沼の見える街

ぬまがさワタリのブログです。すてきな生きもの&映画とかカルチャー。

【告知】12/29公開『ブルーバック あの海を見ていた』劇場パンフレット寄稿

【告知】12/29公開のわくわくお魚映画『ブルーバック あの海を見ていた』、劇場パンフレットに(主人公の女の子と交流する)巨大魚・ブルーバックの図解イラスト&解説コラムを寄稿しました。こちらの記事↓で映画の制作風景や、私のイラストが見られるので魚好きはぜひチェックしてね!

t.co

イラストはこんな感じ。劇場パンフにも収録されてます。

イラストと一緒に寄稿した劇場パンフレットのコラムでは、コメントでも書いたように「モンスターでもアニメキャラでもモブでもない、リアルな魚」をメインに据えた本作の新しさを、魚に関する最新研究も踏まえつつ解説してみました。ぜひお手にとってみてください!

t.co

ちなみにパンフレットはこんな感じ。かわいい!手書きノートみたいでオシャレだ。

パンフレットへの寄稿に加え、推薦コメントも寄せました。モンスターでもアニメキャラでもなく、「リアルな魚」との交流を描いた映画として画期的だと思います。映画史における『ジョーズ』の原罪をリデンプションするかのような…(?)

t.co

てか私、実は映画パンフレットのお仕事って今回が初めて…かな…? こんだけ色々書いてるわりに…(万一何か忘れてたら申し訳ない。)どうぶつ映画は今後も増えていくと思われますので、各方面の皆様、遠慮なくご相談くださいませ…!

どうぶつ映画のお仕事といえば、今年はこれ↓もあったな。

久々にやります!「帰ってきたビニがさ新年会2024」

新年明けて、1/7(日)に渋谷で「帰ってきたビニがさ新年会2024」を開催します!

私ぬまがさワタリと、おもしろ映画宣伝や映画レビューでもおなじみビニールタッキー(@vinyl_tackey)さんが、楽しくおしゃべりをする映画トークイベントとなっております。司会・主催は始条 明(@AkiraShijo)さんです。(3人の関係は映画好きフレンズみたいな感じです。)

詳細はこちら↓

https://vinygasa24.peatix.com/?lang=ja

 

この「ビニがさ会」(良いネーミングだ)、実は以前2019年の年末にも「ビニがさ忘年会」として開催しまして、おかげさまで熱い反響もいただき、めちゃ楽しかったので「またやりたいね!」と言っていたのですが、その後コロナが襲来…! なかなかリアルイベントの開催は難しくなってしまい…数年が経過したのだった。

そんななか、先日「久々にアレ、やりますか…」「いいよ」という重みのある会話が交わされたことで、このたび4年ぶり!の開催に至った、という次第です。リアル世界でなんかイベント開くこと自体が相当に久しぶりなので、私としてもドキドキしておりますが、気軽に来てくれると嬉しいです。

何を話すかは当日のアトモスフィアにもよると思いますが、私は「おれの考えた最強の十二支」をベースとして、2023年のどうぶつ映画(広義)を振り返っていくプレゼンをしようかなと考えています。考えているっていうかもうプレゼン資料も作ってしまったので、確定です。無駄に120ページもあるので時間オーバーしないよう気をつけたいと思います。そんな感じで、私とビニタキさんがそれぞれの固有能力を発揮してプレゼンしつつ、残った時間でワイワイやる感じの4時間になるはずです。

とはいえせっかく来てくれたのに登壇者の話を押し黙って聞く会になってもな…とも思うので、私たちのトークをつまみとしつつ、来場者の皆さんどうしで、ゆるやか〜に交流してもらう機会にもしてもらいたいと考えています。

やっぱほら、好きなものを共有する人と(ネット上ではなく)リアルで会える機会も最近は減ってたし、これほど殺伐とした世界をサバイブしてきた皆さんが、『イコライザー THE FINAL』のマッコールさんのように、再び人間への暖かな心を取り戻すためのきっかけが作れればいいな〜とか思うわけです。とはいえそういうの苦手なマッコールさんは、じゃなくて参加者さんはジッと耳を澄ませてもらってて大丈夫ですし、全体にゆるやかな会にしたいと思いますので、こういうリアルイベントは久々&初めてという人にもオススメできる集いかなと。あと大事なことですが、そんなに映画詳しくない&今年あんま見れてない…という人も楽しめる会を目指しております!

なお時間は「10:00 START〜14:00 CLOSE」と、諸事情でちょっと早め設定なのですが、年末年始で寝ぼけ倒した心身をシャッキリさせるきっかけとしては良いかもしれません!ともに最高のスタートダッシュ2024を切ろうぜ!早起きできるか心配なら一緒に「ポケモンスリープ」やろうぜ! 私はこのゲームをやり、人生がそれなりに変わりました。ほんとうです↓

numagasablog.com

参加料金は5000円と、こういうイベントとしてはリーズナブルな部類と思いつつ、経済状況等によってはややハードル高く感じるかもですが(すまぬ)、渋谷ど真ん中のすごいしっかりした会場を借りてもらったのと、まぁゆかいな2人が4時間も喋り倒すレアイベントということで、後悔はさせないぜ!という気持ちでおります。てかどっちかというと赤字覚悟?みたいな?雰囲気もなくはない?ですが、いや本当に黒字になってほしい(マジで)ので思い切ってお越しいただけると、そんで飲食物とか注文してもらえると、たいへんありがたいなと。「来て得したな」感を醸し出すため、ほしい人にはちょっとしたおみやげというか、なにかしら持ち帰れる特典をなんかリアタイで(??)用意することも考えています。できればな!

興味あれば、こちらから申し込み、よろしくです!ウワーッ↓

https://vinygasa24.peatix.com/?lang=ja

今年最も人生変えたゲーム。「ポケモンスリープ」1ヶ月プレイしたよ感想

毎年、新年の抱負は「早寝早起き」である。小学生か?と思うかもしれないが、毎年熟考した末に、真面目に選んでいるのだ。早寝早起き…もっと具体的に言うと「生活のリズムを健全に保つこと」と「ちゃんと睡眠時間をとること」は、クオリティ・オブ・ライフに圧倒的な影響力を及ぼすといっても過言ではない。私はこういう睡眠の本とかをいろいろ読んでいるので詳しいのだ。朝ちゃんと起きたほうがやっぱ健康的だろうし(人によるとはいえ)おおむね午前中のほうが人間の能力は発揮されやすいみたいなデータもあるそうだ。というわけで毎年、新年の抱負は「早寝早起き」というわけだ。

へ〜、さぞや健康的なんすね、けっこうなこって…と思ったかもしれない。だが「毎年」という部分に注目してほしい。なぜ毎年わざわざ「早寝早起き」を新年の抱負にあげるハメになっているのか…? それは、毎年失敗しているからだ。小学生の標語のような「早寝早起き」は、ある種の人間(私)にはかなり困難なミッションなのである。

会社員とか学生とか、何時に起きて何時までに出社・通学しないといけない…みたいな規範ある生活をし、ナチュラルに早寝早起きしてる人は「何がミッションだ、大げさな…」とばかにするかもしれない。しかし(私のような)フリーランスや在宅ワーカーなど、そういう社会的な縛りがない人間にとっては、安定した「早寝早起き」生活は意外なまでにハードルが高いものなのだ。

私も、そりゃ外出の用事がある日とか、たまに早寝早起きを実践できる日はある。だが習慣としては続かない。数日後にはちょっと夜更かしして、ちょっと寝坊する…。じわじわ就寝/起床が遅くなり、深夜2〜3時くらいに寝て昼前に起きる、くらいの生活リズムにいったんハマってしまうと、体内時計もそれに引きずられ…。気づけば「遅寝遅起き」生活で半端に安定してしまうのだ。そこから「早寝早起き」に戻すのはエネルギーが必要だし、なまじ睡眠時間自体は確保できているし、寝坊したからって(概ね)誰に怒られるわけではないので、じゃあ早く寝て早く起きる必要がどこにあるんだ…?あほらし…しょせんこの世界はカオス…と「早寝早起き」へのモチベも失われてゆく。

これがもっと切実な問題、たとえば即座に健康を害するとか、仕事に支障が出るといった問題であったり、あるいは早寝早起きのメリットや報酬が膨大とかであれば、こちらももっと気合をいれて改善に取り組んだことだろう。だが「早寝早起き」はそういう類のミッションでもない。中途半端に困難で、中途半端にメリットもあるが、中途半端に報酬が少ないゆえに、中途半端に先延ばしされてゆく…。しかし心の奥底では、「早寝早起き」生活への理想を捨て去ることはできない…。だからこそ毎年「早寝早起き」を抱負に挙げながらも、結局はグダグダになり、自分自身への少々の失望を味う…というビターなサイクルを繰り返していたというわけだ。人生はそういうもの、と諦めるべきなのだろうか…? 

