢が悪そうになるとぱったり止んだというのも逆に闇を感じる…。

記事では、新聞のような報道を維持することの困難さが語られている。端的に全然お金にならないため。えらい賞をとっても部数は別に伸びない。不動産事業で赤字をカバーしてる新聞社もあり、世知辛さも感じるが、『過疎ビジネス』の横山氏はそれでもいいと思っているようだ。

横山氏
"だからといって、報道が存在しない世界というのはかなり怖い。アメリカでも地域紙がどんどん姿を消して、地元紙のない「ニュース砂漠」が急速に拡大しているといわれますが、そういう地域では明らかに汚職が増えていることが分かったんだそうです。

これは「海の向こうの話」では全然なくて、私のいる東北などではもうすでに同じことが起こりつつある。"

大手出版社でも、結局は本でも漫画でもなくビルの賃貸など不動産で稼いでる、みたいなことはよく聞く話なのだが、新聞社もそんな感じとは…。東西いずこも似たようなものかもしれず、アメリカでも億万長者が新聞社を買収した話とか記憶に新しいし(ベゾスのワシントン・ポスト買収とか)、「経営に口は出さない」と口では言うだろうけど、実際トランプみたいなヤバ権力の圧力に弱まってる傾向もあるので、ジャーナリズムがジャーナリズム自体では経営成り立たない、というのは、そのままでは良くないよなぁ、とはいえなぁ、うーむ…って感じだ。

ただひとつ言えるのは、新聞のような文章ベースのジャーナリズムから報道が始まるという事実を再認識すべき、ということ。

『過疎ビジネス』最後の方で印象的なくだり↓

"行政監視はマスメディアの重要な役割の一つで、中でも新聞社の果たすべき役割は大きい。テレビ局は放送法で一定の規制を受けるが、新聞社を直接的に縛る法律は存在しない。報道の自由は、表現の自由を規定した憲法二一条が保障するものとされ、民主主義の根幹をなす「知る権利」に奉仕するものと考えられているためだ。"

これって結局「ジャーナリズムの核心は動画でなく文章(テキスト)にある」という捉え方もできて、間接的に昨日話したこと↓とも繋がるよなと。

numagasablog.com

私たちの社会の根幹を築くのは文章だが、その役割は常に過小評価されている。文はオワコンこれからは動画だといわれるが、文章の重要性は全く減じていない。弱者を食い物にする悪を暴き、世の中に多少なりとも公正さをもたらすためには、まず文章を大切にすることが第一歩なのだろう。

 

『過疎ビジネス』ちょうど電子版が半額還元してた↓ので読んだのだが、新年からそれなりに深い日本の闇を見せられたことだ(そのために読んだので文句ではない)

『過疎ビジネス』の調査報道、河北新報だけでなく週刊東洋経済も活躍する。(DMMは河北新報の連絡は無視したけど、よりメジャーな週刊東洋経済の取材にはちゃんと答えてくれる、など微妙な格差もあったようだ…)

『過疎ビジネス』が出たのと同時期に、近いテーマの号も出ていた↓

目次みたら著者の横山さんも(別の地域についてのようだが)寄稿している。読もうかな、地元の千葉でも色々あるみたいだし…(しかも何かと評判のいい流山じゃん…このまえショッピングモールの「流山おおたかの森」に立ち寄ったばかりだぜ。おしゃれカフェの流山コーヒー↓おいしかった。何も事情はわからんが、守ろうおおたかの森)(オオタカはいなかったけど)

scrop-coffee-roasters.com

ニュース雑感「イギリスでRedditがTikTokを追い抜く」

SNSを巡る、興味深いニュースを見かけた。

www.theguardian.com

先日イギリスで、「Reddit」がTikTokを追い抜いて、4番目にアクセスが多いソーシャルメディアになったという。Z世代にも人気らしい。
Redditはオンライン議論プラットフォーム。何か買い物(PC関連など)する時とかに覗くのだが、本音っぽさと穏やかさのバランスがわりと良いと感じることが多い。
刺激や即時性という点では他のSNSや動画サイトに及ばないはずだが、最近そのへんが生成AIやジャンク情報で埋め尽くされて、ユーザーがうんざりして「普通に人間の会話を読ませろ」と思ってるのもありそう。