そうとは限らない、とゲームが教えてくれることもある。

 

 

遅寝遅起きにさよならバイバイ(希望)

きっかけは1ヶ月ほど前、友人同士の集まりの終わり際に、なんとなく「早寝早起きがしたいなぁ…」的なことを呟いた結果、イラストレーターの村上ヒサシさんにあるゲームをオススメされた。巷で人気のスマホゲーム「ポケモンスリープ」であった。

www.pokemonsleep.net

「あーなんか話題だよね」と思いつつも、即座にプレイを決断したわけではない。というのも私は(ゲームそのものは大好きだが)スマホゲームをほぼ全くやらない人間なのだ。評判の良い「メギド72」とかは遊んでみて、それなりに進めたし面白かったが、結局途中で触らなくなってしまった。なんかスマホやタブレットの小さい画面でちまちまバトルやアクションやストーリーを進めるというのがイマイチはまらないのかもしれない。あと課金システムもなんかコワイし、「基本無料」みたいな言葉も「そんなこと言って搾り取るつもりなんでしょう?」と勘ぐってしまい信用できない。最初にさっぱり数千円だか払って買い切って終わりにしたい、昔かたぎ(?)のゲーム好きなのだ。唯一の例外がポケモンGOで、元から散歩が好きなこともありそれなりにハマったが、最近は全然プレイしていなかった(なんかカバンがいっぱいになったりポケモンの所持数がいっぱいになったりして、面倒くさくなってしまったのもある)。

それでも紹介を聞く限りでは、私の「早寝早起き」という見果てぬ(というにはささやかすぎるが)夢に、「ポケモンスリープ」はばっちり刺さっているように思えてならなかった…。というわけで、その日帰ったら(もう深夜0時近かったが)すぐにポケモンスリープをダウンロードしてプレイを始めてみた。思い立ったが吉日というではないか。

さっそく、ぽちゃカワ系おじさんのネロリ博士が登場した。どうやらポケモンの睡眠を研究しているそうだ。私も「動物の夢」をテーマに図解を描いたことがあるし、そのうち「動物の睡眠」で一冊本を出せたりしないかなとか思っている(たいへん興味深いテーマなのだ)くらいなので、そのニッチな好奇心、なかなか気があいそうだなと感じた。

しかしこのネロリ博士、会ったばかりというのに、何やらカビゴンがどうとか眠気パワーがどうとか睡眠シンクロとか微妙に情報量が多い上に「それは科学…なのか…?」と若干心配になる感じのことを言い始めて、もう深夜で眠かったし、正直何を言ってるのかよくわからなかったので、とりあえず深く考えずにネロリ博士が命じるままに「睡眠計測」というのをやってみることにした。ピカチュウもくれたしな。

だが実はこの時点でいきなり、ちょっと抵抗を感じたと言わざるをえない。というのも、スマホをベッドに置かないと「睡眠計測」ができないというのだ。何を隠そう、私は寝室にはスマホを持ち込まない主義者だった…。電磁波が云々みたいな物理的なアレをそこまで懸念しているわけではないが、なんかベッド周りにスマホがあると落ち着かないし、深夜に急に鳴ったら起きちゃうのでは?と不安もあった。しかしまぁスマホが物理的に近くにないと睡眠が測定できないというのは「そりゃそうだろうな」とも思ったので(どういうシステムか詳しくは知らないが、調べたところ、スマホの加速度センサーが体の動きを検知するらしい)、大人しくスマホをベッドに置いて就寝した。

…その前にひとつ重要なファクターを設定する必要があった。「ねむりの約束」である。その名の通り「この時間までに寝よう」という時間を自分で設定し、その目標を達成すると(プラスマイナスの幅があるのでそこまで厳密ではないが)アイテムや経験値などボーナスがもらえる…という仕組みのようだ。ラジオ体操のスタンプカードね。あまり早くても達成できる自信がないので、とりあえず「ねむりの約束」を深夜1時に設定して、今度こそ就寝するのだった。

てんてんてろりん(←ポケモンセンターの音)

 

わくわくどうぶつ(ポケモン)睡眠図鑑

起きた。スマホで気が散るかと思いきや、昨夜は眠かったのでまぁまぁぐっすり眠れたようだ。いきなり「ありゃ?」と思ったポイントをあげると、スマホのバッテリーだ。スマホの睡眠計測はバッテリーを消費しすぎないよう、バックグラウンド再生で行われたようだが、それでも充電量が大幅に減ってしまっていたのだ(iphone12でちょっと前の機種だから、というのもあるかもしれないが…)。私はともかく、朝起きてすぐ家を出ないといけない人は、寝起きでスマホバッテリー残り20%とかになっていたらかなり厳しいだろう。睡眠計測にスマホを使うなら電源との接続は必須といえるかもしれない(それはそれでバッテリーの状態が少々心配になるが)。

まぁバッテリーの心配は置いといて(スマホを充電しつつ)ゲーム画面に戻ると、ネロリ博士が寝起きにいきなり電話を入れてきた。私を治験者か何かと思っているのだろうか(やってることの実態を考えると、まさに治験者以外の何者でもないが…)。眠気パワーがどうこうと、博士号もちのくせに相変わらず不明瞭なことを言っているようだが、要は眠ったからポケモンが集まってきたよとのことで、さっそくリサーチを開始する。わくわく。どんなポケモンがいるかな〜。

 

じゃん!

え、何…?なにこれ? 土?ゴミ?石? イシツブテの死体?

 

な〜んだ、ディグダかー。よかった、イシツブテの死体じゃなくて。寝起きから死体、見たくないもんね。

 

…いやまぁ、初日からいきなりわかりにくいポケモンの寝姿(寝姿ではなくない?)が目に入って混乱したし、これをディグダの図鑑写真として載せる判断はそれでいいのかネロリお前(動物図鑑のモグラのページに土だけ載せたら苦情くるだろ)という気持ちは隠せないが、このようにポケモンの知られざる「眠り」の生態を観察しようというコンセプトは理解できたし、面白いと思う。しかもそれぞれのポケモンに数種類もの「眠り」の姿が用意されているようだ。眠りというニッチなコンセプトでも、膨大な数のキャラクターのいる「ポケモン」でなら成立するという、IPの力技を感じざるをえない。

 

私の大好きなフシギダネともすぐに出会えてゴキゲンであった。カワイイッ! 「こうごうせい寝」って夜はどうするんだろ。どうでもいいか、カワイイから。ダネダネッ

 

睡眠の特徴も、それぞれのポケモンの生態を活かして、キャラが立ったものになっている。たとえばコダックはよく頭痛に悩まされているが、寝ているときも頭痛に悩まされているといった具合↓。シンプルにかわいそう

 

動物好きとして、ちょっと感心したのは、ワニノコの「はんきゅう寝」。ぱっと見「いや寝てないじゃん」となるかもしれないが…

これは「半球睡眠」という、現実の動物の睡眠を参照したものだろう。ワニなどの一部の動物は、片目を開けながら、脳を半分ずつ眠らせることで知られているのだ。

www.afpbb.com

 

他にもデルビルの「のび寝」や「とおぼえ寝」もそうした例のひとつと思われる。

先述の睡眠図解でも書いたように↓、犬が眠っているとき(起きている時のように)体を動かしたり、吠えたりするという行動を反映したのだろう。

 

こうした動物の生態の反映は、現実の動物の「睡眠」を知る上でもきっかけになるし、ポケモンというコンテンツに「生物学の入り口」としての役割をもっと引き受けてほしいと願っている身としては喜ばしい傾向だ。あくまでポケモンはフィクショナルな存在だし、まだ実装されているポケモンも限られているため、「この寝姿は現実の生物でいうアレだな!」と思える事例はまだそこまで多くない印象だが、今後のアップデートに期待は高まる一方だ。

↓最近だとヒゲペンギンのマイクロスリープも話題になったし、ポッチャマ(未実装)が登場した暁にはぜひ「爆速うとうと寝」みたいな感じで導入してほしい。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

はじめようか、睡眠計測

そんなわけで「睡眠計測」をしてみたわけだが、「おお〜」と思ったのは、やはり自分の睡眠リズムがグラフで表示されることだ。

この形の「睡眠リズムのグラフ」は本などでよく目にしていたが、自分で計測してみると、本当にこういう波を描いているんだなぁ…という不思議な感銘がある。レントゲンで自分の内部骨格を撮ってもらった時の「おお…」感にも通じる気がする。私も動物なのだなと思える(あたりまえ)

さらに睡眠の浅さ/深さの塩梅に応じて、その日の眠りが「うとうと」「すやすや」「ぐっすり」の3パターンに当てはめられるのだが、この3つは単にタイプ(まさにポケモンの草・炎・水のように)であって「良し悪し」ではない、というバランスも意外とユニークで上手い。睡眠のタイプによって、寝起きに登場するポケモンのタイプも変わってくるという仕組みだ。

「眠り」をゲームにしようと考えた時、普通やっぱり「深いほど良い」みたいな発想になりやすい気もするが、そこでジャッジするのではなく、「眠りの種類は人それぞれ」と強調するように、ポケモンの「タイプ」という「良し悪しでなく種類」でおなじみの概念に繋げる…という作りも巧みである。実際、適切な眠りは人によるというしな…。

またこれは毎日測っていると気づくのだが、睡眠のタイプは同じ人でも日によって変わるので、登場ポケモンのタイプの偏りすぎも避けることができる。参考までに私のここ1週間の睡眠データだが↓、見事にタイプがバラけていると気づくだろう。睡眠の長さと「タイプ」が意外と関係ないということにも注目だ。なんか異常に睡眠時間が長い日もあるが気にしないでほしい(なぜか夜中に目覚めてしまい、そのぶん寝坊した…)

睡眠タイプが「良し悪し」ではないかわりに、睡眠時間はスコアに直接的に反映されるので、いわゆるショートスリーパーの人はちょっと辛いかもしれない(ただし真のショートスリーパーは非常に稀で、大抵は単に睡眠不足なだけのようだが)。自分がいつ、どれくらい、どのように寝ているのかを測るだけでも、日々の睡眠の改善にけっこう効果があるのではないかと思われる。多少スコアが伸び悩んでも気にせず、とりあえず測るだけ測ってみることをオススメしたい。

 

必須級アイテム? Pokémon GO Plus +

ここで、先述したスマホのバッテリー問題に戻りたい。スマホによる睡眠計測がけっこうな電池を消費するという、地味にきつくなってきそうな問題の解決策を調べたところ、「Pokémon GO Plus +」というアイテムがあることがわかった。

プラスプラスってなんだよくどいな、「完成ファイル最新版(修正)第3版・改」かよ…みたいに内心ツッコみながら詳細を見たが、当初はポケモンGOを快適に遊ぶためのデバイスとして開発されたのだが改良されて、ポケモンスリープにも使えるようになったよ、ということらしい。

スマホと接続することで、スマホがわりに「睡眠計測デバイス」としてベッドに置いておけばよく、先述したスマホバッテリー問題も解決できるわけだ(電池持ちも非常に良いので充電がたまにでいいというのも嬉しい)。

まだ始めて間もないゲームのためにわざわざ6千円くらいするデバイスを購入すべきか迷ったが、健康的生活には初期投資が必要という考え方もある…。逆に6千円も出したら「続けなきゃ損」って気分にもなるだろ…と判断し、思い切って買うことにした。そして評判通りというか、ああ買ってよかったなという感想だ。というかさっきも言ったが「起きてすぐ家を出なきゃいけない(充電の時間がない)」かつ「寝ながらスマホを充電できない(orバッテリー寿命が心配なのでしたくない)」という人には必須級アイテムと言わざるをえないと思う。そうでなければ別に不要かもだが。

あえてデメリットを言えば、まぁやっぱ6千円もするのと、スイッチを押すとピカチュウの声(は別にいいけど)とともに妙に派手にボタンがビカーーッと光ったり、たまに謎に白い光を発して震える現象があったり、ディスプレイとかはないためちゃんと計測できてるか心配になったり、なんか微妙にクセのあるデバイスなので、もう少しシンプルかつ安価な機械で代用できないんだろうか…とは思ってしまうが…。少なくともポケスリとApple Watch(持ってないけど)との連携とかは普通にできてほしい。

とはいえ特に問題もなく、毎晩「Pokémon GO Plus +」を便利に使わせてもらっているし、大目標である早寝早起き生活の達成に大いに役立っているといえる。ただ最初に6千円も払ってしまったので、逆にゲーム本編ではしばらくは一銭たりとも払わず無課金でがんばる心構えである…。しぶいユーザーですまない。

 

1ヶ月たちました

そんなわけで課金アイテム(物理)の「Pokémon GO Plus +」も駆使しつつ、なんだかんだ1ヶ月にわたって睡眠計測とポケモン調査&育成を続けたわけだが…

結論から言って、あれほど難しいと思っていた夢の「早寝早起き」生活があっさり実現してしまい、我ながらびっくりしている。おおむね0時台(早ければ23時台)に就寝、7〜8時台に起床…という、「こういう規則正しい生活が送りたいなあ(送れたら苦労しないけど)」とぼんやり考えていた理想の早寝早起きが、1ヶ月以上にわたって実行できていることは、私にとっては実に驚くべきことなのだ…。

毎週、その週の睡眠リズムがどうだったかを「総合評価」してもらえるのだが、現時点では毎回「S」評価をもらえている。どういう基準なんだろうと思ったが、ミッドスリープタイムというのが重要らしい。

あと地味に規則性だけでなく、睡眠時間も長くなっていて、日中に眠いとかダルいとか思うことが減った気もする。これはシンプルに「寝れば寝るほどスコアが高くなる」というゲーム性に引っ張られた部分が大きいかもしれない。まぁ健康になるに越したことはないので素晴らしいことだ。

いつまでもダラダラ実現できなかった「早寝早起き」生活をこうもあっさり実現できた過程に、ポケモンスリープが果たしてくれた役割とは、その秘密とは何なのか、考えてみると…。

まず地味だが、最初に設定した「ねむりの約束」がけっこう有効に機能していることが大きいと思う。約束とはいえ、別に好き勝手に変えられる「目標時間」であって、ボーナスもごくささやかなものだし、破ってもこれといってペナルティがあるわけでもない(ボーナスがもらえないくらい)ので、たいした拘束力があるわけでもないが、一応自分で設定し、守るとちょっと褒めてもらえるということで、「何時までにはベッドに入ろう」という意識が働き始める。それがひとたび数日〜1週間くらい続いてしまえば、あとはその習慣を破るほうが気が引けるようになってくる。「就寝」の時間さえ一定になってしまえば、眠る時間自体はタカが知れているので、自然と「早起き」生活にもなるというわけだ。

要は「習慣づくり」というだけの話なのだが、習慣を作るのにゲームがこれほど有効に機能するとは…と、ゲームのパワーを改めて認識させられる結果となった。別にそのゲームで得られる報酬も(当然だが)お金が儲かるとかそんな物理的な「報酬」でもなく、ゲーム内のごくささやかな達成なのだが、それでも現実の行動を変えることにこれほどの効果を及ぼすことに驚かされる。

さすが天下のポケモンコンテンツというべきか、ゲームそのものが何気によくできているというのも大きいだろう。

「とりあえず眠りを計測する」「ひとまず目標の就寝時間を決める」という非常に低いハードルから始めて、少しずつ報酬を与えて成功体験を積み重ねつつ、だんだんできることを拡張していき(ポケモンの数や料理の種類が増えるなど)、ときには欠乏感も感じさせながら(もっと鍋の容量が増えたらいいのに!など)、「次にできること」のハードルをおのずから乗り越えさせていく…(図鑑を増やしてアップグレードしよう!など)という、正のフィードバックループ的なサイクルを生み出す。これはゼルダやピクミンなどとも共通する基本的な流れなので、本作「ポケモンスリープ」もまさに任天堂的なメソッドで作られたゲームといえるだろう。それを「睡眠」「ポケモン」を組み合わせて試みたことが画期的なのだ。