Reddit、日本では「海外の5chみたいなもの」と紹介されることが多く、たしかに始まりは5ch的というか、ゲームやテックが好きなオタク男性の集会所っぽいノリだったが、次第にユーザーの多様性が増していき、今や利用者の3人に1人がZ世代の女性と。

「Z世代は、人生の節目となる出来事、例えば家を出て初めて賃貸住宅に住むといった出来事について、オンラインでアドバイスを求めることに非常にオープンです。」とCOO。

妊娠と子育てに関するイギリスRedditのサブレディット(5chでいう板)は、昨年比で規模が2倍に拡大したという。「海外オタクがアニメやゲームの文句言う場所」的なイメージはもう古いのか…

日本ではRedditは知られてないよな〜と思いきや、最近、Google検索でなんか調べるとけっこうRedditのスレが表示されるんだよね。

たとえば「mac mini m4 pro」(去年買った)でググるとわりと上の方に日本語訳されたページが表示される。実際、ページ自体も(機械翻訳だろうが)まぁまぁ自然な日本語訳に最初からなっている↓ オフにもできるけど

PCとか健康器具とか大きめな買い物する時も、生成AIや広告の汚染が激しいブログとかより、むしろRedditを参考にすることが多いかもしれない。昨年のベストバイであるWalkingPadもReddit熟読して買ったし。(個別に記事書こうかなと思ってるほど生活にドンピシャはまった↓)

 

「最近の若者はもうテキストベースのSNSになど興味がなく、TikTokみたいな動画サイトでばかり情報収集する、これからは動画」みたいな、けっこう広く流布された固定観念も、「英国のZ世代に今Redditが(TikTokより)人気」という事実を聞くと、やっぱあんま鵜呑みにできんよなというか、まぁそりゃ文章のほうが便利な局面だって沢山あるもんな…笑、という当たり前のことを思うのだった。

…ていうか、帰省したら親が陰謀論YouTubeにハマってて…みたいな話もよく聞くし、むしろ逆に中高年の方が(自分の若い頃になかった)動画の即時性とインスタント快楽にヤられているという可能性もあるんじゃないかっていう。

「文章はもう古い!これからは動画!」的な大騒ぎ、ことあるたびに見るが、みんな動画メディアのパッと見の派手さと、文章というメディアのパッと見の地味さに騙されすぎだよなと思う。

文字の情報圧縮力はやっぱタダゴトではなく、いうて5千年くらいの歴史をもつだけのことはある(それでも絵や音楽よりはだいぶポッと出だが)。読み書きに一定のスキルこそ必要だけど、情報を詰め込める密度という意味ではまだ人類は文字に代わるものを何も発明してないし、本の情報密度(質量/時間ともに)を上回るメディアもない。
一方で動画とか、大いにポテンシャルはあるけど、まだせいぜい130歳くらいだからね(リュミエール基準)、赤ちゃんだよ。

 

↓今ちょうど『絵画の歴史』読み始めたとこなので、各メディアの歴史に関心向きがち。絵の古参っぷりに比べたら文字も若造ではある…

 

…という感じで、ためしにBlueskyで書いたニュース雑感を簡易にまとめてみた。

SNSを巡る、興味深いニュースを見かけた。 先日イギリスで、「Reddit」がTikTokを追い抜いて、4番目にアクセスが多いソーシャルメディアになった。Z世代にも人気と。 Redditはオンライン議論プラットフォーム。何か買い物(PC関連など)する時とかに覗くのだが、本音っぽさと穏やかさのバランスがわりと良いと感じることが多い。 刺激や即時性という点では他のSNSや動画サイトに及ばないはずだが、最近そのへんが生成AIやジャンク情報で埋め尽くされて、ユーザーがうんざりして「普通に人間の会話を読ませろ」と思ってるのもありそう www.theguardian.com/technology/2...

ぬまがさワタリ@『いきものニュース図解』ほか3/19同時発売 (@numagasa.bsky.social) 2026-01-05T10:36:20.094Z

bsky.app

本や映画の感想同様、「ブログをでかいマイクロブログとして使う」「SNSに書いたら書きっぱなし、をなるべく減らす」という方針を試行錯誤してる。なんかあまり小出しにブログ更新するのも謎に抵抗あったんだが(なんでだろ)、いいよね別に、自分のブログだし…。いちいち2万字とか書いてられないし。

↓昨日の2万字。よめ(無茶)

numagasablog.com