もちろん本作はあくまで「睡眠」をメインの目標に据えたスマホゲームなので、たとえばポケモンの収集や育成に関しては、本家ポケモンには及ばない…と思いきや、個人的にはむしろ本家ポケモンよりも手応えを感じさせる作りになっている、とすら感じる。最近の本家ポケモンは(最新作のスカーレット/バイオレットも)、子どもを含めてより万人がスムーズに楽しめる作りを目指していることもあり、普通にポケモンを捕獲・育成して攻略するだけなら(初代や金銀とか初期に比べれば)かなり簡単なゲームになっていると思う。基本的には(最初にもらえる御三家など)強いポケモンと、補助的なポケモンを集中的に育てていけば、けっこう力技でクリアできてしまう。普通に戦っていればレベルもバンバン上がるので、気づいたらもう進化してた、みたいなことも多い。捕獲に関しても、このポケモンさえいればけっこう大丈夫、という便利な捕獲要因が毎回いたりするので、あとは物量と根気でなんとかなってしまうことも多い。

一方で本作ポケモンスリープは、そうした「力技」が通用しにくい。なんといっても、「睡眠」という現実世界の肉体的な行動を毎日実行しなければ、何もできないゲームなのだから…。

育成の条件にしても、実は本作はかなり厳しい…というか「シブい」。しょっぱいと言ってもいい。ポケモンのレベルアップや進化に必要な経験値にしてもアメにしても、ポケモンの捕獲(ではなく本作では餌付けなのだが)に必要なエサにしても、カビゴンを育てるためのエナジーや料理の食材にしても、ラクで効率のいい稼ぎ方というものは基本的に存在せず、(リアルマネーを払わないとすれば)基本的には毎日「寝る」ことでしか稼げない。言い換えれば、とにかく何事にも「時間」を必要とするゲームなのだ。

しかしそれが、ポケモンの育成や収集に、ふしぎな満足感と達成感を与えている。眠った時間にあわせて経験値や道具が充実していくわけなので、要はこちらが健康になるほど、ポケモンも強くなったり増えたりする。ポケモンが良い感じに成長してくれることは、こちらの現実生活が具体的に改善したことの証でもあるので、立派に育ってくれた喜びもひとしおというわけだ。

こうした「現実の人間の状態」と「ゲーム内のステータス」が噛み合って成長していくという様は、たとえば『リング・フィット・アドベンチャー』などでも実感できるものだった。ただしあちらはまだ「体育」という行動自体に一定のゲーム性があるものだったが、本作ポケモンスリープは「睡眠」という文字通り何の活動性もない行動を「ゲーム化」しているわけだから恐れ入ってしまう。

「本来はゲーム性のない行動をゲーム化する」ことは「ゲーミフィケーション」と呼ばれており、すでにさまざまな場所で活用されていて、『スーパーベターになろう!』などでも突き詰めて語られている↓。ゲーミフィケーションの可能性を広げる意味で、また驚くべき成功例が現れたと言ってよさそうだ。

 

2023年は(映画やアニメも凄かったが)ゲームは特に大豊作の年であり、大作からインディー系まで様々な良作ゲームをプレイした。だが「現実」にこれほど影響を及ぼしたゲームは本作『ポケモンスリープ』の他にない。「早寝早起き」という、他人から見ればごくささやかだが、私にとっては困難だった習慣を見事に導入してくれたという意味では、ポケスリは「今年最も人生を変えたゲーム」であるといっても過言ではない。

いや、正確には『ポケモンスリープ』が変えてくれたのではなく、私が頑張って自分で変えたのだ、という言い方をあえてすべきかもしれない。睡眠習慣のように、たとえささやかなことであっても、人生を変える力は、すでに私の中にあった。そしてゲームはその力を解き放つ可能性を秘めているということだ。ポケモンスリープに限らず、人の生を良くするためにゲームにどんなことができるのか、ゲーム好きとして今後も目が離せない。

まぁこんなイイ感じのことを言ってても、そのうちたまたま継続が途切れたりとか、意外とすぐ飽きてやめちゃって、遅寝遅置きサイクルに再突入…みたいな未来も十分考えられるし(現にリングフィットアドベンチャーは途中で止めちゃったし…)、それはそれで人間だね…としか言いようがない。いつもいつでもうまくゆくなんて保証はどこにもない、というわけだ。なので完全に習慣化できるまでは、少なくとも来年もまた「早寝早起き」を新年の抱負に据えねばならないと思う。しかし今度は「※まぁ無理だろうけどね…」とは思わない。行動を変え、習慣を変え、運命を変える力は、すでに私の中にあると、いつでもいつも本気で生きてる(※寝てる)ポケモンたちが教えてくれたのだから…。

 

ーーーおわりーーー

 

ちなみに『ポケモンスリープ』の監修をつとめている柳沢正史先生は睡眠の専門家で、覚醒と眠気に影響する脳内物質「オレキシン」を見つけた人としても知られる(リアル「ねむけパワー」発見者というべきか…)。↓の公式ページで色々な睡眠豆知識ものっていて興味深かった。

www.pokemonsleep.net

柳沢先生の監修したニュートンの図解本とかも出ているので、あわせて読みたい。

ちなみによく紹介してるブルーバックスの鉄板本『睡眠の科学』の著者である櫻井先生と、柳沢先生との共同研究でオレキシンの発見に至ったとのこと。

 

なお、現在ホリデーイベントというのが開催していて、クリスマスっぽくて結構楽しいので始めるにもオススメなタイミングである。みんなも寝ようぜ〜

↓クリスマスめいた雪景色の中、朝からカツカレーを頬張るカビゴン。睡眠はともかく食生活はめちゃくちゃだなお前…(私が作ってるんだが…)

良い子がカビゴンを参考にしないよう、健康な食生活をゲーム化する「ポケモンイート」も開発するべきかもしれない。

窓の向こうに何を見る。『映画 窓ぎわのトットちゃん』感想&レビュー(ネタバレあり)

今年・2023年の日本アニメ映画は、大豊作だったと言っていいだろう。

私が鑑賞したり感想を書いたりした限られた範囲だけでも、斬新なキャラデザが光る『金の国 水の国』、鳥山明の良さが詰まった快作『SAND LAND』、芸能界と社会の歪みを斬る【推しの子 Mother and Children】、ハイセンスな絶滅どうぶつアニメ『北極百貨店のコンシェルジュさん』など、数多くの忘れがたい劇場アニメ作品をあげることができる。なんなら昨年末に公開して話題をかっさらった大傑作『THE FIRST SLAM DUNK』も今年の夏までずっと上映され続け、劇場を盛り上げていた。配信アニメでは、サイエンスSARUが海外のクリエイターとがっつり組んで作り上げたNetflix『スコット・ピルグリム テイクス・オフ』は特に注目すべき一作だ。(ちなみに海外アニメは海外アニメで凄まじい豊作イヤーだったが今は置いておく。)

そんな今年公開の日本アニメ映画の中でもとりわけ、巨匠・宮崎駿の(色んな意味で)圧倒的な最新作『君たちはどう生きるか』と、水木しげるのスピリットを果敢に蘇らせた『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』は、2023年を象徴する二作品と言ってよさそうだ。宮崎駿、水木しげるという、それぞれ日本を代表する、戦時を知る世代のクリエイターの精神性が(直接・間接の違いはあれど)存分に発揮された結果、どちらにも「戦争」の影が色濃く刻まれていたのは特筆すべきだ。

そんな今年の日本アニメを振り返りながら、来年もどのような作品が現れるか楽しみにしたい…と、なんとなく「締め」の年末ムードに入りつつあったところに、これらの「今年を代表する日本アニメ映画」に確実に加えなければならない"凄み"のある作品が現れるとは、誰が予想しただろう。いや、黒柳徹子のファンは予想していたのかもしれない。そう、『映画 窓ぎわのトットちゃん』である。

tottochan-movie.jp

この映画、予告編自体は何度も劇場で目にしていたのだが、はっきり言ってノーマークだった…というか「まぁ別に観なくていいかな〜」とか思っていた(ごめん)。本編の凄さを知った上で予告↓を見ると、しっかり「面白そう」に感じられるし、作画も十分にすごいのだが…。

www.youtube.com

これは予告編のせいというよりは、私が原作本『窓ぎわのトットちゃん』や黒柳徹子さんについて特に何も知識がなかったことが大きいのだろう。(少なくとも原作を読んでいれば、そこに含まれた確固たるテーマ性を今わざわざアニメ化することの意義にも思い至ったはずだったが。)明らかに現代日本のメインストリームから外れたキャラクターデザインも相まって、なんか微妙に変わり種の、ファン向けのノスタルジーっぽいフワッとした人情的な作品なのかな、と思ってしまったのもある。

だが間違いだった。『映画 窓ぎわのトットちゃん』は、今年の日本アニメ映画で言えば『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』のような気骨ある作品だとか、あるいは『君たちはどう生きるか』のような超絶作画を誇る作品であるとか、そしてなんといっても近年の日本アニメ映画を代表する一本である『この世界の片隅に』のような名作と、同じ重みを持って語られるべき映画であると思う。

というわけで結論→「紛うことなき傑作」なので、まずはとにかく劇場に駆けつけてほしい。残念ながら今のところ客入りはイマイチっぽく、これから人気作も続々とくるため、大きなスクリーンで見られる時期はすぐに終わってしまいそうだし…。ネタバレはなるべく控えめにするが、記事後半では終盤の展開にがっつり触れるので注意(まぁ原作も有名だし、ネタバレで面白さが損なわれる映画ではないとは思うが)。

 

 

現実と夢幻が重なる圧巻のアニメ表現

まずはシンプルに、本作はアニメーション表現のクオリティが極めて高い作品である。もう冒頭の駅のシーンからして、アニメに多少関心のある人なら「あっ、これは…」と襟を正さざるをえないだろう。多くの人が行き交う木造の駅で、人ごみの中から主人公・トットちゃんが現れ、駅員さんと「この切符、貰っちゃいけない?」といった、子どもならではの予測不可能性に満ちたやり取りをする。

原作本も全く同じ始まり方をするわけだが、このアニメ版では本当に当時の駅の様子や人混みをリアルタッチで描くことで、その光景自体に豊かな新鮮味があるだけでなく、その世界にふと現れたトットちゃんという思いがけない存在の面白さも際立つ。『この世界の片隅に』の、クリスマスの空気にわく街の様子を描いた、映画オリジナルの冒頭も見事だったが、それを思い出した。もっといえば本作は、このクオリティの街や学園、人々の日常の様子がほぼ全編にわたって続くわけなので、その点ではさらに凄いとも言える。

とりわけ鍵を握るのは、やはり美術監督の串田達也氏だろう。ジブリ作品やエヴァ、『この世界の片隅に』などで手掛けた美術は数しれず、名実ともに日本最高のアニメ美術監督の一人と言っていい。原作本『窓ぎわのトットちゃん』の挿絵を手掛けた巨匠いわさきちひろの美術の風合いを、できる限り再現するという困難な挑戦を成し遂げている。また、普段は実写作品を多く手掛けている美術設定の矢内京子さん(アニメでは『若おかみは小学生!』など)が果たした役割も大きいはずだ。特に後述するトモエ学園の、地に足の付いたリアル感と、どこかファンタジックな優しさを融合させた造形の見事さは、こうした一流クリエイター陣の尽力あってこそだろう。

現実世界のリアルタッチな描写がよくできていると同時に、劇中で3回ほどある、登場人物の内面世界を描いた夢幻的なアニメーションの素晴らしさも目を見張るものがある。それぞれ全く異なるタッチで、全く異なる意味合いの幻想を描くアニメーションが3種類(日常のタッチも含めると4種類)も同じ作品に同居していると考えれば、ほとんど『スパイダーバース』みたいなアニメ的チャレンジを試みているとさえ言える。詳しくは書かないが、全ての幻想シーンに重要な物語的意味があるので、アニメ表現のスタイルが変わった瞬間はぜひ目を凝らしてほしい。

 

主人公オブザイヤー・トットちゃん

本作のもうひとつの素晴らしさは、なんといっても主人公のトットちゃんの描写が「イイ」と言うことだ。まず誰でも気づくことだが、キャラクターデザインが独特である。というか予告編を観た時点で、多くの人が本作のキャラデザに「ん?」と思ったかもしれない。トットちゃんのみならず、全てのキャラクターが口紅や頬紅をさしているような、いわば「お化粧」を施したような外見に見えなくもないのだ。

こちらの監督インタビュー記事にも書いてあるが、こうした独特のキャラクターデザインは、トットちゃんが少女時代を過ごしていた、昭和の「児童画」を意識したということだ。実際、当時の児童本の表紙や挿絵などを見てみると、生命力の象徴のように、顔にお化粧のような「赤」をさしている絵を多く見かける。昭和の時代に純粋無垢な少女時代を生きていた、トットちゃんの視点から見た「自分自身」と「他の人々」の姿が、この独特なキャラデザで表現されているわけだ。

現行の日本アニメの主流的キャラデザからは相当かけ離れていることもあり、最初は面食らう人も多いかもしれない。だが観ているうちに、このデザインこそがトットちゃんを中心とした登場人物たちに、唯一無二の生々しい実在感を与えているということに気づき始める。人間の顔が記号化されるアニメでは意外と無視されがちな「唇」というパーツを、むしろ強調することで人物の表現に幅が出た、とも監督がコメントしているので、唇の表現に着目して観るのも面白いだろう。

外見だけでなく、トットちゃんが口にするセリフにしても、最初から最後まで全部「イイ」のである。アニメ/実写問わずありがちな「大人が都合よく考えだした子ども」感が全くないのだ。トットちゃんはあくまでまだ子どもではあるが、「子どもなりの知能をフルに生かして世界と向き合っている、聡明で元気で優しい、生きた人間」のエネルギーに溢れている。

たとえば冒頭、駅を出たトットちゃんがお母さんと交わす、「本当はスパイなんだけど、切符屋さんなのは、どう?」といった子どもっぽい、しかし可愛らしい発言も、「ああ〜子どもってこういうこと言うよね!」としっかり思えるリアリティがある(黒柳徹子が本当に言った言葉だろうし、当たり前かもしれないが…)。と同時に「スパイ」という言葉にお母さんがちょっと微妙な反応をすることも含め、こうした子どもならではの自由さが抑圧されていく後半の悲しさも示唆しているのだが…。

トットちゃんの良いセリフをあげていけばキリがないが、序盤で言えば、ユニークな教育方針のトモエ学園を見学に行き、校舎が電車の車両だったことにテンションぶち上がった後、校長先生に会ったときに食い気味で「校長先生か、駅の人か、どっち?」と尋ねるシーンなど凄く良いなと思った。常識的に考えればこの大人が「駅の人」であろうはずもないが、電車の教室にブチ上がってしまったトットちゃん的には、「駅」のイメージに引っ張られているのだろう…ということも想像できる、何気ないが子ども特有の世界観と自由さに満ちた発言だ。

こういう嘘っぽくない言葉を子どものキャラに言わせられる稀有なクリエイターが宮崎駿だと思うし、「校長先生か、駅の人か、どっち?」などというセリフを無から考え出せたらまさに天才であるが、本作は原作が自伝(ノンフィクション)であることが活きて、こういう面白い予測不能なセリフが湯水のように出てきて全く退屈しない。

これほど生き生きとした子どものキャラクターをゼロから作り出すのはほぼ不可能ではないかと思うし、間違いなく原作の『窓ぎわのトットちゃん』あってこそではあるが、その魅力をうまくアニメとして再構成したことで、トットちゃんは驚くほど魅力的なキャラクターとなっていた。今年観た映画の中でも、ベスト主人公のひとりにあげざるをえない。

 

トモエ学園、いい学校

このトモエ学園を舞台に、トットちゃんは自分の個性を押さえつけられることなく、のびのびと学校生活を楽しんでいくことになる。このパートで特筆すべきは、トットちゃんだけでなく、学園の他の子どもたちの描写もまた秀逸であることだ。

学園の日課である「お散歩」や、授業や食事のシーンなど、とにかく「子どもたちが集団で何かをする」という場面が多い作品なのだが、ひとりひとりの子どもが個性豊かにいきいきと描写されていることは、何気ないが(本作が手書き2Dアニメであることを考えれば特に)驚異的ではないだろうか。

子どもの描写に手を抜かないという本作の方針は、まさに舞台・トモエ学園の「それぞれの子どもの個性を大切にする」という理念と一致している、という事実も素晴らしいなと思う。スクリーンに映っている子どもたちが「書き割り」でなく生きているように見えるという事実が、「子どもの個性を大切に」などという、いっけん陳腐な絵空事にも響きかねない信念に、手触りと説得力を与えているのだから。

そんな学園の理念を象徴する存在が、トモエ学園の校長・小林先生である。モデルは金子宗作という実在の人物で、「リトミック」という幼児期の人格形成教育を普及した人としても知られている。先述の「校長先生か、駅の人か、どっち?」の出会いから、小林先生はトットちゃんに一人前の人間として敬意をもって接し、4時間にわたって話を聴いてくれた。小学生を追い出されたトットちゃんの良き理解者として、小林先生は本作の屋台骨のような存在となる。

小林先生と、トットちゃんのような子どもたちの関係を象徴する場面として、「便所」のシーンがあげられるだろう。トットちゃんは汲取式のいわゆるボットン便所に、あろうことか大事なお財布を落としてしまい、大きな柄杓で汚物を掻き出し続ける。冷静に考えるとアニメでこれほど汚物が描かれることも珍しいな…と思えてくる、だいぶストレートに「汚い」場面でもあるが、過去をむやみに美化しないという本作の理念を感じもする。

ただし汚いだけではなく、不思議な爽やかさと愛情にあふれた場面でもある。汚物まみれのトットちゃんの姿を小林先生は目撃するのだが、「そんな汚い/危ないことはやめろ」「大人にまかせておけ」などとは決して言わず、ただ「終わったらもとに戻しておけよ」とアドバイスし、放任しておくのだった。結果トットちゃんは、汚物まみれになった上に財布も見つからなかったものの、「やるだけやった」という満足感を手に入れることができた。ふつうアニメがわざわざ描かないような「汚い」シーンを通じて、先生と子どもたちの理想的な関係を(一切の説明セリフなく)現実的に表現する手腕はスマートで、観客への信頼を感じさせる。

下手をすると聖人のように描かれかねない小林先生だが、彼もあくまで人間なのだ…という点も何度も強調される。体の小さな子を不用意な発言で傷つけてしまった女性の先生を、小林先生が叱責する場面では、先生たち大人も決して完璧でなく、泥臭く努力してこの「理想」の学園を作り上げていたんだ…と、覗き見るトットちゃんと一緒に観客は理解する。小林先生もまた苦悩しながら学園を運営しているからこそ、トットちゃんたち生徒が、トモエ学園をバカにするよその学校の子どもたちに「トモエ学園、いい学校!」と反撃の歌を歌う場面で、人知れず涙する姿が胸を打つのだ。

だからこそ終盤、学園の夢が消えつつあるとわかった時、小林先生が生徒たちに隠れて慟哭し取り乱す姿がショッキングでもある。だが終盤で学園を襲う圧倒的な「現実」を前にして、燃え盛る炎が宿ったような決意を秘めた先生の目には、どこか「綺麗事」を超越した、底しれぬ人間の凄みに溢れている。小林先生というキャラクターの描写だけに着目しても、とても複雑な濃淡を感じさせるのは驚くべきことだ。執念にも似たたくましさをもつ、一筋縄ではいかない人間の「善意」や「信念」の化身…。それが小林先生であり、トモエ学園なのかもしれない。

 

大事な友だち、泰明ちゃん

そんな学園の生徒たちの中でもとりわけ重要なキャラクターが、小児麻痺を患った男の子・山本泰明(やすあき)ちゃんである。片腕・片足が動かしにくいという身体障害を抱え、周りの子と同じようには振る舞えないというコンプレックスをもちながらも、知性と優しさに溢れた泰明ちゃんは、トットちゃんのいちばんの親友になるのだった。

泰明ちゃんとの交流は、原作『窓ぎわのトットちゃん』の核心にあるテーマと言っていいが、この映画版はそれをさらに膨らませ、原作の要素をうまく拾って並べ替えたり、時には映画オリジナルの展開を付け加えたりしながら、一本の筋の通った友情物語として再構成している。

最も重要かつ象徴的なのは、やはり中盤の「木登り」シーンだろう。学園に生えている木を「トットちゃんの木」と(勝手に)名付けたトットちゃんは、体の事情ゆえに「木登りなんて無理」と諦めていた泰明ちゃんを、なんとかして木に登らせてあげたいと奮闘する。とはいえ二人ともただの子どもであり、脚立を使ったり工夫しながらも、なかなか思うように木に登ることができない。子どもならではの「これ下手したら死ぬのでは?」みたいな危うさもスリリングに織り交ぜながら、小さくも壮大なチャレンジを輝かしく描いていた。 監督の八鍬新之介氏も、原作を読んで最も心に残る場面だったとパンフレットで語っていたが、実際このアニメ全体を象徴する、忘れがたいシーンとなっていた。

他にもプールの場面では、原作ではさらっと触れられるだけだった、仲間たちと一緒に泰明ちゃんが水遊びに親しむ姿を、よりドラマチックかつエモーショナルに描いている。先述した「3つの夢幻的アニメーション」のひとつもここで、トットちゃんに背中を押されつつ、水中で「自由」の感覚を味わう泰明ちゃんの内面世界が躍動的に描かれる。中でもこの場面が、いわさきちひろのアートスタイルを最もよく踏襲したアニメ表現になっていることにも注目したい。

ちなみに八鍬監督は、最近だと『のび太の月面探査記』など、普段はドラえもん映画を多く手掛けてる方である。今回の映画版の企画は2016年くらいから始まってたようなのだが、その年に起こった相模原での障害者殺傷事件に象徴されるような、社会の歪みに対する問題意識があったこともパンフで言及していた。その意識は本作にもしっかり現れていたと思う。

アニメ作品は数あれど、障害をもつ人々が、しっかり意志や知性をもったメインキャラクターとして登場することはいまだに極めて少ない。そんな中、泰明ちゃんのような愛すべき人物に、実質的な主人公のひとりとして光が当たる本作のもつ意義は、日本アニメの多様性と可能性を押し広げる意味でも大きいだろう。

それを踏まえた上で(詳しく書くとネタバレになってしまうのだが)泰明ちゃんがたどる哀しき運命と、彼のようなマイノリティが物語上で担いがちな「役割」については、たとえば「冷蔵庫の中の女」や「bury your gays」というミーム(意味は調べてほしい)が喚起するような議論や批評があってもいいかもな、と感じる。もちろん原作通りの展開であるし、悲劇によってしか描けないテーマもある以上、この点で本作を批判するのはお門違いではあるが、仮に障害をもつ当事者の人が本作を見て「あ〜、またか…」と思ってしまったとしても責められないとも思う。これも障害者のキャラクターの絶対数がまだ圧倒的に少ないことによる偏りの問題なので、より広くエンタメ全体の課題といえるだろう。フィクションはいまだ過渡期にあるのだ。

 

ーーー以下、終盤のネタバレがあるので注意ーーー

 

戦争、疾走、チンドン屋

『君たちはどう生きるか』や『ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生』など(実写の『ゴジラ -1.0』を並べてもいいかもしれない)、戦争の影が色濃く残るアニメ作品に彩られた2023年だったが、『映画 窓ぎわのトットちゃん』はそんな年を締めくくるにふさわしいアニメ映画でもある。

原作の『窓ぎわのトットちゃん』の時代背景は「第二次大戦が終わるちょっと前」という説明があったが、このアニメ版は正確には1940年(昭和15年)を始まりとしているようだ。いよいよ第二次大戦が本格化し、太平洋戦争へと突入していく不穏な時期だが、この時期を「戦前」と表現するのは実は不正確でもある。というのも、すでに日中戦争(1937〜)が始まっているからだ。

つまり本作の冒頭、トットちゃんが平和な子ども時代を満喫している時点で、すでに「戦争」は勃発していたし、そのことは実はラジオの音声や町並みの細かい描写によって、観客にそれとなく示唆されている。トットちゃんや家族のいわゆる「ハイカラ」な、当時の平均的な生活水準に比べると格段に豊かな生活も、戦争や植民地政策がもたらした富の上に成り立っていた、という背景があるわけだ。

戦争がもたらす惨禍と搾取を通奏低音にしつつ、ある意味では特権的な生活を送る主人公を描く作品という意味では、第二次大戦中の広島の日常を描いた『この世界の片隅に』や、太平洋戦争まっさかりの1944年を舞台にした『君たちはどう生きるか』にも、本作は通じていると言える。

本作の不穏さを語る上でひとつ象徴的なのは、序盤で単なる子どもらしい憧れとして(それこそ現代の子どもが『SPY×FAMILY』に憧れるように…)、楽しげに「スパイになる!」と語っていたトットちゃんとその家族が、本当に「スパイとして疑われないように」気をつけないといけない状況に追い込まれる、ということだ。「スパイ」という言葉のリフレインによって、少女と家族を取り巻く状況が一変してしまうことの怖さを巧みに描いている。

さらに、トモエ学園の楽しい生活を最もよく象徴していた「音楽」も、いつしか抑圧の対象になっていく。トモエ学園ではアメリカの歌「Row Row Row Your Boat」を、食事前の教育のために「よく噛めよ♪」と替え歌にしていた。戦時中の食料配給制限によって、空腹で仕方のないトットちゃんと泰明ちゃんは、せめてもの慰めに「よく噛めよ♪」の歌を歌っていたのだが、通りかかった大人(おそらく軍人)に、「そんな海外の浅ましい歌を歌うな、気を強く持て」などと一喝されてしまう。まさにクソの役にも立たないクソバイスであるが、空腹の子どもを無茶な精神論でさらに追い詰める、戦時社会の貧しさ・愚かしさを端的に表す場面だった(まぁ「子ども食堂」とかを取り巻く話題を見てると現代にも思いっきり通じている気もするが…。)

このように、児童画を基調にしたキャラデザや、きらきらした優しい美術に象徴されるような、トットちゃんの純粋無垢な子ども時代が、戦争の脅威によってじわじわ蝕まれていく恐ろしさは、本作に底しれない深みを与えている。

まさにその恐ろしさを完璧に表しているのが、映画の終盤で繰り広げられる「疾走」シーンだ。泰明ちゃんという最愛の友だちの喪失は、トットちゃんの子ども時代の終わりも意味していた。そんな彼女の目に、世界は全く違う容貌で映り始める。戦意を高揚させる勇ましい言葉とともに、街の通りを行進していく兵隊たち。「ゼイタクは敵だ」という標語を前に、不気味なマスクをつけて、イジメのような「戦争ごっこ」に励む子どもたち。いつの間にか世界はすっかり変貌してしまった。いや、トットちゃんが子どもであったゆえに、とっくに「変貌していた」ことに「気づかないでいられた」と言うべきだろう。トットちゃんはそんな変わり果てた世界を、子ども時代に永久の別れを告げるように、まるで一迅の風のごとく駆け抜けていく…。

この「疾走」は、無垢な子ども時代が崩壊し、世界がその真の姿を露わにする瞬間を、一切の説明セリフを使うことなく、純粋にアニメーションの移り変わりのみで描ききった驚くべき場面だ。ただでさえ豊かな日常芝居アニメや、色とりどりの見事な幻想的アニメが素晴らしかった本作を締めくくるにふさわしい、紛れもない名シーンといえる。今年描かれた(日本・海外問わず)全てのアニメーションの中でも、最高のシーンの一つだと断言できる。

ちなみに本作の八鍬監督は、そもそも(クレしん映画『オトナ帝国の逆襲』や『河童のクゥと夏休み』でもおなじみ)原恵一監督に憧れてアニメの道に入ったという。この「疾走」のアニメーションが、原監督の実写作品『はじまりのみち』でも挿入された、木下惠介監督の『陸軍』の(時代の厳しい制限の中、せめてもの反戦の思いを託した)有名なクライマックスを連想するものだったことも特筆したい。

そんな「疾走」を決定的な境目として、トットちゃんの子ども時代は終わりを告げた。それではトットちゃんの心から、かつてのような純真さや優しさ、世界を愛する心も失われてしまったのだろうか…。

それは違う、ということを、黒柳徹子のファンはよく知っていることだろう。

大切な人や居場所を失い、変わり果ててしまった世界に打ちのめされ、自分の無知と無力を思い知った上で、それでも絶望せずに生きていく…。そんなトットちゃんの物語を締めくくる上で、鍵を握るのは「チンドン屋」という存在である。

チンドン屋といえば、にぎやかなだけで、何の役にも立たない軽薄な人の代名詞のように言われる存在だ。ゆえに非常時には(様々な文化と同様)真っ先に切り捨てられもするし、うつつを抜かしていれば厳しい目も向けられる。実際、トットちゃんが小学校から追放されたのも、「窓ぎわ」から見えるチンドン屋に夢中になってしまったことが大きな原因だった。

だがそんな「チンドン屋」スピリットは、いつも明るい灯火のようにトットちゃんの周りを照らしてきた。終盤、戦争のせいでトモエ学園の生徒たちが離れ離れにならないといけなくなり、教室で別れを告げあうという悲壮なシーンがある。そのうち1人が、別れの言葉を言い終わる前に、悲しすぎて泣き出してしまう。だがトットちゃんがすかさず、その子の家にいるニワトリの真似をしたことで、泣いてしまった子も含め、みんなが笑いに包まれる。トットちゃん自身も悲しいに決まっているにもかかわらず、明らかに場にそぐわない唐突なギャグをかますことで、せめて友だちの気分を明るくしようとしたわけだ。

トットちゃんがニワトリの真似をする場面自体は原作にもあるのだが、戦争がもたらす無念と悲哀の空気の中で、その「エンターテイナー」としての彼女の行動に、格別の重みをもたせたのは映画オリジナルの秀逸な判断だ。

ゆえに、実は彼女の人生の核をなしていたチンドン屋が、ラストシーンでもう一度現れるという構成は示唆的で美しい。戦火を逃れるために地方に向かう列車の「窓」から再び、チンドン屋の姿をトットちゃんは目にする。非現実的な光景といえばそうだし、もしかしたら失われた子ども時代の残滓がトットちゃんに見せた幻視だったのかもしれない。

それでもその後のトットちゃん=黒柳徹子が、知らぬ人のいないエンターテイナーとして、日本の芸能界の頂点へと上り詰めていくことを観客は知っている。彼女の才能をいち早く見出し、いつかテレビという「魔法の箱」にトットちゃんも出られるかもよ、と告げてくれた親友・泰明ちゃんとの約束を、果たそうとするかのように…。

振り返ってみれば、本作はチンドン屋のように「なんの役にも立たない」と言われるものが、どれほど人の生を豊かにし、苦しい時の支えになってくれるか…というテーマに貫かれていた。歌を叱り飛ばされて泣き出すトットちゃんを、『雨に唄えば』のような水しぶきの「音楽」で元気づける泰明ちゃん。軍のプロパガンダに加担することを拒み、音楽家としての矜持を守ろうとするお父さん。絵や歌といったアートを愛する心を子どもに教えようとした小林先生。そして悲しむ友だちを「チンドン屋」精神で笑わせてあげたトットちゃん…。

アートやエンターテインメントといった文化や、それらを愛する精神が、戦争のように人々を飲み込み押しつぶす巨大なシステムから、良識や尊厳を守るためにどれほど重要な意味をもつか…。そんなテーマを語るこのアニメ作品そのものが、ひとつのアート/エンタメ作品として見事な出来栄えを誇っていることは、素晴らしいと言う他ない。

ウクライナや中東を筆頭に、世界各地で目を覆うような戦禍が巻き起こっている今、文化やアートがもつ力の小ささに打ちひしがれている人も多いだろう。恐るべき戦争の実態が毎日のように届く一方、文化的な発信力をもつ戦争世代の人々も世を去りつつある日本で、当時の記憶がいよいよ薄れ始めていることに、危機感を覚えることも増えてきた。そんな時代だからこそ、本作『映画 窓ぎわのトットちゃん』のような、この世にいつの日も存在する危機と希望を真摯に描いてくれる作品は、計り知れないほど重要だ。見知らぬ未来へ突っ走っていく列車の「窓」のむこうに、私たちは何を見るだろうか。

 

ーーーおわりーーー

 

原作『窓ぎわのトットちゃん』も遅まきながら読んだけど、今読んでも素晴らしく面白かったのでもし未読ならぜひ。黒柳徹子の朗読もあるよ

なんと今年、続編も出たらしい。スゴイ。

 

さいごに【告知】

ビニールタッキーさんと1/7に渋谷で新年の映画イベントやります。私もリアルイベントはとても久々!ですが、楽しい交流会っぽい感じにしたいので、映画ファン(というほどでもないが興味ある人も)はぜひお越しください!

詳細↓

https://vinygasa24.peatix.com/?lang=ja

 
 
 
 
 
 
 

図解「イヌの進化と"愛"」

人類の最愛のパートナー動物・イヌが、いかにしてオオカミから進化を遂げたのか?その答えは…「愛!」という図解です。"難病"遺伝子が鍵を握るという興味深い研究も…?「金輪際現れない 一匹狼の生まれ変わり」なスペシャルな動物・イヌを大切にしてね。

 

<参考書籍・HPなど>

まずは『イヌはなぜ愛してくれるのか 「最良の友」の科学』ぜひ読んでほしい。

著者のクライブ・ウィン博士は科学者として「愛」みたいなふんわりした言葉をとにかく使わないようにしていたのだが、イヌを研究していくうちに「いや……愛でしょ」と認めざるをえなかったのだった。

こちらでも紹介↓(セールは終わったけど)

numagasablog.com

 

ナショジオが出してるイヌ系の本もオススメ。

↑こちらの『犬の能力』も参照させてもらった。世界各国のイヌの専門家がいっぱい出てくる『イヌはなぜ〜』のクライブ・ウィン博士もいるよ。

ウィン博士、NYタイムズでも記事書いてる。↓良い記事です

www.nytimes.com

↓ナショジオはイヌの進化にまつわる色々な記事をまとめてくれている。

natgeo.nikkeibp.co.jp

↓イヌと難病遺伝子について詳しい説明。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

イヌだけじゃなく、植物含めた様々な生物を人類が「飼いならして」きた歴史を語る『飼いならす――世界を変えた10種の動植物』もとても面白いのでオススメ。

 

今回の図解と直接は関係しないけどオススメのイヌ関連書籍。

『犬であるとはどういうことか―その鼻が教える匂いの世界 』。有名なイヌ学者アレクサンドラ・ホロウィッツがイヌの嗅覚に特化して語る本。おもしろいよ

お騒がせバグ!「トコジラミ」図解

国際的パニックを巻き起こし中な昆虫「トコジラミ」を図解してみました。大まかな生態や、対策に役立ちそうな弱点など紹介。どんな虫なのかざっくり知りたいけどググるのはちょっと…という人もお役立てください。参考になりそうなHPなどもいくつか紹介。

 

↓ナショジオの記事。トコジラミに関するよくある誤解を正す内容で、過剰なパニックに陥らないためにも一読オススメ。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

↓トコジラミをはじめ、旅の間に会う「害虫」の皆さんの対策記事。

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

↓厚生労働省の「トコジラミとその効果的な防除法」。

https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10900000-Kenkoukyoku/0000074552.pdf

 

↓ハフポスト。刺されるとどうなる?とか主要な対策とか。

www.huffingtonpost.jp

 

パリを襲うトコジラミパニックのようす(BBC記事)。韓国もだが、観光先として人気があるエリアはやっぱり色々と持ち込まれやすいのであった。

www.bbc.com

 

日本Twitterでも、某メトロにトコジラミが…!?的なツイートがあったけど結局まだ真偽がよくわからないっぽいのだが、パリ・韓国ともに「鉄道でトコジラミ目撃」の情報はあったが確認できず(トコジラミではなかった)…という現象が見られる。いつかのヒアリパニックもちょっと思い出す状況なので、拡散には少し慎重になるべきかもね

t.co

 

ヨーロッパでも恐れられるトコジラミについて、イギリス人が苦労話を語る(ガーディアン紙、英語)。「うちにトコジラミがいる」と友人に話しづらい…という社会的な苦境も。人口密度の高いアパート等に多いが、駆除にはけっこうな資金が必要になるという理不尽。一種の経済格差問題とも言えるかもな…

t.co

 

トコジラミも先日のクマもだが、生きもの系の「ヤバイ」情報はSNSでも(時として実態以上に)激烈な感じで拡散しやすいので、生きものの生態を学びつつ冷静に対応することも必要かなと思います。

numagasablog.com

アーバン・ベア! 「町にやってくるクマ」図解

町にやってくる熊々(くまぐま)、通称「アーバン・ベア」が世間を騒がせる今、クマに何が起きているのか、なぜ人を襲ってしまうのか、出会わないために/出会ったらどうすればいいか、共存の道はあるのか…などの基本的な情報を図解でまとめてみました。図解イラストとあわせて、参考にした/できそうなクマ関連の記事やサイトもまとめておきます。

Twitter↓

 

【参考記事・サイトなど】

 

まずクマ被害の定量的データは環境省の「クマ類による人身被害について[速報値]」も参照。
2023年の被害人数(〜10月末)は「180人」で、21年+22年の合計をすでに上回る数字。県別に見るとやはり秋田が突出、次いで岩手。死者数は現時点で「5人」と過去ワースト級。(とはいえ、毎年"数千人"規模の死者を出している交通事故などと比べると、クマによる死亡事故は現状では非常に珍しいケースである、ということも留意すべきかなとは思うが…)

 

図解を描く上で最も参考にした、先日放送されたクローズアップ現代の「アーバン・ベア」特集の書き起こし。クマの異常行動の背景、クマの生態を知る大切さを、クマ専門家の小池先生らが語る。誘引物の除去など短期的な対処から、軽井沢のように長期的な共存政策まで、幅広い施策が必要だとわかる。

www.nhk.or.jp

 

図解でも紹介した、軽井沢の長期的な視野をもったクマとの「共存」施策。人とクマの「陣取り合戦」というイメージで、森林・緩衝地帯・市街地の3つのエリアに分け、森林エリアにクマを押し戻す。資金や人手は必要だが、長い目で見ると確実に必要になってきそうな方針。

t.co

 

音声コンテンツとしてはSessionのクマ特集も。今年クマ被害が多発している背景を、クマの専門家・山崎先生が解説。

t.co

 

図解でも少し言及したが、クマの異常行動に気候変動が与えた影響はやはり大きいと見るべきでは、と思う(日本語ニュースではあまり言及されないが)。こちらの記事では、気候変動とブナ凶作の関連性が指摘されている。長期的かつ喫緊なクマ対策という意味でも気候危機対策が日本でも切実に重要になるんじゃないでしょうか…

t.co

 

気候変動とクマの都市進出を結びつける報道、海外だっとけっこう見かける。

《気候変動により都市部にクマが押し寄せ、日本はクマ襲撃の避けがたい増加に直面》(英語)

t.co

 

日本語のクマ記事はどうにも扇情的なものが多く、特に「クマを駆除しようとするスタッフに対して、こんなクマ保護派のクレームが!」みたいな対立煽り記事ばっかり出てきて辟易させられた…。

この手のネット受けしそうな、「クマは駆除あるのみ、保護だの共存なんてお花畑」みたいな単純な二項対立が良くないのは、駆除が本質的には対処療法にすぎず、長期的には地道な動物保護のアプローチ(≒クマと人の間に適切な距離を設ける)が人命を守るためにも不可欠になるから…ということは周知されるべき。

ただしこの記事↓は、タイトルちらっと見て、またよくある「行き過ぎた動物保護派がこんなクレームを!」的な対立煽り記事かなと思ったが、よく見るとクマ保護派にも理不尽なクレームや誹謗中傷が殺到してるという記事だった(集英社オンライン)。メディアの(百害あって一利なしの)煽りに乗せられず、クマ被害の背景にあるものをちゃんと見ないといけない。

t.co

 

こういうのはむしろ海外の方が冷静かつ論理的に見てる、みたいなことも多いので、ジャパンタイムスの充実した記事も紹介しとく(イラストかわいい)。文中で『平成狸合戦ぽんぽこ』にまで言及されてて面白いし、連想もわかるなという状態ではある。
《コンクリートの森: クマやイノシシなどが都市へ向かう》(英語)

t.co

 

いったんこんな感じ。また何かあれば追記します。